2010年3月8日月曜日

成功のまねはできない


一年半前に僕がタンナ島に赴任してきた時の挨拶は

「フィジカル・エデュケーション、ティーチャーです」

「何?何の先生なの?」

「スポーツを教えます」

「へー・・・・」

「ナオキさんの後任です」

「アッ!そうなのナオキの後輩なの!俺はナオキとは凄く仲

がよくって、あーそうか!ナオキの後任なのか!それは凄

い、今度ウチの村に遊びに来い!」

とそこからズーッと僕の前任者のナオキさんの話になります。
 
 赴任して1週間したときには自分の仕事は名のらずに、

「ナオキの後任です」

と自己紹介していました。
 
 ナオキさんはカバというバヌアツの飲み物が好きで近所の

親父達とよく飲んでいたようです。親父達は僕がナオキさん

の後任だと聞いて、僕も毎晩カバを飲むと期待していたよ

うです。

僕がカバが苦手だと知ると。

「ナオキの方が親しみやすかったなー」

と思っていた人も居ると思います。

僕のことを「オイ、ナオキ!」

と呼ぶ人も多かったです。

そしてナオキさんは地元イサンゲルを中心に巡回指導をし

ていましたが。僕は体育大会を行う体育コミッティーのメン

バーの居る小学校に行って彼らと働きたかったので、島全

体の巡回指導をしました。

 だから地元イサンゲルの子供たちには

「ナオキは2年間僕らの学校に来てくれたのに、ウラは来て

くれない、ナオキの方が良かった、しかもナオキはビシュラマ

語がとっても上手でウラより良く喋れた!」

 と言われて困ったこともありました。

ビシュラマ語が上手く聞き取れなかった時にそういう意見を

聞くと、村の人全員がそういう風に思っているのかな?

という気持ちになることもありました。

 そのときに僕を支えた言葉は

「前任者ののやったことだけを真似しても

           その成功までは真似できない」

  でした。

 この一年半、島全体への巡回指導にこだわって、一つで

も多くの学校で、多くの授業をしたい。

という気持ちで活動してきました。今はもう僕の事をナオキ

と呼ぶ人は居なくなり。

 まったく知らない人に

「ウチの子供はミスターウラが学校に来て体育を教えてくれ

る、ウチの子供はお前が大好きだと行っていたぞ」

「セカンダリーにも来て欲しい」

「ウチの学校にも戻ってきて欲しい」

「ウチの村に遊びに来て欲しい」

「ウチの娘と結婚して欲しい」

「お前に子供ができたら1人我が家に養子に欲しい」

と気がつかないうちに僕のスタイルを認めてくれる人が増えました。

ある日をさかいにそういうふうになったと言うわけではないけ

ど、いつの間にか自分のスタイルができていたのだと思います。

信じて続けることの大切さをとても実感した今までの道のり

だったと思います。

 僕の仕事は前任者を越えることではなく、体育をバヌア

ツに広める事だといいう軸がぶれることがなかったことも僕を

支えてくれたのかなと思います。
 
 「人を相手にせずに、天を相手にしろ」
 
 西郷 隆盛 は良いこと言いますね。
 
 

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