2010年12月15日水曜日

冷蔵庫とお金

 自給自足の村が先進国の仲間入をさせられてしまう最初の一歩は

 「冷蔵庫」と「お金」であるとバヌアツに居たころに感じたことがある。

この二つは生活だけでは無くて、人の心を気がつかないうちに変化させてしまう。
 
 もちろんこの二つだけではないけれど、象徴されるのは冷蔵庫とお金だ。

 たとえば海沿いに自給自足をしている100人で20家族くらいの

 小さな村があったとする、村の若者が漁にいってその日は調子が良く、

 30匹くらいの魚をとってきた。

 
 冷蔵庫という概念が無いその村は、魚はその日のうちに食べなければならず

 若者は自分の家で3匹食べると、あとは村人に分配した。

 村の中では老夫婦もいるだろうし、

 カヌーを持っていなくて漁に行けない家族もあるから、

 みんながとてもその若者に感謝する。
 

 若者はとても誇らしい気持ちになるし、自分は若くて体が良く動くので、

 またみんなの為に漁に行って喜んでもらいたいな。と思うはずだ。


 しばらく海が荒れて若者が漁に出れないときには

 村の中で畑を持っている人が若者の家に野菜を届けることもあると思う。

 そうやってみんなが成り立っている。

 もちろん漁にも行けずに野菜も取れない時期もあるとおもう。

 みんながお腹がすいて、我慢しなければならないじきもあるが、

 村人皆がお腹がすいていれば、優先的に年寄りと子供に食事をとらせよう。
 
 という平等で正しい判断がしやすくなるとおもう。

格差が無ければ良いことも悪いこともみんなで分け合えるものだ。

 たとえ災害や水が干上がったりして、

 最悪な状態になって村が滅びることがあったとしても、

 それはみんなで受け入れられると思う。


 しかしそこに冷蔵庫とお金が入ってくると話が変わってくる、

 用は貯蔵が可能になるのだ。

 漁に行った若者はその日に10匹とれた魚の7匹を

 冷蔵庫に入れてお腹がすいた時に食べるようになり、

 よその家に分けることをしなくなるかもしれない。
 
 またお金を使うようになれば一匹30円で売って、

 お金を貯めておき、
 
海が荒れて漁に出れなくなった時に、

 畑を持っている人から野菜が買えるように蓄えておくかもしれない。

 そうやって知恵と力のある人たちの冷蔵庫に沢山の食料とお金を蓄え、


 もしもの時の為に蓄えておく。

 身内の不幸や病気で家族が十分に働けない家との間に

 少しずつ格差がうまれるかもしれない。

 蓄えるということは良いことだと思うけど、
 
 貯蔵ができずに常に生命の危険を感じながらもみんなで

 平等に生きていたころを忘れたくないと思います。