2010年8月18日水曜日

チームワークについて1/6


 今のプログラムは14名の参加者のうち3名が脱落、

 6か月の研修の3か月目での帰国になりました。

それで最近やたらとチームワークという言葉が使われています。

 チームワークったなんだったかな? って昔のフットボールの

経験と照らし合わせて書いてみようと思います。

 <この6回の写真はイギリスの田舎町にどこにでもある
 教会とパブの写真にしようと思います。
 教会と郵便局とパブはどんな小さな町にもあります。>

よくチームワークっていうけど、

最近そのことについてよく考えてます。

 たとえば実業団でフットボールをしていた時、

本当に全員が勝ちたいと思うなら、

ミーティングなどで言いたいことがあればきちんと言うべきである。

意見がないのは勝ちたくないのか、それとも神様みたいにすでにすべ

て悟っているか、真面目に考えてないということになる。

 ということでした。

 そこで大切なのは、意見とか自己主張ということは単に組織をけな

すということではなくて、意見した後できちんとその解決策まで準備

しているか、もしくは誰も気が付いていないけど、これは話し合う

べきだという前向きな意見に限るということも大切だと思います。

 単にチームに対して文句を言うのを自己主張とは言いません。

それを履き違える選手がいた場合は、

きちんと話さなくてはいけません。


 次にチームワークですが、チームワークは勝つための一つの要因

ではあるけども、それは戦術、体力、スピード、技術、トレーナーなど

の医療、練習環境と時間、栄養などのたくさんの勝つための要素の中の

一つがチームワークというだけであって、チームワークが一番大切だと

いうのは日本のスポーツ根性論のドラマの世界だけだし、基本的に僕の

経験ではチームワークを作る一番の方法は「勝つこと」

以外にないとおもいます。

 負けてみんなで夕陽を眺めて、居酒屋で残念会することが目的なチー

ムまらまた別ですが。

 そしてチームワークを良くしようと思いすぎて、人間関係を崩さない

ために、みんながミーティングできちんと自己主張しないチームは、勝

てません。

フットボールのシーズンは4ヶ月とながいから、そういう

「ナー、ナー」


な関係ですすめると途中で取り返しのつかないことになります。

一度でも妥協を許してしまうと、元に戻すのは困難になります。

極端にいえばチームの目標が日本一なのであれ日本一になったその晩

にチームのみんながとても険悪で、試合会場からみんな無言のままに立

ち去ったとしても、チームの目標が日本一なら、それは全く問題なしだ

ということになります。
 
勝ちたいのはチームではなくて、個人個人が勝ちたいと思うのなら、

目標を達成したら、それでみんなは満足ということです。

「チームワークと人間関係を考えてみんなが言いたいことを言わなかったから結局は勝てなかった」
 というのは単に言い訳になります。

 

2010年8月12日木曜日

人が輝いているとき(すいません少し長くなりました。)


 
<写真は本日2010年8月12日に生活に少し疲れた僕がブログを

書いたテーブルです、10年後にこの写真を見直した時に、

 あの日の自分は輝いていたなー、って思い返せる日が

   来ることを願って頑張ろうと思います>



今の生活は募金集めの活動とお勉強の両方です。


 週に三日募金、三回勉強といった感じですが、

それ以外にもビルディングウイークエンド、と言って

 住んでいる煉瓦の古い寮の補修とかペンキ塗り、芝刈り、

ガーデニング、畑、料理、皿洗いなど、

学校のすべてのことを自分達でまかないます。

 だから募金と勉強に集中する時間はありません、

常に何かに追われている感じです、この時にこれをしよう、

 と前もって考えていても、その時になると急にほかの仕事が入って、

結局は何も終わらないままに常に何かに追われているような気持ちになります。


 一番多いのは僕は免許を持っているので、ドライブを頼まれます。

 駅まで片道30分、誰かを迎えにいって、

戻ってくるだけで一時間以上の時間を使います。

 そして月に一度の先生とのミーティングで、

 あなたは勉強も募金も相当に遅れている、もっと頑張りなさい、

 って言われます。 

結局は免許ももっていなくてたいして働いていない人たちがキッチリと

勉強していたりして、僕が足を引っ張っているような気持ちになるし、

でもそういう人の為に自分は一生懸命に掃除をしたり、 

ドライブをしたりしていると思うと、これってあってるのかな? 

神様はキチンと見てくれているのかな?

って思うこともあります。



 フットボーをしていた時、大切なプレーオフ2週間前の練習で、

僕は見事に足を捻挫、あとに二つ勝てば日本一という場面での怪我でした。

 捻挫したのは土曜日の午後、どこも病院は閉まっています。

それでもレントゲンを撮ってくれる病院をトレーナーが大急ぎで探して、

捻挫に骨折があるかどうかをチェックしました。

 骨折があれば早くても4週間、普通は6週間かかります。

レントゲンを見た病院の先生は、

「靭帯は部分断裂していますから絶対に安静です、でも幸いに骨折はないです。」
 
そのまま帰って、すぐにバケツに入った氷水で足を冷やして、炎症を最低限にします。

 グランドに戻ってからのみんなの質問はたった一つ

「ウラサン、何週間ですか、2週間?それとも4週間?」

 「骨折なかったから2週間で行けると思うよ」

 「ってことは次のプレーオフ間に合いますね」

 それだけ、誰も僕の痛みとか気持は気にしていません。

 僕のリハビリは次の月曜日から開始、

腫れを引かす為のマッサージと氷水でのアイシング、

アイシングして足が麻痺したら、

そのまま裸足で11月の寒いグランドウォーキング、

横向きとか足の側面だけを使ったりして、捻挫した筋肉が固まらないように、

動かします。

 それが終わって足が腫れてきたらまた氷水に足を突っ込んでアイシング、

その後に包帯で足を圧迫して

 腫れが足首に集中しないようにします、

だから膝とかほかの所が腫れたりします。

 そんなことを二週間繰り返して、いざプレーオフ、

テーピングで足をガチガチに固定して、試合前の練習にとりあえず参加、

でも痛いし、怖いしで全力では走れないので、

みんなの迷惑にならない程度のものでした。


 試合前10分前にテーピングを全て外して、痛み止めの注射を打ちます。

 その後にテーピングを巻きなおして、

グランドに戻るとすでにみんなは試合前のセレモニーも

終わってコイントスをしていました。

 そのままの体と心で試合に飛び込みます。
 

その日に良いプレーができれば、僕の評価は上がりますが、

もし痛くて良いプレーが出来なければ

 「ウラもそろそろ引退かな?」

 って思われてしまいます。 

 神様は気にしていくれているのかな? ってその時も思いました。

 


 バヌアツにいたころ、

「2年間で60校の小学校の中で何校でもよいからきちんと週に何日か時間をとって、

 体育を教えることができるようにする。」

 それが青年海外協力隊と事務所と現地の教育省が話し合って決めて僕の仕事

 結局は2年たっても一校も現地の先生達がきちんと

 体育を教えている学校はありませんでした。


 途上国では体育、音楽、美術は今はテストの評価に入らないし、

 大切なのは植民地支配していた国の言葉、

バヌアツならフランス語と英語を話せるようにならないと、

 将来お金を稼げる仕事に就けない。

その次に算数が何といっても大切です。

 だから体育はまだ重要ではないのです。 

でも神様はあの小さな島で一人で頑張っていた僕の努力を知ってくれているのかな?

っておもいます。



 昨年に亡くなった親父の一周忌のとき、

 6歳、3歳、0歳の三人の男の子に囲まれた姉が

「お母さん、僕がこれするの見てて!」

「僕もお兄ちゃんみたいにするから見てて!」

って0歳の三男に授乳している姉に長男、次男の二人の

 息子たちが代わる代わるに尋ねます。

 授乳している姉が二人の息子のしている対して上手でもないで

んぐり返しを集中してみてあげることができないと

 不満な長男は授乳している姉の背中に飛びつきます。

「今オッパイあげてるんだから、触らないでね」

 って言ってる姉の言うことも聞かないで、二人目も姉の背中に上ろうとします。

 姉は言っていました。

 「常に何もかもが中途半端、掃除も、食事も、育児も、

すべてがいつも終わらなくて、睡眠もいつも

 浅いし、朝起きても疲れがとれていることなんてない、

 子供に起こされて疲れた体を持ち上げるようにして

 毎日がはじまる、みんなが私みたいに辛いのか、たまに不思議に思う」

 
その話と三人の息子の面倒をしている姉を、

 喪服姿でお茶を飲みながら聞いていた僕と叔母さん、
 
(亡くなった親父のお姉さん)は言いました。

「姉ちゃん、自分は今そう思ってるかもしれないけど、

 僕らから見たら今の姉ちゃんは人生の中で一番輝いているときに見えるよ。

 もちろん大変で自分の時間が全くないのはよくわかるけど、

 3人の息子にこれだけ必要とされているなんてうらやましいよ」

 隣にいたおばさんも二人の息子がいます。 

 僕の従兄になるので二人ともすでに僕と同じで30超えてます。そのおばさんも

「私にもこんな時期があったのかと思うと、

 ほんとによく頑張ったなと思う、とても輝いて見えるし、
 
 今思えば人生で一番良い時間だったとおもう。」

 という意見でした。

 
 結局は忙しくて、まったく自分に時間がなくって、

 いつも何かに追われている人というのは

 それだけみんなに必要とされているのだと思います。 

 それを必要とされていると感じれるのか、

 利用されていると感じるようになるのかは状況によってだとは思いますが。

 もし自分が捻挫した時に、チームに、

 「君の変わりがいるから、ゆっくり休んでいて良いよ!」

 って言われるのが、選手として大事にされているのか?
 
 どんなことをしてでも次の試合にはお前が必要だ、

 たとえ怪我で100%のプレーができなくても・・・
  
 って思ってもらえることが大切にされていることなのかと考えたら、

 やっぱりどれだけ辛くても

 同情やいたわりの言葉よりも選手として評価されることが幸せなのだとも思います。


 
 そんな理想を頭の片隅で考えなら、僕の目の前には今日も僕には現実が待っています。

 いつまでたっても終わらない仕事と勉強、

 数次や評価にならない雑用や他人のお手伝い。

 半日でも良いから、気持ちを落ち着かせて自分のことだけ考えたい。

  たぶんこうやってブログを書いてるときが今の僕のそういう時間なのかもしれません。

 このブログを書き終えた今、少しだけ気持ちが整理できた気がします。

 スッキリではないけど、
 
仕方ないから、今日も一日頑張ろうかな? 

「とりあえず今日も一日作業開始!」 っていう気持ちにはなれた気がします。
 
  いつか2010年の今日のこの一日が輝いていたんだなー!
 
 って思える日までとりあえず頑張ろうと思います。







 

2010年8月10日火曜日

スパイダーマンになりたい



  <写真は先週末に僕たちの寮の屋根を掃除するブラジル人の
    ホジェリオとアルツーです、ブラジル人はみんな笑顔が素敵です>



  僕はスパイダーマンの映画が好きだ、何といってもあの動きが好きで

スパイダーマンみたいになりたいって思ってよく糸を出すしぐさを真似していた。

 って書くとみんな子供の頃のころだと思うだろうけど、たぶん僕が29歳くらいの

時の話だと思う、フットボールのロッカールームにポスターを張っていた。

 スパイダーマンは実はピーター・パーカーという冴えない青年で、なぜかクモに

噛まれてスパイダーマンになるのだけど、誰も彼がスパイダーマンだとは知らないし、

 勉強もバイトもあまり上手くいかず、しかも幼馴染で隣に住んでいる

 メリージェーンにも相手にされていない。


 そんな冴えない彼だけど、クモにかまれてすごいパワーを得てしまう。

 そしてみんなを助ける。でもスパイダーマンでないときにはとても悲しい人生だ。

 そんな彼が悪役に言われることがあった。

 「よいかスパイダーマン、二人で組んでこの世界を制圧しよう、お前はなぜ人間を

 助けようとするんだ、みんなが喜ぶのはどうせ最初だけだ、彼らは俺達のような

 特別な人間に嫉妬している、最初はお前に助けられて喜んでいるけど、結局

 彼らが見たいのは、ヒーローが無様に打ちのめされるところなんだ、なぜそんな

 奴らを命を張って助けるんだ?」

 って世界征服に誘われることがありました。


 なんて答えるのかな? ってとても興味を持って見ていたら

 
  「それが正しいことだからだ!」

  いたってシンプル。 でもあってるよね。


  「偉大なる力には偉大なる義務が生じる」

 それはピーターが育ての親であるジムおじさんが彼に教えた言葉です。

 
  「授かりものは世のために使え」

 これも普通の人間であるピーターがスパイダーマンをやめたくなった時に

 思い出した言葉です。


 なぜその言葉が大切かといえば逆を考えれば簡単だよね。 だって

 「授かりものを自分のために使い果たしてしまった人」

  には何も残ってないよね。でも世のために使えば、たくさんの友達ができて、

 たとえ授かりものを使い果たしても、多くの友達と自分に対するプライドが彼の

 人生を今後も支えていくと思います。

 



 じゃあ映画の中ではなくて、実社会でそんな偉大なパワーは誰が持ってるの?

 っていうことになりますが、僕が最近考えた答えは

 「そんなの誰も持っていない」

 っていうことです。だから映画になるんだよね。だったらどうするの?

  ってことですけど、

  偉大に見える人も実はみんな普通の人だし、同じように悩んでいると思います。

 その人の立場と責任感がその人を動かしているのだとおもいます。
 
 使命感みたいなものが普通の人間をそれ以上の存在にするのだと思います。


 「人間は周りにその能力を期待されて初めてその潜在能力を発揮する」

 ソクラテスだったとおもいます。

 でも僕は思いました。誰もずっと僕の潜在能力を期待してくれないんだけど?

 それに対する僕の答えは

 「誰も期待しれくれないのだったら、自分で自分に期待するしかない・・・・」

 それが僕の答えです。 ちょっと独りよがりで悲しいけど・・・・

 みんなと同じなら、自分が生きてる意味はないよね、人と違うことできるから

 社会に対して存在価値があるし、

 人から一緒に居たいって思ってもらえるかも知れないしね。

 自分の役割を見つけるのって本当に難しいと思う今日この頃です。

2010年8月9日月曜日

スペインのオタクマルコスとイソロクヤマモトさんについて




マルコスというスペイン人が学校の見学にきた、

 お世辞にも清潔とは言えない。太り気味の体にロングヘアー、

なぜか黒のベースボールキャップをいつもかぶっています。
 
 メガネをかけているけど、きちんと拭いていないのか、

レンズが脂ぎっていて、どことなく曇っている、そしてその脂分に埃と

 フケが付着していて、相当怪しい雰囲気をかもしだしている。

 日本でいう典型的な「オタク」なのだ。

 
 しかし外国のオタクが日本のオタクと決定的に違うのは劣等感がないことだ、

 日本のお宅はどことなくくらいイメージあがあって

一般社会とは少し距離を置きがちだけど、

外国のオタクはとてもさわやかで好感が持てる。

 
マルコスも僕と同じような英語のレベルだけど、(中学校レベル)

 でもとても楽しそうに会話をする、

そして母国語のスペイン語を話すときは急に早口になるので、

 こちらもびっくりするけど、それは日本人が日本語を話すときももおなじだから、

ただびっくりするだけで特に文句は言えない。


  そんな彼があった初日に話しかけてきた。

 「あなたは韓国から来てるのですか?」
 
 「僕は日本から来ました」
  
 「そうですか日本ですか!僕はイソロク ヤマモトをとても尊敬しています」

 それ誰だっけ? 三戸部稲造さんなら「武士道」をで有名だし、

 僕も読んだけど、 イソロク ヤマモトさんは

 名前は来たことがあるけど、江戸時代だっけ? 画家だっけ? 

 それとも歌舞伎とかそういう感じの人だっけ?

 って思っていたら

 
 「ワールド セカンド ヲー  ツー」  (第二次世界大戦)

 
 という言葉が聞き取れました

 「軍人だ!」

 とわかったので、とりあえず彼の話を聞くことにしました。

 
 「私はとても彼を尊敬しています、パールハーバーも太平洋でも、

 彼は素晴らしかった、人間としても軍人としても彼は素晴らしい」


  ととてもうれしそうに話してくれました。 

 「そうでしょ、僕も彼のこと大好き!」
 
 っていってすぐに教室に戻ってインターネットで 山本 五十六さんを検索、

 なるほど、戦争が始まるときに

 「最初の一年くらいなら、アメリカ相手に暴れまくれますけど、

  2年、3年と続けばそれは難しいと思う」

 ときちんと冷静に判断していた人で、軍人だけど、

 戦争が好きなわけではなくて、上とはきちんと話し合うし、

 部下には人情をもって接した人である、海外での評価も高い

 ということでした。

 日本人として恥ずかしいです、もっときちんと勉強しないとと感じました。


 ヨーロッパの人たちは戦争に対して日本よりももっと身近に考えているとおもいます。 
 
 とても深く研究していて、誰がどういうときにどういう行動をとった、

 という個人の勇気ある行動をとても評価しているように感じます。

 決してヒーローだけを称賛しているのではなくて、

 敗者の美学もキチンとあります。

 そしてその中で日本人の勇気ある行動や

 自己犠牲の精神などとても高く評価しています。

 ヨーロッパの世界地図では真中がヨーロッパその下がアフリカで

 左にアメリカ、右にアジア、その右端のアジアのそのまた端の島国で

 200年も鎖国したりして、独自の文化を究極まで高めて、しかもアジアで

 唯一植民地になってない、謎だらけの日本はとても興味があるみたいです。

 マルコス、見学に来てうちの学校をどう思ったのかは知らないけど、

 もし戻ってきたらまたお話しようね!

 何んとなく君みたいな人好きです!

  

2010年8月7日土曜日

アジアのリーダー像


 <写真はイギリスの秋の風景です、おそらく麦だとおもうけど、
  
  今のシーズンは収穫が終わってみんなこんな風にきれいにまとめてあります

  僕が子供だったらきっと転がして遊んでいると思います>





リーダーシップの取り方も世界中でいろいろとあるものだと改めて感じています。

 ヨーロッパの人はリーダーはみんなとは一緒に働かない、

午後にはテラスで紅茶を飲みながら

みんなの働いているのを眺めている。

 それが成功者の姿なのだ。
 
 というかんじ、大分極端だけど・・・


 今の日本でいえば大企業の社長みたいなレベルかな?

  
 それに比べると日本人の僕のリーダー像とは中小企業の社長みたいなかんじ


 お得意さんと自分の工場とその従業員の間に挟まれて、常に両方に気を使いながら

 常に自分も汗水をたらしてみんなのために頑張っている、

そしてそういう仕事にやりがいを感じている。

 要は仕事そのものにやりがいを感じているという感じです。

 だからいつも忙しいし、西洋の人から見たらエレガント(優雅)ではない。

 ということだと思います。


 未開の地であるパプアニューギニアの酋長の話を聞いたことがあります。


 「酋長の特権とはなんですか?」

 ときいたところ

 「戦いのときに一番先頭に立つことができることだ!」

 と言っていたそうです。

 先進国のリーダーは戦いのときは一番最後まで現場にはいかないよね、

 死ぬのはいつも貧乏でお金のために志願した人たちだと思います。

 
 
 ヨーロッパの植民地政策がおわった今、中国の会社がアフリカに進出している、

そして現地の人をこき使っている、

という目線で西洋人が作ったニュースを先日みんなでみました。


 僕の意見は

 中国人のやり方はそれほど間違ってないのでは?っておもいました。僕の中では

 現地の人がもし8時間働いているのなら、

おそらく中国人は10時間は働いているのだろうという感覚があったからです。

 従業員よりも早く職場に出て、現地のアフリカ人と一緒に働いて

 最後まで現場にいて、仕事を終える。

 
  だからアフリカの人も我慢してるのではないかな? って感じます。


 もし中国人たちがアフリカ人の強そうな人に特権を与えて、彼らにムチを持たせて、

 同じアフリカ人達を管理させて、自分たちは庭でヤムチャ飲んでたら、


きっとアフリカの人も真面目には働かなくなると思います。


  そのニュースを世界各国のクラスメイトと一緒にみながら、


  何となく僕は思っていました。

 「がんばって!中国の人達!」

  どういう理由で彼らがアフリカに行ってるのかはわからないけど、

支配することばかり考えている西洋の人と一緒にいると

 多少カッコ悪く見えても、僕らと同じように


汗水たらして働いている人達がとても美しく見えることがあります。


 

2010年8月6日金曜日

アメフトしてた時の事




僕は協力隊に行く前に9年間実業団でアメリカンフットボールをしていました、

16歳の高校生の頃から32歳で引退するまでなので、引退した時点では

人生の半分をフットボール共に過ごしてきたということになります。

 目標はやっぱり実業団日本一でした。それを達成してから引退するのと、

しないのとでは自分の中でのフットボールの意味は全く変わってくると思います。 

 良く言っていました。プロ選手は良い、もし勝てなくっても給料がもらえるから、

でも実業団は勝とうが負けようが給料はたいして変わらない。

何のためにやっているかと言えば単にプライドの為にやっているのであって、

お金は関係ないし、その後の職場での出世を考えたら、

早めに引退して仕事に集中したほうが良いのかもしれない。

 だからこそ、やるからには必ず日本一になってから引退しなくてはいけない。

 でも23歳で実業団に入ってから最初の4年間は全く勝てなくて、

このままでは引退するまで絶対に勝てないという気持ちが大きくなってきました。

 もし引退するまで一度も日本一になれなかったら、

フットボールをしていたことを後悔するかもしれないし。

 チームを恨むかもしれない。


 そんなことを考えていたときにある人がアドバイスしてくれました。

 「ウラ、必ず日本一になってから引退したくて、

今居るチームが日本一になる可能性が無いと判断するなら、

日本一になる可能性のあるチームに移籍して、

そこで日本一を目指すほうがお前の目標はかなう可能性は高い、

お前がフットボールをする理由が単に日本一なら、

それは当たり前のことだからためらってはいけない」

 

なるほど、と思いました。そしてもう一つの意見

「日本一になることは大切だ、でももしなるなら

日本一行きのバスを自分で運転して日本一になりたくないか?

日本一行きのバスにタマタマ乗り合わせていたというだけの

日本一は自分にとってどれだけの価値があるのか考えなくてはいけないよ。」

 なるほどね、それも真実だな、っておもいました。

 たった一つの目標の為に生きていたあの時代は今はとても懐かしく感じます。

 何事も限界まで考える癖がついたのはフットボールから

  学んだことが多かったとも思います。

2010年8月4日水曜日

日本人の悪いところのはずか・・・・

 日本人の悪いところを書いてほしい、って友達のトミーからのリクエスト、

 急いで書くと、

 日本人は相手の話は 「ハイ、ハイ」って聞いてあげるのが大切だと思っている
 
 からツイツイ熱心に聞いてします、

 外国人は少しでも意見が違うと親しい間柄でも

 「私はそうは思わない」

 「なんでそうは思わないの?」


 みたいな感じで相手の話を聞かないから、隣にいてこっちがヒヤヒヤします。

 その後1時間話しても結局は妥協は無く、話のレベルがドンドン低くなること
  
 もあります、要は子供の喧嘩になってしまうのです。

 でも外国のひとの考え方は、

 「アイヅチのイエスは賛成を表す」


 ということだから、こっちは

 「そーなんだ!」

 っていう意味のイエスであっても

 「今の聞き取れなかったけど、とりあえずイエス」

 の「イエス」であってもみんな賛成したと思っているみたいです、

だって普通は外国ではイエスは

 「私もそう思います」

 っていう意味みたいだから、 だから外国の人は日本人と話す時はとても

 気分よく、時には演説してるみたいに話します。



  そして、その場は終了、こちらとしては相手の人は凄く満足してくれたから

 良い聞き役になれたなー、って思っていて、それからしばらくたって、その話題

 になったり、その人が話していたことが現実てきなプランとして形になりだした

 時に

 「ちょっとまって、私はそのプランは上手く行かないと思うけど」

 だったり

 なんとなく協力するのを避けてたりすると

 「日本人は良く分からない」

 ということになると思います。


 日本人同士だと、

 話しているほうも、聞き手も、お互いに、今は自分は聞き役だとわかっているし、

 話すほうも、「聞いてもらっている」 ってなんとなくわかってるから、

 あとから問題になることは少ないと思います。

 問題になるとすれば、沢山話したほうが

 「その場の空気を読めていない」 

 ということになります。


 
  もう一つは

 日本人は言いわけが嫌い、だから先生とか他の人に何かを指摘されたときには

 とりあえずその場では

 「そうだったの、ゴメンネ」

 っていってしまいます。

 これははっきり言って良いところでもあると思います。だって細かいことで

 イチイチ言い合っていたら、いつまでたっても話が前進しないから。

 
 そして、外国人の一番大きな問題は

 外国人はすぐに自分の意見を反論しますが、それが「正しい反論」なのか?

 それともただの「言いわけ」なのかの判断が難しいところです。

  たとえば人前で大きな音をたてて「オナラ」をするとします。

 会話している最中にです、外国人は言います。

 「仕方が無い、昨日にバーベキューがあって、沢山食べすぎたから」

 っていいます。 

 でもこちらにしたら、話してる最中にオナラしたなら、少しは反省できるだろうし

 会話が終わるまで我慢できるだろう。 

 って思います。 開き直りが凄すぎだからです。

 
 それがエスカレートすると、

  
  戦争しても仕方が無い、だってタリバン政権のせいで毎年沢山の子供や

 お年寄りが無くなっている、核兵器もあるかもしれない、だから戦争は許される。

 ってことになります。

 
 オナラも戦争もしないほうが良いし、他にも方法がある

 どこからが言いわけなのか、どこからがきちんとした理論なのかが難しいし

 戦争はいかなる理由があっても絶対に駄目だって、過去の経験と結果から

 人類全てが共通認識として学んだはず。

 

 一部の外国の人って日本人からみたら明らかに屁理屈だろうっていうそういう理論を

 自信満々で言ってくるから、その雰囲気にこちらも飲まれて

 「そこまで自信満々に行ってくるなら、本当なのだろう」

 って思うけど、後から考えたら常識から外れていることが結構あります。


 話を戻すと、

 そこできちんと謝るのが日本人、

 謝らないで言いわけなのだか、屁理屈なのだかわからないけど、とりあえず反論

するのが外国人、

 そして、それは外国人同士は根に持たないから大丈夫、っていうけど、きちんと

根に持っています。 次に同じ状況の言い合いが始まったときに必ず思いだされます。

 そして、

 「俺はあの時にこう主張したのに、お前は聞かなかった!」

 という話になって、いつまでも話が前進しません。

 
  

 話を戻すと状況によっては言いわけしないのが日本人の

 「悪いところ」にもなるし、「良いところ」

 にもなります。なぜ悪いところになるかというと、外国の人からしたら

 結果的には日本人は敵を作らないで、物事を上手く運ぶことが

 多いからです。

 だって日本には 「沈黙は金なり」 という言葉があるからです。

 

 その場では負けても結果的には勝ちます。

 それが外国の人からしたら 

 悪いところ、エコノミックアニマル、人生を楽しんでいない

 という結果になるのかもしれません。

 でも日本人の中には

 「耐えざるものにも耐えることは美徳だし、みんながそういう人を陰では尊敬する
  という文化がすでに物凄く強く確立されているから、それは今後も変える必要 
  は無いと思います。」

 そしてそういう文化はアメリカ人よりもヨーロッパの人のほうが感じ取ってくれます。

 ヒーローの美学よりも、崩れていくものの美しさ、みたいなものを、ヨーロッパ人

 は知っています。ローマもギリシャも植民地政策でもなんでも終わってみればみんな
 
 悲しい思い出だからです。

 「世界を征服したってそれが何になるんだい?」

 って言うのは彼らは良く知っています。
 

 ごめんなさい、朝の8時半でお仕事始まります、

 まとまらなかったけど、とりあえずアップします! ごめんなさい!