2012年6月22日金曜日

人間に値札の付いている国、日本

本当の価値って何だろう? って最近よく考えてしまうんだよね。

 それは第2次ベビーブームの僕たち世代くらいが持っている悪い価値観なのだとおもうけど、

 お金がかかっている =  カッコ良い ステータスがある

  みたいな感覚がまだあるところだと思います。それが自分にとって本当に必要なものか
 
 どうかということではないんだよね。

  実際にグッチやコーチのデザインが好きかどうかではなくて、それがブランド品だから

 良いと思っている人。 結局は自分でその商品がよいのかどうかわからないから

 とりあえず他人に認められるブランドを買っておけば安心と思っている人が

 多いのだと思います。

 まあ僕が買えないからひがんでるのかもしれないけどね。

  たとえば一緒に結婚指輪を買いに行ったときに、

  そのお店の指輪に一つも値段が張っていなくても、

  もしくはすべての指輪に値段が初めから張ってあったとしても

  2回とも

 「私はこの指輪がよい!」

 と同じ指輪を選べる人がいたらその人は自分の価値観がしっかりしている

 人だと思います。

  100個の指輪のなかから選んだ一つが、3万円だったから、ほかのよりも安くて
 
 なんか納得いかない。 って思う人はだめだと思うんだよね。

   
 逆に値段を知らずに50万の指輪を選んだのならそこは男として

 何としても買ってあげたいと思うだろうしね。

   バヌアツでの人柄も同じでした。みんなお金を使っていないから、純粋にその人の人柄
 
 だけで勝負なんだよね。 良い人にはみんなが集まってくるし、嫌な人には集まってこない。

 もともとみんな平等だから上司も部下もないしね。地位とか名誉とかいうものがあるとしたら
 
 それは純粋に人柄の良さだけで判断されます。

  今の日本みたいにあの人は部長だから、とかあの人はお金もっているからとかという

 人間の値札みたいなものはバヌアツではついていないからね。

  だから3万円の指輪でも限りなく輝ける世界なんだよね。

  みんなが100%心から他人に優しくできる国なんだよね。

  震災があって世の中の価値観が研ぎ澄まされてきた時代になったと思います。

  本当に自分に必要なものを選べる人間になりたいな。と僕は思っていますし

 それを胸を張って言うことがかっこ悪い時代ではなくなってきたのだとも思います。

2012年6月17日日曜日

とっても難しい幸せ感の話

幸せな国指数
 
 人生満足度 × 平均寿命  ÷  地球環境負担度  =  幸福指数

 という計算みたいです。平均寿命と地球環境負担度というのは計算すればある程度の正確な数

字は出るのだとおもうけど、人生満足度という一番最初の部分は難しいよね?
 
日本人は国民性で
 
「俺って幸せ!」 と言ってる人にはなんとなくうさんくさく感じるところあるものね。

 本当に生活が充実している人は「脳ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

 という言葉があるように

  あなたは幸せですか? と聞かれた時に

  「幸せです」

  というのかどうかわからないよね。

 現在になってなぜ盛んに日本人の「幸せ感」について語られることが多いのかと考えると

 ひとつは震災があると思います。

もう一つは経済成長がこれ以上望めなくなってきたからだろうね。

 今あるお金でいかに幸せに満足して暮らしていけるか、ということを考えていかないと

 「お金がある = 幸せ」  という計算はこの先は通じなくなってきたのかもしれません。

  いままでそれが成り立ってきたことがおかしかったのかもね。戦後から70年間近くも
 
 経済成長を続けてきた国って世界中で何カ国あるのかな?

  世界一幸せといわれているブータンはもともと経済成長が望めなかったから

 お金がなくても幸せになることを考えよう、という「幸せ先進国」なのかもね、
 
 日本は「お金の先進国」ではあったけど、 お金がある = 幸せ ではないことに気がついて
  
 今からブータンやスウェーデン、スイスのような大人としての幸せを追求することができるように

 なっていくのかな?

   途上国の話を中学校や高校で話した時に

  「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」

  と聞くと

  「僕たちは幸せだと気がついた」

  と言ってくれてそれもまたうれしいのだけど、そういった現状を知る今日の今まで

 自分達が幸せなのかどうかすらも意識しないで生きていたって少し不思議だよね。

  もしかしたらそれを意識しないで生きてこれたことが「幸せ」ということなのかもしれないけどね。

    僕の話が逆に
 
 「海外では日本よりもお金持ちも国がもっとあります、医療、福祉、洋服や車のデザイン、

  生活の便利さは日本よりもさらに洗練されたものを持っています」

 というお話をしたあとに

 「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」

  という質問をしたら生徒はきっと

  「少し惨めだったことに気がつかされた・・・・」

  となるかもね。 

  
    そこが国際理解教育の難しいところで、他と比べて自分たちが幸せだと気がついてもらう

 のはまだまだ第一段階でその次の段階としては

 「それでは世界中の人達が環境を壊さずに格差がなくて平等に幸せだと思える世界を創造しよう

 というところまで持っていければもっと意味のある話ができると思います。

  このブログでも何回も書いてきたけど

 大人と子供の違いは、子供は自分の価値観がないので、他人と比べて自分が幸せかどうかを
 認識する、
 人より高級なカバンを買えるから自分は幸せだ、人より大きな家に住んでいるから自分は幸せだ、人より多くのお金をもっているから幸せだ。

 でも大人は自分の価値観をきちんと持っているから他人や金額は関係なく、自分にとって素敵だと思えるデザイン、自分にとって住み心地の良い家、ということなのだと思います。

  前にテレビで見たスウェーデン人の夫婦はお互いに仕事が忙しいから必要なのは夫婦が

 ゆっくりとくつろげるシンプルな家、大きな家は掃除も大変だし必要はない
 
 と話していました。

  その後にアメリカの成功者の家はプールとテニスコート、ホームシアターが完備という

 その設備は年に何回使うんだ?

  なぜ家の近所にあればよい施設を家のなかに作る必要があるのか?

 結局は自分たちが成功していることを他人に見せつける為の家であって、自分たちがくつろいで

 そこで人間らしい生活をするための家ではない。

 という印象を受けました。 いかにも歴史の重みを知らないアメリカ的な家だな。

 と感じました。 まあ「価値観」は一人一人違うのだから否定はしてはいけないのだろうけど、

 そういった生活をする人がいることが50年後や100年後の未来の世界に対して良い影響

 を与えるのかな? と思うとそうではない気がします。

  このテーマは今後も考えていきたいと思いますが長くなったのでひとまず

 今日はここまでにしますね。