2010年2月23日火曜日

さよならクーパー

多くの教員隊員の要請には、将来的には現地の教員達だけで授業の運営ができることを目指す。
 というのが基本的な要請で。そのためのステップとしてチーム・ティーティングというのがよく使われています。
 
 現地の先生と隊員がチームを組んで授業をシェアするんだけど、体育で言うなら、準備運動と整理体操は
 現地の先生にやってもらって、メインの運動や新しい動きなどは隊員が行う。というところから始まって、ゆくゆくは
 すべての授業を現地の先生にやってもらえるようにする。
 
 というものなんだけど、僕は昨年の2月から巡回指導を始めたときに、チームティーティングできるかな?くらいに考えていました。
  
  そして実際に過去の隊員が巡回指導していた学校では積極的にお願いしてみました。
 ほとんどの先生が簡単なウォーミングアップはできるし、メインの活動も現地のローカルゲームなどを取り入れて、
 上手にできる先生も居ます。
 
 その中で一番輝いていたのが、コーナースクールという学校のクーパー先生でした。年は30歳くらいかな?
 
 僕の授業にもとても興味を持ってくれるし、上手に子供を動かして僕の知らない現地のゲームを見せてくれたり
 して、すごく参考になりました。
 
 まだ言葉のたりない僕の変わりに通訳をしてくれたり、ほかの先生達にも積極的に呼びかけてくれたりしまいた。
 
 でも残念なことに8人居るコーナースクールの先生の中で一緒に体育の授業に参加してくれるのは、校長先生
 
 のミセス オーグンとクーパーの二人だけでした。
 
 女性の先生は当然のように日陰で見ているだけだし。 男性の先生の中には僕が授業をしているのに、隣でサ 
 ッカーを始めたりして、子供の集中力を奪ってしまう先生も居ました。
 
 でも巡回指導はこちからお願いして週に一度行かしてもらっている立場なので、理解の無い先生達に強制する
 力も、そこまで説明する語学力も僕には無く、
 
  「魅力的な授業をすればきっと先生達も体育の意味を理解してくれる」
  
 と願うしかないのが現状でした。
 
 とりあえず参加してくれる先生だけでも将来的に授業ができるように。と思っていました。
 
 でもだんだんと気が付いてきたのは、参加しない先生達の中でも実は体育を教える技術を持っていたり、
 
 準備運動ならできる先生も居ることでした。 そして何週目かに気が付いたことは
 
 「クーパーに迷惑がかかってる」
 
 ということでした。
 
 参加してくれる先生とだけ一緒に授業をして、嫌がる先生にノータッチならば、面倒な先生はみんな授業には
 
 参加してくれない、そしてクーパーのようにまじめに考えて参加してくれる先生への負担が大きくなっている。
 
 クーパーだけが授業に参加して、それ以外の先生が木陰でその様子を見ているのが続いたとき、
 
 「自分がすべての先生に平等に教えることができないのなら、真面目な先生が馬鹿を見るだけなので、チーム・
 
 ティーティングはもうやめよう。それに週に一度隊員が来て、隊員が授業をせずに現地の先生達の授業を観察
 
 して、評価していくなんて少し失礼かも知れない。」 
 
 と自分の中で決めました。

  それからはクーパーにも特にチーム・ティーティングは求めないようにしました。でもそれは二人にとっては特に
 
 問題ではなく、チーム・ティーチングという形ではなくても、今までと同じように助け合って授業を作っていました。
 
  
  そんなコーナースクールへの巡回も昨年の6月で終わり、クーパーとはたまに村であって立ち話をしたり、家に食
 
 事に呼んでもらったりと言う関係でした。
 
  でも昨年の12月にクーパーにあったときに急に
 
 「父親の体調が良くないので、来年は実家のあるエピ島に戻って教員を続けることになって、タンナ島に居るのは
 
 今月いっぱいなんだ。」
 
 といわれたときビックリしました。
 
 「実は赴任当初に一番僕が頼りにしていた先生はあなたで、あの時は僕を支えてくれてありがとう」
 
 と言おうと思ったけど、そういう風に言わなければと頭で考えていたら先に目から涙が出てきてしまって、我慢し

 二回くらい鼻をすすった時には、目から涙がこぼれてしまいました。
 
 あわててダボダボのTシャツのお腹を引っ張って涙を拭いたけど、何も知らないクーパーにしてみたら
 
 「ウラどうしたの?日本人って涙もろいなー」
 
 と驚いたと思います。結局気持ちを伝えるには胸がいっぱい過ぎて、そこへ高校の校長のドネルが通りかかって
 
 会話に参加したので、ただの泣き虫で終わってしまいました。
 
  そして僕が先週に首都から戻ってきたときにはクーパーの家にはもう違う人が住んでいました。
 
 2年間の活動って、現地の人に見送られるだけだと思ってたから、まさか自分が見送る立場になるとは思って
 
 無かったので、とても寂しい気持ちになりました。 赴任した当初にやさしくしてもらった人には今でも強い感情が
 
 残っています。
  
  「さよならクーパー、いつかこの感謝の気持ちをちゃんと言葉で伝えに行くので待っててください。
 
     エピ島での活躍期待しています!僕もタンナで頑張ります」

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