2010年8月27日金曜日

すいません、二週間ほど 更新しません。


 
  <写真はおそらく31年前です、自分が36歳でこんな風になってる
   とは、この瞬間は想像することすらしませんでした。31年後を想像
   すると、67歳です、孫がいるのか、天国にいるのかはわからないけど、
     地獄にいるのは嫌だなっておもいます>

明日の27日から9月の8日くらいまで、約二週間ほど

 デンマークにある学校にいって、体育大会の運営をします。

 よくわからないけど、別に僕が運営するわけではまったくなくて、
 
 お手伝いに行きます。 パソコンはイギリスにおいていくので、
 
ブログの更新ありません。

 サボってるわけでも、病気なわけでもないのでよろしくです。

   

日本文化の不思議




 <写真はジェムソンとその弟、男7人兄弟だったと思いますが、ちょうどその真ん中がジェムソンでした。いつもお店の店番をさせられていて、まだ子供なのでカウンターにの後ろに背の高い椅子をよういして、足をブラブラさせながら店番をしていました。学校で会う時は僕の生徒だけど、お店で会うときは一人の大人みたいに見えて、なんとなく尊敬してしまいます。7人兄弟で唯一暗算ができるのも彼でした。バヌアツ、タンナ島、イサンゲルで今日も店番をしていると思います>

 ちなみにイサンゲルはグーグルマップで見ることができます>

ジャイカの研修で

「異文化理解」

という講座を受けたことがあった、

イギリス人の女性で日本にすでに10年以上住んでいる女性が講演してくれた。

日本のラジオとか落語など多くのところで活躍している女性だった。

その人が話していた。

 最初に日本に来た時に、

夏になると自動販売機からホットコーヒーがなくなって、

すべてアイスコーヒーになることにとても驚いた。

今はスターバックスとかあって、アイスコーヒーもメジャーだけど、

その時はまだイギリスではコーヒーはホットで飲むものだと決まっていた。

 
私にしてみれば、

日本人は夏になるとたこ焼きやラーメンを

冷蔵庫で冷やして食べているような感覚だった。

 
なるほどね!

 って思いました。



 アメリカ人が日本語を習った時


 こんばんわ、は夜すなわち   「晩」だから コンバンハでしょ

 こんにちは は日中すなわち  「昼」だから コンニチハでしょ

 じゃあ朝だったら コンアサハ のはずじゃない。

   「オハヨウ」  ってなんなの? 



 本多 勝一さんの本にありました。

有色人種のことをカラード ピープル っていうけど、

 有色人種からしたら、自分達がピープルで白人達は 

ブリーチド ピープル 「漂白された人達」 になる、

もちろんそんなことは冗談だけど、

人種差別される側からしたらそんな小さなことでも引っ掛かります。

  っていう話を聞いて、さすが世界にはいろんな問題があるなー!


 って感心してたら、昨年日本の学校で聞いた話

最近日本の学校では「肌色」という言葉は使わないほうが望ましい。

 これから国際化が進んでいって、いろいろな国の人が学校で学ぶ時に先生が

「肌色で塗ってください」

って言ったら、みんなが自分の肌の色で塗ると、芸術的すぎるから。

 たしか「薄ダイダイ色?」っていう名前だったと思います。

その言葉が使われているかどうかは別として、日本人は意識して

ないけど、これからの時代はそういうことって起こるんだな。

 って思いました。

Ⅹメン


Xメン、っていう映画をみたことがあって、そのなかで面白いな?

って感じたことがありました。 4作目くらいだったと思います。

すでに何作も出されてると思うから、

過去のストーリーはわからないのだけど 相当いい加減な僕の解釈だと

人間の中の何人かの人達がスパイダーマンとかスーパーマンみたいに

特殊な能力を持つことになる。

 それは身体的だけではなくて、

超能力みたいな能力ももっていて彼らはミュータントと呼ばれている。

そしてそういう人達がきちんと社会に適応できるように、

 高いモラルと倫理観をもったリーダーみたいな人が、

 学校を作って、ミュータント達を受け入れて、

 その能力を悪いほうに使わないように教育している。

「自分達が持っている特別なパワーを自分で支配できるか、

 それともその特別なパワーに自分が支配されてしまうのか

 それがミュータントとしての大切なところだ。」



 多くのミュータント達は自分達が人間から進化してしまって、

時には親から驚かれたり、

自分で自分の力をコントロールできないことに戸惑いや恐怖を感じているが、

その学校に来ることによって、

同じ悩みを持っているほかのミュータント達にあって、安心する。

でも中には学校に合わなくて悪の世界に進んでしまう人ももいる。

 そんな中で地球では多数派である人間達は

 ミュータントの進化に対する研究を進めていて、

 ついに治療薬を発見する。そして

「ミュータントの皆さん。ついに私達はあなた達に対する治療薬を見つけました。

 これであなた達も普通の人間になれます。」
 
 というようなキャンペーンが始まる。

それが強制だったのか、そうでなかったのかは忘れてしまったが。

 
 ミュータント達はとても戸惑う。

 「これは病気ではない、進化なのだ、だから直す必要はない」

 「人間達は特殊な能力をもった我々を恐れているのだ、

 だから自分達でコントロールできるように治療薬を見つけた、

 でもだまされていはいけない、

 きっと治療に見せかけて我々を管理しようとするだけだ」

 
 という人も出てきます。

または人間の中に好きな人がいて、その人と結ばれたいから、

 進んで治療を受けてミュータントではなくなって、好きな人と結ばれたい

と思っている人もいます。

 Xメンのなかで意見が分かれます。


 多数派(マジョリティー) である人間達は彼らの能力を

 恐れているので、無理にでも治療を受けさせようとします。

 多数派って怖いな、進化ですら自分達でコントロールできないと
 
「治療」という名前を使って管理しようとする。

人間ってそういうものなんだなー! って思いました。

確かにXメンの中にも悪者がいて、人間を困らせています。



そして映画だから一応クライマックスがあって、

 強制的に治療を受けさせようとする一部の人間と、

 悪役のミュータント達、そしてそれを

 止めようとする善役のミュータント達が戦うことになります。

 

 薬を開発してた科学者を悪者のミュータントが捕まえてきて、

 さらしものにします。 科学者は言います。


 「私はあなた達の為に研究を進めたんだ、

  これで治療が可能になった、すべて君たちの為だったんだ」

 悪役のミュータントは言います。


 「お前からみたら、おれたちは治療が必要なくらいにみじめなのか?」


  そういえばそうだな?進化だもん、病気ではないよね、でもそれが


 多数派の人にとって恐怖になるのであれば治療という「善意」の


 言葉を使ってコントロールしようとする。

 

 でもたぶん自分でも同じことするんだろうな?とも感じました。

 だって自分と違うもの、理解できないものって怖いものね。

  結局、映画は善者ミュータントが勝って一安心。


 悪の親玉は治療薬を打たれて人間になってしまいます。

 要は「治療」されてしまいます。

そして人間とミュータントの共存生活は続きます。
 
 映画だからいろんな矛盾はたくさんあるけど、色々と考えさせら

れました。

 「他人の善意ほど人を傷つけるものはない」
 
 っていう言葉を昔に聞いて、意味が分からなかったけど、こういうときに

使うものなのかな?って思いました。

  映画の中ではミュータント達は「進化」してしまって治療させられるし、

 一方アフリカの人たちは「発達していない」という理由で強制的に

 パワーを持っている西洋文明に自分達の文化を「発展」という言葉によって
 
 変えさせされているし、そういうのって難しいなと思いました。

 でも実際に今この時点で命の危険にさらされている人をみたら助けなければ
 
 ならないことも真実だしね。

 答えはないと思います。常に迷うことが大切、

  これがあってる! これから10年はこれでいこう!なんていうことはあっては

 ならないのだと思います。 Xメン なかなか良い映画でした!

2010年8月24日火曜日

僕はフランス語もできます




 午後3時、眠たいまま勉強してた、トータル・コントロール・オブエミデミックス

 略してTCE っていう本が必要だったので、

本棚の前に立っていたアルツーにとってもらった。

 眠たいまま読ボーとして見てたけど、目次を見ても、

ページをめくっても全然頭に入ってこない。

見つけなければならないサバイバルの10のルール

っていう健康とか回虫とかの項目が全然見当たらない。


 5分くらいしてやっぱりこの本使うのやめようかな?

って思ったころ、アルツーが同じ表紙の本をもう一冊もってきて、

無言で僕の机の上に置いた。


 「何これ、上巻、下巻とかになってるの?

だってサバイバルの10のルール全く見つからないよ」

 って聞いたら、アルツーが


「ウラ何言ってんの?さっき俺が渡したのは、フランス語版だよ、

今持ってきたほうが英語版、

フランス語版だって今まで気がつかないで読んでたの?」


「アッ! 本当だ、よく見たらこれは英語じゃなかった!」


「ウラはフランス語よめるんだよ、きっとコンゴ(フランス語圏)に行けるよ」

 「本当だ、俺フランス語を話せたんだ」

 よく見たら
 
 HIV/ AIDS  が  VIH/SIDA って逆に書いてありました。

これってフランス語式なのかな?

 ブイ アイ エイチ / シダ? なんだこれ?って思ってました。

2010年8月23日月曜日

チームワークについて 7/6


 6回で書き終えるはずだったのに、7回目になってます。

すいません。 自分でもわからなくなってきたのでまとめますね。

良いチームワークとはメンバーの馴れ合いから生まれるのではなく、

個人個人がきちんと自律していなければならない。

 から始まって、

良いリーダーとは能力だけではなくて、きちんと

 「情と知」

 を兼ね備えていなければならない。

 その二つを持っているかどうかは引退後、何の利益も生まなくな

った時に良くわかる。

という感じだったと思います。

 ちなみに僕がフットボール選手のときに言われてうれしかったエピソードを書くと、

 2004プレーオフのアサヒビール戦、11月の横浜スタジアムの

 大事な試合で、僕はボールをキャッチ後に

相手の強烈なヒットを受けて、脳シントウ、

気がついたらスタジアムの真ん中で横たわっていました。


今でもその時の記憶はありません。

 でもラッキーなことに僕はボールを握ったまま倒れたので、

キャッチが認められました。


 試合を退場する僕を見ながらチームのみんなは感動したそうです。

 後から言われました。

「浦さんみたいに、普段ボーっとしててたいして何もしない人が、

ああいう大切な場面でたまに気合いの入ったプレーを見せると、

チームはとても勇気つけられるものですよ」


 「そうでしょ!」

 って素直に言えなかったけど、何となく自分らしいのかな?

って思いました。


 僕は線が細いので、肉食動物のなかに一匹だけ

草食動物が混じってアメフトをやってうみたいだ、って言われていました。


 高校時代のあだ名は

「バンビ」 でした。

 


チームワークの話でしたが、まとまらなくなってきたし、

もうまとめる必要もないかな?

もうすでに書きたいことは十分伝わったかな?って思ってきたので、

 ここまでにします。また何か気がついたら書くことにしますね。

  6回シリーズが7回になりましたが読んでいただいて

 ありがとうございました。

チームワークについて 6/6


 

少し話がチームワークからリーダーシップへと脱線してるような

気がしますが、このまま書こうと思います。



1、自分が本当にチームワークを大切にしていたのか?

2、良いリーダーシップを発揮してチームの一員として頑張っていたのか?

3、それとも自分の能力を鼻にかけてエゴのままに動いてチームに迷惑をかけていたのか?

 を判断する一つの基準があると思います。それは


「引退」

 
の後です、会社でもスポーツチームでも同じだと思います。


同じチームで一緒にプレーしていて、お互いに勝つために頑張ってきた、

または会社の利益の為に自分はとても貢献した。



 でも引退した後に誰も自分と連絡を取ろうとしなかったり、

引退して退職金をもらった瞬間に嫁さんに逃げられたり、

後輩やお得意さんから一切声がかからなくなった時に、


その人の人間的な魅力で、人が付いてきていたのか?

それとも単に能力があるから、みんなが利益のために我慢して一緒に働いて

いたのかがわかるのだと思います。


 そして本人もこう感じます。


「家族を守るため、会社の利益のため、

チームの勝利のために今まで自分を犠牲にして、

辛いことも頑張ったし、人が嫌がるような汚い仕事も時にはした、

沢山の人が自分のおかげで多くの利益を得たはずなのに、

なぜ自分の役目が終わった今、誰も自分のことを気にかけてくれないのか?」

 
 それに対しては沢山の角度から沢山の意見があると思います。

 たとえば

「家族の為、会社の為、勝利の為ってあなたは言うけど、

それは結局は自分がしたくてやったことでしょ。
 
見返りや人からの尊敬が欲しくてやっていたのではないはず、

今になって、自分はこれだけみんなの為に頑張ったのだから、

評価してほしい、って言ってもそれは遅い」


特に今の僕みたいなボランティア活動にはそういう問題があると思います。

いくら頑張ってもアフリカの人に感謝されることは少ないと思うし、

そもそも自分がやりたくてやってるんだから、

感謝なんて必要ないよね、それを履き違えて、

「自分はこんなにも他人の為に頑張っている」

って思うのなら、今すぐボランティアやめて、

自分の為に働いたほうが良いのかもしれません。



全く逆にこういう人も居ると思います。

 
それまで一生懸命に組織の為に頑張ってきたけど、あるとき急に身辺整理して、

「長い間大変お世話になりました、次の目標ができたので、

お先に抜けさせてもらいます。」

 っていって、急に去って行く人、僕はこういう人は好きです。

 

仕事人間ではなくて、バランスのとれた人だと思うし、そういう人

には引退後にも多くの人が関心を寄せると思います。


 ちなみにうちに親父が53歳の時に会社の早期退職優遇制度に

勝手に申しこんで、急に出家するといって母親に退職金半分を

渡して静岡にあるお寺に出発する前に言った言葉は

「俺は家族の為に頑張ったことは一度もない、

常に自分の為に頑張ってきた、

でも、家族がいてくれたから我慢して頑張れたことは沢山あった、

 だから感謝している。」

 と言って出て行きました。

 
 「親父、意外とさわやかだな!」

って僕はその時思っていました。


母親はとても怒っていました。

それが団塊世代の真ん中にいたうちの親父でした。

 でも大丈夫です、うちの親父にはきちんと「落ち」があります。

うちの親父の面白いところは、修行で毎日正座して、

 供え物のマンジュウを毎日こっそり食べていたら、

 持病の糖尿病が悪化して、正座のせいで足のスネにできたタコが膿んできて、

 このまま修行を続けたら両足を切断することになりますよ!

 ってドクターストップがかかって、下山してきたこと。


下山して、糖尿の治療をしていたら、口内炎が治らなくて、

病院に行ったら、すぐに大きな病院で検査してください、

って言われて、舌癌の告知を受けることになります。

 そこから9年間で4か所の転移と6回の手術。

 出家をあきらめた親父はその9年間の間にガンの治療と並行して

家の近所にあった関西大学の哲学科に3年生から編入、

無事に卒業して、大学院にも行き、卒論以外はすべての単位をとりました。

 
「卒論もできてるんやけど、出してしまうともう大学行かれないし、

 そうすると大学の図書館使えなくなるし、

 学生証無いと学割使えないからな、

 どうせ学歴なんてもう使うことないから卒業せんほうが便利やねん」

 と言っていました。

 ちなみに親父が携帯の支払いを学割にしていることや、

孫に会いに山口に行く時に学割使ってることに僕は驚きました。

 
 でもその間、親父の周りには常に沢山の人が面倒をみて心配してくれました。

 うちの親父は決して愛想が良いわけでもなく、飲みに行っても

金の払いが良いわけでもなく、特に会社を引退してからは、

元の同僚達に相当おごってもらってると思います。


 まさしくエゴの塊、ゴキブリのような人でしたが、周りからは

嫌われていないようでした。

おそらくうちの親父は他人の評価をまったく気にしない人間

だったからだと思います。



 

2010年8月22日日曜日

リームワークについて 5/6




 <この教会はヨークという土地の相当田舎の町の中心にあります。

 車を運転していて、突然ド田舎の真ん中に50メートルはある塔の

 がそびえたっているのを見た時はとても感動しました。

 YORKという土地は、イギリスの東側にありますが、もしかしたら

 アメリカの NEW YORK はここから来てるのかな? って思います>





  じゃあどうしたら、130%の選手がほかの天狗にならずにほかの選手

を助けることができるか?そこはとても難しいところになります。

 普通の人間は自分の能力が人よりも高ければそれを見せびらかした

り、人に評価してもらおうとするのは当たり前だし、むしろ普通です。

 
 その競技自体が好きで自分の能力を伸ばしたいだけなのか?

 対戦相手に勝つことが好きなのか?

 人に評価されて優越感をえたいのか?


 スポーツでも仕事でもその本質を見失うと道を誤るのだと思いますが。

 
 でもやっぱり人間だから、この三つともがミックスされて、その人の

意欲(モチベーション)になるのだと思います。
 



 でもそれで勝てなくって、その選手が自分のなかで、


「どうして俺がこれだけ頑張ってるのに勝てないのかな?」 


と考えて、自分と真剣に向き合った時、

その答えを見つけることができるのだと思います。


「自分の意見をみんなが聞いてくれないのは自分の人間性に魅力がないからだ」


「土壇場でチームが内部崩壊するのは中心選手である自分が我慢強くないからだ」


 と自分で気がつくことできれば、その人はおそらく本当のリーダーに

なれるのだと思います。


     「究極の個人技は、チームプレーに繋がってくる」


 自己中心的で自分の能力だけをひけらかすような選手は

「中途半端な良い選手」であって、「本当に良い選手」ではありません。

能力だけでハートのない選手になります。



そういう選手は周りも本人もとても不幸になります。

本人は自分がこれだけ頑張ってるのに勝てないのは周りの選手の能力

が低いせいだと嘆きます。

 

 せっかく人よりも恵まれたものを持っているのに不幸です。

究極の個人技は結局はチームプレーにつながってくる。

やっぱりそういうことなのだということだと思います。

 

2010年8月20日金曜日

チームワークについて4/6




 そこでどうやって助けるかが問題になります。

 よくこういう選手がいます。

「チームが勝っているのはおれが頑張ってるからだ、

おれは130%なのに70%の奴がチームにいるから、

いつまでたっても日本一にはなれない、70%の奴は今の倍は練習すべきだ。

だってそれはチームにとって迷惑だから、

おれたちは友達を作るために辛い練習しているのではない、

目標はあくまで日本一なのだ。」



 言ってることはあってます。

だってチームワークは勝つための要因の一つであって、

それがすべてではない、って僕も書いたし、70%の選手は努力するのは当たり前です。


 でも考えてみたら全員が100%の選手を

10人そろえることは無理なのだと思います。

どこのチームだって完全ではないから組織は面白いのだと思います。

巨人軍だって毎年日本一にはなれません。


 シーズン序盤は、130%の選手が多少は我儘でもなんとかなりますが、

プレーオフ、日本一をかけた決勝となると、

相手の選手のレベルも試合自体の質も上がってきて

130%の選手もたまにはミスをします。

ギリギリの試合になってくるからです。


 接戦が試合後半まで続き、

どちらのチームもものすごいプレッシャーの中で戦わなければならない時に、

もし130%の選手がミスをした時にチームの雰囲気はどうなるでしょうか?

 
 何となく「シラケル」のは当たり前です。

本人もまっとうな感覚を持っていれば、

自分の普段の行動や言動をが間違っていたことを反省するものだと思います。

 でも試合中にそんなことに気がついてもすでに遅いよね。

 試合で起こりうることはすべて事前に想定してそれに対して準備するチームが

 勝者になるのです。


何となくそのシラケタ雰囲気が少しずつ試合の流れを相手チームに運んでいきます。

 
 
 逆に130%の選手が常に謙虚で、文句も言わずチームの為に頑張っていたとします。

その選手が大舞台でミスしたとき、チーム全員が思うことはただ一つ。

 「あの人がミスしたのなら、おれが取り戻す!

            あの人のおかげでここまでこれたのだから」

チームがそういう流れになっていった時、

同じ力同士の試合では土壇場で少しずつ試合の流れは変わっていきます。

 
そういうチームは接戦になればなるほどさらに強くなっていきます。
 
まさしく試合を楽しんでいるのです、


 それが本当にスポーツを楽しんでいるときであって、

みんなが笑顔で楽しんでいるのとは全く違う楽しみです。

 ものすごく真剣、そして充実、心も体も震えます。

 信頼できるチームのみんなと一緒に何かに立ち向かえる時、

人間としてこれほどの充実感を味わうことはないと思います。
 

要は130%の選手が謙虚だと接戦になればなるほどチームの

結束は固くなるのです。 トップの選手が謙虚で我慢強いと、

下の選手も我慢できます。 接戦でのチーム内の崩壊はあり得ません。

 そういう雰囲気の中で勝ち取った勝利は、体が熱いのとは逆に

 背筋がゾーと冷たくなって、

眼球の裏が熱くなってから涙が押し出されるような感覚になります。
 
これ以上の充実感はないのだと思います。最高の勝利になります。

2010年8月19日木曜日

チームワークについて 3/6


 しかしチーム全員が70%というアベレージのチームは

 人間の能力は機械では測れないのでわかりません。

でもこうも考えられます。

一人は130%の能力を持っている、

5人は100%

あとは70%もいれば、110%もいる。

 こういう風になった場合には少しチームワークの意味が変わってきます。

130%の選手が70%の選手を補ったり、

相手からのダメージは少なくするように心掛ければ、

そこにチームワークが生まれます。

 両チームともの選手の能力だけがお互いに

10人足して1000なのであれば、お互いに助け合うチームのほうが、

けなしあっているチームよりも強くなることは確かだと思います。

 そこにはチームワークが必要となってきます。

2010年8月18日水曜日

チームワークについて2/6




<写真は都会のパブ、このパブは上に小さなホテルがついているのだと
  おもいます。大きな道に沿った昔からあるパブみたいです>

じゃやどうやったらそんなにきちんとした組織が作れるの? 

っていうことになりますが、それは個人がきちんと独立していることだと思います。

たとえば10人の選手がいて、

彼らが選手としてそれぞれ70%の力を持っているとします。

10人で700という数字になります。

 相手チームの選手は10人とも100%だとします。

10人で1000です。

 この2チームが戦って、700のチームが負けた場合、

チームワークが悪かったという前に、

きちんと個人個人が100%で自立した存在になることのほうが大切だと思います。

 個人個人がきちんと自立していて、独り立ちしているからこそチームワークが

 作れます。そうでなければ、ただのなれ合いになります。

 

チームワークについて1/6


 今のプログラムは14名の参加者のうち3名が脱落、

 6か月の研修の3か月目での帰国になりました。

それで最近やたらとチームワークという言葉が使われています。

 チームワークったなんだったかな? って昔のフットボールの

経験と照らし合わせて書いてみようと思います。

 <この6回の写真はイギリスの田舎町にどこにでもある
 教会とパブの写真にしようと思います。
 教会と郵便局とパブはどんな小さな町にもあります。>

よくチームワークっていうけど、

最近そのことについてよく考えてます。

 たとえば実業団でフットボールをしていた時、

本当に全員が勝ちたいと思うなら、

ミーティングなどで言いたいことがあればきちんと言うべきである。

意見がないのは勝ちたくないのか、それとも神様みたいにすでにすべ

て悟っているか、真面目に考えてないということになる。

 ということでした。

 そこで大切なのは、意見とか自己主張ということは単に組織をけな

すということではなくて、意見した後できちんとその解決策まで準備

しているか、もしくは誰も気が付いていないけど、これは話し合う

べきだという前向きな意見に限るということも大切だと思います。

 単にチームに対して文句を言うのを自己主張とは言いません。

それを履き違える選手がいた場合は、

きちんと話さなくてはいけません。


 次にチームワークですが、チームワークは勝つための一つの要因

ではあるけども、それは戦術、体力、スピード、技術、トレーナーなど

の医療、練習環境と時間、栄養などのたくさんの勝つための要素の中の

一つがチームワークというだけであって、チームワークが一番大切だと

いうのは日本のスポーツ根性論のドラマの世界だけだし、基本的に僕の

経験ではチームワークを作る一番の方法は「勝つこと」

以外にないとおもいます。

 負けてみんなで夕陽を眺めて、居酒屋で残念会することが目的なチー

ムまらまた別ですが。

 そしてチームワークを良くしようと思いすぎて、人間関係を崩さない

ために、みんながミーティングできちんと自己主張しないチームは、勝

てません。

フットボールのシーズンは4ヶ月とながいから、そういう

「ナー、ナー」


な関係ですすめると途中で取り返しのつかないことになります。

一度でも妥協を許してしまうと、元に戻すのは困難になります。

極端にいえばチームの目標が日本一なのであれ日本一になったその晩

にチームのみんながとても険悪で、試合会場からみんな無言のままに立

ち去ったとしても、チームの目標が日本一なら、それは全く問題なしだ

ということになります。
 
勝ちたいのはチームではなくて、個人個人が勝ちたいと思うのなら、

目標を達成したら、それでみんなは満足ということです。

「チームワークと人間関係を考えてみんなが言いたいことを言わなかったから結局は勝てなかった」
 というのは単に言い訳になります。

 

2010年8月12日木曜日

人が輝いているとき(すいません少し長くなりました。)


 
<写真は本日2010年8月12日に生活に少し疲れた僕がブログを

書いたテーブルです、10年後にこの写真を見直した時に、

 あの日の自分は輝いていたなー、って思い返せる日が

   来ることを願って頑張ろうと思います>



今の生活は募金集めの活動とお勉強の両方です。


 週に三日募金、三回勉強といった感じですが、

それ以外にもビルディングウイークエンド、と言って

 住んでいる煉瓦の古い寮の補修とかペンキ塗り、芝刈り、

ガーデニング、畑、料理、皿洗いなど、

学校のすべてのことを自分達でまかないます。

 だから募金と勉強に集中する時間はありません、

常に何かに追われている感じです、この時にこれをしよう、

 と前もって考えていても、その時になると急にほかの仕事が入って、

結局は何も終わらないままに常に何かに追われているような気持ちになります。


 一番多いのは僕は免許を持っているので、ドライブを頼まれます。

 駅まで片道30分、誰かを迎えにいって、

戻ってくるだけで一時間以上の時間を使います。

 そして月に一度の先生とのミーティングで、

 あなたは勉強も募金も相当に遅れている、もっと頑張りなさい、

 って言われます。 

結局は免許ももっていなくてたいして働いていない人たちがキッチリと

勉強していたりして、僕が足を引っ張っているような気持ちになるし、

でもそういう人の為に自分は一生懸命に掃除をしたり、 

ドライブをしたりしていると思うと、これってあってるのかな? 

神様はキチンと見てくれているのかな?

って思うこともあります。



 フットボーをしていた時、大切なプレーオフ2週間前の練習で、

僕は見事に足を捻挫、あとに二つ勝てば日本一という場面での怪我でした。

 捻挫したのは土曜日の午後、どこも病院は閉まっています。

それでもレントゲンを撮ってくれる病院をトレーナーが大急ぎで探して、

捻挫に骨折があるかどうかをチェックしました。

 骨折があれば早くても4週間、普通は6週間かかります。

レントゲンを見た病院の先生は、

「靭帯は部分断裂していますから絶対に安静です、でも幸いに骨折はないです。」
 
そのまま帰って、すぐにバケツに入った氷水で足を冷やして、炎症を最低限にします。

 グランドに戻ってからのみんなの質問はたった一つ

「ウラサン、何週間ですか、2週間?それとも4週間?」

 「骨折なかったから2週間で行けると思うよ」

 「ってことは次のプレーオフ間に合いますね」

 それだけ、誰も僕の痛みとか気持は気にしていません。

 僕のリハビリは次の月曜日から開始、

腫れを引かす為のマッサージと氷水でのアイシング、

アイシングして足が麻痺したら、

そのまま裸足で11月の寒いグランドウォーキング、

横向きとか足の側面だけを使ったりして、捻挫した筋肉が固まらないように、

動かします。

 それが終わって足が腫れてきたらまた氷水に足を突っ込んでアイシング、

その後に包帯で足を圧迫して

 腫れが足首に集中しないようにします、

だから膝とかほかの所が腫れたりします。

 そんなことを二週間繰り返して、いざプレーオフ、

テーピングで足をガチガチに固定して、試合前の練習にとりあえず参加、

でも痛いし、怖いしで全力では走れないので、

みんなの迷惑にならない程度のものでした。


 試合前10分前にテーピングを全て外して、痛み止めの注射を打ちます。

 その後にテーピングを巻きなおして、

グランドに戻るとすでにみんなは試合前のセレモニーも

終わってコイントスをしていました。

 そのままの体と心で試合に飛び込みます。
 

その日に良いプレーができれば、僕の評価は上がりますが、

もし痛くて良いプレーが出来なければ

 「ウラもそろそろ引退かな?」

 って思われてしまいます。 

 神様は気にしていくれているのかな? ってその時も思いました。

 


 バヌアツにいたころ、

「2年間で60校の小学校の中で何校でもよいからきちんと週に何日か時間をとって、

 体育を教えることができるようにする。」

 それが青年海外協力隊と事務所と現地の教育省が話し合って決めて僕の仕事

 結局は2年たっても一校も現地の先生達がきちんと

 体育を教えている学校はありませんでした。


 途上国では体育、音楽、美術は今はテストの評価に入らないし、

 大切なのは植民地支配していた国の言葉、

バヌアツならフランス語と英語を話せるようにならないと、

 将来お金を稼げる仕事に就けない。

その次に算数が何といっても大切です。

 だから体育はまだ重要ではないのです。 

でも神様はあの小さな島で一人で頑張っていた僕の努力を知ってくれているのかな?

っておもいます。



 昨年に亡くなった親父の一周忌のとき、

 6歳、3歳、0歳の三人の男の子に囲まれた姉が

「お母さん、僕がこれするの見てて!」

「僕もお兄ちゃんみたいにするから見てて!」

って0歳の三男に授乳している姉に長男、次男の二人の

 息子たちが代わる代わるに尋ねます。

 授乳している姉が二人の息子のしている対して上手でもないで

んぐり返しを集中してみてあげることができないと

 不満な長男は授乳している姉の背中に飛びつきます。

「今オッパイあげてるんだから、触らないでね」

 って言ってる姉の言うことも聞かないで、二人目も姉の背中に上ろうとします。

 姉は言っていました。

 「常に何もかもが中途半端、掃除も、食事も、育児も、

すべてがいつも終わらなくて、睡眠もいつも

 浅いし、朝起きても疲れがとれていることなんてない、

 子供に起こされて疲れた体を持ち上げるようにして

 毎日がはじまる、みんなが私みたいに辛いのか、たまに不思議に思う」

 
その話と三人の息子の面倒をしている姉を、

 喪服姿でお茶を飲みながら聞いていた僕と叔母さん、
 
(亡くなった親父のお姉さん)は言いました。

「姉ちゃん、自分は今そう思ってるかもしれないけど、

 僕らから見たら今の姉ちゃんは人生の中で一番輝いているときに見えるよ。

 もちろん大変で自分の時間が全くないのはよくわかるけど、

 3人の息子にこれだけ必要とされているなんてうらやましいよ」

 隣にいたおばさんも二人の息子がいます。 

 僕の従兄になるので二人ともすでに僕と同じで30超えてます。そのおばさんも

「私にもこんな時期があったのかと思うと、

 ほんとによく頑張ったなと思う、とても輝いて見えるし、
 
 今思えば人生で一番良い時間だったとおもう。」

 という意見でした。

 
 結局は忙しくて、まったく自分に時間がなくって、

 いつも何かに追われている人というのは

 それだけみんなに必要とされているのだと思います。 

 それを必要とされていると感じれるのか、

 利用されていると感じるようになるのかは状況によってだとは思いますが。

 もし自分が捻挫した時に、チームに、

 「君の変わりがいるから、ゆっくり休んでいて良いよ!」

 って言われるのが、選手として大事にされているのか?
 
 どんなことをしてでも次の試合にはお前が必要だ、

 たとえ怪我で100%のプレーができなくても・・・
  
 って思ってもらえることが大切にされていることなのかと考えたら、

 やっぱりどれだけ辛くても

 同情やいたわりの言葉よりも選手として評価されることが幸せなのだとも思います。


 
 そんな理想を頭の片隅で考えなら、僕の目の前には今日も僕には現実が待っています。

 いつまでたっても終わらない仕事と勉強、

 数次や評価にならない雑用や他人のお手伝い。

 半日でも良いから、気持ちを落ち着かせて自分のことだけ考えたい。

  たぶんこうやってブログを書いてるときが今の僕のそういう時間なのかもしれません。

 このブログを書き終えた今、少しだけ気持ちが整理できた気がします。

 スッキリではないけど、
 
仕方ないから、今日も一日頑張ろうかな? 

「とりあえず今日も一日作業開始!」 っていう気持ちにはなれた気がします。
 
  いつか2010年の今日のこの一日が輝いていたんだなー!
 
 って思える日までとりあえず頑張ろうと思います。







 

2010年8月10日火曜日

スパイダーマンになりたい



  <写真は先週末に僕たちの寮の屋根を掃除するブラジル人の
    ホジェリオとアルツーです、ブラジル人はみんな笑顔が素敵です>



  僕はスパイダーマンの映画が好きだ、何といってもあの動きが好きで

スパイダーマンみたいになりたいって思ってよく糸を出すしぐさを真似していた。

 って書くとみんな子供の頃のころだと思うだろうけど、たぶん僕が29歳くらいの

時の話だと思う、フットボールのロッカールームにポスターを張っていた。

 スパイダーマンは実はピーター・パーカーという冴えない青年で、なぜかクモに

噛まれてスパイダーマンになるのだけど、誰も彼がスパイダーマンだとは知らないし、

 勉強もバイトもあまり上手くいかず、しかも幼馴染で隣に住んでいる

 メリージェーンにも相手にされていない。


 そんな冴えない彼だけど、クモにかまれてすごいパワーを得てしまう。

 そしてみんなを助ける。でもスパイダーマンでないときにはとても悲しい人生だ。

 そんな彼が悪役に言われることがあった。

 「よいかスパイダーマン、二人で組んでこの世界を制圧しよう、お前はなぜ人間を

 助けようとするんだ、みんなが喜ぶのはどうせ最初だけだ、彼らは俺達のような

 特別な人間に嫉妬している、最初はお前に助けられて喜んでいるけど、結局

 彼らが見たいのは、ヒーローが無様に打ちのめされるところなんだ、なぜそんな

 奴らを命を張って助けるんだ?」

 って世界征服に誘われることがありました。


 なんて答えるのかな? ってとても興味を持って見ていたら

 
  「それが正しいことだからだ!」

  いたってシンプル。 でもあってるよね。


  「偉大なる力には偉大なる義務が生じる」

 それはピーターが育ての親であるジムおじさんが彼に教えた言葉です。

 
  「授かりものは世のために使え」

 これも普通の人間であるピーターがスパイダーマンをやめたくなった時に

 思い出した言葉です。


 なぜその言葉が大切かといえば逆を考えれば簡単だよね。 だって

 「授かりものを自分のために使い果たしてしまった人」

  には何も残ってないよね。でも世のために使えば、たくさんの友達ができて、

 たとえ授かりものを使い果たしても、多くの友達と自分に対するプライドが彼の

 人生を今後も支えていくと思います。

 



 じゃあ映画の中ではなくて、実社会でそんな偉大なパワーは誰が持ってるの?

 っていうことになりますが、僕が最近考えた答えは

 「そんなの誰も持っていない」

 っていうことです。だから映画になるんだよね。だったらどうするの?

  ってことですけど、

  偉大に見える人も実はみんな普通の人だし、同じように悩んでいると思います。

 その人の立場と責任感がその人を動かしているのだとおもいます。
 
 使命感みたいなものが普通の人間をそれ以上の存在にするのだと思います。


 「人間は周りにその能力を期待されて初めてその潜在能力を発揮する」

 ソクラテスだったとおもいます。

 でも僕は思いました。誰もずっと僕の潜在能力を期待してくれないんだけど?

 それに対する僕の答えは

 「誰も期待しれくれないのだったら、自分で自分に期待するしかない・・・・」

 それが僕の答えです。 ちょっと独りよがりで悲しいけど・・・・

 みんなと同じなら、自分が生きてる意味はないよね、人と違うことできるから

 社会に対して存在価値があるし、

 人から一緒に居たいって思ってもらえるかも知れないしね。

 自分の役割を見つけるのって本当に難しいと思う今日この頃です。

2010年8月9日月曜日

スペインのオタクマルコスとイソロクヤマモトさんについて




マルコスというスペイン人が学校の見学にきた、

 お世辞にも清潔とは言えない。太り気味の体にロングヘアー、

なぜか黒のベースボールキャップをいつもかぶっています。
 
 メガネをかけているけど、きちんと拭いていないのか、

レンズが脂ぎっていて、どことなく曇っている、そしてその脂分に埃と

 フケが付着していて、相当怪しい雰囲気をかもしだしている。

 日本でいう典型的な「オタク」なのだ。

 
 しかし外国のオタクが日本のオタクと決定的に違うのは劣等感がないことだ、

 日本のお宅はどことなくくらいイメージあがあって

一般社会とは少し距離を置きがちだけど、

外国のオタクはとてもさわやかで好感が持てる。

 
マルコスも僕と同じような英語のレベルだけど、(中学校レベル)

 でもとても楽しそうに会話をする、

そして母国語のスペイン語を話すときは急に早口になるので、

 こちらもびっくりするけど、それは日本人が日本語を話すときももおなじだから、

ただびっくりするだけで特に文句は言えない。


  そんな彼があった初日に話しかけてきた。

 「あなたは韓国から来てるのですか?」
 
 「僕は日本から来ました」
  
 「そうですか日本ですか!僕はイソロク ヤマモトをとても尊敬しています」

 それ誰だっけ? 三戸部稲造さんなら「武士道」をで有名だし、

 僕も読んだけど、 イソロク ヤマモトさんは

 名前は来たことがあるけど、江戸時代だっけ? 画家だっけ? 

 それとも歌舞伎とかそういう感じの人だっけ?

 って思っていたら

 
 「ワールド セカンド ヲー  ツー」  (第二次世界大戦)

 
 という言葉が聞き取れました

 「軍人だ!」

 とわかったので、とりあえず彼の話を聞くことにしました。

 
 「私はとても彼を尊敬しています、パールハーバーも太平洋でも、

 彼は素晴らしかった、人間としても軍人としても彼は素晴らしい」


  ととてもうれしそうに話してくれました。 

 「そうでしょ、僕も彼のこと大好き!」
 
 っていってすぐに教室に戻ってインターネットで 山本 五十六さんを検索、

 なるほど、戦争が始まるときに

 「最初の一年くらいなら、アメリカ相手に暴れまくれますけど、

  2年、3年と続けばそれは難しいと思う」

 ときちんと冷静に判断していた人で、軍人だけど、

 戦争が好きなわけではなくて、上とはきちんと話し合うし、

 部下には人情をもって接した人である、海外での評価も高い

 ということでした。

 日本人として恥ずかしいです、もっときちんと勉強しないとと感じました。


 ヨーロッパの人たちは戦争に対して日本よりももっと身近に考えているとおもいます。 
 
 とても深く研究していて、誰がどういうときにどういう行動をとった、

 という個人の勇気ある行動をとても評価しているように感じます。

 決してヒーローだけを称賛しているのではなくて、

 敗者の美学もキチンとあります。

 そしてその中で日本人の勇気ある行動や

 自己犠牲の精神などとても高く評価しています。

 ヨーロッパの世界地図では真中がヨーロッパその下がアフリカで

 左にアメリカ、右にアジア、その右端のアジアのそのまた端の島国で

 200年も鎖国したりして、独自の文化を究極まで高めて、しかもアジアで

 唯一植民地になってない、謎だらけの日本はとても興味があるみたいです。

 マルコス、見学に来てうちの学校をどう思ったのかは知らないけど、

 もし戻ってきたらまたお話しようね!

 何んとなく君みたいな人好きです!

  

2010年8月7日土曜日

アジアのリーダー像


 <写真はイギリスの秋の風景です、おそらく麦だとおもうけど、
  
  今のシーズンは収穫が終わってみんなこんな風にきれいにまとめてあります

  僕が子供だったらきっと転がして遊んでいると思います>





リーダーシップの取り方も世界中でいろいろとあるものだと改めて感じています。

 ヨーロッパの人はリーダーはみんなとは一緒に働かない、

午後にはテラスで紅茶を飲みながら

みんなの働いているのを眺めている。

 それが成功者の姿なのだ。
 
 というかんじ、大分極端だけど・・・


 今の日本でいえば大企業の社長みたいなレベルかな?

  
 それに比べると日本人の僕のリーダー像とは中小企業の社長みたいなかんじ


 お得意さんと自分の工場とその従業員の間に挟まれて、常に両方に気を使いながら

 常に自分も汗水をたらしてみんなのために頑張っている、

そしてそういう仕事にやりがいを感じている。

 要は仕事そのものにやりがいを感じているという感じです。

 だからいつも忙しいし、西洋の人から見たらエレガント(優雅)ではない。

 ということだと思います。


 未開の地であるパプアニューギニアの酋長の話を聞いたことがあります。


 「酋長の特権とはなんですか?」

 ときいたところ

 「戦いのときに一番先頭に立つことができることだ!」

 と言っていたそうです。

 先進国のリーダーは戦いのときは一番最後まで現場にはいかないよね、

 死ぬのはいつも貧乏でお金のために志願した人たちだと思います。

 
 
 ヨーロッパの植民地政策がおわった今、中国の会社がアフリカに進出している、

そして現地の人をこき使っている、

という目線で西洋人が作ったニュースを先日みんなでみました。


 僕の意見は

 中国人のやり方はそれほど間違ってないのでは?っておもいました。僕の中では

 現地の人がもし8時間働いているのなら、

おそらく中国人は10時間は働いているのだろうという感覚があったからです。

 従業員よりも早く職場に出て、現地のアフリカ人と一緒に働いて

 最後まで現場にいて、仕事を終える。

 
  だからアフリカの人も我慢してるのではないかな? って感じます。


 もし中国人たちがアフリカ人の強そうな人に特権を与えて、彼らにムチを持たせて、

 同じアフリカ人達を管理させて、自分たちは庭でヤムチャ飲んでたら、


きっとアフリカの人も真面目には働かなくなると思います。


  そのニュースを世界各国のクラスメイトと一緒にみながら、


  何となく僕は思っていました。

 「がんばって!中国の人達!」

  どういう理由で彼らがアフリカに行ってるのかはわからないけど、

支配することばかり考えている西洋の人と一緒にいると

 多少カッコ悪く見えても、僕らと同じように


汗水たらして働いている人達がとても美しく見えることがあります。


 

2010年8月6日金曜日

アメフトしてた時の事




僕は協力隊に行く前に9年間実業団でアメリカンフットボールをしていました、

16歳の高校生の頃から32歳で引退するまでなので、引退した時点では

人生の半分をフットボール共に過ごしてきたということになります。

 目標はやっぱり実業団日本一でした。それを達成してから引退するのと、

しないのとでは自分の中でのフットボールの意味は全く変わってくると思います。 

 良く言っていました。プロ選手は良い、もし勝てなくっても給料がもらえるから、

でも実業団は勝とうが負けようが給料はたいして変わらない。

何のためにやっているかと言えば単にプライドの為にやっているのであって、

お金は関係ないし、その後の職場での出世を考えたら、

早めに引退して仕事に集中したほうが良いのかもしれない。

 だからこそ、やるからには必ず日本一になってから引退しなくてはいけない。

 でも23歳で実業団に入ってから最初の4年間は全く勝てなくて、

このままでは引退するまで絶対に勝てないという気持ちが大きくなってきました。

 もし引退するまで一度も日本一になれなかったら、

フットボールをしていたことを後悔するかもしれないし。

 チームを恨むかもしれない。


 そんなことを考えていたときにある人がアドバイスしてくれました。

 「ウラ、必ず日本一になってから引退したくて、

今居るチームが日本一になる可能性が無いと判断するなら、

日本一になる可能性のあるチームに移籍して、

そこで日本一を目指すほうがお前の目標はかなう可能性は高い、

お前がフットボールをする理由が単に日本一なら、

それは当たり前のことだからためらってはいけない」

 

なるほど、と思いました。そしてもう一つの意見

「日本一になることは大切だ、でももしなるなら

日本一行きのバスを自分で運転して日本一になりたくないか?

日本一行きのバスにタマタマ乗り合わせていたというだけの

日本一は自分にとってどれだけの価値があるのか考えなくてはいけないよ。」

 なるほどね、それも真実だな、っておもいました。

 たった一つの目標の為に生きていたあの時代は今はとても懐かしく感じます。

 何事も限界まで考える癖がついたのはフットボールから

  学んだことが多かったとも思います。

2010年8月4日水曜日

日本人の悪いところのはずか・・・・

 日本人の悪いところを書いてほしい、って友達のトミーからのリクエスト、

 急いで書くと、

 日本人は相手の話は 「ハイ、ハイ」って聞いてあげるのが大切だと思っている
 
 からツイツイ熱心に聞いてします、

 外国人は少しでも意見が違うと親しい間柄でも

 「私はそうは思わない」

 「なんでそうは思わないの?」


 みたいな感じで相手の話を聞かないから、隣にいてこっちがヒヤヒヤします。

 その後1時間話しても結局は妥協は無く、話のレベルがドンドン低くなること
  
 もあります、要は子供の喧嘩になってしまうのです。

 でも外国のひとの考え方は、

 「アイヅチのイエスは賛成を表す」


 ということだから、こっちは

 「そーなんだ!」

 っていう意味のイエスであっても

 「今の聞き取れなかったけど、とりあえずイエス」

 の「イエス」であってもみんな賛成したと思っているみたいです、

だって普通は外国ではイエスは

 「私もそう思います」

 っていう意味みたいだから、 だから外国の人は日本人と話す時はとても

 気分よく、時には演説してるみたいに話します。



  そして、その場は終了、こちらとしては相手の人は凄く満足してくれたから

 良い聞き役になれたなー、って思っていて、それからしばらくたって、その話題

 になったり、その人が話していたことが現実てきなプランとして形になりだした

 時に

 「ちょっとまって、私はそのプランは上手く行かないと思うけど」

 だったり

 なんとなく協力するのを避けてたりすると

 「日本人は良く分からない」

 ということになると思います。


 日本人同士だと、

 話しているほうも、聞き手も、お互いに、今は自分は聞き役だとわかっているし、

 話すほうも、「聞いてもらっている」 ってなんとなくわかってるから、

 あとから問題になることは少ないと思います。

 問題になるとすれば、沢山話したほうが

 「その場の空気を読めていない」 

 ということになります。


 
  もう一つは

 日本人は言いわけが嫌い、だから先生とか他の人に何かを指摘されたときには

 とりあえずその場では

 「そうだったの、ゴメンネ」

 っていってしまいます。

 これははっきり言って良いところでもあると思います。だって細かいことで

 イチイチ言い合っていたら、いつまでたっても話が前進しないから。

 
 そして、外国人の一番大きな問題は

 外国人はすぐに自分の意見を反論しますが、それが「正しい反論」なのか?

 それともただの「言いわけ」なのかの判断が難しいところです。

  たとえば人前で大きな音をたてて「オナラ」をするとします。

 会話している最中にです、外国人は言います。

 「仕方が無い、昨日にバーベキューがあって、沢山食べすぎたから」

 っていいます。 

 でもこちらにしたら、話してる最中にオナラしたなら、少しは反省できるだろうし

 会話が終わるまで我慢できるだろう。 

 って思います。 開き直りが凄すぎだからです。

 
 それがエスカレートすると、

  
  戦争しても仕方が無い、だってタリバン政権のせいで毎年沢山の子供や

 お年寄りが無くなっている、核兵器もあるかもしれない、だから戦争は許される。

 ってことになります。

 
 オナラも戦争もしないほうが良いし、他にも方法がある

 どこからが言いわけなのか、どこからがきちんとした理論なのかが難しいし

 戦争はいかなる理由があっても絶対に駄目だって、過去の経験と結果から

 人類全てが共通認識として学んだはず。

 

 一部の外国の人って日本人からみたら明らかに屁理屈だろうっていうそういう理論を

 自信満々で言ってくるから、その雰囲気にこちらも飲まれて

 「そこまで自信満々に行ってくるなら、本当なのだろう」

 って思うけど、後から考えたら常識から外れていることが結構あります。


 話を戻すと、

 そこできちんと謝るのが日本人、

 謝らないで言いわけなのだか、屁理屈なのだかわからないけど、とりあえず反論

するのが外国人、

 そして、それは外国人同士は根に持たないから大丈夫、っていうけど、きちんと

根に持っています。 次に同じ状況の言い合いが始まったときに必ず思いだされます。

 そして、

 「俺はあの時にこう主張したのに、お前は聞かなかった!」

 という話になって、いつまでも話が前進しません。

 
  

 話を戻すと状況によっては言いわけしないのが日本人の

 「悪いところ」にもなるし、「良いところ」

 にもなります。なぜ悪いところになるかというと、外国の人からしたら

 結果的には日本人は敵を作らないで、物事を上手く運ぶことが

 多いからです。

 だって日本には 「沈黙は金なり」 という言葉があるからです。

 

 その場では負けても結果的には勝ちます。

 それが外国の人からしたら 

 悪いところ、エコノミックアニマル、人生を楽しんでいない

 という結果になるのかもしれません。

 でも日本人の中には

 「耐えざるものにも耐えることは美徳だし、みんながそういう人を陰では尊敬する
  という文化がすでに物凄く強く確立されているから、それは今後も変える必要 
  は無いと思います。」

 そしてそういう文化はアメリカ人よりもヨーロッパの人のほうが感じ取ってくれます。

 ヒーローの美学よりも、崩れていくものの美しさ、みたいなものを、ヨーロッパ人

 は知っています。ローマもギリシャも植民地政策でもなんでも終わってみればみんな
 
 悲しい思い出だからです。

 「世界を征服したってそれが何になるんだい?」

 って言うのは彼らは良く知っています。
 

 ごめんなさい、朝の8時半でお仕事始まります、

 まとまらなかったけど、とりあえずアップします! ごめんなさい!

2010年8月3日火曜日

体罰について、

 スウェーデン人の先生オーサの提案、
 
 「体罰はどう思いますか?」

 ちなみにオーサの子供のクリストーブは8歳、今は夏休み6週間学校が無しで、

 しょっちゅうクラスルームに入ってきて、オーサに甘えたり、授業を妨害したりします。

  アジア人からしたら少し困った感じですが、外国では職場に家族がいるのは意外と

 許されるみたいだと思います。 


 韓国人のソルの意見は、韓国では体罰用の棒があって、太さ2,5ミリ、長さは確か

 50センチくらいって決まっていて、それでなら叩いて良い、それだと強くたたいても

 それほど痛くないから、 という発言、 でも他の韓国人のスッキー、ミンジーは

 そんな話はあまり聞いたことが無いという意見でした。

 
 僕は子供の頃から親にも先生にも叩かれていたから、体罰は意外と賛成はですが、

それは人によってです。

 尊敬する人が叩いてくれたのなら、それは受け入れられますが、確実にストレス解消

 とか、口で言ってもわかるような事でイチイチ叩かれたら反省できないし、

そういう暴力はさらに暴力を生むよね。


 ここで僕が習った矛盾の理論

 「中学校でいじめっ子がいたとして、その子が何度言っても他の子供を叩いたり暴力

をふるったりする、いくら話しても理解しないので、先生がその子を叩いた、

それは矛盾しているのかどうか?、他人を叩いては行けない、

って言って先生が生徒を叩けば、それは矛盾しているのかどうか?」


 日本人の僕の中では 他人に迷惑をかけるなら叩いても仕方ない、

だって今現在にいじめられて叩かれている子供にしたら、いい迷惑だから。 
 
 あと電車の中とか、バスの中で子供が走り回っていたら、親が叱るのは当然だと思うし、

 他人に迷惑をかけるのなら、叩くのはしかない。 


 でもこれはあくまでも親子とか、したしい間で信頼感があって、叩いた後にきちんと

フォローができる時に限ってだと思います。

 
 
 イタリア人シルビアの意見は、私は結構叩かれたから、お母さんに「叩くよ!」

 って言われると、大人しくしていた、でもそれは普通だと思う。 

 叩かれないとわからないこともある。 あとうちの母親は暗い部屋に閉じ込めたり、

 食事をくれなかったりしたけど、そういうのは体罰ではないけど、

一応、パニッシュメント(制裁)になるよね?

 
 そのボーダーは難しいと思う。

 そしてもし体罰が駄目で、たとえその子供が他の子供を叩いていても、先生が

その子供を叩けないなら、極端な話10人の人を殺しても、

その人を死刑にしてはいけないという理論もあり得ると思。

 でも体罰の目的は教育であって反省してもらうために行うのなら、

死刑にしたら既に反省できないから死刑はOKになるのかもしれない。

 少し解釈が難しくなってきました。

 その後に話は、それぞれの国でこの30年くらい体罰は無しという方向が進んでいますが、

 体罰無しの教育方針がまだ明確では無い為に、色々な矛盾が産まれていることと、

 子供をきちんとしつけられない親が、学校にしつけを期待しても、それは難しい。

 という矛盾などの話に展開していきましたが、

すでにみんな45分間ほどその話をしており、9時になったので今日はここまで、

 ということで終わりました。

 結局は何処の国にも体罰はあって、

それぞれにとても近いレベルと感性で悩んでいるのだと感じました。