2010年3月8日月曜日

あっさりだった最終日


タンナ島の最終日のことを書きます。

期待に反して意外とあっさりでした。僕がタンナを後にしたのは

12月6日です、その次の週から首都でバヌアツの協力隊員全

員参加の隊員総会があったので、それにあわせてバヌアツ出

国の一月七日よりも一ヶ月も早めに上京しました。

すでに11月末で学校も終わっていたので、仕事もなく、

お世話になった先生たちもあっという間に自分の地元へと散ら

ばっていきました。
 
 なので公務員の多いウチの村は意外と静かで、僕が日本に

帰ると行っても、「クリスマスだけでしょ!」

って思っている人が多かったみたいです。そして総会の為に他

の協力隊員4名と一緒に飛行機に乗ったこともあり、空港で

会った人達も休暇で首都に行くだけだと思っていたみたいです。
 
 飛行機に乗ってからの僕の気持ちを結構あっさりで、

「アー、これがタンナ島を見る最後なんだなー!」

なんて思いながらも、飛行機の席が通路側だったので、特に

自分の世界に入ることもなく、そのまま飛び立ってしまいまし

た。 

 それが僕のタンナ島最終日でした。
 
 いらない洋服は綺麗なものは高校の校長のドネルに島を経

つ朝に持って行きました。

 少し汚い服や靴などは僕が隊員としてタンナにきて巡回指

導を始めたときに、問題児の多かったコーナースクールの7,8

年生で常に気を使って僕を助けてくれたタイヨウ少年に託しま

した。

 彼はすでに小学校を卒業して中学校に通っていたので今年

は直接授業をすることはなかったのですが、個人的にずっと友

達だったし、洋服を上げても周りの人に自慢するような子では

ないので、無理やりに押し付けてきました。

きっと今頃は6人いる男兄弟で分け合ってくれていると思います。

 ガレージセールで村人に売るという方法もありましたが、自分

がタンナ島でお世話になった道具達が買われていくのは寂しい

きがしたので、2人の人に絞ってゆずる事にしました。みんなに

配らなかったのは、あげれた人とそうでなかった人が出来てしま

う事がイヤだった事と、みんなが家の殺到する事が怖かったこと

と、そのときにしなればならない別れの挨拶が苦手だった事もあ

ります。そのかわりに写真は50枚ほどプリントしてみんなに配り

ました。
 
 冷蔵庫やその他の雑貨は後任のヨリ君に譲り、首都には30

キロほどで上がりました。冬服はないので日本に戻ったら大変

だと思いますが、荷物はなるべく少なくして帰国しようと思います。

 それがタンナ島の最終日でした。感動の涙はなかったけど、

島を最後にする時はなんとなく誇らしげな気持ちになりました。

「出来ないながらもよく頑張ったなー!」というのが正直な気持

ちです。

 残り一ヶ月は首都での活動の報告、表敬訪問、最終レポー

トなどで終わりです。ブログの内容も落ちも何もなくあっさりして

いてごめんなさい・・・・ 
 
 写真のテーマは「夕日と少年」いつの間にか子供達は僕より

逆立ち上手になりました!
 

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