2014年6月6日金曜日

オスギと義経

 オスギというアメフトの後輩は歴史の本をたくさん読んでいて、織田信長の「桶狭間の戦い」とか、秀吉がどうやって出世したかなどを、実際に本を読むよりも面白おかしく自分の主観を入れて僕に話してくれた。

それがあまりにも面白いので、自分も一度歴史小説を読んでみようと思い、結構立派な上下巻の文庫本を買ってみた。

僕はいい加減なので、小説の中の人の名前は全く覚えられず誰が主人公なのかもわからず読み進めていることがほとんどでその小説にはギケイというひととヨリアサという二人が出てきてどうやらその二人は兄弟のようだった。

全般的にひらがなの地名はない。

昔に三国志を読んだことがあったが、それも確か兄弟の話だったという記憶があり、僕の中ではこの小説も中国の話なのかな?

と思いつつ手さぐりで読んでいた。

信長も秀吉も家康も出てこなかったしね。

そんなある日にオスギとまた車に乗っていた、自分も歴史小説を読んでいることを自慢したくて、オスギに

「俺が呼んでいる小説は中国の話で主役はギケイでその兄がヨリアサというんだ、ギケイは子供のころに家から離れて生活していて・・・」

などと偉そうに話した、オスギはその話を黙って真面目な顔をして聞いていた。


しかしその後に登場人物の多さにパニックになり、飛ばし読みをしながらなんとか下巻をパラパラ開いたものの、ストーリーが全くつながらなくなり教科書を読んでいるような気がしてきて、そのままにしてしまった。

    
そんなある日に後輩のキイチが僕のところにきて

「ウラサン、ギケイとヨリアサの話どうですか?」

と聞いてきた。
   
このキイチは初めてチームに合流してきたときに
   
「自分は中井貴一に似ているとよく言われるので、キイチと呼んでください」

と自ら名乗り出てきたなかなかの強者で、千葉の地主の長男で人柄はおおらかで憎めない奴だった。

(しかしみんなからは中井貴一ではなくてギターリストの布袋さんに似ているといわれていた。)

僕はその時は

「なかなか面白いけど、登場人物が多いし、中国人の名前は覚えにくくて混乱している」

というよなことを話した。

しかしその後にキイチの質問になんか変な雰囲気を感じ、帰りにオスギに問いただすと、

「ウラサン、最初は自分も中国の話かと思いましたけど、義経とかいてヨシツネ、ヨリアサは頼朝とかいてヨリトモと読むんですよ。鎌倉幕府作った有名な人ですよ」

 と教えてくれた。 

オスギがどの段階でそのことに気が付いていたのかはわからないがすでに相当なチームメイトにウラサンが義経をギケイと読み、中国の話だと思って本を読み進めている。

と言いふらしていたようで、その後もたくさんの後輩からおちょくられた。

オスギはそういった恐ろしい一面を持った後輩でもあった。

   

  

オスギという男

アメフトをしていた時にオスギという後輩がいた

オスギはおばあちゃん子で子供のころからおおらかに育てられていたので、人に甘えるのが上手で、しかもとても優しい性格だった。

意地っ張りな僕とは全く逆の性格で、いま思えば僕はオスギから多くのことを学んだなーと思う。

 ある日オスギが僕に聞いた

 「ウラさん、人を判断する時ってその人のどこを見ますか?」

 そのときの僕はファミレスで働きながらアメフトをしていて、後輩が僕にはとても良いヤツなのに、自分より下の後輩にものすごく嫌な奴だったり、ファミレスで働いているときに、お客さんや僕たち社員にはとても気が利くのに、一緒に働いている人の悪口をものすごくいう人がいたりして、そういう人たちに疲れていた時期だったので

「俺に対する態度よりも、他人にどれだけ優しいかをみるかなー」

 と答た、するとオスギは少し考えてから

「ウラさん、それはウラさんが凄い人だからですよー、そりゃあ誰だってウラさんに偉そうな態度とりませんよ、 自分なんて誰にも相手にされないから、他人が少しでも話しかけてくれただけで、とてもうれしくって、なんでこの人話しかけてくれるのだろう?って思いますもん、さすがウラサンだなー」

って言いました。

 その時に僕はドキッとしたんだよね。

自分は結構うぬぼれているな、ってオスギがそれを悟らせようとしていったのかどうかはわからないけど、オスギは若いのに世の中のことが僕よりもわかっているなと感じました。

ちなみにオスギは苦労して公務員になり、今は結構出世しているはずです。

   

「今でしょ!」的人生論 パート②

先日あすなろラボという番組で 「今でしょ!」の林先生がヤンキーに授業をしていた。

林先生は「努力は裏切らない」という言葉は不正確だ   
 「正しい場所で」 「正しい方向で」
「十分な了なされた努力」は裏切らないが正しい。
 
どういうことかというと 僕がジャニーズになろうとして努力することに意味があるか?

と言っていた。 完璧なたとえだなー と驚かされた。


 
でも最近ふっと感じたことがある、林先生がジャニーズになることは難しいけど、AKBを目指していたらキンタローになれるひともいるかもしれない。

林先生だって東大を出て銀行員をしていて、その後に予備校講師をしていたら気が付いたら「今でしょ!」で大ブレイクしていて、今は予備校講師どころでは無い存在になっているしね。

自分の目標に向かって努力していくうちに、他の結果が付いてくることもあるのだろうなー 

林先生もキンタローさんもそうだけど、他のことに向かって努力していた人が、それ以外のことで結果がでたときって、人間的な幅が深いです。

一つは自分のことを客観的に見れているからなのかな? 
もう一つは結果的にどうなろうと、一度限界まで努力して人って、それだけで人間的な魅力と自信がつくのだろうな?

間違った方向への努力も意味がないわけではないよね。