2010年4月21日水曜日

初日に思ったこと


 ロンドンのヒースロー空港について、そこから乗り換えてマンチェスター空港、

その後電車で

2時間かけてHULLというこれから半年研修を受ける所までやってきました。

 イギリスの知識は僕は全くなしです、よくここまでたどり着いたなー! 

って思います。

 電車に二時間ゆられているとき、イギリスの家はみんなレンガなんだなー!

ピーターラビットの絵本

みたいだし、

なんかディズニーランドの入ってすぐのお見上げ物屋さんみたいだなー、

あんな家に住んでる人はどんな人なんだろう? 

ってボーッと電車の中から創造していました。

 その二時間後、今回の研修所について、連れて行かれたドミトリーがこの建物です。

まさか自分がピーターラビットになるなんて! なんとなく自分達のドミトリーだけは

普通の建物が待っている、って思っていました。

でもよく考えたらそんな建物一軒も無かったものね。

 
その後に昼間に車で走って気がつきました、

新築の家も同じようにレンガで立ててあるってことを。

 伝統を大事にするイギリスって偉いなー、って思いました、

新しい物よりも古い物に価値がある、

日本人も同じ感覚持っているけど、今の日本人は忘れかけているかもねって思いました。

 単に地震がないっていうこことだけではないんだね。

 このドミトリーもすでに100年以上は建ってるみたいです。 かっこいいよね!

結婚とトルストイについて



 写真はイギリスのたばこや?みたいなかんじかな?パブなのかな?


 人種差別や植民地の事だとおもうけど、昔トルストイって人が支配する側に

立って言った言葉で

 「わたしはとてもあなた達を助けたい、そのためならどんなことでもする、

でも唯一できないことは、今現在乗っかっているあなた達の背中から私が

下りることだ、それだけは絶対にしたくない、

それ以外なら何でもする、私は本当にあなた達を救いたいのだ」


 だそうです、なんて身勝手な偽善的な発想だろうって思っていたけど、

その時に一緒に居た他の人が言っていました。

 トルストイの発言はまだましだ、彼は他人の背中に乗っかって、

人に苦痛を味あわせながら今の自分の生活があることを理解している、

しかし最も罪深い人達は、自分達の生活が他人の背中にの

かって居ることで成り立っていることにいまだに気がついていない人達だ。

 って言っていました。

 植民地時代って誰が誰を支配しているかって明確だけど、

現代ってもう植民地なんて古いものね。

 だから経済的に強い国が途上国や弱い国から吸い上げているって

  ことになるから、今現在他人の背中に乗っかっていて、

しかもそのことにすら気がついていない人達ってきっと日本とアメリカだと

 思いました。

経済っていう合法的な方法で弱い人達から搾取したものは自分達の努力の結晶なのだか

ら恥ずかしいお金ではない。

もちろんそれはそうだけど、最近はそれが進みすぎてしまっていると思います、

しかも日本に関して言えば、吸い上げている側の日本人も結局はお金に支配されていて、

自分達が幸せとは思って無いものね、そうなると、誰が本当に幸せなのか?

 と思ってしまうよね。

 
もうひとつの見方も提案します、

日本と並んでもう一つの無意識な迷惑国のアメリカ人が言っていました

 「ウラは国際協力とかボランティアとか言ってるけど、

そんな目先なことよりも、幸せな結婚をして、

 正義感のあることどもを育てることが結局は世界平和につながる近道だと思わないのか?」

 それは最もな話だと思うんだけど、そこでまた最初のトルストイの話にもどってしまいます
 
 「背中に乗って居ることすら気がつかない人達が最も悪なのだ」

 今の日本で普通に結婚して普通に日本で子供を育てることって

 結局は弱い国の背中に乗ってしまうことになるんだよね。

 しかも今日本で普通に子供を産んで、普通に高校まで卒業させて、

 何なら大学行かせて、マンションのローンも払い終えて、

 老後の蓄えもあって、っていう普通の生活を維持することって相当

難しいよね。

っていうか僕の能力ではってことですけど・・・

 まあ結局は自分が結婚できてないこととか、

 社会に対応しきれてない言いわけにトルストイに登場し

てきてもらって大げさに言いわけしただけの気がしてきました。

そろそろ結婚と子育てっていう人生の「王道」にチャレンジすべきなのかな? 

でもできるかなー!
 

とりあえずは自分より賢い女性を探すことぐらいしか人生の大逆転は無いかもね。

でもおそらく僕の事を選んだ時点でその女性はすでに賢くないということになるだろう

ね・・・ この問題は国際協力よりも難しいと思います

ヘリコプターでチョモランマ!




 写真は集めた古着をみんなでパッキングしてるところです。
 
 イタリアからきたアンドリューとブラジル人のアルツーです。 働きながらだと言葉も意外と早く覚えられます。 僕の場合は教室では覚えられないみたいです。


 バブルのころに起こったことって登山に例えると、

チョモランマの頂上にヘリコプターで行って、

頂上に自分の旗を立てて、俺はチョモランマの頂上に立ったんだぞ!

 って言ってるようなもんだったよね。


 そこまで歩いて登ったから旗を立てる資格があるのに、

ヘリコプターで行って登ってもあんまり意味がないよね。

 同じように登って同じ空気を吸うけど、ヤッパリその意味は違うと思います。

ふつうならプライド持てないよね。

 でもお金儲けは決して悪い事ではないとも思います。

 じゃあどこまで現代の科学に頼ってチョモランマに登れば良いのかってはなしにもなるよ

 一番平等なのはみんな裸で海からスタートして頂上を目指せばシンプルだけど、

 それは不可能だし、

 5合目というのがチョモランマにあるのかはわからないけど、

  そこまでなら車使ってもOKとか

 スノーモービルは7合目までならOKだよとかってなってくるよね。

 オリンピックみたいにドーピング問題とかも出てくるかもね。

  だって自分の人生を縮めたって良いからチョモランマの頂上に行ってみたい! 

 点滴で酸素とエネルギーを補充しながらでも登頂したいって

 思う人もいるだろうしね。

 そんなこと考えること自体が神聖なる登山を侮辱してますね、ゴメンナサイ。

 でもヤッパリチョモランマをヘリコプターで登るような人生はしたくないよね。