2010年3月8日月曜日

体育は重要じゃなかった


2年間の巡回指導が終わって今は首都で帰国の準備をしなが

ら、この2年間を振り返っています。
 
 自分の2年間の活動には悔いも後悔もありません。もしもう一度

2年前からやり直し!っていわれても同じように悩み、同じように苦

しみ、そして楽しみたいと思います。

 タンナを出発した時の事はまた今度書きますが、現在タンナ島の

家を引き払って首都で帰国準備をしながら、時々パソコンでタンナ

の写真を見たりして寂しく思うことがあります。

 そして最近になって大きく胸に響いてきた言葉があります。2学

期に巡回していたポートレゾリューションのラッキン校長に言われた

言葉で、別れの挨拶で僕が

「僕の仕事は体育の価値を広める事で、巡回指導で今はみんな

体育の価値がわかったでしょ、僕はタンナ全体に体育を広めるのが

仕事だから、次の学期は他の学校へ巡回にいかなければならない

んだよ」
 
という僕のお別れの挨拶に

「ウラ、何でもう巡回指導に着れくれなくなるんだ、もちろん体育は

重要だけどそれ以上に、お前が毎週学校に来てくれて会えること

のほうが俺たちには重要なんだ」

といわれた言葉です。
 
 また3学期に教えていたイキティの子供にも帰国の挨拶と僕には

後任が来るので彼が仕事を引き継ぐから大丈夫だよ、といった時に

「ウラ、俺たちはお前に会いたいだけなんだ」

と言ってもらえたことです。

そんなこと言われたら、いつまで経っても体育は広がらないし、技術

移転だって出来ないでしょ!

 ってそのときは思ったけど、全てが終わって今考えたら、そこが日

本人としての僕の悪いところだったのかな?とも感じます。
 
 仕事の為には自分を犠牲にすることは日本では美徳だけど、バ

ヌアツの人はそうは思って居なかったと思います。

 なぜウラは仕事を優先させているのかな?体育なんかよりも人と

してもっと大切なものがあるのじゃないかな?

 と思っていたのかもしれません。そこがわかっていずに、仕事優先

に生活している僕は不思議な存在だったのかもしれないです。

 全てが終わって思えば仕事なんて、体育の普及でも、青少年活

動でも、村おこしをする村落開発普及でもなんでも良かったのかも

しれません。

仕事の肩書きよりもウラっていう自分をもっとアピールして、もっと自

分らしく振舞う事をするべきだったのかも知れません。

 そこが日本人の苦手なところでもあり、自分の悪かったところなの

かな?とも感じます。

 僕はボランティアという立場だし、州全体の体育の普及なのだか

ら公私混同しないで、全ての人に平等な立場で接するべきだとい

う気持ちが根底にありました、

でもやっぱり

「俺たちはお前に会いたいだけなんだ」

って言ってもらえてことは一生の宝だと感じます。

もちろん公私混同しない僕のスタイルを評価してくれる人も沢山居

ました。でも仕事の量以外に人として評価してもらえたことは心の

財産になると思います。
 
 今までの人生でそういう価値観を知っていたとしてもこんなに強く

感じたことはなかったと思います。バヌアツで教わった一番大きなこ

とだと思います。

今は僕にそのことを教えてくれたバヌアツの人たちに感謝しています。

来年からは日本社会です。色々と悩むだろうけど、この経験は

決して忘れてはいけないと感じます。
 
 写真は黄色いシャツなのでフランス語学校の4年生です。

 英語学校はブルーのシャツを着ています。 

 一年生から4年生までフランス語にいて、その後に英語に転校す

る子供が結構います。先に英語から習うと、フランス語は難しくて物にならないそうです

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