2012年1月10日火曜日

未病系ボランティアと応急処置的ボランティア

たまに協力隊のOBとして学校にいって講演をさせてもらうんだけど、

 震災もあってボランティアという言葉に意識が高い時期だと思います。

 先日にボランティア活動をしているという大学生と話していたときに僕が

 「俺が大学生だった頃は自分の事ばっかり考えていて、

人助けなんて全く考えなかったけどねー、今の学生は偉いねー!」

 って関心したら、その子達は

 「そういう時代なんですよ、大学も国際科コースとか名前を付ければ受験者が増

えるんです、ボランティアが活動が単位に認められるようにもなってきています」

 みたいなことを言っていて、なるほどなー!って感じました。

  まあ基本的には僕の考えは

 ボランティアをするほうが、単位になるからとか流行りだからと思っていてとして

も助けてもらう側は助けになるのだから、ためらわずにボランティアをしてほしいと

 おもいます。

  海外でもボランティアすると奨学金がもらえたりする制度あるしね。

 良いことだと思います。

 
 あと学校で講演するときにいつも気にかけていることは

 僕がバヌアツでしてきたボランティアと東北で行うボランティアは

全く違うということバヌアツは現状でもみんな満足しているけど、

さらに上を目指しての啓もう活動としてのボランティアであるのに対して、

震災のボランティアは今までの生活のレベルを失った人がそれを取り戻すための

助けであることです。

 人間は持っていたものを失うことにはとても悲しみを感じると思うし、一刻も早く

 安定した生活に戻ってもらいたいと思います。

 逆に途上国は今のところろ何かを失ったわけではなく、

さらに高い文化や生活水準を身につけることによって幸福感とか

充実感を学ぶ助けであり、だからと言って現状の生活が毎日喪失感と

戦っているわけではないしみんなとても楽しそうです。

  だから同じボランティアという言葉でも意味が違う気がしています。

 もう一つは、ボランティアをしてきた僕が社会貢献をしている立派な人間だという

 わけではなくて、たまたま人生のタイミング的に2年間行かせてもらっただけと

いうか、まあボランティアの定義ってわざわざ海外まででて行く必要はなくって、

 街中でゴミを拾ったり、電車の中で席を譲ったり、

 もう少し身近だと朝に笑顔で「おはようございます」
 
 って挨拶できれば、それだけで相手の気持ちを明るくさせることができるし、

 すでにそれもボランティアと同じ意味があるんだよ。って説明しています。

 
   
 もう一つは好きな人と結婚をして、立派な家庭を作って、正義感を持った子供を

 育てる、結果的には立派な子供が育てばそれは確実に世界平和に繋がるはずだから、
 
 わざわざアフリカに出向く必要は全くない、アフリカでのボランティアはいわば

 応急処置的なボランティアであって、日本で立派な子供を育てることはすでに貧困を

 作らないというか初めから病気にならないような予防になっているはずだ。

だからみんな今は一生懸命勉強して立派な大人になってくれればそれで良いんだよ!

 ってはすように心がけています。

 きっと間違ってないと思うし、みんなウンウンって理解してくれてる気がします。

0 件のコメント: