2010年2月23日火曜日

ムカデその後の一日


失神する瞬間に思ったことは。「死に方はムカデに噛まれたっていうカッコ悪い理由だけど、自分の人生そのものは良いものだったなー!」って考えていて。とりあえずベッドに行ってから死にたいけど、今はベッドまでは歩く自信が無いからとりあえず目をつぶってしまおう。
 
 って感じでした。おそらく失神は一分くらいだったのかな?
 記憶の中で薄っすらとベッドに移動した記憶があるけどそのときには脂汗がベットリで意識はウツロ、それをみた先生が天井についている固定のファンを回してくれたんだけど、汗はベットリでも寒気が凄いので一生懸命にそれを回す必要は無い。って訴えたんだけど、結局は弱めただけで止めてはくれなくて、そのまま深い眠りに落ちました。
 次に起きたときにはテツヤが隣に座っていて、
 「とりあえず首都のジャイカ事務所には連絡してあるので安心してください」
 って言ってくれて、一安心
 「悪かったね」
 って言ったら
 「全然!」
 って言ってくれて、テツヤになにか伝えておかないこと無いかな?って思ったけど、特に思い浮かばず、俺の荷物のこととかその他のことは任せます。ってお願いして。なにか話したかったんだけど、まだ意識がおかしくって、
 それをみたテツヤが
「暗くなる前に一度家に戻ってきます」
 っていって出て行ったので返事をして時計を見たらまだ4時40分、噛まれてから今まで一時間しか経ってなかった。
 
 熟睡して6時前に起きて周りを見渡すと、11個あるベッドの半分くらいに人が寝ていて誰が患者で誰が見舞かもわからないけど、一人の女の子が俺のことをずっと見てるから誰かかな?って思ったら教え子で
 「やばい、ムカデに噛まれたことをみんなに言われるなー、しかも大騒ぎして病院まできたし・・・」
 
 なんて思っていたら足の甲の痛みはまだ強くって、さすがにもう一度さっきの残りの注射を打ってほしいともいえないので、とりあえず飲み薬の痛み止めをもらいました。
 気がついたら喉もカラカラでお腹も少し減っていたのでお水をおかりしてもう一杯のんだら、また汗が噴出してきて、さっきの扇風機の風がまた寒く感じたのでシーツを少しまくって足にかけたら、それを見た先生がシーツをもう一枚掛け布団用に持ってきてくれました。
 帰れる?ってきかれたけど、不安だったから、まだちょっとここで様子をみたい。
 って言ったら、じゃあ泊まっていけばいいよ。今日はここでゆっくり寝るのがいいよ。
 っていってくれました。ムカデで入院か・・・って思ったけど、バヌアツに来て早10ヶ月、いつの間にか体裁にこだわるより、時には病院やテツヤに甘えるのもなんか気持ちよいな。って思えました。
 
 6時半ごろにテツヤが戻ってきてくれて、なんと晩御飯とクッキーとバファリンと胃腸薬を持ってきてくれました。
その頃には痛みも落ち着いたんだけど、テツヤいわく、今夜関節が腫れるかも知れないから気をつけてください。
 ってことでした。そして二人でイロイロと話し合った結果、おそらくムカデは砂浜とリーフばかりの海に生息しているはずは無く、僕の持ってきたスノーケルの中かかばんの中に最初から入ってきて、僕が自分の足元にそれを置いて着替えているときに中から出てきて噛んだのだろう。ということで話がまとまりました。
 その夜もやはり傷口は腫れなかったんだけど、やはりそれは噛まれたその場でテツヤが毒を吸い出してくれたからだと思います。首都に居るスタッフも先日噛まれたらしいのですが。夜中にスッゴク腫れたと言うことでした。
 改めてあの場でためらわずに行動してくれたテツヤに感謝しながらとても長く感じた一日を振って思ったとは
 「ブログに書かんとあかんな・・・」
 別にわざと面白おかしく生活してるわけではないし、ブログのためにムカデに噛まれたわけでもないけど、そう思えたってことは冷静さが戻ってきたのかな?とも思いました。
 
 その後テツヤが帰って食事も済み7時半頃に先生が巡回に来て初めて患者は僕も入れて
6人だけで後の15人ほどのあいてるベッドに座っている人はただの見舞だということがわかりました。
 患者の方は自分の症状を先生に聞かれているときには、恥ずかしそうにモジモジ話すんですが
 そのときにトイレに行ってその場にいなかったほかの患者はどうだったかと先生が聞くと、まだ頭痛がしていて吐き気もあるとか、疲れているけど眠れてないみたいだ、などと他人の事は自信たっぷりにペラペラと話すのでおかしかったです。
 
 8時過ぎに一人急患が入ってきて、先頭に先生が歩いてきてその後ろに患者を車椅子に乗せて入ってきて、その後に患者の親が心配そうに来て、その次に子供が二人、最後に犬が一匹一緒に入ってきたので驚いたけど、犬も少し心配そうにしてたからまあ許せました。
 犬も自分が早く動くと追い出されることを知っているみたいで犬なりに意識してゆっくりと動きながらベッドとベッドの間をクンクンとにおいをかいで歩いて回っていました。
 
 僕が病院に入ってからずっと感じていたことは患者達は友達や家族が見舞いに来るたびに、
 「ウラがムカデに噛まれて入院している」
 と説明しているようで、それはバヌアツの言葉であるビシュラマ語ではなく、村語で喋っているので僕には理解できないけど、ムカデを意味するニールバットというのは村語には無いみたいなので、その言葉が頻繁に耳に入ってきたのと、僕が寝返りを打つたびに会話が少し途切れたり、止まったりするのでそれがわかりました。
 そして入り口に一番近いベッドに寝ている僕にみんなは興味心身なので見舞の人が帰るたびに僕はこちからか
 「ムカデにここを噛まれたんだよ」
 って傷口を見せてあげました。
 みんなは僕がムカデに噛まれたことを知ってるくせに少し驚いた顔をしてくれるのがバヌアツ人らしかったです。
 
 たかがムカデくらいでって思う人も多いと思うし、僕もそう思うんだけど、バヌアツって人が頻繁に亡くなるし、みんなそれを当然のことのように受け入れています。「長寿の国日本」より死って身近です。
 先日もテツヤの学校の6年生の女の子が無くなりました。ナゴウという子だったんだけど、なぜ僕がそのこを覚えていたかというと、普段はおとなしいのにドッチボールがスッゴク上手で、キャッチするセンスが凄いので、ナゴウがキャッチするたびにみんなが彼女の名前を呼んでいたから覚えていました。
 お腹が痛いといって一週間ほど寝ていたらしいんだけど、両親はほかの島に出稼ぎに行っていて、おじいちゃん、おばあちゃんと住んでいたらしいです。だから言い出しにくくて病院に行くのも遅れたのかも。気がついたら亡くなって居たそうです。
 家の裏にある幼稚園の校長(40歳くらいの男の人)も先日地元に戻ってカバを飲んで寝たらそのまま死んでしまったということでした。
 病院に行くっていう感覚があまり無いみたいで、葉っぱを煎じて飲んだりするカスタムメディシンが主流なので死因もわからないことが多いです。
 近所の家に遊びに行ったときに感じたことは、一人の老人がもう寝たきりになっているんだけど、家族はその老人の周りにみんなで集まって団扇で扇いであげたり、汗を拭いてあげたりして一日中その部屋でお話しているんだよね。それが凄く自然な感じで病人も申し訳ないような感じはないし、周りの人も病人の周りでみんなで座ってお話することを楽しんでいるみたいだし。そうすることが当たり前という感じでした。みんな特にしないといけない仕事があるわけではないしね。病院で見てもらって肝臓が悪い事はわかっているんだけど、わかっていてもそれに対する治療をするという感覚はないみたいです。
 死ぬことを素直に受け入れることができるって人として最高に贅沢なことなのかも知れないと感じました。バヌアツ人はそういうところは凄く自然に受け入れています。お金持ちの人だけが高度な医療を受けたりして死ぬ瞬間まで格差がある日本で100歳まで生きることと、みんなと一緒に過ごしながら自然に死を受け入れて50歳で死ぬ人とはどちらが幸せなのかは人の価値観だから僕にはわからないけど、バヌアツスタイルも悪くないなー、って思います。 
 でもムカデに噛まれて死んだ日本人がいたって聞いたらさすがのバヌアツ人も「ソーリー・・・・」って言うだろうな、元気になってよかったです。
 ということでこれが今週に事件でした。このブログが心配性の母親に目に入らないことを祈っています。
 
 写真は僕が帰るときにお願いして撮らしてもらった写真です。右側に座っている女の子が教え子でそのこ以外は全員お見舞です。笑いが絶えない病室でした。

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