2011年2月3日木曜日
ポルトガル語と発展への道
<写真は市場で売っていた、虫です。食べてみるとそのまんま
「虫」のこおばしい味がしました。
って書こうかな?っておもったけど、そうかいて
「なるほどあの味か!」って思える人は日本にはあまりいないとおもいます。
僕にも虫の味がどういうものか、どの虫がおいしくて、どれがまずいのか?
を論じる自信はありません。まあしいて言えば雑魚みたいな味です>
アンゴラには天然資源のダイアモンド石油がたくさんあり、
内戦が終わって平和になった今、
中国を初めたくさんの国が興味を示しています。もちろん日本もです。
でも少しだけアンゴラが難しいところは、
ポルトガルに植民地にされていたことです。
やっぱり今世界の中で経済的に豊かな国は英語を話しています。
アメリカにしてもイギリスにしてもラテンの国の人達も、
基本的には英語を話さなくても理解はします。
でもポルトガル語を話す国で経済的に豊かな国は無いのが現状です。
ポルトガル、東ティモール、ブラジル、アンゴラ、モザンピーク
特にアンゴラに関しては、
ポルトガル人は植民地にして搾取だけして
帰っていったという評価があります。
イギリスやフランスみたいに学校を作って、農園を組織化して、
キリスト教を広めて、
というような教育や国つくりにはあまり興味が無かったみたいです。
そこがアンゴラの難しいところです。
どの先進国と一緒に国作りを行えばよいのかが難しいのだと思います。
先進国のほうも英語が通じれば一緒に仕事をしようかな?
と思うかも知れませんが、言葉が通じないと、
とりあえず資源だけ買って商売しよう。
という風になるのかもしれません。
アンゴラの生徒が言っていました。
「僕たちには資源というお金がある、
そのお金を使って教育にまわせば僕たちに国も日本みたいになれると思う」
日本の戦後の復興についてよく聞かれます、
でもそれはアンゴラだけではなくて、
スペイン人にも、ノルウェー人にも聞かれました。
海外に行く人は自分なりの答えを考えていたほうがよさそうです。
ちなみに僕は
戦争ですべて失って劣等感があったこと、
みんなが何も持っていなかったので格差が無かったこと、
そして戦前からすでに日本の教育水準は高く「読み書きそろばん」
が一般の人のレベルまできちんと行き届いていたことなどを説明しました。
バヌアツの人達は心の中では発展することを望んでなかったけど、
アフリカの人達、特にアンゴラでは発展への意識は高いみたいです。
バヌアツにいた頃とはまた違った感覚を今僕は感じています。
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