2012年3月20日火曜日

季節、時空、次元、社会的立場によってできる人格

アンゴラ、バヌアツ、イギリスと最近は違く国に行ってきて、日本に帰ってきて思う。 

自分っていう人間は季節が変わると考えてることが変わるものだって。

 冬はいくらか哲学的になる、動くのがおっくうになるし、

外に出るときはきちんとマフラー巻いたり、

モモヒキをはいたりしないといけないから服装にも神経質になる、

その日の一日の外出のスケジュールを考えて、念密にその日の服装を考える、

肌はカサカサになるし、血行が悪くなるから顔色もなんとなく青白くなる、

寒いからションベンの回数も多くなるし、残尿も多くなる? 

なんて思ってたのだけど、残尿については最近思った、

冬に残尿が多くなる理由は一つは寒いので男性のイチモツはとんがっているから

冷えやすいからションベンを切るというか気張るという感覚が鈍ること、

でも最近もっとよくよく考えると、本当の理由がわかってきた、

冬はみんなモモヒキを履いてしまうのがもう一つの理由なのだと思った。

モモヒキをはいてジーンズはいたり、スーツを履いたりすると、

男性はみんなわかると思うけど、トイレで立ちションをする時に

パンツのゴムとモモヒキのゴムを押し下げて、

その押し下げたゴムと開けたチャックの間というとても狭い間から

我々は出てきて仕事をしなくてはならない、

しかもスーツとかジーパンだと上にはキッチリベルトをしているから、

下からはパンツとモモヒキのゴムにボールもバットも締め付けられつつ押し上げられ、

上はキッチリベルトで固定されてその間のジッパーという

 限られた空間から出てきて用を足すということは、もともと難しいのだと思います。

 だから上手く水分が切れなくって、残尿して、それが不安で

冬になると年を取ったなーって男はみんな衰えたような気分になるのでしょう。

 この部分は別に力説する必要は今日はなかったのだけど、


そして春になると少し心ウキウキして心もオープンなって幸せな気分になるし、

さらに夏になると、毛穴も開いてラテンな気分、

心も体もみなぎったった気分になるのだけど、

秋になると何故か急にセンチメンタルな気分になりつつも

食欲は倍増するという心と体の矛盾を抱え込んだまま

気がついてみれば急にバタバタと年を越さなければいけないという強迫観念とともに、

除夜の鐘がなって本当に年を取ってしまうというサイクルになっている。 

これが日本、一年間の中で4人の自分に会える、

同じ人間が4つの考え方を持ってしまっているのです。

 ちなみにアンゴラもバヌアツも熱い夏、涼しい夏、雨の降る夏の

三つの夏はあるけど、

秋とか冬とか春とはは別にないから何時も毛穴も鼻の穴も全開で

攻撃的でみなぎっている。

 一方イギリスはちょっとした春のようなものはあるけど、

それは日差しがきつすぎて一瞬熱くなるときが30分とか午後いっぱいとかあるけど、

基本的には空気はとてもひんやりしているので、日差しの当たらないところは常に寒い。

 日本でいう10月から3月くらいまでで

一年間の季節が説明できてしまう感じです。

だから一人のなかの季節の感覚は日本人の半分くらいだと思います。 

逆に言ったらだから心が安定していて、イギリス人は冷静で合理的なのかもね?

 
 これに個人の経験が入るのだと思います。

「時間軸」とでも言うのかな?個人的経験と立場

 僕だったらファミレスの社員だった9年間、接客していたし、

一緒に働いていた大学生とか一生懸命パートをしながら子供を育てている

お母さん達の生活をみることができました。立場は社員だから一応は責任のある立場。

 でもその一方でフットボールではマダマダ試合も出ていなくって、

チームも「弱者」な立場でした、でもその後に合併して良いチームメートに巡り合い、

どんな試合でも勝てる「強者」の立場にも経ちました。

 バヌアツでのボランティアの2年間はそういった勝ち負けの全く無い世界、

僕のバックグランドなど全く知らない人達のところに単身で飛びこんでいって

一から人間関係を作るから、自分の笑顔と人間性が試された2年間でした。
 
フェミレスの「売上第一主義」でもなくフットボールの

「勝利以外は何も認めない」 というのでも無い世界でした。
 


 体が健康でいられるという面では僕は今のところ大きな病気はしてないから

「多数派」だし、結婚していないという面では「少数派」にはいります。

 何か決断をするときにそういった過去の経験してきた

10人くらいの自分の立場というか人格みたいなものが決断を下します。

 もちろんその決断は季節によっても左右されると思うんだよね。

 季節 × 経験 って感じ。

 でもそれともう一つ最近思うことは、

これはバヌアツとアンゴラに行って感じたのだけど、

バヌアツはジャングルだから三次元なんだよね、

森の中にすんでいるから子供の頃から木に登ったり、

遊ぶときでも道具が身の回りに豊富にある、ココナッツの実だったり、

木の枝、葉っぱ、ロープになるツル、

そういった道具に囲まれいるから常に立体的に物事を

感じたり考えたりしながら育っていくのだと思います。

 一方アンゴラは水が少ないので、砂漠みたいでドライです。

ようは2次元の世界なんだよね木とが少ないから立体的な環境ではありません。

子供は他の子供と遊んだりするだけ、食べ物も豊富ではないし、

木も少ないから焚き火もしない。

バヌアツの子供達が幼いころから火を起こしたり、

動物を追い回したり、ココナッツの木に登ったりという

3次元の遊びをしているのに比べると、

平面でしか想像力を働かしていないのきがします。

 海だってバヌアツの子供は入り組んだリーフの中で貝を探したり、

岩から飛び込んだりしているのに比べると、

アンゴラはだだっ広い大西洋の砂浜で水遊びといった感じです。

 だからバヌアツ人とか昔の日本人みたいに「自然を相手にする」


という経験は少なく、どちらかというと「人を相手にする」

経験が多いのだと思います。

 ちなみにイギリス人にとっては自然とは「征服するもの」

であって共存しようとは思っていなくて人と同じく自分たちで

コントロールできると思っていると思います。 

まあ彼らならある程度はできるのかもね。
 
 ちなみにバヌアツでいつも物足りないと思っていたのは、

日本みたいに20歳過ぎたら仕事をするわけではないので、

20歳過ぎてもみんな同じ性格のままなんだよね。

日本なら

・20代のバイブル

・男が30歳にすべきこと

・40代の中間管理職に捧ぐ本 

・50代のリーダシップ論

・60代の役員の条件
 
 みたいなそれぞれの世代の文化というか考え方があって研究されているけど、

仕事してないとそういうのも育たないのだと思いました。
 
 だから60歳のおじいちゃんでも少年と同じ笑顔で笑えるのだけどね


 そう言うと日本人ほど色々な角度から物事を考える環境が整っているし

 世界のなかでは珍しい自然環境なのだと思います。 

 季節に関していば何度もまたその季節ごとの自分にであるののだから、
 
 それが他の経験とか自分の職場とか家庭での環境とも複雑にまじりあって

 新しい自分が構築されていくのだろうな。って思います。

 繊細だったり、物事を深く考えるように日本人がなったのはそういう理由
 
 からなのでは?という考えもあってよいのだと思います。

0 件のコメント: