2010年10月25日月曜日

職業差別



 <写真は古着のコンテナを作っているイタリア人のトニーニョです。このコンテナ
  がコンビニとかパブとかスーパー、学校なんかに置いてあって、僕は車で回って
  中に入っている古着を集めます>


イギリス人で働いていて感じることだけど、職業差別が無いな。

って思います。

 常に人と人は対等で平等なんだ! っていう風に感じることがおおいです。

 募金活動していても

「私もボランティアしたいけど、忙しくてできないから、あなたに託します、

でもボランティアしてくれてありがとう」

 って言ってもらったことあるし。

 古着集めのコンテナを置く場所をお店に一軒一軒聞いて回ってもいても、
 
 「ウチはおけないけど、よい仕事だね、頑張ってね」

 って本心で言ってくれるし。

  先週も朝からドライブして、古着集めのコンテナを回っていたら、

 スーパーの清掃のオジサンがやってきて、

 「若い奴らがコンテナの周りにごみを捨てて汚れてしまってるけど、大丈夫かい?」
 
 って声かけてくれるし。

 その人もすでに60歳くらいの年だったと思うけど、

 杖みたいな先にごみを挟める棒みたいなのを持っていて、

 朝の7時くらいから一生懸命ごみを拾っていました。

 そしてみんなとても自分の仕事に誇りをもっているというか、

 僕がリサイクリングのコンテナを開けて、

 中に入っている誰かが入れたゴミと古着を少し

 ふてくされながら分別している時でも、凄く自然に。

 「おはよう、頑張ってるね、チャリティー活動してくれてありがとう!」

って声かけてくれいます。

 こんなところで汚い恰好して、ゴミと古着を分けてるアジア人になんで
 
こんなに親切なの?っておもいますが、

 僕の出会うイギリス人はそういう職業差別みたいなのは全くないみたいでうす。

 逆にいえば、40代50代くらいのキチンとした紳士が短パンにブーツはいて、

 郵便を配っていたりします。

 田舎の農家のオジサン達も夕方にはキチンと襟付きのシャツに着かえて、

 パブでビールを飲んでいます。

 決して作業着のままではパブにはいきません。

 そしてみんな凄く自分の仕事に誇りを持っているとともに、

 他人の仕事にも敬意を払います。


 一日中古着集めのコンテナから古着を回収して、疲れ切っていて、

 日差しが強くて夕方で外の気温は急に下がってきたのに、

 車の中は熱くてのどが渇いたな、と感じていた4時半頃。

 小学校の中のリサイクルセンターから古着を取り出して、

 次のコンテナの郵便番号をナビに打ち込んでいた時。

 子供がみんな帰った後の小学校で購買部の棚卸をしていた

 50代くらいのオジサンが、

 疲れて眉間にシワを寄せながらナビをにらんでいる僕のところに寄ってきて。

 「御苦労さま、よかったらこれ飲んで!」

 っていって紙パックのオレンジジュース2パックを

 大きな手のひらで僕に差し出してくれたとき、

「なんで僕がのど渇いてるってわかったんだろう?

 そしてなんでこんなところで作業着を着て古着集めてる

 アジア人にこんなにやさしくできるんだろう?」
 
 って嬉しさとともに疑問が沸きました。

日本では感じたことの少ない感覚だったからです。

 おそらくみんなが自分の仕事にプライドを持っているから、

 他人の仕事もけなさないのだと思います。
 
 そういう人間同士の平等っていうか、

 仕事や立場によって人の見方を変えないで、

 あくまでも個人と個人として人と接するところ、イギリス人は素晴らしいと思います。

 僕が日本で古着を回収している外国人を見た時に、

 そういう行動できるかな?って思ったら、なかなかできないと思います。

 イギリス人は合理的なのだと思います。

 決して人情とか憐みで親切にしているのではないんだよね。

 「なんで仕事で人を判断するの?」

 ってイギリス人は逆に疑問に思うのだろうね。

 自分にはそういう気持ちは少ないって思っていたけど、

 こちらに来てイギリス人と接していると、

 自分は無意識のうちに職業差別していたな、と感じました。

 そこは見習うべきところだと思います。