2010年11月16日火曜日

PEOPLE


<写真は世界で一番有名なハーフマラソンがイギリスであって、
その時にボランティアとしてみんなで参加した時のものです>


ウチの学校はすべて自主運営で、ビルのメンテナンス、食事の準備、掃除、芝刈り、ガーディ

ニングにいたるまで、アフリカに行ったときに困らないように。

 ということで自分達で行っています。でもキチンとテーブルを拭いた後に、

すぐに他の人が汚してしまったり。

 料理の後片付けしないで、残してしまう人、

洗浄機にかけただけでまだ汚いお皿を平気で戻してしまう人。

 年齢、国籍関係なく、やっぱりそれぞれ問題は起こります。

 そしてみんな愚痴ります。

「ピープル(みんな)いくら言っても言うことを聞かない」

「またピープルがキッチンから食材を持って行ってしまった」

「またピープルが使ったシャベルやクワをもとに戻していない」

「ピープルがゴミの分別をきちんとしていない」

「ピープルがトイレを流していない」

 
 それぞれみんな忙しいから、できることとやりきれないことがあって

 そういう結果になったのだろうけど、あとから来た人やそれを管理

している人はやっぱり腹がたちます。

 

 でもよく考えてみたら、 作った食事を

「これ誰が作ったの?おいしいね。ありがとう」

 って言ってくれるのもピープル

「ダイニングホールの壁塗り替えたの誰? きれいになったね!」

 って言ってくれるのもピープル

「庭のガーデニングしてくれたの誰? 前からあそこきれいにしたかったんだ!」

 って言ってくるのもピープル

 知らないうちにテーブルを片づけてきれいにしてくれるのもピープル

 僕の終わった洗濯物を出すだけではなくって、乾燥機に入れ替えてくれるのもピープル

 
 結局は良いことも悪いこともみんなピープルしかできないということになります。


 動物は人間に「ありがとう!」「おいしいね!」って言ってくれないものね。

 
 ピープルのどちらの面と多く接することができるか、どれだけみんな

にありがとうって言ってもらえるかは自分次第なのだと思います。

 そしてどれだけ人の失敗を我慢する器を持っているかも自分次第

なのだと思います。

 ピープルは両方の面を持っていて、どちらを多く見るかは自分の

心なのだと思います。

2010年11月15日月曜日

仕事の内容よりも大切なこと

5月から始まった僕達のチームは11月でプログラムが終了、

 あとは遅れているお勉強とアンゴラに行くためのビザをまっています。

 僕らは5月チーム、その次が4カ月あいて9月チーム

 そして11月チームが今月からスタートしました。

 僕達の5月チームが現在は最も古いチームになります。

 新しいチームはみんなわからないことだらけ。

 「ウラ、ゴミ袋はどこにあるの?」

 「プラスティックのボトルはどこに捨てるの?カンは?ビンは?」

 「料理した食材は肥料にして良いの?それとも野菜の皮だけなの?」

 「皿洗い機はどうやって使うの?」

 「オーブンは何度に設定するの?」

 「洗濯機はどうやって使うの?」

 「トイレ用のモップとキッチン用のモップはどうやって判断するの?」

 「あの先生はどんな性格なの?」


 半年前に英語ができずに僕が来た頃、わからなかったこと、

 いつも不安で、何か問題が起こってもどう対処して良いのか?

 単にゴミ袋ひとつ探すのでも、キッチンに入ってブレーカーのが何処

 あるかを探すだけでもとても時間がかかったし、苦労したのを思い出します。

英語で早口で説明されてもわからないことが多かったしね。

 そして僕は、とりあえず沢山仕事をしました。

 ファミレスの社員を9年していたことはここにきてとても役に立ちました。

特に掃除とキッチンは絶対に欠かせないスキルです。

 これから行くアフリカでもそれは変わらないと思います。

 今新しい人達が入ってきて、みんなとても不安そうです。

 何か貢献したいけど、どうして良いかわからない、

 料理も掃除もやる気が無いわけではないのだけど、道具の使い方

 どうやって70人分の料理を作ったら良いのかわからない。

 だから僕がブラブラしていると色々なところで呼ばれます。

 だから僕も一緒にそこに行って解決策を探します。

 「これは今できること、これは今はできないことだから後で先生に

 相談したほうが良いこと」

 そういった判断は今は僕はできます。

 そしてそういう時なんとなく、半年頑張ってきて良かったなー

 って思います。

 仕事もそうだと思います。

 自分がつまらないと思う仕事でも、3年、5年と続けているうちに

 気がついたら年長になります、それなりに経験もついて何かあった

時に回りからたずねてもらえるようになります。

 そういうときになにかやりがいみたいなものを感じることができれば

その人は幸せだと思います。

 大工でもファミレスでもフットボールでもボランティアでも教員でも

なんでも良いのだと思います。

 何か続けているうちに周りから頼られるようになれば仕事の内容以上に

人から頼られることのほうが面白くなることもあると思います。

 そこで、

「俺も苦労したのだから、お前も苦労して当たり前なのだ!」
 
 と思うのか

「自分が苦労したから、後輩達にはそういう思いはしてほしくない。

と感じて自分の持っている技術を喜んで伝えて、

それによって自分自身もやりがいを感じることができるのか」

 もしそういったことにやりがいを感じることができるのなら、

その人にとっては仕事の内容など関係なくなるのだと思います。

 どちらのタイプになるかで周りの評価は全く逆になると思います。



 この話もう少し続きを書きますね!


 教育の世界では

「苦労してこそ人は鍛えられる」
 
「技術は盗め」

 「石の上にも三年」

「見てわからな奴は聞いてもわからない」

 という考え方もあり、もちろんそれが当てはまることがあります。

 でも違う考え方としては

「今も僕が持っている技術を100%後輩に伝えれば、

それを学んだ後輩達はさらに次の高いレベルで苦労することができる、

僕がしてきた、基本的はレベルでの苦労を繰り返す必要はない」

 そういう考え方も教育の一つにあっても良いのだと思います。

 もちろんそれは義務教育のレベルでは無くて、大学とか、

協力隊や今僕が居る学校のようなある程度大人の人達が集まった中でのはなしですが。
(この理論は僕の理論では無くて、京都大学のアメフト部の理論です。僕はとても京都大学のアメフト部に影響を受けています・・・・)

「自分に自信が無くって、常に後輩を自分の支配下に置きたいのなら

大切な技術は黙っておいても良いと思いますが、

本気で自分が何かを達成したいとおもっていて、

もし後輩が自分よりもすぐれた能力を持っているとするのなら、

今の自分の技術を100%彼に教えて、

彼にその目標を達成してもらうこともありだと思います。」

自分の目標が自分の名誉の為ではなくて、

世の為人の為になることならなおさらだと思います。

 それこそが本気で何かを達成したいと思うひとの心意気なのかもしれません。

そこまで考えてから後輩に何ができるのか?

に戻ることも大切だと思います。

 といっても僕がゴミ袋が何処にあるかを教えたり、

 キッチンのブレーカーの位置を教えたりすることは

あまり世の為人の為にはなってないし、教育とは関係ないかもしれませんが

 そういう気持ちで働くことができれば、それはそれで幸せなことだと思います。

 

 

 


 

 

2010年11月14日日曜日

意味のない納得



<写真を撮った時にアルツーが考えていることは、カワイーでは無くてウマソーであったと思います。>


イギリスにはリス、ハリネズミ、シカ、トリ、兎などいろいろな動物がいますが、

彼らは結構な確率で車に飛び込んできます。

 僕も何度か引きそうになりましたし、運転していると彼らの屍は一日に何度も見ます。

 ドライブから戻ってきたスペインのカーター、

ブラジルのアルツーが自分達が引いてしまったのか、

すでに引かれてしまったのかわからないけど、

小鹿を持って帰ってきてキッチンで嬉しそうにさばきだしたとき、

そしてそれを見つけたポルトガル人のヌヌが

ものすごく嬉しそうに目を輝かして素早く焚火の準備を始めた時、

「やっぱり彼らとは文化が違う・・・・」

 って少し思ったけど、彼らから見たら日本人の

「魚の生け造り」

のほうがよっぽどクレイジーなのだろうな

って思って苦笑いして見ていた事がありました。

 殺菌のためなのか臭みをとるためなのかは知らないけど、

お酢とニンニクを沢山使うので、キッチンがお酢の匂いでいっぱいでした。
 
その匂いと焚火の煙が部屋に充満し出すと

 誰かが何かを食べてるな?と気が付きます。


 大分昔にポルトガル人のルイースと車に乗っている時、

結構大きな鳥が車の前に飛び込んできたことがありました。
 
運転していた僕がびっくりして急ブレーキをかけるとルイースが

「鳥の飛び込み自殺だ!」

 と言ったので、

「彼らの人生も我々と同じように辛くて、悲しいものなのだろう」
 
と僕が冗談を返したら、

すでに40歳を超えているルイースはその冗談がとても気に入ったらしくて
 

永遠に笑った挙句に良くその話をよく繰り返してしていました。


 そして先日スコットランドに行った時、

突如として飛行機が僕の車の横を低空飛行で横切りました。

ナビを見たら空港のすぐ隣だったみたいです。

 「ついに飛行機まで飛び込み自殺だ!なんて悲しい時代なんだ・・・」

 と一人で思ってしまいましたが、そのあと5分くらいして、ふときがついたことは

「もしあの飛行機が本気でこの車に飛び込んできたとしたら、

死ぬのは飛行機では無くて、確実にこちらのほうだ」

 と気が付いてしまいました。


 もともとの話の始めからして意味のない話なので、

この納得に何も意味は無いことはわかっているけど、

誰とも話さずに一人で何日もドライブしていると頭の中身もこんな風になるのだなー

 って思いました・・・・
 

2010年11月12日金曜日

 まとまらないこの半年のまとめ⑥

そしてもう一つこの6カ月で気がついたことがありました。

 もし日本の教育、技術が世界一で我々は西洋文化に染まる必要はないのだ、

 っていう考え方は間違っているとは思いませんが。

もしそれが進みすぎると、それが人種差別の始まりになることもあるのでは?

  とこの半年間で勉強したアフリカのことと、

 自分の毎日の生活のなかで感じました。

 たとえば日本に文化の違う沢山の外国人が

 10万人くらい入ってきて生活しだすとします。

 彼らは文化が違うので、仕事に一時間くらい遅れても当たりまえ、

 交通ルールもあまり守らず、ゴミの分別やリサイクリングにも興味がなく、

 町が汚くてもあまり気にせず、立ちションベンも当たり前。

 だってそういうルールで今まで生活してきた人たちだから、

 その国ではそれが当たり前だったとします。

 そして日本人は何度も彼らにお願いします。
 
 「頼むからそういう習慣を直してほしい」

 でも彼らも同じようにおもいます。

「これは習慣ではなくて、我々の文化なので、

 今まで長いこと我々はこの文化で育ってきたのだ、

 お互いにお互いの文化を鑑賞するのは良くないことだ!」

 そして日本人は思います。

 彼らに我々が今まで守ってきた規律や謙虚さ公衆衛生、食の安全、

 年長者を敬う気持ちなどを無視されることはこれ以上は許されない。

 そして日本人は自分達の文化のレベルを下げないために

 彼らとは生活を別々にしたいと考えだします。

 日本人にとってはそれは自分達の文化を「守る」ための

 プロテクションになりますが、違う見方をすればそれは


 「人種差別」の始まりになることもあるのだと思いました。

 

 とても難しいしすべての人種差別がそこから

 始まったわけでは無いことは明らかです。

 特に黒人に対する差別は、勝手に西洋の人達が彼らを奴隷として


 連れ去って来て、自分達の国に連れてきておいて、


 その後に差別をしたという矛盾があると思いますし。

 日本にもそういう歴史は沢山あります。


  逆に下品で野蛮だけど「多数派」な人達が

 上品で思いやりと優しさを持った「少数派」の人達のところに


 攻め込んでその人たちを奴隷にしたり差別したりすることも

 歴史の中で沢山あるとおもいます。

 

 でも高い教育と文化を持った人たちが
(実際はどの文化が高いとか低いとかいう判断は誰にもできないと思いますが、
 一般的に低いと考えるひと達、他人の権利を踏みにじることが平気な人達)
から自分達の文化を守ろうとしたときに人種差別が始まることもあるのだと思います。

 僕が日本人としてのプライドを捨てずに、

 頑固に寡黙にこの半年間この学校で頑張ってきて、

 西洋文化の自己主張に染まることを拒んだとき、

 この感情は僕にとっては自分のレベルを下げたくないという

 プロテクションであったかもしれないけど、逆を言えばこれが

 「人種差別」の始まりなのかな?

 とも考えることができると思います。

 とはいっても日本文化が世界基準から言って高いとは断言できないし、

 しかも今の時代の世界基準が
 
 「自己主張する文化」

 なら少数派である僕たちには長いものに巻かれるしかなく、

 時には

 「もう一度鎖国してやる!」


 なんて思ったこともありますが、

 やっぱりいろんな文化を知ることは楽しいし、いろいろと経験できたし、

 時には自分の持っている文化よりもさらに良いものがあることにも

 沢山気がつかせてもらったし。

 何と言っても自分が好きで勝手に申し込んでここまで来たんだし

 今後もそういうことに関心を持ちながら自分のできる

 範囲で色々と考えながら工夫して生活していこうと思います。
 
 こういう問題は答えを求めてはいけないのだと思います。

 一生懸命考えるだけ、それが大切で面白いのだと思います。

 
 

2010年11月11日木曜日

この半年のまとめ⑤

 それでは日本はこの先国際社会でどうやってふるまえば良いのか?

 ということになりますが、それはとても難しいものだと思います。
 

思いやりと厳しさ、頑固さと謙虚さこういうたぐいの矛盾した

難しい感情をうちに秘め、日本人同士でもお互いに気を使い合って

上手くいかないことが多いのに、

本人達も理解できない感情が外国の人達に理解できるわけもなく、

そして英語はとても難しく。

 どうしたものかと思います。

 献身的に頑張れば?

 って思いますが、それは相当難しいです。献身的に頑張っていることに、

西洋の人達が気がつくまでに時間が結構かかりますし、

気がついた後は政治レベルでは利用されるだけだと思うからです。


 僕も良く感じました、

今の日本の発展、特に僕は1974年の第二次ベビーブームなので、

その世代ををだてた第一次ベビーブームのウチの親父世代。

その世代を教育した昭和一ケタのみなさん、

その他多くの日本人達の血のにじむような

「自己犠牲」

によって今の日本の発展はある、だから世界一豊かになった今、

第二次ベビーブームの僕達世代の新たなる義務は日本の発展から

世界の発展にあるのではないか?

 これからグローバル化が進んでいく中で、敗戦国であり、

戦争を70年近くしていなくて、

頑張って発展した日本人の役割は世界の中で大きいではないか?
 
我々世代は世界に対して自己犠牲を払うべき時ではないか?
 
それがこれからの日本の若者の役割ではないか?

(もう僕は若くもないですけど)

 と思って献身的には世界の為に働こうと思ったこともありましたが、

日本で美徳とされる「自己犠牲」は海外では理解されることは

相当難しいと思いますし、理解したとしても、それは勝手にやったことだから・・・

 ということになります。

 前半に僕が書いた6カ月で相当信頼を得た、というのと矛盾しますが、

たとえ彼らが理解して尊敬してくれたとしても、

実際にお金など現実的な問題になると感情論は

 まったく別の問題になるのだと思います。

 世の中はそんなに甘くなくて当然なのかもしれません。

2010年11月10日水曜日

この半年間のまとめ④

 話は少し変わりますが

 良くこちらの先生が言っていました。

「我々はキチンを教育された人達なのだ、

しかしアフリカでは低い教育しか受けていない人にであうかもしれない、

彼らは尋ねることもなくあなたのストレートの髪を触るかも知れないし、

恥ずかしげもなく物乞いしてくるかもしれない、

賄賂は生活の中では当たり前だし、何かあっても警察に頼ることもできない、

警官は事件が発生したら知らぬふりしてそこから

一番に立ち去ることが仕事なのだ、

だから我々の常識は通用しない、最初は驚くかもしれないが、

彼らを教育することが私達の目的であり、仕事であるので、

それに染まってはいけない」

 
 まあそんな感じだったと思います。

 でもキチンと教育された人間である我々は低い教育しか受けていない彼らに

染まってはいけない。というのであれば日本人は西洋人よりもさらに

高い教育と文化を持っているのでは? 

と疑問に思ったこともありました。 

 基本的に会話をするときに

「相手の気持ちを考えながら話す」

という技術は相当に高度なことなのだと聞いたことがあります。

確かに外国の人と話していると

「この人は場の空気読まないな・・・」

 って思うことあります。僕個人としてはそういう人が意外と

好きだから良いし日本にもそういう人が沢山いることはみなさん

知ってのとおりだとおもいますし、

そういう自分が一番空気が読めない人間だということも

僕自身も十分に存じておりますが、
 
日本には僕を中心として2割くらいの人が空気が読めないとすれば、

西洋では4割くらいとその比率は倍になります。

 そして意外と空気を読むのがインド人だと僕は思います。

イギリスで出会ったインド人達は最初にキチンと相手の話を

聞いてからそれに対して返事をします。
 
「一方的に話してから相手の反応を待つ」

という西洋的な話し方をする人は少なかったです。
 
特にイギリスに移民としてわたってきて苦労して生活を築いてきた

人達だから謙虚なのかも知れませんが、

僕が以前に持っていたインド人のイメージはイギリスで変わってしまいました。

 話を戻して、低い教育の人に染まってはいけないと

西洋軍団が日本人に言うのであれば、僕は小さな声で言いたい

「私たちはあなた達のような思いやりのない文化に染まる気はないのだ!」

 うーん、絶対に口に出して言えない、でもたまに思いました。

いくら自己主張しないといわれて

「耐えざることにも耐え、忍びざることにも忍んだ時・・・」

 絶対にあなた達のような下品な文化は受け入れない

だって日本の技術は世界一だし、ビジネスでもしっかりと結果出してるし、

戦争に負けても、なんと批判されようと結局は私たちは勝者なのだ、日本には

「沈黙は金なり」

 という言葉があるのだ!

 ってそういうときだけ負け惜しみのように一瞬思いました。
 
あくまでも僕の負け惜しみですどちらが良いのかはまだわかりません。

 

この半年のまとめ③

 ってここまで書いて思ったけど、僕の好きな言葉の一つに

「目立たず大活躍!」

 というのがあります。それが僕の理想とするリーダー像です。

 途上国では特に大切だと思います。

 「俺のはこのプロジェクトでこれだけの仕事をした!」

 っていうよりも、現地の人をリーダーにして、そのを中心に

プロジェクトを遂行して、いつかは自分はそこから去っていく役割

 その人が去って初めて

「今思えば、あの日本人の役割は大きかったな」

 と気が付かれる存在それこそまさに

 目立たず大活躍!なのだと思います。

2010年11月9日火曜日

半年のまとめ②

次に行きます。

 それでは日本の文化は受け入れられないのか?我々の美徳はどうなるのか?

ということですが、それは受け入れられます。

西洋の人達は自分達の自己主張の強さ、

 いつまでたってもお互いに足を引っ張り合う文化、

 他人のことを思いやりたくても、

 自分が敗者になって搾取される側には絶対になれない。
 
そういう文化にうんざりしています。

 だから日本人が持っている

「いたわり、無念さ、弱者に対する思いやり、敗者の美学、情け」

といった感情にとても興味を示します。

 自分達の社会の矛盾の答えがこう言った感情の中にあるのでは?

 と感じるのだと思います。
 
 でも敗者にはなれない。だから絶対的優位な立場に自分を守りながら、

 「募金」という形で、敗者への「情け」の感情を表します。

 日本人みたいに「一庶民」として生きていくにはリスクが高い社会だからです。

 ではどうやってそういった感情を西洋の人に対して

 態度で理解してもらうようにできるのか?

 ということになりますが、

 たとえば映画や本のようにコンパクトに一つのものとして

 まとまっている場合には2時間で理解してもらえますが。

 今の僕のように一緒に生活しながら理解してもらうには少し時間がかかります。

 もちろん言葉の壁もあります。

 でもこの半年で僕が感じたことは、粘り強く頑張れは、

 それはキチンと評価されるし、日本人への信頼は僕らが思っている以上に高い。

 ということです。

 僕も一度はこう思いました。

 もっと英語が話せて、自分がもっと若くて、日本で働いたことも、

 日本人の文化についてもたいして知らなくって、二十歳前後でここに来たら、

 簡単に西洋人みたいになって、自己主張してそれが良い、

 日本人の謙虚さは意味が無い! って思ってたかもしれないでも
 
 でも僕は日本で10年間社会人してたし、

 その間に日本人として日本社会で学んだことは沢山あるし。

 大学の体育会4年、実業団のフットボール9年で嫌というほど

 身に着いた日本の上下関係、縦割り社会、個人と組織、情と知、自己犠牲、

 終終身雇用制度にいたるまで、

 深く自分の魂に刻み込まれてきた感情とそれによって得た

 成功体験から逃れることはできなくって、不器用だけどでも頑固に、

 そのスタイルを貫いてきました。

 結果的に今思うことは、半年の時間をもらって、教室以外の仕事、

 募金活動、掃除、食事の用意、部屋の改装やペンキ塗り、

 畑仕事など実生活の中で見せることができる自分のライフスキル、

 生活力と衣食住みたいなことから表現される実力が

 結果的には僕を助けたとおもいます。

 西洋の強烈な自己主張は最初の一カ月間は通用しますが、

 それが継続されると口だけでは通用しなくなり、敵が沢山できて、

 お互いに権力の取り合いになり、それが決着するまでは話が全く前進しなくなります。

 「船頭多くして船山登る」

 もう一人の日本人の啓太が先日教えてくれました。

  西洋文化を表すのにぴったりだと思います。

 みんなが自分の全体像を描くので、話が全く進みません。

 (逆に日本人は全体像を描いて主張することが上手くないと思います。
 物事が良く分かっている人に限ってこういう人が良くいます。)



  日本にはこういう言葉があります

「人を相手にするな、天を相手にしろ」

 権力を気にするあまり、相手を倒すことばかりに能力を使ってしまって

 本当にしなければならないことを見失ってしまうこと良くあると思います。

  プログラムが始まった最初の二カ月くらい良くこの言葉を思い出しました。

 もちろんこれはうちの学校という入学試験もなく、申し込みだけで入ってこれる

 学校の中で起こったことであり、もっとキチンとしたヨーロッパのあると思います。

2010年11月8日月曜日

この半年間のまとめ①

32ooパウンド、約45万円の募金活動が無事に終了しました。

心配と応援してくれた皆様、あと日本から募金しましょうか?

と提案してくれた方々、本当にありがとうございました。
 
 終わってみればメンバー10名の中で最も早く終わることができました。 

そろそろこの半年のまとめをしようと思います。

 まずは

「ノーと言える日本」

 について、

「日本人はノーと言わない」

 これはこちらの先生達が日本人を褒めるときにも、けなすときにも使う言葉です。
 
嫌なことはキチンと断ってくれないと困る

 というのが彼らの意見ですが。

 この半年で気がついたことは、

日本人は相手の気持ちをとても考えて質問するので、その場でとっさに

「ノー」

ということに慣れていません。

相手が受け入れにくい質問は最初からしないのです。
 
ずうずうしい質問をすることを恥じるので、キチンと相手が

「イエス」

って言ってくる質問をします。だから聞かれたほうほ


「良いよ!」

 っていうのが普通になっています。

 特に日本人の中でも生真面目で普段からみんなに尊敬されている人に対しては、

こちらもあまり失礼なお願いはしないので、

そういう人はさらに「ノー!」ということに慣れていません。
(別に自分がそうとは決して言ってません)
 
相手の理由はどうであれ、 誰から自分に対して助けを求めているのなら、

すでに相手は相当思案した上で訪ねてくれているのだろう。

だから答えは即答で「イエス!」なのです。

そこでいちいち相手を疑って

「なんで僕の助けが必要なの?どういう理由で?」

などと聞くことは下品なことだと思っているのです。

 それが一流の日本人、外国の人みたいに

言ったもの勝ち、主張したもの勝ち、実力はその次、

ずうずうしくないと生き残れない、ヨーロッパは昔からいろいろな国の文化、

習慣、言語がミックスしているので、

相手の気持ちなんて察しようと思っても全くわからないのです。

だからとりあえず明確にストレートに自分の主張を通すことが普通なのです。
 
ということになります。

だから一流の日本人が外国人と接するときに、その人が立派な日本人であり、

謙虚で律義で誠実で

耐えざることに耐え、忍びざることを忍べば忍ぶほど、

海外で短期間のうちに活躍することは難しくなると思います。

 高倉健ではだめなのです。

「私は不器用なので、ご自由にしてください」

という僕たちの美徳は彼らにとっては「わかりにくい」のです。

2010年11月2日火曜日

時が経つと変われること


 <写真は小学校3年生くらい、真ん中でビニール袋を持っているのが僕です。何をやっても自信が持てなくて、さえない子供でした。だから忍耐強く続けることができなくて、でもみんなに認めてもらいたい気持ちは沢山あって、子供だったから気がつかなかったけど、一生懸命にもがいていた時期だと思います。でもそういう経験があるからこそ、人にやさしくなれるのかな?とも思います、何事も経験しておいてそんはないですよね>

子供のころからあまり

「ウラ」っていう名前好きではなかったような気がします。

学校で先生が

「コラ!」

 って怒ったらなんか自分が怒られてるような気がするし、そのたびにドキッとするし、

 「山本リンダのファンですか?」

 「ジャングルクロベエの主題歌を歌って!」

 「下の名前はビデオくんですか?」

っていじめられるし、もっと「三浦」とか「杉浦」

とかそういうカッコよくてバランスの良い名前がよいなー!

 って思っていました。

 でも男だし一生この名前なんだな。って思ってました。

 でもバヌアツ、イギリスなどの海外に出来て思ったけど、

「ウラ」っていう発音、意外と外人は覚えやすいみたいです。

 明らかに下の名前の「テルヒロ」よりは発音しやすいし、

 北欧のほうでは嬉しい時に 日本でいう「ヤッター」みたいな意味で

「ウラー!」 とか「ウララー」 とか「フラー」

 とかっていうらしくて、その動作と一緒に自己紹介するとみんな覚えてくれます。

 そして結構それは前向きな意味なので、みんなな喜んでくれいます。

 ウチのチームで韓国人の女の子で

「スッキー」

っていう子がいるんだけど、毎日

「スッキー!」

って読んでるとなんか僕はこの子のことスキなのかな?

 っていう錯覚に陥るのと同じ作用があるのだと思います。

 猫も
 
ノラっていう名前つけると、だらしない猫が育つって言うしね。

 まあ呼ぶ側の心掛けの問題だと思いますが・・・・

あとはインターネット、「浦輝大」っていう感じの組み合わせ、

ジェイリーグのサッカー選手で似た人がいるのだけど、

それ以外はほとんどいないみたいで、

グーグルでもヤフーでも結構早めに僕の名前が出てきます。

 この名前嫌だな。って思っていたころにはインターネットなんてなかったし、

こんな日が来るとは思っていなかったけど、

時代が変われば価値も変わるものだな!って思います。



 価値が変わった話のもう一つは昨年の中学校で非常勤講師していたとき。

 支援学級っていう昔でいう養護学級って言ったらよいのか

 言葉の使い方が難しいところなんだけど、

 クラスに適応しにくい生徒のサポートをする教室に一年間居ました。

 自分の中学校時代は暗くて悲しい時期だったので、

 あまり思い出したくなかったのですが、昨年に支援学級で働いていて感じたことは、

「子供の気持ちがものすごくわかる、何をやっても自信が無いし、

 周りからは認めてもらえないし、その割に自分のプライドやエゴは凄くあって、

 みんなから認めてもらいたいっていう気持ちは凄くある。

 でも誰にも認められない、こういう自分って嫌だな、でも変えられないな」

 って思っていた時期、自分のそんな頃を自分の生徒を重ねてみると、

なぜかとても生徒に対してやさしい気持ちになれました。

 おそらく他の先生からは
 
「浦さん体育の先生なのに、生徒に甘すぎ、なめられすぎ」

って思われていたかも知れないけど、

 生徒はキチンと三学期まで楽しく学校に通ってくれました。

 二度と取り戻せないと思っていた自分の中学校時代でしたが、

 今思えばとり返す必要なんてなかったのかな?

 って感じています。

 「ウラ」っていう名前も、悲しい中学時代も、

 時が経ってみればちがう見方ができて、結局は同じことなのかな?

 って思いました。

 「人生の苦労の数は決まってる」

って学生の時の友達がオッサンみたいに言っていました。

 なるべくいろいろなことにこだわらずに自然体で生きていけたらよいなと思います。

2010年11月1日月曜日

30年で2回



 <写真はバヌアツの小学校一年生。
 僕は彼らの何人を励ますことができたのかな?っておもいます、
 ウラに褒めてもらったから、あの後30年頑張ったよ!って言ってくれる人
 は将来いないと思うけど、僕はあれから30年間頑張ったつもりです>

 今から30年前、僕が大阪の吹田市、千里第二小学校に入学したとき、

 当時はまだ第二次ベビーブームでマンモス校と呼ばれていて、
 
木造校舎に40人以上の生徒が詰め込まれて、

 それが10クラス近くあって、うちの小学校はなぜか宝塚みたいに、

 雪組、星組、花組、月組、みたいにクラスが呼ばれていたころ。

 僕の担任の先生は当時30歳くらいだったサッカー部の顧問の先生でした。

 その先生が僕に

 「ウラ君、キミはサッカーが凄く上手だし体育がよくできる。

 きっとよい選手になるよ!」

週末にある地元のサッカークラブを紹介してくれました。

 僕はそれがとても嬉しくて、自分がサッカーが上手なんだと思い込んで、

 一生懸命サッカーをしていたのを思い出します。

 そう信じていたからサッカーが上手になったのだと思います。

 そのまま30過ぎるまでずっとスポーツしてきたから、

 あの先生の一言が僕の人生に与えた影響は大きかったと思うし。

 ウチの母親もいまだにその先生のことをよく覚えています。

 それから30年が経って昨年ウチ親父の看病の為に大阪に戻って

 午前中だけ中学校で非常勤の先生をしていましたが。

 たまたま小学校の体育科の先生と、

 中学校の体育科の先生達が一緒に集まる情報交換会みたいなのがあって、

 そこでその先生に30年ぶりに再開しました。

 30年ぶりでしたが、全く変わっていなかったので驚きました。

 中学校で非常勤をしていること、

 親父が一学期で亡くなってしまったことなどを話しました。
 
 その先生はすでに校長先生になっておられて、地元では有名な先生でした。

 二学期末に教育委員会から連絡があって、

 「三学期、小学校で妊娠されている女性の先生のかわりに週3回、

 午後に体育教えてもらえますか?体育だけなら浦さんが小学校で教えても大丈夫です。」

 という連絡があり、30年ぶりに恩師の先生の学校で働かせてもらいました。

 朝礼での初めての挨拶のとこに、 

「みんなの校長先生は30年前の僕が小学校一年生の時の担任の先生でした」

 っていったらみんなとても喜んでくれました。

 僕の人生を2回も変えてくれた先生にはとても感謝しています。

 教員ってよいものだな。と改めて感じました。