2013年7月10日水曜日

「天下取り大会」

 日本人の性格についてずっと考えているのだけど、最近自分のなかで一つの考えが深まってきたのでまとめるために書いてみます。

 それは日本人が「天下を取る」というスポーツ競技のようなものを作って天皇陛下に審判をしてもらって、国民全員参加でやってきたとてもユニークな国なのではないのか?という仮説です。

  だってヨーロッパを中心に世界で何千年と行われてきた戦争の基本は侵略だよね。 領地を拡大し植民地をつくることが主な理由だと思います。
 
 でも島国日本で江戸時代まで行われてきた戦争って、基本的には誰が天下を取るか? というプライドをかけて国全体でやってきた大規模な国民参加型のスポーツみたいなものだと思います。 

 だって島国だし、それ以上拡大できないから今いる中で一番決めるだけで良いものね。

 だってすでに「日本」という国は「天皇」のもとにまとまっているからね。

 ルールといえば

 例えば負ける方は白旗を振って降伏したり、

 その前に女子供は先に敵に渡したり実家に帰らしたり、

 大将が切腹するからあとの家来は許してもらったり、

 フェアープレイに徹するためのルールみたいなものがあって、

 そして競技の前提として

 「大義名分」というその試合が始まるための理由も必要で

 最終目的はあくまで

 天下を取って天皇陛下に「あんたが大将!」という金メダルをもらうために

 お家というチーム対抗で必死になって戦争ごっこをする。

 という面白い国民性だったのかも知れません。

  ヨーロッパの国が世界中に領土を広げて植民地を作って、自分の国を大きくしようと闘ってきた500年くらいの間に、日本だけそれを競技として「天下取り」というスポーツをしてきたのだろうね。

  ・戦が始まると自分の名前をきちんと名乗ってから討ち合ったり

  ・源義経がサムライだけでなく、戦の船を漕いでいる船頭さんをも戦闘員として

 みなして攻撃したりして、それがと当時は反則ギリギリだけど新しい戦法として認められたり

 ・小田信長の鉄砲三列戦法は少し助っ人外人的というかドーピング的というか、

  「鉄砲使っちゃったら競技の本質が変わってきちゃうじゃん!」

 という風にとられてしまって、一瞬微妙な雰囲気もあったが勝てば官軍ということばで何とかOKが出てしまったり。

  みんなでそうやって天下取りというスポーツ競技を楽しんできた気がします。

  西洋の戦争が「欲の為」だったとすれば日本の戦争は「プライドの為」だったのかもねだって目的は日本を平和にするということよりもとりあえず天下を取るという自己実現だものね。

 そうやってもともと国民参加型のスポーツを国全体で行ってきたから人一倍フェアー精神とかモラルとか、ルールを守ることなどは徹底されてきたのだと思います。

 宗教がないのに何故モラルが高いのか?神がいないなら生きる目的は何なのだ?
 
  と西洋人から不思議がられるかもしれないけど、我々は「天下取りごっこ」を生甲斐としながらお互いに技を磨いてやってきたユニークな国民なんだ。 と思います。