2013年4月5日金曜日

名言で振り返る2年間(長くなってスイマセン)

 協力隊のボランティアの哲学は

「魚を与えて一日を養うのではなく、漁法を伝えて一生を養う」

  相手の国の自立を助けるというものです。

 僕の要請の体育に例えると

 僕が2年間現地の生徒に体育の授業を直接するだけでは、


  2年後僕が帰国する

  
 時には新しく日本からボランティアが来なければならないという

  「甘やかしの援助」 になってしまう。からならず2年間で現地の先生達

  から体育の指導をできる人を育てて、将来的には援助がなくても自立


  できるようにすることであった。

  
  ボランティアとして僕の心にいつもあったのは

 東京都庁で働いていた方の言葉で


 「正しいと言うことは正しいという理由だけで実現されるものではない

  それをいかに実現するかを考えることが我々の仕事である」

  だった。


  今後バヌアツ共和国が先進国に近づいていく為には

 「規律」 「ルールを守る」「チームワーク」
 
 「正しい生活習慣 (運動⇒栄養⇒休養のトライアングル)」

  などが必要になるだろうし、

  学校でそれを学ぶには体育はもってこいだと僕は思っていた。


  僕の中には「正義感」が燃えさかっていたのだ。
  
  現地の先生にいくら嫌がられても逃げられても、

  根気よく諭して諦めないでアプローチし続ける。


   同時に生徒たちへの巡回指導で自分が実践してみせる。


  「して見せて、やらせて見せて、褒めてやらねば人は育たず」 

   山本 五十六 


  例えみんなに理解してもらえなくても自分の中には

   「正義感」と「使命感」」がみなぎっていた。

  先生達に馬鹿にされたり、失礼な行動をとられても妥協はゆるさず
  
  「やらない理由は自分が決める」

  「ボランティアだからと行って自分の気分が乗らないから

  辞めてしまうようでは結局は日本からの現実逃避になる」


  「お金の為に働いているのではない」
 
  「持続する情熱」

  と思って頑張ってやってきた。

  

   誰にも理解されなくても

   ・ローマ時代のイエスキリストも

   ・死んでから認められたゴッホも

   ・「それでも地球は回っている」 のガリレオ・ガリレイも

   ・アテネの政府に死刑にされたソクラテスだって

   みんなパイオニアは周りに理解されずに、孤独に死を迎えるものなのだ、


   だから自分も妥協せずに

   「耐えざるを耐え、忍びざるを忍び」

   自分の信じる「正義」を突き進むのだ!


   バヌアツの人達もいつか気がつくはずだ、

   たとえそれが僕の帰国後であっても・・・・


  
    「強者はひとり孤独に耐える」

    はじめの8ヶ月は島に1人しか日本人が居なかったし、まさしく孤独でした。

   

    しかし一年が過ぎたあたりで体調がおかしくなってきた、

  朝起きれなかったり、起きても授業に対する


  イマジネーションとモチベーションが全く沸かなかったり・・・・


   引きこもり状態になってしまった。

    しかしそこでも引き下がれない、

    だってフットボール選手だったころも毎日そうだった

 
    疲れが溜まりぎて朝起きれない。モチベーションが上がらないのは

     現役の頃は当たり前でした。


   「NO PAIN  NO GAIN」 (痛み無くして得るものなし)


   「志あれば、そこに道あり」

 
   「負けたから終わったのではなく、諦めたから終わったのだ」

   「人生には一度妥協すると二度と戻れない道があるのだ!」

    

    
   しかし一年が過ぎて自分の中にも変化が出てきました。

   
   ・「働きすぎるな」と会うたびにアドバイスしてくれる老人達

   ・僕の体を気遣ってくれるお母さん達

   ・僕がバイクで走っていると飛び跳ねてあいさつしてくれる子供達

   ・バイクが壊れて連絡手段も無く授業をサボってしまった僕を

   責めるどころか「大変だったね」とやさしくし声をかけてくれる校長先生   

   ・病気になって死が迫っているのに穏やかに死を待つ老人


   ・笑顔と鼻水が常に全快な子供達

  
     「足るを知る」 

     「幸せは 自分の心が決める」


   南の島の幸せな国の人達はすでに

   人生に必要なもの全て持っているようでした。


   「日本ではどうして昨日と今日が同じことの繰り返しではいけないの?」

   と言われて、日本では


   「向上心の無い人間はバカである」

   「現状維持では下降と同じ」

   という言葉を胸に抱きながらも、

   自分の中での「正義」の意味がぐらつき始めました。


  
   「途上国の人は困っている」

   という勝手な思い込みでここまできてしまった自分のなかの

     「正義」と「使命感」にすがりつく毎日。   
  
  
   「初心忘れるべからず」

   
 という言葉を胸に何とかたまたま読んでいた本の中で見つけた言葉
 

   「お前達の愛するというのは神が人間を愛するような、

   金持ちの奥様が自分の犬を愛するようなそういう愛である、

   なにもしれくれるな、我々はただほっておいて欲しいのだ」
 
    (殺される側の理論 本田勝一)
 
  
   先生達にしてみれば

  「本気で体育を広めたいというのなら、何故2年間で帰国するのだ、


   協力隊の2年間が終わっても日本から戻ってきて、

  10年、20年我々と一緒に働いてくれれば

  こっちだって本気になるかもしれないが、


  2年間での本気には付き合えない、残される我々の事も考えて欲しい

   お前にとっては経験でもこちらにとっては現実なのだ」

   実際に言われたわけではないけど


  みんなはそう思っているのではないか?


   と感じるようになりました。



   自分が信じていた「正義」とか「使命感」は間違っていたのか? 
 
  
    「過去の成功体験が足を引っ張ることもある」
 
  たいした成功体験もないけれど方向転換してもよいのかな?

   と考えるようになりました。 

      
  
  そして結果的には相手の気持ちをとことん考えて

   僕の考える「正義」の押し付けは辞めることにしました

   

   そのとき考えて自分なりの「言い訳」は

    もしもタイムマシーンがあって100年先の人がやってきて

  「日本人はかわいそうだね。平均寿命が85歳なんだ、

   癌も糖尿病もエイズも治せないなんて・・・・

   100年後の平均寿命は120歳だよ癌は治る病気だし、


   HIVはすでに撲滅したよ


   僕達が君達の生活を改善してあげよう」

   といって彼らの「正義」と「使命感」によって

  僕のこれまでの人生が否定され、


  惨めなものだと決め付けられプライドを失っていくくらいだったら、

  このまま胸をはって自分の人生を歩みたい。

  平均寿命が85歳で何が悪い? とおもったこと


 それと同じことを今自分がバヌアツで行っていて


 勝手に行き詰っているのだ、  と気がついたからです。   


    
  そこまで来るのに大分と苦しんだから

  答えが出てからは気持ちは楽になりました。

  
    甘やかしの援助でもいいから先生達へのアプローチはもうしない。
  
   一番最初の言葉  

  「正しいと言うことは正しいという理由だけで実現されるものではない

  それをいかに実現するかを考えることが我々の仕事である」


  バヌアツで体育を広めることは「正しい」ことであり、

 いかに実現するのかを一生懸命考えていた自分の中の


   「正しさ」の意味が変わってしまったのだと思います。


  それに気がつけたのが自分の偉かったところかもしれませんし、


  自分の弱さに助けられたのかもしれません。

  僕がもっと強い人間だったり、強くて大きな組織を持っていたら


  方向転換できずに

 
   植民地支配だったり、ヒトラーだったり、

  日本の第2次世界大戦への開戦を実行していたかもしれないしね。

 
  
 「正しい」「正義」「使命感」という言葉に自分が酔っていたのかもしれないし、
 
   34歳でそれに気がついたのかもしれません。

   僕の立場がボランティアで、

  離島で1人で頑張っていたから僕1人が方向性を変えても


  誰にも迷惑がかからなかった事もよかったのだと思います。
 
  ボランティアだったから数字的な結果よりも正しいことを突き進んで
 
  良かったのだと思います。仕事だったらそうはいかないよね。


   あのまま頑張っていたら結局は

   自分が一番不幸になっていたのだと思います。


   「正義を疑え」 

   「人間は完璧を求めすぎるともっとも大切なものを失うことになる」
  
   あの2年間で多くのことを学びました。 

   こうやって大人になっていくのかな?


   自分の限界を知った2年間でした。 

   僕が体育の教員を育てられなかったことに対して

  現地の人が最後に言った言葉は


  「最初から体育なんてどうでもよかった、

  ただ日本人の友達が欲しかっただけなんだ

 
  だからお前は最高のボランティアだった、

   胸を張って日本に戻って欲しい」


   という言葉でした。

  
  帰国後にJICA職員からのアドバイスは
 
   国際協力の為に協力隊に行って、

   結果的に2年後に国際交流になってしまっても


  それはしかたの無いこと

  10年後にあなたの教え子が教員になったとき


   初めてあなたの活動が花開くかもしれません。
 
   もちろん2年間で結果を出す人い居る、

  しかし援助とはそれほど簡単でないことは職員はみんな理解している。


       「2年間本当にお疲れ様でした。」


   

   もう一度同じ気持ちで挑むことはできないし、

  答えが見えなかったから常に全力で頑張れたのだと思います。 


   これからの人生も沢山悩んで


   自分の正義と正しさを常に考えながら成長したいと思います。 


    やばいね・・・  またここで「成長」という言葉を使ってしまった・・・


   現状維持でも良いと学んできたはずなのに、 

 
   でもやっぱり自分は日本人だから「人生の道」というのを考えたいです。

   効率化とか経済成長ではなくて「人としての成長」


    これは全世界共通ですよね。  (長くなってスイマセン・・・・)