2010年11月10日水曜日

この半年のまとめ③

 ってここまで書いて思ったけど、僕の好きな言葉の一つに

「目立たず大活躍!」

 というのがあります。それが僕の理想とするリーダー像です。

 途上国では特に大切だと思います。

 「俺のはこのプロジェクトでこれだけの仕事をした!」

 っていうよりも、現地の人をリーダーにして、そのを中心に

プロジェクトを遂行して、いつかは自分はそこから去っていく役割

 その人が去って初めて

「今思えば、あの日本人の役割は大きかったな」

 と気が付かれる存在それこそまさに

 目立たず大活躍!なのだと思います。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

浦さんへ

おはよう。

目立たず活躍ね。いいね、それだよね俺らが目指すのはね。

丁度今の私の活動をしている時に、愛媛県だったり、その中の南予(私の生まれ故郷の周辺、愛媛の南の地方)の人とよく関わるので、この話しをするんだけど、聞いてくださいな。

「高知の人は観光の誘致も、人との触れ合いの上手さも愛媛より数段上ですねーー。どうしてでしょうかねー?
高知の人は南国という気質、太平洋の開けを垣間みる事が愛媛よりも容易くて、熱い人情味のある気質が今も昔も上手く引き継がれているんでしょうね。じゃあ、愛媛の人の心は熱くないのか?そうでは、ありません。愛媛の気質、特に南予の人は心に高知の人とは少し違った厚き気質を持っています。それに私たちには先祖から受け継いでいる”程の良さ”、”自分は前に出ずに、他の人を前に押したがる気質”を持っていると思うのです。ただし、この気質、これを理解してくれる人(司馬遼太郎さん、彼は女中を4代宇和島を中心とする南予の人を雇っていた)にはいいのですが、それを知らない人には目に見えるものではありませんので、誤解が生じ、会議や何か発現を求めれる場でも、心の中で黙って考え、自分では何も言わなかったりする傾向が強いので、周りから愛媛や南予の人間は何を考えているか分からないということに残念ながらなってしまうのです。

司馬さんは「夕刊宇和島」という今は無き新聞に、この宇和島人が、江戸の終わりから明治に掛けてその気質で活躍してくれて、日本の為に本当になったと説いてくれます。そして、今の世の中もこのような宇和島人のお陰で、世の中は成り立っているとも云ってくれています。同じ宇和島人としては身に余る光栄ではあるのですが、私はこれが今後も続けばいいと願いますし、それを私が実践していきたいとも考えています。

ただ、今は私より先にきちんした考えを示してくれる方がいないし、応援していた友達も今は高知にいるので、自分が先頭かそれに準じる形で前にはいるのですが・・・。早く良いシステムができて、まぁ、私の世代で誰もが幸せになるというのは、人類の歴史上も永劫の未来でもあり得ない事かもしれないのですが、私はそれを強くIMAGINEし続け、いつかスナップキンのような生活(今私は彼のように感じてもらえる帽子をもっているので、それを被ってギターやウクレレを弾いていると、似ているねと良く云われています。笑)を送れることを切に願っているのです(><)

また、長くなってしまいました。すまんこってっす。

人と会う時間なのでこの辺で(@@)

ほんじゃね、またね。

               よっしー