2011年2月6日日曜日

急に仕事が始まりました


 
 <写真はインチキ空手を教えているところです、意外と女の子に
  うけが良かったです、それにしても写真にあるように砂漠と山
  ばかりなのがうちの学校です、空気はいつもドライです>

到着から三週間、1月31日の卒業式に初めて現れた女校長のデルフィナは

特に僕達に挨拶をするわけでもなく、しかめっ面で卒業式に出席していました。

年は34歳だそうですが、そうとう貫禄はあります。

 次の日に部屋をたずねてくれたときにはとてもにこやか、

 その後にどういう仕事ができるか、

 何を教えることができるのかのミーティングをしてくれました。

 僕は料理と体育を教えたい。と伝えました。

 ケイタは生徒と一緒に農業をしたいと提案しました。

 どちらも賛成!でした。デルフィナいわく

「何も無い状態なので、何をしてくれてもうれしいのよ!

 料理も毎日三食、同じメニューで同じものを食べてるけど、

 それはお金の問題というよりも、単に誰も何も知識が無いだけなの」

 と言われて少し驚きました。

 必要なものがあれば、見積もりだしてくれたら予算おろすからね!

 っていわれて、本当かな? っておもったけど、

 とりあえずボールとコーンは体育に必要なので、

出すだけ出してみようかな?っておもいます。

  料理はどんな食材があるかわからないし、包丁もまな板も無いので、

 しばらく様子をみて少しずつ向上できればと思います。

  ということで、実際に仕事はいつからなの?っ手思っていたその日の夕方

 デルフィナが僕のところにやってきて、きちんと正式にコピーした

 時間割みたいなものを渡しました。
 
 「ウラこれ今週の時間割ね!今日は火曜日だからここ見て、夕方5時から

 スポーツになってるでしょ、今4時だから5時からね、あなたすでに先生だか
 
 ら好きにしてよいわよ。頑張ってね、鐘を鳴らしたら生徒が集まってくる

 仕組みになってるから、今日は説明だけで終わっても良いわよ、

 初日だからね」

  っていわれたけど、基本は90人の生徒を女子、

男子一緒に授業するのは難しいです。

 でも

 「日本社会は窮屈だ、あれも駄目、これも駄目で自由が無い!」

 ってたまに思う僕が、自由を求めて勝手にきたアンゴラで、

 「自由すぎで組織化できてないから体育できない!」

 って言い訳したら、結局どこに言っても自分は言い訳してるだけになるよね

 だからまあとりあえず生徒に体を動かしてもらおうと思いました。

 
 だって授業の説明するって言っても、ポルトガル語も話せないものね。

  道具に使うコーンが無いから生徒が水を汲むのに使っているバケツを

 もってきて、って頼んだら、うまく伝わらなくて、半分くらいの生徒は

 バケツではなくて大きなタライを持ってきてくれました。

  「これじゃあコーンにならないよ・・・・」

 っ手思ったけど、とりあえずインチキ空手でハートを掴んでからは、

意外と普通にみんな楽しくやってくれました。

  午前中に一日4時間やっていたバヌアツに比べたら一クラスだけの授業は

 楽なもんだな! っておもいながらも、早めに道具をそろえてポルトガル語を

 覚えないと、すぐにねた切れだな・・・・

 なんて思いました。

 
 でもまだどの授業も始まってないのに、いきなり体育の授業を最初にできたの

 は生徒達に体育を意識してもらうのには良かったかも知れません。

  授業のあとに運動のすきそうな男子生徒達がバスケットを始めたので、

 「この子達のハートを掴めば、体育授業ももっと楽になるだろう!」

 とおもって、バスケットも参加しました。 膝の怪我も気になってるけど、

  それよりも今は生徒とコミニケーションをとらないとね!

 って思って、老体に鞭打って頑張っています。

  でも久しぶりにしたバスケットボールは意外と楽しくって、おなかも

 すいたし、良かったです。

  週ごとに時間割が変わるらしいので、来週はどうなるかわからないけど、

 とりあえず呼ばれたらいつでもできるように、常に準備をしておこうと
 
 思います。

 

二週間めですが、まだ何も始まりません



 <写真は生徒達です、ふけて見えますが大体20歳から25歳くらいです>

恐ろしいことに到着から二週間、

ポルトガル語の勉強以外は何もしていません。

 昨年末のクリスマスホリデーから始まって、

13日に僕たちはアンゴラに到着しましたが。

 一月20日にオランダから学校に寄付をしてくれた人が見学に来るので

その寄付で学校のどこを修理したとか、どこに電気を取り付けた、

どこの教室にガラスを入れた、などの確認と、

それにかかった経費のレシートの確認をするので、

学校にいる生徒は午後になるとみんなガラスを拭いたり、

ペンキを塗ったり、お掃除したりの毎日でした。

 それが終わると1月27日に予定されていた

卒業式の準備が始まりましたが、

 クリスマスから体調不良でキューバに手術をしに行っている

校長のデルフィーナの帰国が遅れるということで、

その卒業式も1月31日に変更になりました。

 ちなみに今日は30日なので明日が卒業式になります。


 そういった学校の事情が良くわからなかった僕とケイタは、

 「デルフィーナが帰ってきたら仕事くれるからね」

 っていわれて待っていましたが、なんとなく情報を収集すると、

僕たちが一緒に働くのは2010年度の生徒たちみたいで、

その子達が学校に来るのは2月に入ってからみたいです。

 とりあえずそれまで後一週間は何もおこりそうにありません。

  でも僕にとってはそれは良かったかもしれません。

  気温がマイナスだったイギリスから、

気温40度近くのアンゴラにきて時差が無いにしても

 体は相当びっくりしていると思います。

  実際に寝ようと思えばいくらでも眠れるし、めまい、

午後には頭痛がします。

 水をたくさん飲め、って言われて水を飲んでいますが、

井戸から汲んだ水は殺菌してもやはり日本の水とは違うので、

飲みすぎると下痢します。

  水を飲んで頭痛とめまいを回避するか、

飲まないで下痢を回避するかの選択になります。

 バヌアツのころも最初の二ヶ月くらいはこんな調子だったのを

思い出します。

  いったん痩せて、病気もして、下痢もして、

体はそれから現地に対応しだすのだとおもいます。


 ちなみにポルトガル語はいたって順調。

 なんといっても生徒がみんな親切です、

みんな壁のペンキ塗りやお掃除に飽き飽きしているので、

僕が勉強していると、とても親切に教えてくれます。

 「何人兄弟がいて、どこに住んでいて、
            卒業したらどこの学校の先生になる。」

 その三つの質問をすでに10人以上の生徒にしたので、

その言い回しについては完璧です。

 たまに同じ生徒に気がつかないで二回同じ質問をしているかも知れませんが

暇な生徒達は 親切に二回同じ質問に答えてくれます。途中で

 「この子には一度聞いたような気がするな?」

 っておもうけど、相手はすでに気がついていて、付き合ってくれているなら、

 許してもらえるかな?って思っています。

 こっちの人達は僕のポルトガル語が聞き取れなくても

 「えっ?何?」 「理解できない?」

 などと、急に眉間にしわを寄せてこちらをナーバスにさせるような態度はとらないので、

 とてもリラックスしてお話できます。

 そこが英語を話す人達の文化と違うところかな???

 とおもいます。

  ということで、いまだに学校の校長にもあえず自分が教える

 生徒にも会っていませんが、

 とりあえずもう少しまとうと思います。

 唯一した仕事といえば、卒業アルバムのための個人写真を撮ったことです。

 みんななぜかカメラから目をそれします。

 それがこっちではかっこよいみたいです。

 平均で2枚ずつとって選んでもらいましたが、なぜこちらを選ぶのか?

 と僕はいつも疑問に思いました。 やっぱりそれは文化だと思います。