2010年2月23日火曜日

写真で紹介フツナ⑮ 最後に


島の静かな生活を愛し、昔からの生活を守り
 
 自然を尊敬して、自分たちは地球に住まわしてもらっているという気持ちを持って
 
 自然を破壊しないようなさまざまなカスタムを自分達でつくり、

日々の安定した生活に感謝しながら心豊に生活するフツナの人々。
 
 逆に、
 
  自分の理想に近づく為に努力をして、達成したときの喜びや充実感、
 
  成功体験をエネルギーに変えて
 
 次の目標へとチャレンジすることの面白さを学んでしまった僕ら先進国の人達。
 
  「向上心」
 
 っていう前向きなはずの言葉がときに自然を破壊してしまい。
 
 「人より多くのものを持つ事が努力した結果だ」
 
 という考えかたが競争意識をあおり時にはモラルに反したこともしてしまう。
 
  僕も日々の仕事の中では

  「バヌアツ人働かない!時間守らない!」
 
 なんて言いながらも 
 
 一週間のフツナ滞在で感じたこの「心地よさ、安心感」ってどう説明したらよいのか
 
 難しく感じます。
 
  
 
  先進国の向上心を親の愛情としてたとえるなら 
 
 「子供のことを思いすぎて厳格になりすぎた父親」
 
 なのかも、愛情の前提に無ければならないのは
 
 子供が能力があっても、逆に能力が無くってクラスの落ちこぼれでも
 
 その子供の努力を認めて愛してくれる事だと思う。だって家族だから。
 
 でもいつの間にかそれが、結果が伴わないと愛さない!子供として必要無い! 
 
 という偏った愛情になってしまっていて、愛を語る事は敗者のすることみたいに
 
 なってしまったのかも。
 
  能力がある人は賞賛されるけど、落ちこぼれれば居場所が無い。愛情ではなく、
 
 少し人間性を失った向上心になっていて、そしてそれに勝ち残らなければ、
 
 守るべき家族も守れない状態、
 
 だから家族を守るためには職場では人間性を捨てなければならない事もある。
 
 ちょっと矛盾してるっていうか、行き詰まりなのかもね。人類の思春期なのかも。
 
 そしてそういった価値観で生活してきた人達は多くの物を持っているから

 持っていないバヌアツの人達に対して優越感を持つと共に
 
 向上心が無いと判断してしまうこともある。
 
 そして環境破壊が進んで破綻しかけてる自分たちの生活スタイルに
 
 無理やりバヌアツの人達を引き入れようとして一生懸命になっている。
 
 
 
 逆にフツナで感じたのは
 
 「母親がくれる愛情」
 
 子供の能力によって愛するのではなく単に自分の子供だから愛す。

 そこには理屈は無いと思うし永遠に行き詰まりが無いものだと思います。
 
 この一週間で感じたのはそういった安心感。もちろんフツナにもドン臭い
 
 人や働かない人は居ます。でも自分の居場所が無くって困っている人は一人も
 
 居ませんでした。バヌアツに着てから思っていた一つの
 
 答えが、フツナの一週間で納得できた気がしました。
 
  
  先進国の人達の思春期が終わったら人間はもっと大人になって、
 
 もっとみんなが住みやすい世界ができるのかもね。
 
 まあ思春期に荒れた人ほどその後に器の大きい人間になるとも言うから 

 もう少しの間だけ地球に頑張ってもらうしかないかも・・・・

それではフツナの紹介はこれで終了です!

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