2012年3月22日木曜日

知識として情報を持つということ

僕のブログだってそうだし、世の中色々な情報が流れてるよね。

最近おもんだけど、みんなそういう情報をウノミにしすぎているのだと思います。

 前も書いたけど

 大人と子供の違いは、大人は自分の価値観がしっかりしているから、他人と比べない、

でも子供は自分の価値観が定まっていないから、他人と比べる。

人より高学歴だから自分は良い。人より大きい家に住んでいるから自分は幸せだ、

自分がどう感じるかではなくって人とばっかり比べるんだよね、

その理論で言うと井の中の蛙になって周りにくだらない人ばっかりがいて、

その中で自分が一番だったらそれでとりあえず幸せになってしまうよね。

 そんな自己満足な人生ではなんとなく寂しいとも思ってしまうよね

 せっかく地球に産まれてきたんだしね 

 
 もう一つ自分の価値観が無い人の困ったところは、本を読んだり、

テレビを見た入りした時にその情報がそのまま

 100%自分の価値観になってしまうのではないかな?という恐ろしさです。

 あるていど自分の価値観が決まっていれば

「まあこういう意見もあるけども、自分はこう思っている、

 だから賛成も反対もしないけど、意見としてはとても価値があるから

 今後自分が物事を判断する時にには参考にしよう」
 
 というふうに一つの「知識として」「考え方の引き出しをふやす」

 という感覚で情報を自分に取り入れられるのだとおもいます。

 でも最近は、ネットでみた情報とか
 
 カリスマって言われている人が書いた本とか、演出の凄いテレビとか見ると

 自分の中で消化して「知識」として使うのでは無くって、

 「洗脳」っていうか自分が他人の意見になりきってしまうこと多いと思います。

自分で考えて消化できないんだよね。

 日本の詰め込み教育のせいもあると思います。

 そうじゃだめだよね、やっぱり入った情報は自分の体で消化されて吸収されて、

身となり、骨となり、血となってこその情報だし、

さらに「新しい知識への食欲」につながるよね。

 子供のころからコンピューターゲームばっかりしていて、

何もかもがすでに決められていて、

自分で考えて遊びを作ってこなかった人っていうのは素直になりすぎているのかな?
 
結局はそういう人が最後に頼る絶対的な価値観って「お金」に行きがちだよね。

だってコンピューターゲームを作っている人達の一番の理由はお金になるからだもんね、

2番目は「夢」とか「想像力」なのだろうけど。

 基本はゲーム以外でも服でもアイドルでも車でも保険でもなんでもお

金が儲かるから作りだされてお金儲けの上手な人達が勝者になってるわけだからね。

 情報社会の世の中だからこそみんな情報を上手く自分で消化しなくてはいけないのに、

情報の量とスピードが速すぎてみんな消化不良になっちゃってるのかな?
 
 自分の好きなことにじっくりと取り組んで、軽くてどうでもよいような情報は
 
 気にしないのが良い生き方だと思います。 

 ちなみにこの事に気がついたのは、ウチの母親と会話していてです。

 決して若い人だけではないんだよね、ちょっとテレビで詐欺の話をみたとか、

 ちょっと世紀末が来るとか聞いただけで。

 「この先どうしようか?」 
 
 などといって結局お金使わされてるところあります。

  でも本人は自分がテレビで見た情報を僕に語るときにはあたかも自分が

 考えたかのように、語るんだよね。 聞いてるとなんか白けてきます・・・・

  やばいメッチャ家庭の愚痴になってきた。ボロが出る前にアップします!