本当の価値って何だろう? って最近よく考えてしまうんだよね。
それは第2次ベビーブームの僕たち世代くらいが持っている悪い価値観なのだとおもうけど、
お金がかかっている = カッコ良い ステータスがある
みたいな感覚がまだあるところだと思います。それが自分にとって本当に必要なものか
どうかということではないんだよね。
実際にグッチやコーチのデザインが好きかどうかではなくて、それがブランド品だから
良いと思っている人。 結局は自分でその商品がよいのかどうかわからないから
とりあえず他人に認められるブランドを買っておけば安心と思っている人が
多いのだと思います。
まあ僕が買えないからひがんでるのかもしれないけどね。
たとえば一緒に結婚指輪を買いに行ったときに、
そのお店の指輪に一つも値段が張っていなくても、
もしくはすべての指輪に値段が初めから張ってあったとしても
2回とも
「私はこの指輪がよい!」
と同じ指輪を選べる人がいたらその人は自分の価値観がしっかりしている
人だと思います。
100個の指輪のなかから選んだ一つが、3万円だったから、ほかのよりも安くて
なんか納得いかない。 って思う人はだめだと思うんだよね。
逆に値段を知らずに50万の指輪を選んだのならそこは男として
何としても買ってあげたいと思うだろうしね。
バヌアツでの人柄も同じでした。みんなお金を使っていないから、純粋にその人の人柄
だけで勝負なんだよね。 良い人にはみんなが集まってくるし、嫌な人には集まってこない。
もともとみんな平等だから上司も部下もないしね。地位とか名誉とかいうものがあるとしたら
それは純粋に人柄の良さだけで判断されます。
今の日本みたいにあの人は部長だから、とかあの人はお金もっているからとかという
人間の値札みたいなものはバヌアツではついていないからね。
だから3万円の指輪でも限りなく輝ける世界なんだよね。
みんなが100%心から他人に優しくできる国なんだよね。
震災があって世の中の価値観が研ぎ澄まされてきた時代になったと思います。
本当に自分に必要なものを選べる人間になりたいな。と僕は思っていますし
それを胸を張って言うことがかっこ悪い時代ではなくなってきたのだとも思います。
2012年6月22日金曜日
2012年6月17日日曜日
とっても難しい幸せ感の話
幸せな国指数
人生満足度 × 平均寿命 ÷ 地球環境負担度 = 幸福指数
という計算みたいです。平均寿命と地球環境負担度というのは計算すればある程度の正確な数
字は出るのだとおもうけど、人生満足度という一番最初の部分は難しいよね?
日本人は国民性で
「俺って幸せ!」 と言ってる人にはなんとなくうさんくさく感じるところあるものね。
本当に生活が充実している人は「脳ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という言葉があるように
あなたは幸せですか? と聞かれた時に
「幸せです」
というのかどうかわからないよね。
現在になってなぜ盛んに日本人の「幸せ感」について語られることが多いのかと考えると
ひとつは震災があると思います。
もう一つは経済成長がこれ以上望めなくなってきたからだろうね。
今あるお金でいかに幸せに満足して暮らしていけるか、ということを考えていかないと
「お金がある = 幸せ」 という計算はこの先は通じなくなってきたのかもしれません。
いままでそれが成り立ってきたことがおかしかったのかもね。戦後から70年間近くも
経済成長を続けてきた国って世界中で何カ国あるのかな?
世界一幸せといわれているブータンはもともと経済成長が望めなかったから
お金がなくても幸せになることを考えよう、という「幸せ先進国」なのかもね、
日本は「お金の先進国」ではあったけど、 お金がある = 幸せ ではないことに気がついて
今からブータンやスウェーデン、スイスのような大人としての幸せを追求することができるように
なっていくのかな?
途上国の話を中学校や高校で話した時に
「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」
と聞くと
「僕たちは幸せだと気がついた」
と言ってくれてそれもまたうれしいのだけど、そういった現状を知る今日の今まで
自分達が幸せなのかどうかすらも意識しないで生きていたって少し不思議だよね。
もしかしたらそれを意識しないで生きてこれたことが「幸せ」ということなのかもしれないけどね。
僕の話が逆に
「海外では日本よりもお金持ちも国がもっとあります、医療、福祉、洋服や車のデザイン、
生活の便利さは日本よりもさらに洗練されたものを持っています」
というお話をしたあとに
「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」
という質問をしたら生徒はきっと
「少し惨めだったことに気がつかされた・・・・」
となるかもね。
そこが国際理解教育の難しいところで、他と比べて自分たちが幸せだと気がついてもらう
のはまだまだ第一段階でその次の段階としては
「それでは世界中の人達が環境を壊さずに格差がなくて平等に幸せだと思える世界を創造しよう
というところまで持っていければもっと意味のある話ができると思います。
このブログでも何回も書いてきたけど
大人と子供の違いは、子供は自分の価値観がないので、他人と比べて自分が幸せかどうかを
認識する、
人より高級なカバンを買えるから自分は幸せだ、人より大きな家に住んでいるから自分は幸せだ、人より多くのお金をもっているから幸せだ。
でも大人は自分の価値観をきちんと持っているから他人や金額は関係なく、自分にとって素敵だと思えるデザイン、自分にとって住み心地の良い家、ということなのだと思います。
前にテレビで見たスウェーデン人の夫婦はお互いに仕事が忙しいから必要なのは夫婦が
ゆっくりとくつろげるシンプルな家、大きな家は掃除も大変だし必要はない
と話していました。
その後にアメリカの成功者の家はプールとテニスコート、ホームシアターが完備という
その設備は年に何回使うんだ?
なぜ家の近所にあればよい施設を家のなかに作る必要があるのか?
結局は自分たちが成功していることを他人に見せつける為の家であって、自分たちがくつろいで
そこで人間らしい生活をするための家ではない。
という印象を受けました。 いかにも歴史の重みを知らないアメリカ的な家だな。
と感じました。 まあ「価値観」は一人一人違うのだから否定はしてはいけないのだろうけど、
そういった生活をする人がいることが50年後や100年後の未来の世界に対して良い影響
を与えるのかな? と思うとそうではない気がします。
このテーマは今後も考えていきたいと思いますが長くなったのでひとまず
今日はここまでにしますね。
人生満足度 × 平均寿命 ÷ 地球環境負担度 = 幸福指数
という計算みたいです。平均寿命と地球環境負担度というのは計算すればある程度の正確な数
字は出るのだとおもうけど、人生満足度という一番最初の部分は難しいよね?
日本人は国民性で
「俺って幸せ!」 と言ってる人にはなんとなくうさんくさく感じるところあるものね。
本当に生活が充実している人は「脳ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という言葉があるように
あなたは幸せですか? と聞かれた時に
「幸せです」
というのかどうかわからないよね。
現在になってなぜ盛んに日本人の「幸せ感」について語られることが多いのかと考えると
ひとつは震災があると思います。
もう一つは経済成長がこれ以上望めなくなってきたからだろうね。
今あるお金でいかに幸せに満足して暮らしていけるか、ということを考えていかないと
「お金がある = 幸せ」 という計算はこの先は通じなくなってきたのかもしれません。
いままでそれが成り立ってきたことがおかしかったのかもね。戦後から70年間近くも
経済成長を続けてきた国って世界中で何カ国あるのかな?
世界一幸せといわれているブータンはもともと経済成長が望めなかったから
お金がなくても幸せになることを考えよう、という「幸せ先進国」なのかもね、
日本は「お金の先進国」ではあったけど、 お金がある = 幸せ ではないことに気がついて
今からブータンやスウェーデン、スイスのような大人としての幸せを追求することができるように
なっていくのかな?
途上国の話を中学校や高校で話した時に
「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」
と聞くと
「僕たちは幸せだと気がついた」
と言ってくれてそれもまたうれしいのだけど、そういった現状を知る今日の今まで
自分達が幸せなのかどうかすらも意識しないで生きていたって少し不思議だよね。
もしかしたらそれを意識しないで生きてこれたことが「幸せ」ということなのかもしれないけどね。
僕の話が逆に
「海外では日本よりもお金持ちも国がもっとあります、医療、福祉、洋服や車のデザイン、
生活の便利さは日本よりもさらに洗練されたものを持っています」
というお話をしたあとに
「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」
という質問をしたら生徒はきっと
「少し惨めだったことに気がつかされた・・・・」
となるかもね。
そこが国際理解教育の難しいところで、他と比べて自分たちが幸せだと気がついてもらう
のはまだまだ第一段階でその次の段階としては
「それでは世界中の人達が環境を壊さずに格差がなくて平等に幸せだと思える世界を創造しよう
というところまで持っていければもっと意味のある話ができると思います。
このブログでも何回も書いてきたけど
大人と子供の違いは、子供は自分の価値観がないので、他人と比べて自分が幸せかどうかを
認識する、
人より高級なカバンを買えるから自分は幸せだ、人より大きな家に住んでいるから自分は幸せだ、人より多くのお金をもっているから幸せだ。
でも大人は自分の価値観をきちんと持っているから他人や金額は関係なく、自分にとって素敵だと思えるデザイン、自分にとって住み心地の良い家、ということなのだと思います。
前にテレビで見たスウェーデン人の夫婦はお互いに仕事が忙しいから必要なのは夫婦が
ゆっくりとくつろげるシンプルな家、大きな家は掃除も大変だし必要はない
と話していました。
その後にアメリカの成功者の家はプールとテニスコート、ホームシアターが完備という
その設備は年に何回使うんだ?
なぜ家の近所にあればよい施設を家のなかに作る必要があるのか?
結局は自分たちが成功していることを他人に見せつける為の家であって、自分たちがくつろいで
そこで人間らしい生活をするための家ではない。
という印象を受けました。 いかにも歴史の重みを知らないアメリカ的な家だな。
と感じました。 まあ「価値観」は一人一人違うのだから否定はしてはいけないのだろうけど、
そういった生活をする人がいることが50年後や100年後の未来の世界に対して良い影響
を与えるのかな? と思うとそうではない気がします。
このテーマは今後も考えていきたいと思いますが長くなったのでひとまず
今日はここまでにしますね。
2012年5月28日月曜日
広告会社に騙されない為に・・・
久しぶりにバヌアツのメンバーと代々木公園に行きました。
ラオスフェスタがやっていたこともあって、公園内でビールを飲んだり、バドミントンをしたり、
サッカーをしたり、みんなそれぞれ楽しそうに遊んでいました。
外国人が多いのも目につきました。
代々木公園は無料で入れるし、トイレはあるし、
コンビニでビールを買えば1000円あれば十分に酔っぱらえるし、
風は気持ちよいし、最高の一日でした。
(ラオスフェスタが無かったら代々木公園はビールだめなのかなー?)
海外に行くと改めて思うけど、みんなお金を使わずに楽しめる方法をよく知っていて、
それが一番良いと感じているようです。
日本みたいに週末はディズニーランドとか車で郊外のアウトレットに行く。
次の週末はスカイツリーに!
みたいな遊びってすべてがどこかの代理店がお金儲けのためにテレビコマーシャルや
電車の中刷り広告、トーキョーウォーカーなんかで宣伝していて。結局はお金が絡むんだよね。
いままではみんながそれがカッコよいとおもっていた時代だったと思います。
週初めの月曜日に
「スカイツリーに行ってきたよ!」
なんていうと、なんか最先端!いけてる人みたいな感じになるものね。
でも一番世の中に踊らされていて、
自分の楽しさがわかってない価値観の乏しい人だともいえるよね。
もちろん電車の中刷り広告に
「無料ではいれる代々木公園でコンビニで買ったビールを飲んで、一日1000円で酔っ払おう!」
なんて広告はだれもはらないとおもいます。どの会社も儲からないからね・・・・
でも海外ではそういう週末が当たり前。
ハワイは公共の場での飲酒はだめだったけど、みんなビールをコップに入れ替えて、
バーベキューしてたし、そのレベルだと許されるしね。イギリスは犬の散歩とか乗馬、
乗馬というとお金がかかると思うけど、自分で普段から趣味でかっている馬だからタダです。
海外ではゴルフだって庶民のスポーツで2000円とか3000円だしね。
日本のゴルフは確実に商業ゴルフになってるよね。
海外にあこがれた高度成長時代の親父たちが勝手にゴルフを
崇拝しているだけだとおもいます。
お金を使う イコール 価値が高いこと という方程式は明らかに成金&拝金主義の
下品な文化です。
心が豊かではない人間が惑わされる罠だよね。
日本は何もかもが商売になっていて、それに踊らされていることができるお金もちが
最先端というような幼稚な文化があったのだと思います。
海外では
「週末にビーチに行こう!」
と言って寒くて泳げないシーズンでもビーチにって一日中ひなたぼっこしているし
「夕陽を見に行こう!」
「バーベキューをしよう!」 (もちろん入場料とかいらないところで)
「サイクリングしよう」
「犬の散歩しよう」
「木の実を採りに行こう」
「あるこう!」
なんでもありです。でも日本だとそういったお金を使わない地味な遊びはカッコ悪い・・・
みたいな風潮があったのだと思います。
でもこれからの時代はそれがありだと思うんだよね。
最近ぼくはよく図書館に行きます。
2週間借りれるから、とりあえず6,7冊を借りてきて、その2週間の間に読めなかったり、
読んでいたけどあまり楽しめなくって後回しになった本はいったん返してまた新く6,7冊を借りて
きます。 それだと常に一番読みたい本を読めるので、
「新書を1200円出して買ったから、面白くなても最後まで読もう。」
というような気持ちがないです。常に一番読みたい本が読めます。
でもバブルのころ、若いころの自分は図書館はなんかダサい人の行くところ。
月曜日に
「週末何してたの?
って聞かれて
「図書館に行ってた」
っていったらなんとなく会話が終わりそうだったよね・・・
でも今はそんなことないと思います。無駄な紙と印刷代を使わないため
にもどんどん利用するのが良いと思っています。
フリーマーケットでも市民プールでも公立学校でもカッコ悪くない!
そういう変な価値観に踊らされているのは第2次ベビーブームを含む今の30歳以上の
独身の人たちに多いと思います。あとは団塊世代ね。
30代でも結婚している人はある意味地に足が付いている生活をしているとおもうので、
お金を使わずに遊んでいると思うんだよね。
逆に言ったら広告を作ったりお金もうけをしている会社はそういう人達に宣伝しても
お金にならないからね。
アラフォーの独身者とか団塊世代に向けて宣伝するのが一番もうかるのだと思います。
そういう風潮が世の中に蔓延しているのが今の日本の悪いところだよね。
一万円使っても千円使っても一緒にいる仲間と自分が本当に好きなことが分かっていれば
お金なんて必要ないんだろ思います。
本当の価値観を見つけること、お金をかけずに楽しむこと。僕はどんどん見つけようと思います。
お金を使うよりも楽しいことが世界にはたくさんあるからね!
足りていないのはお金ではなくて、人生を楽しむためのイマジネーションのほうだと思います。
ラオスフェスタがやっていたこともあって、公園内でビールを飲んだり、バドミントンをしたり、
サッカーをしたり、みんなそれぞれ楽しそうに遊んでいました。
外国人が多いのも目につきました。
代々木公園は無料で入れるし、トイレはあるし、
コンビニでビールを買えば1000円あれば十分に酔っぱらえるし、
風は気持ちよいし、最高の一日でした。
(ラオスフェスタが無かったら代々木公園はビールだめなのかなー?)
海外に行くと改めて思うけど、みんなお金を使わずに楽しめる方法をよく知っていて、
それが一番良いと感じているようです。
日本みたいに週末はディズニーランドとか車で郊外のアウトレットに行く。
次の週末はスカイツリーに!
みたいな遊びってすべてがどこかの代理店がお金儲けのためにテレビコマーシャルや
電車の中刷り広告、トーキョーウォーカーなんかで宣伝していて。結局はお金が絡むんだよね。
いままではみんながそれがカッコよいとおもっていた時代だったと思います。
週初めの月曜日に
「スカイツリーに行ってきたよ!」
なんていうと、なんか最先端!いけてる人みたいな感じになるものね。
でも一番世の中に踊らされていて、
自分の楽しさがわかってない価値観の乏しい人だともいえるよね。
もちろん電車の中刷り広告に
「無料ではいれる代々木公園でコンビニで買ったビールを飲んで、一日1000円で酔っ払おう!」
なんて広告はだれもはらないとおもいます。どの会社も儲からないからね・・・・
でも海外ではそういう週末が当たり前。
ハワイは公共の場での飲酒はだめだったけど、みんなビールをコップに入れ替えて、
バーベキューしてたし、そのレベルだと許されるしね。イギリスは犬の散歩とか乗馬、
乗馬というとお金がかかると思うけど、自分で普段から趣味でかっている馬だからタダです。
海外ではゴルフだって庶民のスポーツで2000円とか3000円だしね。
日本のゴルフは確実に商業ゴルフになってるよね。
海外にあこがれた高度成長時代の親父たちが勝手にゴルフを
崇拝しているだけだとおもいます。
お金を使う イコール 価値が高いこと という方程式は明らかに成金&拝金主義の
下品な文化です。
心が豊かではない人間が惑わされる罠だよね。
日本は何もかもが商売になっていて、それに踊らされていることができるお金もちが
最先端というような幼稚な文化があったのだと思います。
海外では
「週末にビーチに行こう!」
と言って寒くて泳げないシーズンでもビーチにって一日中ひなたぼっこしているし
「夕陽を見に行こう!」
「バーベキューをしよう!」 (もちろん入場料とかいらないところで)
「サイクリングしよう」
「犬の散歩しよう」
「木の実を採りに行こう」
「あるこう!」
なんでもありです。でも日本だとそういったお金を使わない地味な遊びはカッコ悪い・・・
みたいな風潮があったのだと思います。
でもこれからの時代はそれがありだと思うんだよね。
最近ぼくはよく図書館に行きます。
2週間借りれるから、とりあえず6,7冊を借りてきて、その2週間の間に読めなかったり、
読んでいたけどあまり楽しめなくって後回しになった本はいったん返してまた新く6,7冊を借りて
きます。 それだと常に一番読みたい本を読めるので、
「新書を1200円出して買ったから、面白くなても最後まで読もう。」
というような気持ちがないです。常に一番読みたい本が読めます。
でもバブルのころ、若いころの自分は図書館はなんかダサい人の行くところ。
月曜日に
「週末何してたの?
って聞かれて
「図書館に行ってた」
っていったらなんとなく会話が終わりそうだったよね・・・
でも今はそんなことないと思います。無駄な紙と印刷代を使わないため
にもどんどん利用するのが良いと思っています。
フリーマーケットでも市民プールでも公立学校でもカッコ悪くない!
そういう変な価値観に踊らされているのは第2次ベビーブームを含む今の30歳以上の
独身の人たちに多いと思います。あとは団塊世代ね。
30代でも結婚している人はある意味地に足が付いている生活をしているとおもうので、
お金を使わずに遊んでいると思うんだよね。
逆に言ったら広告を作ったりお金もうけをしている会社はそういう人達に宣伝しても
お金にならないからね。
アラフォーの独身者とか団塊世代に向けて宣伝するのが一番もうかるのだと思います。
そういう風潮が世の中に蔓延しているのが今の日本の悪いところだよね。
一万円使っても千円使っても一緒にいる仲間と自分が本当に好きなことが分かっていれば
お金なんて必要ないんだろ思います。
本当の価値観を見つけること、お金をかけずに楽しむこと。僕はどんどん見つけようと思います。
お金を使うよりも楽しいことが世界にはたくさんあるからね!
足りていないのはお金ではなくて、人生を楽しむためのイマジネーションのほうだと思います。
2012年5月24日木曜日
改めて格差って・・・
世界で一番幸せな国のバヌアツで毎日のように暇な親父たちに囲まれて聞かれたことがある
日本にも俺たちみたいにスタップノモ ようは無職の人っているのか?
まあ日本にもホームレスはいるから
「いなくはないよ」
って答えたら
「そいつらはやっぱりジャングルの中に住んでいるのか?」
って聞かれたので
「いや、逆に都会の中に住んでるよ」
「そうなのか、でも基本的にその人たちは俺達と同じようん生活をしているんだろ、
その人たちと俺達の違いはなんだ?」
って聞かれて困ったことがありました。
プライドの問題だ! とも思ったけど、それだけで片づくものでもないよね・・・
アンゴラにいたときも一緒にいたケイタと話していたんだけど、
アンゴラの今のレベルって日本の江戸時代くらいかな?
でも江戸時代の人はそれなりにプライドを持って生活していたはずだす、けっして援助な
んて必要としてなかっただろうな。
じゃあ何故いまのアンゴラに援助が必要なのかな?
それはアンゴラよりも進んでいる国があるからだし、鎖国していないので、そういった情報が
流れてくることがみんなをダメにする。
そう思うと格差があるから人はみじめに思うんだよね。
同じ時代に自分よりもよい生活をしている人がいる。
それがストレスになるのだと思います。
「大人は価値観がしっかりしているから人と比べない。
子供は自分の価値観がないから人と比べたがる。」
そうだよね! 大人になろうって感じてしまいます。
日本にも俺たちみたいにスタップノモ ようは無職の人っているのか?
まあ日本にもホームレスはいるから
「いなくはないよ」
って答えたら
「そいつらはやっぱりジャングルの中に住んでいるのか?」
って聞かれたので
「いや、逆に都会の中に住んでるよ」
「そうなのか、でも基本的にその人たちは俺達と同じようん生活をしているんだろ、
その人たちと俺達の違いはなんだ?」
って聞かれて困ったことがありました。
プライドの問題だ! とも思ったけど、それだけで片づくものでもないよね・・・
アンゴラにいたときも一緒にいたケイタと話していたんだけど、
アンゴラの今のレベルって日本の江戸時代くらいかな?
でも江戸時代の人はそれなりにプライドを持って生活していたはずだす、けっして援助な
んて必要としてなかっただろうな。
じゃあ何故いまのアンゴラに援助が必要なのかな?
それはアンゴラよりも進んでいる国があるからだし、鎖国していないので、そういった情報が
流れてくることがみんなをダメにする。
そう思うと格差があるから人はみじめに思うんだよね。
同じ時代に自分よりもよい生活をしている人がいる。
それがストレスになるのだと思います。
「大人は価値観がしっかりしているから人と比べない。
子供は自分の価値観がないから人と比べたがる。」
そうだよね! 大人になろうって感じてしまいます。
2012年5月6日日曜日
タンナ島派遣中止宣言
僕が2年間少し遅い青春を過ごしたバヌアツ共和国タンナ島!
隊員の派遣が打ち切りになってしまいました。
窃盗団が隊員の家からものを盗みすぎたみたいです。
僕がもっと体育の授業中に規律とかフェアプレー精神とか
表現できればよかったのかもしれないけど、まあそれは仕方ないこと
被害にあった隊員は本当に気の毒で、タンナ島の為に! って思って人生の大切な
2年間をささげるつもりで行ったのに、嫌な思いをしたのだろうからこちらもかわいそうに
なります。
僕らのころにも意外とものがなくなる事があったのだけど、本当に必要なもの
(パスポートくらいかな? )はチーフに言うと戻ってくるものでした。
今回もパスポートは戻ってきたみたいです。
こないだ聞いた話では過去に盗まれたレトルトカレーの日本語表示を見て
バヌアツ人が隊員に
「どうやって食べたらよいのか?」
と聞いてきたらしいです。 たぶん盗んだのはその人ではないのだろうね。
窃盗団っていうと口をバンダナとかで覆っていて、馬に乗ってるようなイメージあるけど
決してそういうのではなくって、基本的には村の若者が興味本位でやってるだけで
人を傷つけるようなことはしないものです。ようは空き巣です。
基本的には自給自足が成り立っているからお腹が減って盗みに入るわけではないしね。
隊員も島にすみだしてから最初の一年以内ならそれは防ぎようの無いことだろうけど
一年過ぎでたらある程度は自分で防げるものだと思います。
「あの日本人の家からは盗んではいけない」
たとえ学校に通っていなくてもお互いに認め合っていればそれくらいのことは
わかるものです。
逆に一年すぎていれば、多少のものを盗まれても、
「困ったことだけど、こっちにも隙があったな、まあなんとなく理解できる」
くらいの感覚になれるだろうし、ちょっと周りに話すと、周りがすごく同情してくれて
結局は大切なものは戻ってくるのだと思います。
そういう絶妙な感覚が島にはあるんだよね。
そこらへんはある意味では深いレベルで成り立っているんだよね。
物を盗まれている時点で成り立っていないのでは?
という意見もわかるけど、それは法治国家日本の常識であって
島というのは法治国家とは違うからね。
若いころは少し悪い事して、恥ずかしい思いもして、でも大人はみんなそこらへんのことは
了解済みで、ある程度まで行くときちんと制裁が下るシステムが島にはあります。
もう何百年もそのシステムでやってきたから、少しくらいのことではブレることはないだろうね。
あの島は時代から取り残されることを気にしていないし、火山が爆発しても
温暖化で水位が上昇しても、自分達で解決する責任能力がきっちりと備わってると
おもいます。
究極的に言うと自然に任せているのだろうね。
だから協力隊の派遣の中止は現地の人たちにとっても残念だろうけど、
協力隊の隊員である日本人がタンナ島独特の「ルール」を学ぶ機会を失ってしまった
ことにも残念だと思います。
すこし様子をみて少しずつ良い方向にむかえばよいと思います。
隊員の派遣が打ち切りになってしまいました。
窃盗団が隊員の家からものを盗みすぎたみたいです。
僕がもっと体育の授業中に規律とかフェアプレー精神とか
表現できればよかったのかもしれないけど、まあそれは仕方ないこと
被害にあった隊員は本当に気の毒で、タンナ島の為に! って思って人生の大切な
2年間をささげるつもりで行ったのに、嫌な思いをしたのだろうからこちらもかわいそうに
なります。
僕らのころにも意外とものがなくなる事があったのだけど、本当に必要なもの
(パスポートくらいかな? )はチーフに言うと戻ってくるものでした。
今回もパスポートは戻ってきたみたいです。
こないだ聞いた話では過去に盗まれたレトルトカレーの日本語表示を見て
バヌアツ人が隊員に
「どうやって食べたらよいのか?」
と聞いてきたらしいです。 たぶん盗んだのはその人ではないのだろうね。
窃盗団っていうと口をバンダナとかで覆っていて、馬に乗ってるようなイメージあるけど
決してそういうのではなくって、基本的には村の若者が興味本位でやってるだけで
人を傷つけるようなことはしないものです。ようは空き巣です。
基本的には自給自足が成り立っているからお腹が減って盗みに入るわけではないしね。
隊員も島にすみだしてから最初の一年以内ならそれは防ぎようの無いことだろうけど
一年過ぎでたらある程度は自分で防げるものだと思います。
「あの日本人の家からは盗んではいけない」
たとえ学校に通っていなくてもお互いに認め合っていればそれくらいのことは
わかるものです。
逆に一年すぎていれば、多少のものを盗まれても、
「困ったことだけど、こっちにも隙があったな、まあなんとなく理解できる」
くらいの感覚になれるだろうし、ちょっと周りに話すと、周りがすごく同情してくれて
結局は大切なものは戻ってくるのだと思います。
そういう絶妙な感覚が島にはあるんだよね。
そこらへんはある意味では深いレベルで成り立っているんだよね。
物を盗まれている時点で成り立っていないのでは?
という意見もわかるけど、それは法治国家日本の常識であって
島というのは法治国家とは違うからね。
若いころは少し悪い事して、恥ずかしい思いもして、でも大人はみんなそこらへんのことは
了解済みで、ある程度まで行くときちんと制裁が下るシステムが島にはあります。
もう何百年もそのシステムでやってきたから、少しくらいのことではブレることはないだろうね。
あの島は時代から取り残されることを気にしていないし、火山が爆発しても
温暖化で水位が上昇しても、自分達で解決する責任能力がきっちりと備わってると
おもいます。
究極的に言うと自然に任せているのだろうね。
だから協力隊の派遣の中止は現地の人たちにとっても残念だろうけど、
協力隊の隊員である日本人がタンナ島独特の「ルール」を学ぶ機会を失ってしまった
ことにも残念だと思います。
すこし様子をみて少しずつ良い方向にむかえばよいと思います。
2012年4月30日月曜日
高校生に伝える「夢と現実」とは?
近いうちにスポーツで有名な高校で協力隊の経験を話させてもらうのだけど
僕が選ばれた理由は実業団での選手経験があったからみたいです。
16歳でそろそろ将来のことを考える生徒たちの中には
Jリーグのジュニアチームみたいなのに入ろうと思っている生徒も
いると思うし、不景気のこの時代に夢を追っても仕方ないから
進学して会社員を目指す生徒もいるだろうし、
親の影響とか経済的理由とか現実的な問題がたくさんあると思うんだよね。
僕だって長くアメフトやれたし、とても恵まれた環境でプレーできたけど、
だからと言ってそれだけで一生食べていけないのも現実。
でもそこで、
「日本ではスポーツで飯を食っていけるのはプロ野球選手と
一部のJリーグの選手と相撲取り。
テニスとゴルフに関してはある程度のレベルに行くのには相当な
お金がかかるので貧乏では無理、お金があるならどうぞ!」
っていう必要ってあるのかな? どうなのかな?
僕も高校生くらいのときに将来は海外でボランティアしたいって話したら
親から
「あんたみたいないい加減な人間には絶対に無理!」
と何げなく言った一言に対して10倍くらいに否定されて、
二度と言わないと思ったことがあります。
でも今はもう海外ボランティアに行ってきたら
いつか母ちゃんにはいつか誤ってもらいたいね、
(器小さいね・・・ボランティア行かせてもらったも、しょせんこんな器なのか?
と言われそうです)
大学に行きたいって言った時も
「絶対に無理!」って高校の先生に言われたし。
アメリカのプロリーグに行きたいって言った時も
「考え方が甘い」
ってエージェントに言われたし。
親戚にも上司にも
「ウラが考えてるみたいに世の中は甘いものではないよ」
って言われてきたし、自分でもそう思ってはいるんだけど
でも挑戦しないであきらめることが出来なくって
とりあえず飛び込んで行ったら何とかなったんだよね。
実際に飛び込んですぐは大変だったけど、人間の能力とか適応力は
自分がおもってるよりも意外と高くて、今まで何とかなりました。
「良い人との出会い、助けてくれる人がたくさんいたことも確かです」
この言葉はあまり好きではないし、みんなよく使うからありきたりで
嫌いなんだけど、確かにこれは本当。
でも今の僕が16歳のころの僕
「偏差値が大阪で最低レベルの普通科高校、アメフト部も大阪最弱
漢字は書けなく、勉強はできなくて、実力も自信もないのにその裏返しで言う
ことだけは一人前、体力もなくて体は細くて、それでいて大人の言うことは聞かない」
にアドバイスするとしたらなんて言うかな?
「海外にボランティアに行けると思うよ、大学でアメフトもできるだろうし
実業団でもできると思うよ」
って言えるかなー? でも言わないといけないのかなー?
それを言ったら無責任なのかなー?
「しょせん他人の子供だから無責任なことを言って!」
って父兄に怒られるかな?
でも逆に有名な、ミュージシャンやお笑い芸人は周りにどれだけ否定されても
迷いながらも自分を信じてやってきて成功してるんだろうしな・・・
たとえ夢がかなわなかったとしても何かに一生懸命に打ち込んだ経験は人を成長させるし
、成功できなかったらそれはまたそれで、
頑張っている人の気持ちがよくわかる人間になれるしね。(そういう人は教員に向いていたり
するとおもいます。)
でもその場合は年齢を決めて
25歳まで、とか30歳までというのを設定しておかないと駄目だろうね。
いまどきの言葉で言うと「リアル」 ってことですね。
あとは彼らが考える事だろうね。
こちらは応援するしかできないよね。
10年前の自分だったら(28歳ね)
「絶対に夢は叶う、自分を信じて頑張ってみろ!」
って言ってたんだけど、なんで年取るといえなくなるのかな?
ひとつ今思っていることは、もしかしたら僕は自分の夢が結構
叶ってしまって、でも叶ったらその夢は自分にとってはすでに過去に
なってしまっていて、大したことではなくなっているというのがあるの
かもしれません。だから夢をかなえたってしょせん人間は叶えた夢だけで
一生食べていけるわけではなくって、次にまた生活のためなのか夢のため
なのか現実(まさに「リアル」)が待っていて、過去に叶えた夢よりも
今、現在の毎日の生活が結局は大切だと言うことが身にしみて分かっているか
らなのかもしれません。
でもちょっと待てよ?
そうなると自分の夢が貧乏フットボール選手や海外ボランティアではなくって、
ビルゲイツだったら話は変わってくるな。
だって叶えた夢と一緒に現金が残るからね。
資本主義社会では現金は夢よりも大きなものだよね!?
自分の子供にプロゴルファーとかプロテニス選手になってもらえるかも
しれないよね。
やばい、結局は夢ではなく金なのか?
いろんな矛盾が頭に浮かんできて、
高校生に何を話したらよいのかわからなくなってきた・・・
でも今回の高校はスポーツのことだけがテーマでよいんだったっけ?
もう少し考えてみます・・・・
2012年4月25日水曜日
個人と組織のジレンマ
「人事のミスは組織の最大の罪である」
親父が昔教えてくれた言葉です。
名誉欲ばっかり強くって実力が無く、
自分に自信がないから嫉妬深くて計算高い
それを自分でわかってるから余計に自信がなくなるのだけど、
自分を上手くごまかしてもしょせん人間は自分自身はだませないから
ますます自分に自信がなくなるんだよね。 悪循環
こういう上司が上に立つと「シラケル」よね、
ここで自分が頑張って結果を出すことが何の意味があるのか?
あの馬鹿上司の手柄になるだけではないか?
そう言った不満を持ちながら献身的に働けるか?と考えたら難しいよね。
逆に上司が無心で頑張っていて、常に自分を信頼してくれていると思うとこっちも疲れもわすれて
無心で頑張ってしまうと思います。 上司が世のため人のために使命感を持って働いているなら
自分も無心で働けます。 そういう時は疲れ知らずだよね、必死だものね。
ああいう時に感じる充実感とその後に来る達成感はお金には代えがたいよね。
仕事に感情を入れてはいけないと言うけど、人生たかが70年だと思えば
今を生きなくて何時を生きるのか?今を生きていない人間に
未来に輝く機会はあるのか? 今が輝いていない人は未来も輝かないとおもいます。
輝きグセをつけてないと、一度妥協すると妥協グセがつくからね。
日本社会では「出る杭は打たれる}けど、世界では「出ない杭は腐って忘れられる」
からね。
個人と組織というのは永遠のテーマだと言われるけど、常に限界を求める気持ちは忘れたく
ないよね。
西洋の個人主義が好きなわけでもないけど、日本の組織優先型だとどうしても
実力の無い人が上に立つことがあるんだよね。
最大3年は我慢できるけど、5年は無理だな・・・ 上司にもよるけどね・・・
親父が昔教えてくれた言葉です。
名誉欲ばっかり強くって実力が無く、
自分に自信がないから嫉妬深くて計算高い
それを自分でわかってるから余計に自信がなくなるのだけど、
自分を上手くごまかしてもしょせん人間は自分自身はだませないから
ますます自分に自信がなくなるんだよね。 悪循環
こういう上司が上に立つと「シラケル」よね、
ここで自分が頑張って結果を出すことが何の意味があるのか?
あの馬鹿上司の手柄になるだけではないか?
そう言った不満を持ちながら献身的に働けるか?と考えたら難しいよね。
逆に上司が無心で頑張っていて、常に自分を信頼してくれていると思うとこっちも疲れもわすれて
無心で頑張ってしまうと思います。 上司が世のため人のために使命感を持って働いているなら
自分も無心で働けます。 そういう時は疲れ知らずだよね、必死だものね。
ああいう時に感じる充実感とその後に来る達成感はお金には代えがたいよね。
仕事に感情を入れてはいけないと言うけど、人生たかが70年だと思えば
今を生きなくて何時を生きるのか?今を生きていない人間に
未来に輝く機会はあるのか? 今が輝いていない人は未来も輝かないとおもいます。
輝きグセをつけてないと、一度妥協すると妥協グセがつくからね。
日本社会では「出る杭は打たれる}けど、世界では「出ない杭は腐って忘れられる」
からね。
個人と組織というのは永遠のテーマだと言われるけど、常に限界を求める気持ちは忘れたく
ないよね。
西洋の個人主義が好きなわけでもないけど、日本の組織優先型だとどうしても
実力の無い人が上に立つことがあるんだよね。
最大3年は我慢できるけど、5年は無理だな・・・ 上司にもよるけどね・・・
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