2010年4月29日木曜日

人としてか?医師としてか②(財前教授の目線から)

 前回の話を違う角度からみてみます。財前教授目線です。 

 前にウチの親父が言ってた話で

「5人の医者を育てることと、一人の名医になること、

どっちが大切か考えることが人生にはある

 たとえばお前が一人の名医だとして、5人の助手がいる。

そこに患者が運ばれてきた、

 常にお前が手術してあげれば、お前の腕も上達するし、患者も良くなる、

 でもお前が死んだり引退したら、お前の助手はいつもお前の手術をみてい

ただけだから、誰も手術ができない。

 でももしお前が自分の助手に順番に手術をさせてあげれば10年後には

 5人の医者が育つ、お前一人が名医になるよりも5倍の患者を助ける

ことができる、でも未熟な助手が手術してもし失敗したら、お前は自分を

責めることになるかもしれない。

 亡くなった患者の家族の悲しむ姿を見て、医師として何故自分が

手術してあげなかったのだろうと思うかもしれないし、

手術を任された助手の苦しみも同時に味わうことになるだろう、

 でも今それを我慢することで10年先に救える命もあるということを

 信じなければならない。

出世して上に行けばそうい選択をしなければならないこともある。

 そして誰かがその役目をしなければならないのだ」

 
 って言うような話を聞いたことがあります、

 たぶんそれプラス大分自分の想像力も入ってしまってますが・・・

 
 それが上に立つ人間の苦しさ、財前教授の苦しさなのかもしれません。

 ドラマの中でも財前教授は最後まで自分の道を進み続けていました。

 信じきっていました。 

 前回のHIVの話に戻ると、

 一夫多妻を認めるか、認めないかは

 どっちの目線からみても正しいということになり、

 答えはありません。 自分の中でも答えは無いです。

  実際に働いていたら、家族とか出世争いとか、お金とかで純粋に人間としての判断を

 するよりも、組織の一員としての判断を下すことになるんだろうとも感じます。

 もっと上手く書きあらわしたかったけど、

 今の自分のレベルではこんな感じになってしまいました・・・

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