2013年3月24日日曜日

人も国も年を重ねます

 先日に団塊世代の人(65歳くらい)と話していたときに
 「日本は内向きになって良くない、中国や韓国に負けてしまう、
 経済成長しなくてはならない」

 というような話を熱心にされていました。その人は3年ほど海外に出ていて
 数ヵ月前に帰国したからなのかもしれないけど、僕はその意見には疑問を持ちました。
 経済成長も大切だと思いますが、それが「唯一」の豊かさへの道だという考え方は
 少しずつ改めていくべきだと思っているからです。
 
 「失われた20年 」という言葉をよく聞くけど、第2次ベビーブームに産まれて
 今39歳の僕は何も失てはいないしね。おそらく何かを失ったと思っている人達は 
 団塊世代の男性に多いのだと思います。 
女性の価値観は団塊世代でも今の若い世代でも男性ほどは変わらないと思います。

  国を人間に例えるとこれからの日本は勢いだけで突き進んだ20代、30代ではなく
 40代にはいってきたのだと思います。
 若いことのようになんでも挑戦できるわけではなくて、
 人生の方向性のようなものが必要になってきている時期です。
  中国、韓国は今まさに20代、伸び盛りです。勢いがあります。
 アメリカはいつまでたっても大人になれないまま40歳になってしまった感じです。
彼らは勢いのある20代が人生で一番輝いていると勝手に勘違いしていて、
若さにしがみつこうとしているように見えます。
 強くて、頼りになるヒーローでいたいのです。
寛容さが無くライバルはすべて倒さないと自分たちの価値が下がると勝手に
思い込んでいる感じです。
 ヨーロッパはすでに60代、自分のスタイルがほぼ固まってやや保守的ですが
 もう無理はしない成熟した国に見えます。 
 アフリカは10代です、みんなで見守っていく必要があります。
 今後に悪い道に進むのか、正しい大人になってくれるのかは
 周りの大人たちが与える環境しだいで変わっていくと思います。

 日本は40代はどうなるのかな? 20代の若者と張り合うようなまねはしないで、
「成熟した国」になるための意識改革が必要だと思います。
「失われた20年」という期間は次の段階になるための大切な20年であったと思います。
 日本はさらなる「豊かさ」を手に入れるために日々進歩している国であると思います。
 

2013年3月5日火曜日

男はうんこで繋がっている②


 その後アンゴラに居たとき、毎日トウモロコシを水で溶いたものと煮た豆をご飯もしくはご飯のように炊いたパスタで食べるという炭水化物100%の食事を数ヶ月していた、全寮制の学校で体育を教えていたので他に選択肢がなかった。

これはある意味人体実験のようなもので、食べることへの興味は無くなり、楽しみは食後に飲むコーヒーだけになってしまう。しかし体調はすこぶるよくウンコには全く空気が入らない、粘土のようになってしまうのだ。

空気が入らなくきめの細かい粘土のようでとても長くなる。

そして僕の住んでいた寮は水洗用便器を毎回バケツの水で流すというスタイルであったので、そのように長くて力強いウンコは流れてくれない。しかもトイレットペーパーの質が悪く、みんなには「紙は流していけない」といわれていたが、何処に紙を処理するのかは誰も教えてくれないので、そのまま流していた、そうするとトイレが詰まる。

いつか流れるだろうと思ったり、木の枝を切ってきて、それで10分くらいグルグルとかき回してみたがアンゴラは赤道より下のはずだから水の流れは右回りか左回りか分からず、両方の方向に10回ずつかき回したていた。

でも詰まっているのは便器の奥で、縦方向にS字になっていて、簡単にはとどかないのだ。
おしるこを満タンにためた洋式トイレの前に椅子を置いて、自分の便意と戦いながら夕方におしるこを永遠とかき混ぜていたことを思い出す。(実際に豆しか食べてない・・・)

結局は水は一ミリも減らず、寮の隣にすんでいたケイタの便所を内緒で使わせてもらった、ケイタにはいつでも使って下さい。とは言われていたのだがへんな意地があって借りないでいたのだ。

自分の便所はすでに三日ほど詰まっていたので、したがって自分自身も三日分詰まっていた。だからケイタの便所でもにんじんというよりも大根といったほうが良い物が出てきた。
自分で汲んできたバケツの水で流そうと思ったが、大根がなかなか折れてくれたいので、流れていかない、結局バケツで水をもう一度汲みに行って水が弾くことを気にしないで思い切り入れたが、水かさが増しただけで何も変化がなかった。 
それからケイタの便所の前で汗びっしょりでかき混ぜたが水は全く引かない。 あまりの焦りと暑さとやり切れなさで「いっそのこと腕を突っ込んで詰まってるものを引っこ抜いてしまおうか」

と思ったが、その場合は肩くらいまではおしるこに埋まるだろう・・・・
と予想され、辛うじて思いとどまった・・・・

ケイタが帰ってくる前になんとか流したくてしなりそうな木の枝をとってきて、何度も突っ込んでみたがついに流れなかった。
 
そしてついにケイタが帰って着てしまった。仕方なく白状すると
「僕は丁度ベンキの角度に合った棒を持っています」
といってどこかに行ったかと思うと、一分くらいすると使えなくなったほうきのとってが程よく曲がった棒をもってきて、すぐに詰まったベンキを直してしまった。そのまま僕の前を通って僕の部屋の便所に入ると、
 「こちらも治りました」 
と1分で出てきた。
その棒を普段何処に隠しているのかはよく分からなかったが、先が微妙に曲がった
70センチくらいのその棒を持ってさっそうと歩くケイタの姿は、それまでイギリス、アフリカと一緒に旅してきたなかで一番カッコよく見えた。 
三日ぶりに空になった自分の便器をみて、本当に嬉しかった。

その後にケイタとふたりで、アンゴラでのウンコについてとウンコ棒の曲がりの角度などについて2時間ほど白熱した議論が行われた。 

男はなぜかウンコにロマンを感じるものなのだと今でも思っている。 おしまい
  
 

2013年3月2日土曜日

男はうんこで繋がっている①

 知り合いが旅行に行ったので、我が家に一日犬がきた
 仕方ないから僕は犬の朝晩犬の散歩に行くことになった。
 犬が野グソをした、でも今の時代は持ち帰らないといけないらしい
 仕方が無いから家にもどってビニール袋を持ってきて、
強く握らないように
 やわらかくソフトに握りながら家にウンコを持ち帰った、

ちなみに僕が子供の頃に
 そらった大阪ではウンコではなくてウンチというのが子供達の間で
は主流だった
 ビニール袋一枚でウンコと僕の指は触れ合っているのだが、
子供の頃に
 「ウンコ爆弾」というのが流行った、
カラカラに乾いたウンコを拾って、友達に投げつけ
 るのだ、
何故男はあのようなおろかな行為を一緒にすることによって友情
 を深めあうのだろう? ウンコに爆竹を指してまさしくウンコ爆弾にしてたりもした。

 そのビニールに入ったウンコを家の水洗便所に流す。
ウンコの下に少しだけ
 石が突き刺さっていたけどそれを取り除く勇気は無いのでそのまま
流してしまった。
 小型犬のウンコはヒラヒラと回りながら水洗便所に吸い込まれてい
った。
 その時にまた記憶が蘇った。 子供の頃には毎回ウンコが流れていくときに
 「ウンコさんさようならー」 と手を振っていた。
  思わず心の中で「さようならー」と思ってしまった。

 バヌアツの頃に一緒に生活していたスパイダーという犬は、
僕がよその村に
 行くときは僕を守らなければいといけないと思っているようで、
常に僕の15メートル先
 まで全力で走り、
そこで振り返り僕が歩いているのを必死に見ていた。
 僕が彼に追いつくともう一度15メートル先まで全力疾走をすると
いうことを繰り返す
 犬だった。時にはいったん僕の後ろまで周り、
その後にまた15メートル先に戻ったりする
 というとても忠誠心のある犬だった。 その彼が急に30メートル先まで全力疾走する
 ことがある、ウンコのときだ、彼は僕の歩調を考えて、
僕が彼に追いつく距離を計算し
 その間にウンコを済ませようとするのだ、彼がウンコをする時間、
それが僕が30メートル
 を彼に追いつくまでに歩く時間だと彼なりに計算しているようだっ
た。
 30メートル先で始まった彼のウンコは丁度僕が彼に追いついた時
には終わるように計算
 されており、その間の彼の必死な形相にはいつも笑わされた、
 肛門をこちらに向けているのが少し気になってはいたが、
僕が近づいてくるのを振り返りながら
 必死で気張る彼の顔には危機迫るものがあり、
ついつい小走りをして、もっと追い詰めてやろうか?
 という意地悪な気持ちになったこともあった。
 だいたいは僕が追いついた瞬間に彼のウンコも終わり、
何事も無かったかのようにまた
 僕の15メートル先まで全力疾走してくれる。 
 その30メートルの間の彼の表情には飼い主を守るミッションと、
自分自身生理的欲求を満たす
 ミッションの二つのミッションのハザマで限界の勝負をしてるとい
うめんでは同じ男として
 尊敬に値する一面があった。

 その頃にロカタイ小学校に居たテツヤはカバというバヌアツ人が夕
方に好んで飲む
 木の根っこを煎じて飲むのみものと、彼の学校が長期休暇に入り、
水を止めてしまったので
 畑で使う井戸水を飲んでいたことも会って、常に腹を壊していた。
井戸の近くに豚が
 飼われていたので、
そおらく相当ヤバイ水を飲んでいたのだと思う。
  一日に何回ウンコに行ったかを報告してくれるテツヤはその顔色の
悪さに反して、
 生き生きとしているように感じた。

 テツヤの次にバヌアツにきたヒロもそうとう下痢に悩んでいた。 
 今思えばあの島は火山島だったので、地中に入った水には火山灰から入る
  カルシウム分の多い水になっていたのだと思う。ペットボトルに水をためるとふちに白い
 カルシウムのかたまりのようなものがたまっていた。
 そういう自分も一人で島に入った時には下痢に悩まされ、朝一番の体育の授業などで
 逆立ちをすると下痢のための脱水症状なのかめまいがすごくて星が回ることが
 よくあった。 一か月も下痢が続くとすでに治すことをあきらめてしまって、せめて出口くらいは
 清潔にしておきたいとおもって、出口の毛をバリカンで剃ってしまったこともあったなー
 あの頃おれたちは食べる話と出す話で友情を高めあっていたのだとおもう・・・・


 パート②に続く・・・・