2011年1月26日水曜日

Genki desu

Angola ni tukimasita ga internet ga nai node kousin ga okurete imasu.
demo genki ni ganbatte imasu.
tikai utini net ga tunagaru to omoimasu mou sukosi matte kudasai.
yorosiku onegai simasu,
Teruhiro URA

2011年1月15日土曜日

ここからアンゴラです。


ついにアンゴラに到着しました。

 なんと言ったらよいのか、ちょっと難しいのですが、協力隊のOBの人がこのブログを

 読んでくれている思うので、正直に書くと、あまり実感がないというのが

 正直なところです。

 バヌアツでの2年間で僕の中ではなんとなくボランティアにたいする

 考え方がまとまっていて、

 今回の6ヶ月間はどちらかといえばそれほど熱く無いという気持ちです。

 ひとつの理由は4名で一緒にきましたが、

 みんながアフリカを目の前にして興奮しているのを見て、

 なんとなく一緒に興奮できない自分に気がついてしまったこと。

 空港に着いたときに感想は、

 なんとなくバヌアツに戻ってきたという気持ちでした。
 
 空港、町、人、匂い、湿気、食事、なんとなくすでに知っている気持ちでした。

 ただ一つ違うのはポルトガル語だということ、

 初日に来た首都の学校の先生達は英語を話しますが、

 それ以外はみんなポルトガル語だということです。

 アンゴラはポルトガルの植民地だったからです。

 
 もうひとつの僕がの気持ちが熱くならないというか落ち着いている理由は、

 学校の生徒も町の人たちもみんな親切でよい人達だとわかったからです。

  東京よりも物価が高くて、世界で一番すみにくい町と呼ばれている

  首都の町ルアンダですが、

 (ルアンダとはアンゴラの首都で、別にルワンダという国もあります)

  今日一日過ごして、みんながよい人だということがわかったので、

やっぱり地球はどこに行っても自分次第、

 みんなよい人という安心感をもちました。

  今は協力隊みたいに熱い気持ちではなくって、もっとこう大人な気持ちで

 挑むべきなのかな? と感じています。

 
 明日の朝から400キロほど南にあるバンゲラという町にある教員養成校

 バスで8時間かけて行きますが、

 少し冷静に、実践的に働きたいと思います。

  

 もうひとつの感想は、協力隊は2年間だったけど、今回は6ヶ月だということ。

 協力隊で初めて任地のタンナ島に着いたときみたいに、

 「ここで2年間すむんだ、それぞれのシーズンを二回経験して、

 帰国するときには自分は2年も年をとるんだ、

 何が何でも言葉を覚えて、島に貢献したい」

 という気持ちでした、でも今回は。

 「自分には半年しかない、

 プロジェクトの中心に自分がなることは言葉の面でも、

 時間の面でもありえない、

 だったらいまプロジェクトと学校を一生懸命運営している人を

 どうやってサポートできるか? 

 どちらかといえば裏方に徹することがもっとも貢献できる道だ」

 という気持ちでいます。そのなかでこっそりとポルトガルを覚えようと思います。

  
 イギリスとアンゴラの間で時差が1時間しかないのも理由のひとつかも知れません。

 変な時間に眠くなったり、食べたくないのに食事を取らなければならなかったりという

 海外旅行独特な変な健康状態になることはありません。

  いたって普通です。

 
 それがアンゴラの初日です。

 ちなみにアンゴラは内戦が長かったので、協力隊の派遣はありません。

 でも見た感じではいたって普通、ものはバヌアツよりも豊かです。

 国の規模もバヌアツより10倍くらい大きいしね。
 
 国土は日本の5倍くらいはあると思います。

 そんなアンゴラ生活始めますので、またよろしくお願いします。

2011年1月11日火曜日

一流の人


 <写真はイングランドに田舎町です、冬は昼間でも気温がマイナスなので
 これだけ日がてっていても凍りついた木はとけません、強い日差しなのに
 枝が凍っているのはとても美しかったです>
 
フットボールをしていた頃。

 数々の伝説的な先輩と一緒にプレーすることができました。

 学生の頃に、

 「あの先輩はすごかった」

 と色々な伝説を聞いていた先輩や、

 ほかの大学でも大学からものすごく活躍していて、

雑誌に載っているような僕があこがれていたような選手と

 一緒にプレーできたことは僕にとってはとてもよい経験になりました。

 
 やっぱり一流と呼ばれる人は何かほかの人とは違うものを

 持っている気がしました。

  試合中にそういった先輩がものすごいプレーをして、

 チームみんなが盛り上がったときに、

  
 「流石ですね、すごかったですね!」


  って僕が声をかけたときに
  
 「いや、もっとやれた、あんなんではあかんな!」

 と普通な感じで返事が返ってきたときに

 「やっぱりこの人は違うなー!」

 っ手気持ちが引き締まった思い出があります。


  試合前にお互いの選手同士が少し興奮して、

 喧嘩しそうな変な雰囲気になったとき、

 
 「おい、なにやってるねん。相手にするな、早く戻って来い」


  ってうちのキャプテンがめちゃくちゃ落ち着いた声で普通に言ったとき、

 チーム全体の浮ついた気持ちが一気に静まって試合に集中できました。

 
 
  大切な試合の前にゼネラルマネージャーがみんなを励まそうとして

 「次の試合はスポンサー、マスコミ、

 その他もろもろのものすごい期待がかかっている、
  
 君たちの人生もこの一試合で大きく変わる」

 などと、練習後の寒いグランドで永遠と20分くらいしゃべり続けて、

 みんなが何かものすごい

 プレッシャーと不安を感じはじめた後に、うちのキャプテンが

 「簡単なことや、ようは勝つだけ」

 って少し面倒くさそうに言ったときその一言でチームの不安が取れて、

 みんな勝つことだけに集中できたような気がします。

 「ウラ、ちょっとくらいいいプレーしたからって喜んでたら

 いつまでたってもお前は二流や、本当の一流はよいプレーしたあとに、

 これくらいのプレーのレベルはすでに経験済みだよ、
 
 っていう顔ができないとあかん、

 そういった態度は自分のチームを引き締めるし、

 相手チームに恐怖心を与えることができる、

 だから雑魚な選手みたいにしょうもないプレーでイチイチ喜ぶな」

 っていわれたことあります。

 たぶんこういう人が戦国時代とかに天下取るような人なんだろうな、

 生まれる時代を間違えてるなー っていまでも思います。

 

2011年1月7日金曜日

二週間と二ヶ月の理論

 フットボールをしていたころ、

 練習の最後にコンディショニングという走り物がありました。

 練習で疲れているのに、さらに直線を7割くらいの速さで20本くらい走ったり、

 時には5キロくらいの距離を

 100メートル、400メートル、200メートルとランダムに走ったりします。

 そうやって走ると疲れた筋肉の中の乳酸が血液と一緒に流されて、

 次の日に筋肉の疲れが取れる。

 というコーチの理論でしたが、僕にしてみれば筋肉はすでに悲鳴を上げていて、

 必要なのは休養であり、さらに僕のひざの関節は半月版が割れていて、

 走るたびに痛むし、股関節の骨折の痛み、慢性疲労からくる腰痛など考えると、

筋肉の疲れよりも体を休めるほうが大切だと思っていました。

 
  練習で走って疲れたのに、その跡にまた走ると疲れが取れる意味がわからない?

 
 だったら二回練習すれば、一回目の練習の疲れが取れるの?

 
 食べすぎで胃袋が荒れたら、もっと食べたら胃痛が取れるの?


  心の弱い僕は走りながらそんな言い訳ばかり考えていました。


 本当に駄目な選手だったと思います。


 でもそんなときにコーチが教えてくれました。

 「ウラ、シーズンは4ヶ月と長い、もちろん今走るメニューを止めたら最初の

  二週間は体も楽になるし、慢性疲労も取れるかもしれない、

 でも二ヵ月後に気がつく、自分の全体的な身体能力が落ちてしまっていることを、

 だから辛くてもシーズンの最後までこのメニューは続けなくてはいけない、

 勝つためだから仕方がない」

 
  なるほどね、それもそうだよね、って納得したのを覚えています。


  なんでそんなことを今思い出したかというと、

 約一ヶ月前にプログラムが終わって、今はビザ待ちで学校でクリスマスと新年を

 すごしてしまいました。勉強も募金活動も終わってしまって、最初はとてもリラックス

 した気分で少し気楽な生活でしたが、最近気がつきました。


  「この生活をもう一ヶ月続けたら駄目人間になってしまう。」

 やっぱり休暇は二週間で十分だと気がつきました。

  少しずつ、仕事したり、アンゴラに向けての運動したりしようと思います。

 そうしないと二ヵ月後には駄目人間だよね。

  
  まあ来週には出発できそうなので、アンゴラでまた忙しくなると思いますが。

  二週間と二ヶ月の理論は体にも心にも使える理論だと思います。

2011年1月4日火曜日

もっと上手に自己主張!

 年末からネットの調子がとても悪くて、なかなか更新できませんけど

 ごめんなさいまた頑張って更新しますね!


  自分の弱点についてよく考えるのだけど、

その一つは、自分自身はとても我儘で我が強いのに、

異常に他人に気を使うことがあることです。

 「ウラサンが気を使うって何言ってるんですか?」

って言いたい人沢山いると思うけど、たぶん全く気を使ってない

時と異常に気を使ってる時があるのだと思います。

 なぜそのバランスが悪いのかを説明するから待っててね

 

 大学の先輩とか上司とか、まあ自分より目上の人に対してです、

こびていると思われても仕方ないほど絶対服従な時があります。

  イギリスで良く

「自己主張しないと損するよ!」

 って言われてます。

 理由の一つは日本ではまだまだ終身雇用の文化が残っていて、

先生や上司はみんな人格者でなければならないし、

組織全体のことを考えなければいけないという無言の常識があって、

こちらも安心して働くことができますが、

ヨーロッパでは終身雇用もないので。

 上司は絶対に今の立場を失いたくない、

だから自分より優秀は人材が育つことはあり得ないし、

組織にとってその人材が有用でも自分が気に入らなければ自分の立

場が上な内にその人材の芽を摘んでおくのは当たり前なのだと思います。



 自分の絶対服従な話に戻ると


 一つは日体大からの体育会の影響があると思います。

 先輩に

 「あのカラス真っ白だなー!」

 って言われたら、

 「もちろんです、雪みたいに白いです!」
 
 って言ったほうが良かったし

 「新宿に売ってるコーラが飲みたい、しかも紙パックのコーラ!」

 っていわれたら、紙パックの炭酸なんてあるわけないのに、

 とりあえず買いに行くふりをしないと行けなかったり、

 でもそういうのって今どきの体育会にはないと思います。

 僕らの時もそういうこと言う先輩はみんな、

上級生になっても試合に出れなくって、誰にも相手にされず、後輩を困

らせることくらいしかやることがない人達でした。

 後輩のほうもどちらかといえば、そういう先輩と仲良くしておけば、

何かあった時に助けてくれるかな?

 っていう気持ちがあるのだと思います。

 そういうおかしな上下関係がおかしな体育会を作っていて、

 本当に一生懸命にスポーツをしている幹部とか優秀な上級生はすでに人格が出来上がっていて、

後輩なんか気にせずに、自分の道を進んでいるのだと思います。


 話が少しそれましたが、大阪の弱小チームから推薦では入学できなくて、一浪して大学に入学して、知っている先輩も全くいない大学でずっと2軍だった僕は上下関係の一番下にずっといたので、

身を守るためには常に「服従」の姿勢をとっていたのだと思います。プレーで貢献できないっていう後ろめたさもあるしね。

 後はファミレス

 これも絶対服従の世界

 クレームでたら絶対に口答えしてはいけない、どんな不本意なことでもとりあえずお客さんが話し終わるまで

 シンシに話を聞くこと。

  結局ファミレスではシンシに話を聞くと、お店が悪いことが9割なので、それは確かに不合理は事では

 なかったと思います。

 だって基本的にお客さんは最初からお腹がすいていて自らお店に来てくれてるわけだし、別にこちらが無理やり押し売りしてるわけでもなくて、

こちらもメニューをキチンと見せてお互いに合意の上で商売してるわけだから、普通にお料理せば怒られるわけはないものね、

 ほとんどかこちらの落ち度でした。

 だから相手の意見をシンシに聞くことが身についてしまいました。

心のどこかに、こちらが真面目に相手の話を聞けばわかってもらえる

 という甘さがあるのも確かだと思います。


 だからついつい自己主張をする習慣が無くなってしまいました。

 あと僕の周りには素敵で人格者な上司や先輩や先生、親戚や家族がいて、

 その人達が僕を上手く導いてくれたというのもあると思います。


 そしてもう一つは育ってきた環境

 
これが実は同じ考えの人がいるのではないかな?って思います。
 

 ウチの母親は怒るタイミングが分からないんだよね。

 昨日良かったことが今日は駄目だったり、逆に良かったりで、

 
子供心にその基準がわからないので、

 「物事」が良いのか悪いのかで判断するのではなくて、

 相手の「機嫌と顔色」ばかりをうかがう癖が付いているのだと思います。

 そして機嫌が悪い時のことを予想して常に動くので、とても卑屈にコビてしまう。

 そういう癖が自分にはあると思います。

 そのくせ自分自身はとても我儘で我が強い。だから人に合わせられない。

 昔友達に言われたことがあります。
 
 人間にも馬派とラクダ派の人が居て、

 馬の人は常に少しずつ自分の欲求を言うことができる、

 たとえば

 「お腹がすいた、水が飲みたい、疲れたから休みたい」

 でもラクダの人は違うらしいんだよね。

 ひたすら何も言わずに我慢して歩き続けてある日突然 

 バタッ! 

 って倒れて死んでしまうそうです。

  ヨーロッパでアジア人が難しいのは、子供の頃から教育されていた

「忍耐強さ」

 忍耐強いので、常にヨーロッパの人よりも意見するのが遅くなります。

 先にヨーロッパの人が文句を言いだすので、「調和」を大事にする

 アジア人は、問題を解決しようとさらに我慢してしまいます。

 でも基本的な考え方が違うんだよね、ヨーロッパの人は

 「とりあえずみんなで言いたいことはすべて話して、その後に解決する」

 でもアジア人は

「余計なことは言わずにとりあえずその場をまとめようとする」

 用はラクダなのだと思います。

 ヨーロッパの人は「馬」だよね、小出しにするからストレスが溜まらない。


 その二つの文化がミックスしているのがうちの学校です。

 結局はどちらも結果は対して変わらないし、結局は文化とか習慣

 よりも個人的な実力が大切なのだということもわかりました。

 最初は英語の問題もあって自己主張しない僕は困った日本人扱い

されてしまいましたが、プログラム6カ月が過ぎた今では

 みんなそれなりに僕のことを認めてくれるようになりました。

 でも英語の上達と一緒に自己主張することも少しずつ学んでいかないとな。

  って思います。

 「普通のことを普通に言えないと大人とは言えないよね」

  僕と同じように悩んでいる人は結構いると思います。

 自己主張することは人間関係を潤滑にする大切なテクニックだと

思って、みんなが上手になると良いなと思います。

  

 

2011年1月2日日曜日

管理と自主性自主性④

 実業団のフットボールではよく言われていました。


 強いチームで組織化が進んで、練習内容からプレー選択、

 チームの哲学までコーチがすべて組織化してしまうと、

 選手は安心してしまって、何も考えなくなる、

 そうなるとお互いに気がつかないうちに自主性は失われてしまって

 選手のフィールドの中での判断力は低下する、

 
 リーグ戦も終盤になり、プレーオフに入ると、

 時にはコーチが完璧に作ったシステムも機能しなくなることがある、


 そういうときには誰かがシステムを越えなくてはいけない、

 でも普段からそういう練習ができていないと、

 みんなロボットのようにしか動けない、

 だからと言って普段からシステムとチームのルールを

 無視されたのではコーチの意味が無くなる。

 
 その絶妙なバランスを保つことはとても大切だ。

「コーチの仕事は選手を完璧にシステムに通りに動くことを

 徹底することだと思うし、逆に選手は完全にシステムに支配されてしまって、

 自分で何も考えなくなると、

 試合をしてる選手しか感じることのできない

 勝つためのサインを感じることができなくなっています。

  それは時には試合をしてる人にしか感じることのできない 

 [勘] 

 みたいなものなのだと思います。」  
 
 僕は選手としてそのシステムを超えることが一番楽しいのだ。と思っていました。


 みんなと同じプレーしかできないのなら、別に僕でなくても良いし、

 チームの中でこれはタブーだ!と言われている

 プレーをして成功したとき、相手チームだけでは無くて

 自分のチームメートの驚く顔をみれたとき、その後のミーティングでみんなに

 「ウラさんこのプレーは結果オーライですけど、

 チームの方針とは違ってます。間違えてますよ」

 って言われても、そんなことは相手チームや観客にはわからないことだし、

 システム通りに動いたから負けました。

 では来年の為にシステムを作りなおす為なら良いけど、

 今年勝ちたいならそんな言い訳は必要ないよね。
 
 僕たちの目的はあくまでも勝つことであって、

 システムを作ることでは無いものね。

 逆に言ったらプレーを失敗してるのに、システム通りに動いたからこうなりました

 という言い訳なんて聞きたくないよね。
 
 特にそれが決勝とかプレーオフの負けたら終わりという試合ではなおさらだよね。

 でも失敗すると次のミーティングまでに上手い言い訳を考えておかないと、

 大変なことになります。
 
 ウチのチームは特にそういうことを徹底するチームでした。

 「人を管理するというのは5匹のトラをトラのまま管理することであって、5匹のトラを
 
  羊に変えて管理しても意味はない」

 僕の好きな言葉です。

 幸いウチのチームのコーチは、とても素晴らしくて、

 両方兼ね備えていたから僕たちは楽しくフットボールできました。

 管理と自主性のバランスはとても難しいと思うし、

 それを上手く使いこなせる人間になりたいと思います。

 

2011年1月1日土曜日

管理と自主性③

 三回目は逆の立場から書こうと思います。
 
 管理する側からの立場です。

ファミレスでは僕は常に社員でしたが、

2000年頃からどこの店も店長一人でお店を切り盛りするので、

フットボールの社員である僕は常に店長と二人でお店を切り盛りしていました。

 ちょうど会社側の店長と従業員の中間の立場でした。

 だから両方の立場が良くわかります。

 先日は

「会社のマニュアルをすべて守っていたら現場は成り立たない」

「意味の無い数字やスローガンを作って、人を管理しすぎると逆に白けてしまう」

 と書きましたが、それが無いと従業員のモラルはあっという間に下がります。

 遅刻、無断欠席、仕事をキッチリと終わらせないで時間になったら帰ってしまう人、

 つまみ食い、キチンと手を洗わない人、

 モラルってあっという間に下がります。

 そして素晴らしいことにどれだけ周りのモラルが下がっても、

 決してそれに流されることなく、

 文句も言わずキチンとプライドをもって仕事をしてくれる人もいます。

 僕の仕事はそういう人達をキチンと守ること、

 そうやって文句を言わずにキチンと仕事をしてくれる人ばかりが

 仕事を沢山するようなことが無いように、

 キチンと指導していくことが大切だとおもっていました。

 店長の中には、誰がどれだけ仕事をしようが関係ない、終わればよい!
 
 「真面目なやつは上手く使えばよいのだ」

 という人も確かにいましたが、僕は今になってもつくづく思いますが。

 真面目で大人しい人が、何も考えて居ないというのは大間違いで、

 そういう人こそ、よく人のことを考えているし、

 実際はとても傷付いているということです。

 そしてそういう人はある日突然辞めてしまったりします。

 そしてその時になって初めて周りが気が付きます。

  そういうものだよね。

 だからそういう人を守るためにも時には会社は

 スローガンを作らなくてはいけないし、数字にうるさく無ければいけないし、

 人件費、食材などの数字も切り詰めなければいけない。

 
 ということはやっぱりそういうルールは大切だということになります。

 もし会社がいい加減になって倒産すれば役員や社長は文句を言われるだけ

 では済まないし、

 「部下たちに嫌われたくなかったし、みんながわかってくれると思った

 からついつい甘くしてしまいました。」

 では済まないものね。


  となると最終的にはそのルールを使う人間がいかにその

 ルールの意図をキチンと意識して使うかが

 大切になってくるね

 「部長に怒られるから必ず8分で料理を出せ!」

  って指導するのか

 「ランチタイムのお客さんはみんな忙しい、できれば早く料理を出して、

 ドリンクバーでコーヒーを一杯のんでもらって一服してから

 午後の仕事に戻ってもらうには、頑張って8分で出したい!、

 もちろん会社の利益も大切だから、お店の回転率を上げるためにも

 8分は譲れない!」

 というのかでは意識が違ってくると思います。

 「部長の為!数字の為!」

 って言われても、だいたいどこの部長も嫌な奴だしね

 「なんであいつの為に?」

 って思うと体動かないよね
 
 用はルールとそれを使う人間が両方とも素晴らしくないといけないよね。