2010年3月8日月曜日

幸せは自分が決める


飛び石連休の合間や学校の予算を作る為にPTAを呼んで食

事を作ってみんなに売るファウンドレイジングなどが行われる時

は、先生達は授業をしないことが多いです。

 「来週は飛び石連休だけど、学校はあるの?」

と聞くと、

「ある、私たちはいい加減な事はしないからきちんと授業をする!」

といわれます。しかし行ってみると、半分くらいの先生達は日陰

でおしゃべりをしていて、子供たちは教室の中で黒板を写してい

たり、教室にテレビを持ち込んで映画を見ていたりしています。
 
そして、たくさんの子供達が学校に来ていません。

 先生達の言い訳は、子供がきちんとこないから授業をしてしま

うと、同じことを二回繰り返す事になる。と言う事なのかも知れません。
 50名くらいの生徒が居る学年でも、20名くらいになることもあります。

体育の授業の計画は変更になります。

 コーンやボールなどを借りようと思っても、鍵を持っている先生

が今日は来ていないから、今日は使えない。と言う事にもなります。
 
 そんな中でもきちんと授業を行う事が大切だと思って自分で学

年ごとに子供を呼んで授業をします。

 暇な他の学年の子供達が見物に来て冷やかします。

そしてドッチボールや鬼ごっこに勝手にはいってきたりもします。

 授業を受けなくてはいけない子供は面倒になると、日陰で休

んだり、水を飲みに行ったりします。

 もともと学校に来ているだけでも偉いと思われ居るので、途中

で抜けても、家に戻っても罪悪感は無いようです。

 子供の集中力は落ちるし、授業は上手く行きません。

やはり僕もイライラします。

 それでもここで頑張って授業を続ける事が先生達にいつか伝わるのだと頑張ります。

 でも途中で疑問が沸いてきます。

 自給自足が成り立っているバヌアツでは、働きすぎる事を良く

ないとする文化があることも確かです。働きすぎると

「あいつはビジネスマンだ」

という言われ方をされます。ビジネスマンと言う言葉にはお金にこ

とばかり考えていて、自分たちの大切なカスタムを忘れている。

 という皮肉がこもっています。しかし逆にキリスト教徒が多いバ

ヌアツではなにかセレモニーがあると。偉い人たちが

「我々の未来、我々の子供の為に今何ができるか考えよう!、

スクールフィーをきちんと払って、全ての子供たちにきちんとユニフ

ォームを着させて、学校に通わす事が、今後のバヌアツの未来

を明るくする!今頑張れば、未来は明るい!」

を連発します。

 そういっている大臣や校長の子供が連休に入ると学校に来な

かったりしています。

個人レベルで話していてもものすごく素晴らしい理想を語ります。

この人は物事がわかっているとおもって信頼すると

「トクトク(お話)ツマス(沢山)、でも仕事は少しだけ(スモール・

ノモ)が俺達の文化なんだよ!」

 と悪びれません。

 そんなことをイライラと考えながら、先日引退した清原選手が
言っていた

「やらない理由は自分が決める」

と言う言葉を思い出して、ここで辞めるのは自分に負ける事にな

る。と考え直し、子供たちを授業に集中させる為に、暑い中を

時には怒り、時には褒めながら進めていきます。
 
 何とか全学年が終わって先生達に

「今週もありがとう、また来週宜しくお願いします」

と声をかけますが、自分達が授業をきちんと行っていない事と、

僕が教育省配属なので、何か言われるのではないか?ウチの

学校はきちんと先生が来ているだけでも、まだマシなのだという開

き直りの混じった。前向きではない挨拶がもどってきたりもします。
 
 僕は疲れと普段より出しすぎた大声で、頭痛を感じながら、そ

ういった色々な感情を何とか処理しようと考えます。

 やる気があるのなら助けてあげることもできるけど、先生達は最

初から諦めてしまっている、そういった先生達にいい加減に扱わ

れた生徒達はさらに被害者で、体育の時間だけきちんと授業を

しなさいと言われても朝一番から既にいい加減な学校の運営で

始まってしまうと、集中力は低下している。
 
 でも少し掘り下げて考えてみると、先生達は十分な教科書も

与えられず、低学年には椅子や机もなく、床に座っているだけ

なので、一日4コマの授業を一年を通して教えるほどの内容を

持っていないのではないか、そうなると悪いのはその環境を整え

るべき、教育省や首都の文部省になる。

 きちんと中央から順序だてて地方に下ろしていかないと、タンナ

のような地方で頑張ったところで誰が評価してくれるわけでもな

く、周りの教員との足並みをそろえないと、1人だけ浮く事になる

かもしれない。

 バヌアツ人同士では1人だけ正論を振りかざして他の先生を

厳しく管理する事はもちろんタブーだし、学校で勉強したからと

いって、卒業すれば仕事があるわけでもなく自給自足に戻るの

だから、一生懸命勉強する意味が無い。

 そう考えると中央に居るバヌアツ政府自体も、限られた予算の

なかで現在の教育水準を保つだけでも精一杯なのかもしれな

い。もともと教育は西洋社会が押し付けただけで、今のバヌアツ

にはまだ必要でないのかもしれない。
 
だったら先生達と一緒に自分の授業を辞めてしまうのか?と考

えると、それは違う気がします。現地の人達が自分達だけでは

気がつきにくい価値観を広める事も僕らの仕事だとおもうからです。
 ボランティアだから評価と言うものは自分で決めれるし、出世と

言うものは無いから自分が正しいと思った道を進めば良い。

バヌアツでの2年間が僕の人生にとって無駄な時間だったと思う

のなら、逆に日本でお金と時間に追われながら過ごす2年間に

それ以上の価値があると思えるのか?
 
などと一通りいつも感じる感情が沸き起こります。

 一通り考えて、人生の意味、援助の意味、人間にとって何が

一番大切なのか?進歩する事なのか、それともただ楽しく生活

できればそれで良いのか?などを考えます。

考えて、疲れて、結局は自分は他人にとってはそんなに意味の

無いもので、人生はそういうものなのだ。

 と言う結果になります。そこまで来てやっと納得がいきます。

 誰にも必要とされていないのであれば、自分を信じて自分で

自分を応援するしかない。そもそも他人に理解してもらおうとい

う気持ちがあること自体が自分が驕っている証拠だ。ボランティア

なのに気がつかないうちに感謝されたいという見返りを求めてしま

っている自分が甘いのだと考えることができるようになります。

 誰にも理解されない中でも授業を続ける事が大切で、自分が

今納得していれば、それを信じるしかない。

 一通りそのサイクルで考えがまとまると、また自然と体が動き出します。
 
 その人サイクルを一日で終わらすことができることもあれば、

1週間かかることもあり、時には一ヶ月かかってもう抜け出せないかも?

 と思うこともあります。

 
 「幸せは、いつも自分の心が決める」


相田 みつお の言葉が胸に響きます。

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