2010年12月22日水曜日

試合の前の日

 フットボールをしていた時、ものすごく大切な試合の前の日とかは

 興奮してなかなか眠れないし、色々と考え過ぎてしまいます。


 チームもものすごい緊張感に包まれるし、何もかもを研ぎ澄まして試合に臨みたい

 と思います。 

 「絶対に勝つ、何が何でも勝つ、勝って人生を変える」

 どんな犠牲も構わない、

 「相手を殺したって構わない!」

 って思い詰めた後に、

 「ウーンでもどうやってフットボールで人を殺すんだろう?

  なんかイメージ沸かないなー」

  というような疑問がわいてきて、

 
 「でもなんで殺せないのかな?なんで殺すイメージ沸かないのかな?」

 って考えていたら、もう一人の自分が教えてくれました。

 「お前、死ぬほど勝ちたい、勝って人生変えたい、相手を殺しても良い

 って言ってるけど、そう言ってる自分はキチンと死ぬ覚悟できてるの?

 勝てるなら死んでも良いっていう心の準備できてるの? 

 自分が死ぬ準備ができてなくて、

 相手をどう殺したらよいかなんてイメージできるわけないんじゃないの、

 だってそんなの卑怯でしょ、自分は死にたくない、

 でも相手は殺してやりたい、自分の中にそういう矛盾があるから、

 殺す準備ができないんだよ、そんな中途半端な気持ちでは勝てないよ」

 

 「あっそっか、自分が死んでも良いと思えないと相手も殺しては行けないよね」

 「ホントに死んでも良いかな? 

 まあ今までの約30年間結構やりたいことやってきたから、

 そろそろ命かけても良いかな。よし、死のう!

 明日勝てるんだったら死んでも良い!
 
 明日の勝利の為に今まで生きてきたんだと思う!

 今日はキチンとお線香上げて寝よう」



  そこまで考えて、やっと気持ちがおちつきます。

 「もう迷いなし! 明日は真っ白な気持ちで行ける!」
 
 って思えました。

 
 まあ結局は次の日の朝に目覚めて、試合会場にいって、

 ウォームアップでちょっと息が切れたり、腰痛やひざ痛などが出てくると、

 すぐに心もなえてしまって。

 「やっぱり無理、死にたくないし、相手も痛いだろうから殺したくもない

  今日もできる範囲内で頑張ろう、神様お願い!何とか勝たして!」

 
 っていうきもちにすぐになります。

 だから実際に試合中に殺してやろうなんて思ったことは一度もなくって、いつも

 「今日の芝は滑りやすいな」

 「また今日も親父は会場の端のほうでみてるな」

 「ハーフタイムにシャツ着替えないと、後半寒いなー」

 「今日は横浜スタジアムだから帰りは中華街だな」

 なんて考えたりしていました。
 
  そんなもんだよね、試合始まると気持ちって意外と落ち着くんだよね。

  
 でも若いころはそれほど真剣に考えていたなー!

 って思いだしたので書いてみました。
 
 自分が死ねる心の準備ができてる人だけが、相手を殺せるのかな?

 って思ってます。