2012年9月24日月曜日

男の人生で最高のコーヒーの味

 青年海外協力隊としてバヌアツにいたとき、僕が島に入ってすぐに先輩隊員は任期終了で

帰国してしまった。それから8ヶ月間一人で島にいた。

 その次にテツヤが来た。二人になった時は本当にうれしかった、でもお互いに日本人同士で固まらないようにと週末だけ会うように心がけていた。

 その6カ月してヒロが来て、タクヤがきて、最後に僕の後任のヨリがきてくれた。

 ここまで書いて分かるようにウチの島には昔から女性は送らないことになっている。
 タンナ島の男達はマンタンナと呼ばれてバヌアツ人の中では気性が激しいとされているから
  女性はいない。

 最初にタンナに行った時は自分は一人で2年間なのかもな? と思っていて。

 だから食器もほとんど買わなかったし、地味な生活をしていた。でも3人4人と増えていくと
 
我が家が大きかったこともありみんなが集まるようになってきた。

 週末にみんなで集まってそれぞれの活動の悩みを聞いた。

 ある程度みんなが同じ悩みを持っていた。でも後輩たちは僕よりもたくましく活動している

 ように感じた。実際にみんなよく働いていた。

  4人目のタクヤが来た頃、みんなで食事ができるように椅子とテーブルを作ろうと思って

 材木屋から材木を買ってきた。テーブルは簡単だけど、座り午後地の良い椅子を作るのは

 とても大変だと分かった。

 でもみんなでそろって食事をできるのは楽しかった。みんなと一緒にここにいたいとも思ったし。

  2年間一度も帰っていない日本に戻れるうれしさもあった。

  その頃は食後は焚火を囲んでコーヒーを飲むのがいつものパターンだった。

 日本ではありえないくらいの安物のグラスとか100円ショップでも売っていないような

 プラスティックのカップ、全員揃うと足りなくてジャムの空き瓶でコーヒーを飲んでいた。

  ジャムの空き瓶は取っ手が無いし、熱が伝わりすぎるからコーヒーを入れると直接手で

 もつことは難しいことも学んだりした。

  なるべく新しい隊員にはきちんとしたカップで飲んでもらいたくて、古い隊員がジャムの空き瓶

 でコーヒーを飲んでいた気がする。

  でもそれを見て「かっこ悪いな」と思う隊員は僕達の中にはいなかったと思う。

 あの時にみんなで飲んだコーヒーは間違い無く僕の人生で一番うまいコーヒーだった。

 かっこ悪いとかダサいとかいう人もいるかもしれないけど、そういう人にはきっとわからない

 のだろうなと思う。

  みんなで一つの焚火を見つめてコーヒーを飲んでいたとき、僕たちはあの島で本当に良い

 時間を過ごしていたのだと思う。

  日本で一日中蛇口から水が出てきても、いつでも電気が使えても、 携帯電話で常に連絡がと

れても、立派なブランドのカップで一杯千円近いコーヒーを飲んでも。

 僕の人生のなかであのコーヒーに勝るものはないと思う。

 だから日本で生活しているとたまにどうしようもなくむなしくなることがある。

 あの充実感は日本で味わうことは難しいのかもしれない。

 すでに5人とも帰国してそれぞれの人生を歩んでいる。

 人生には何もかもが便利すぎるから逆に味わえなくなってしまう「本当の味」があるのだと思う。