2012年7月4日水曜日

京子と中子の間で・・・・


京王線との出会いはある朝に突然訪れた。

僕は毎朝新宿から中央線で八王子に通っているのだけど、この

中央線というのは2日に1度はダイアが遅れる。まあ遅れたところ

ですべての電車が10分とか20分とか遅れるので一本前に来る

はずだった電車に乗れるので問題のないことも多いのだけどね・・・・

その朝も6時40分ごろに中央線のホームにいた、八王子まで約

一時間、快速とかいってもほぼすべての駅に止まる。しかも八王

子から新宿に来る電車が混むの ならわかるが、新宿から八王子

に行く電車も混んでいて、一時間のうちの半分は座れない。家で

朝飯など食べた日には途中で気持ちが悪くなる。 慣れてきたひ 

とつわかったのは吉祥寺や立川の私立の小学校に通っている子

供は必ずその役で降りるので、その子供の前に立っていれば、そ

の駅に着けば必ず席が確保でき る。 大の大人がそんなセコイ

ことを思いついてしまうほどに中央線の朝は殺気立っているの

だ。


そんな僕と中央線のすさんだ関係がダラダラと続いた朝に京王線

に出会ってしまった。

そ の日もいつものように中央線は遅れていた。電車が10分遅れ

ると、そのあと八王子まで約20駅ある中央線の駅のホームに人

があふれんばかりに溜まってし まう。その全員が10分遅れてき

た電車に乗り込もうとする。 青梅線と分かれる立川などでは乗り

換えのためにホームに降りた人と、電車に乗り込もうとした 人が

どちらも一歩も動けず上り階段にも下り階段にも人があふれてい

てお互いに動きようがなくなってホームのモラルは朝から完全に

崩れてしま う。


そんな憂鬱な6通勤が今日も始まってしまう予感がした時40分の

中央線のホームでなんとなく京王という選択肢が頭に浮かんだ。


「そういえば京王線は中央線と並行して八王子まで行っている。少し歩いて京王線の新宿駅に行けば八王子まで座れるかも知れない、座れなくても中央線でなければもうなんだって良い」


少し浮ついた心で京王線 のホームへ行ってみた。 そこには少し

涼しい顔をした「京王八王子行」きが僕を待っていてくれた。 喜

びもせず、嫌がりもせずというかんじであった。しかも大して並ば

なくても席が確保できてしまったのだ。


八王子までの約45分間、本を読んだりうたた寝をしたり、朝から

とても癒されて出勤することができた。 そんな安心感が僕を京子

の虜にし、会社に申請した正式な通勤路である中子との関係を

少しずつ冷めさせていた。


中央 = JR  即ち  国立 (国鉄か・・・)

京王 = 私鉄 即ち  私立


やっぱり田舎者の僕としては国立大学の女性よりも私立大学の

お譲さまに心ひかれるし   京王と打ち込めば変換の仕方に

よっては「慶応 」と僕の意思とは関係なく慶応大学を 連想させる

文字が変換されることもある、中央は何度打っても中央大学だ、

変換のミスはない。 もちろん中央大学は素晴らしい学校だし国

立でもないが、しかし電鉄会社である限り、陸の王者を名乗る「慶

応」という言葉の響きには勝てないのである。

しかしそんな京子との甘い生活はやはり長くは続かないもので、

約2カ月続いた京子との関係も思わぬところで問題が出てきてし

まった。


この三ヶ月間の外勤の交通費の申請の時期が来てしまったのだ。
会社に正式に申請しているのは中子との関係であり、京子との関

係ではない。したがって外勤で中央線に乗った時には定期を持っ

ているという判断から交通費は支給されないことになる。 


しかし今の僕の生活は実質的には京子との事実婚になっている。 

ここで正式に中子との関係を終わらせて京子との関係をオフィ

シャルなものにすれば、中央線を使った外勤にも交通費が支給さ

れることになる。 そして僕の外勤は、日野市、立川市、武蔵野

市、青梅市と圧倒的に中央線沿線の外勤が多いのだ。 これは

馬鹿にならない金額である。 

今まで正式に交際をしていることになっていた中子と別れを告げ

て会社に京子との正式な関係告白すれば、中央線での交通費は

胸をはって申請できる。 事実僕は今中央線での出勤はほとんど

行っていない。 


しかし男として、一度申請した中子との関係を簡単に解消してよ

いのだろうか? という疑問も残る、やはり一度は世の中に計約

を明らかにした間柄ではあるのだ。 

中子に対してひとつ言い訳をさせてもらえばそもそも彼女は僕だ

けを乗せて走っているわけではないのだ。 遠い東京駅からほか

の多くの男たちを乗せており、僕は 途中の新宿から八王子まで

を利用しているだけ、八王子で中子も一緒に終点なのかといえば

彼女は僕を下した後も山梨のほうまで走って行ってしまう、所詮

僕は 彼女の路線の途中から乗り、途中で降りていくという行きず

りの客に過ぎないのだ、それに比べると京子は始発の新宿で僕

の乗車を待っていてくれて、そのまま一緒に 終点の京王八王子

までいってくれる、そこで僕を下して自分はほかの客を乗せてそ

の先に進むようなことはしない。

夕方にはまた京王八王子で僕の帰りを待っていてくれる。そこか

ら本を読んだりうたた寝をしたり新宿まで癒されながら帰る

ことができる。必ず席は確保できるし、ほかの乗客のマナーも決

して悪くない。 

ここはひとつ男として一大決心をするべき時なのか、それとも男

が一度決めた相手を簡単に変えることは許されないのか、アラ

フォー男は毎朝京子との甘えた関係を正式なものにするかどうか

を迷っているのである。 馬鹿馬鹿しくてすいません。

おしまい・・・・



2012年6月22日金曜日

人間に値札の付いている国、日本

本当の価値って何だろう? って最近よく考えてしまうんだよね。

 それは第2次ベビーブームの僕たち世代くらいが持っている悪い価値観なのだとおもうけど、

 お金がかかっている =  カッコ良い ステータスがある

  みたいな感覚がまだあるところだと思います。それが自分にとって本当に必要なものか
 
 どうかということではないんだよね。

  実際にグッチやコーチのデザインが好きかどうかではなくて、それがブランド品だから

 良いと思っている人。 結局は自分でその商品がよいのかどうかわからないから

 とりあえず他人に認められるブランドを買っておけば安心と思っている人が

 多いのだと思います。

 まあ僕が買えないからひがんでるのかもしれないけどね。

  たとえば一緒に結婚指輪を買いに行ったときに、

  そのお店の指輪に一つも値段が張っていなくても、

  もしくはすべての指輪に値段が初めから張ってあったとしても

  2回とも

 「私はこの指輪がよい!」

 と同じ指輪を選べる人がいたらその人は自分の価値観がしっかりしている

 人だと思います。

  100個の指輪のなかから選んだ一つが、3万円だったから、ほかのよりも安くて
 
 なんか納得いかない。 って思う人はだめだと思うんだよね。

   
 逆に値段を知らずに50万の指輪を選んだのならそこは男として

 何としても買ってあげたいと思うだろうしね。

   バヌアツでの人柄も同じでした。みんなお金を使っていないから、純粋にその人の人柄
 
 だけで勝負なんだよね。 良い人にはみんなが集まってくるし、嫌な人には集まってこない。

 もともとみんな平等だから上司も部下もないしね。地位とか名誉とかいうものがあるとしたら
 
 それは純粋に人柄の良さだけで判断されます。

  今の日本みたいにあの人は部長だから、とかあの人はお金もっているからとかという

 人間の値札みたいなものはバヌアツではついていないからね。

  だから3万円の指輪でも限りなく輝ける世界なんだよね。

  みんなが100%心から他人に優しくできる国なんだよね。

  震災があって世の中の価値観が研ぎ澄まされてきた時代になったと思います。

  本当に自分に必要なものを選べる人間になりたいな。と僕は思っていますし

 それを胸を張って言うことがかっこ悪い時代ではなくなってきたのだとも思います。

2012年6月17日日曜日

とっても難しい幸せ感の話

幸せな国指数
 
 人生満足度 × 平均寿命  ÷  地球環境負担度  =  幸福指数

 という計算みたいです。平均寿命と地球環境負担度というのは計算すればある程度の正確な数

字は出るのだとおもうけど、人生満足度という一番最初の部分は難しいよね?
 
日本人は国民性で
 
「俺って幸せ!」 と言ってる人にはなんとなくうさんくさく感じるところあるものね。

 本当に生活が充実している人は「脳ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

 という言葉があるように

  あなたは幸せですか? と聞かれた時に

  「幸せです」

  というのかどうかわからないよね。

 現在になってなぜ盛んに日本人の「幸せ感」について語られることが多いのかと考えると

 ひとつは震災があると思います。

もう一つは経済成長がこれ以上望めなくなってきたからだろうね。

 今あるお金でいかに幸せに満足して暮らしていけるか、ということを考えていかないと

 「お金がある = 幸せ」  という計算はこの先は通じなくなってきたのかもしれません。

  いままでそれが成り立ってきたことがおかしかったのかもね。戦後から70年間近くも
 
 経済成長を続けてきた国って世界中で何カ国あるのかな?

  世界一幸せといわれているブータンはもともと経済成長が望めなかったから

 お金がなくても幸せになることを考えよう、という「幸せ先進国」なのかもね、
 
 日本は「お金の先進国」ではあったけど、 お金がある = 幸せ ではないことに気がついて
  
 今からブータンやスウェーデン、スイスのような大人としての幸せを追求することができるように

 なっていくのかな?

   途上国の話を中学校や高校で話した時に

  「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」

  と聞くと

  「僕たちは幸せだと気がついた」

  と言ってくれてそれもまたうれしいのだけど、そういった現状を知る今日の今まで

 自分達が幸せなのかどうかすらも意識しないで生きていたって少し不思議だよね。

  もしかしたらそれを意識しないで生きてこれたことが「幸せ」ということなのかもしれないけどね。

    僕の話が逆に
 
 「海外では日本よりもお金持ちも国がもっとあります、医療、福祉、洋服や車のデザイン、

  生活の便利さは日本よりもさらに洗練されたものを持っています」

 というお話をしたあとに

 「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」

  という質問をしたら生徒はきっと

  「少し惨めだったことに気がつかされた・・・・」

  となるかもね。 

  
    そこが国際理解教育の難しいところで、他と比べて自分たちが幸せだと気がついてもらう

 のはまだまだ第一段階でその次の段階としては

 「それでは世界中の人達が環境を壊さずに格差がなくて平等に幸せだと思える世界を創造しよう

 というところまで持っていければもっと意味のある話ができると思います。

  このブログでも何回も書いてきたけど

 大人と子供の違いは、子供は自分の価値観がないので、他人と比べて自分が幸せかどうかを
 認識する、
 人より高級なカバンを買えるから自分は幸せだ、人より大きな家に住んでいるから自分は幸せだ、人より多くのお金をもっているから幸せだ。

 でも大人は自分の価値観をきちんと持っているから他人や金額は関係なく、自分にとって素敵だと思えるデザイン、自分にとって住み心地の良い家、ということなのだと思います。

  前にテレビで見たスウェーデン人の夫婦はお互いに仕事が忙しいから必要なのは夫婦が

 ゆっくりとくつろげるシンプルな家、大きな家は掃除も大変だし必要はない
 
 と話していました。

  その後にアメリカの成功者の家はプールとテニスコート、ホームシアターが完備という

 その設備は年に何回使うんだ?

  なぜ家の近所にあればよい施設を家のなかに作る必要があるのか?

 結局は自分たちが成功していることを他人に見せつける為の家であって、自分たちがくつろいで

 そこで人間らしい生活をするための家ではない。

 という印象を受けました。 いかにも歴史の重みを知らないアメリカ的な家だな。

 と感じました。 まあ「価値観」は一人一人違うのだから否定はしてはいけないのだろうけど、

 そういった生活をする人がいることが50年後や100年後の未来の世界に対して良い影響

 を与えるのかな? と思うとそうではない気がします。

  このテーマは今後も考えていきたいと思いますが長くなったのでひとまず

 今日はここまでにしますね。

 


2012年5月28日月曜日

広告会社に騙されない為に・・・

 久しぶりにバヌアツのメンバーと代々木公園に行きました。

ラオスフェスタがやっていたこともあって、公園内でビールを飲んだり、バドミントンをしたり、

サッカーをしたり、みんなそれぞれ楽しそうに遊んでいました。 

外国人が多いのも目につきました。

代々木公園は無料で入れるし、トイレはあるし、

コンビニでビールを買えば1000円あれば十分に酔っぱらえるし、

風は気持ちよいし、最高の一日でした。

(ラオスフェスタが無かったら代々木公園はビールだめなのかなー?)

海外に行くと改めて思うけど、みんなお金を使わずに楽しめる方法をよく知っていて、

それが一番良いと感じているようです。 

日本みたいに週末はディズニーランドとか車で郊外のアウトレットに行く。

次の週末はスカイツリーに! 

みたいな遊びってすべてがどこかの代理店がお金儲けのためにテレビコマーシャルや

電車の中刷り広告、トーキョーウォーカーなんかで宣伝していて。結局はお金が絡むんだよね。

いままではみんながそれがカッコよいとおもっていた時代だったと思います。

週初めの月曜日に

「スカイツリーに行ってきたよ!」

なんていうと、なんか最先端!いけてる人みたいな感じになるものね。

でも一番世の中に踊らされていて、

自分の楽しさがわかってない価値観の乏しい人だともいえるよね。

もちろん電車の中刷り広告に

「無料ではいれる代々木公園でコンビニで買ったビールを飲んで、一日1000円で酔っ払おう!」

なんて広告はだれもはらないとおもいます。どの会社も儲からないからね・・・・
 
でも海外ではそういう週末が当たり前。 

ハワイは公共の場での飲酒はだめだったけど、みんなビールをコップに入れ替えて、

バーベキューしてたし、そのレベルだと許されるしね。イギリスは犬の散歩とか乗馬、

乗馬というとお金がかかると思うけど、自分で普段から趣味でかっている馬だからタダです。

海外ではゴルフだって庶民のスポーツで2000円とか3000円だしね。

日本のゴルフは確実に商業ゴルフになってるよね。

海外にあこがれた高度成長時代の親父たちが勝手にゴルフを

崇拝しているだけだとおもいます。

お金を使う イコール 価値が高いこと  という方程式は明らかに成金&拝金主義の

下品な文化です。

心が豊かではない人間が惑わされる罠だよね。

  日本は何もかもが商売になっていて、それに踊らされていることができるお金もちが

最先端というような幼稚な文化があったのだと思います。

海外では

「週末にビーチに行こう!」

と言って寒くて泳げないシーズンでもビーチにって一日中ひなたぼっこしているし

「夕陽を見に行こう!」

「バーベキューをしよう!」 (もちろん入場料とかいらないところで)

「サイクリングしよう」

「犬の散歩しよう」

「木の実を採りに行こう」

「あるこう!」

なんでもありです。でも日本だとそういったお金を使わない地味な遊びはカッコ悪い・・・

みたいな風潮があったのだと思います。

でもこれからの時代はそれがありだと思うんだよね。

最近ぼくはよく図書館に行きます。

2週間借りれるから、とりあえず6,7冊を借りてきて、その2週間の間に読めなかったり、

読んでいたけどあまり楽しめなくって後回しになった本はいったん返してまた新く6,7冊を借りて

きます。 それだと常に一番読みたい本を読めるので、

「新書を1200円出して買ったから、面白くなても最後まで読もう。」

というような気持ちがないです。常に一番読みたい本が読めます。

でもバブルのころ、若いころの自分は図書館はなんかダサい人の行くところ。

 月曜日に

 「週末何してたの?

 って聞かれて

 「図書館に行ってた」

 っていったらなんとなく会話が終わりそうだったよね・・・

 でも今はそんなことないと思います。無駄な紙と印刷代を使わないため

にもどんどん利用するのが良いと思っています。

フリーマーケットでも市民プールでも公立学校でもカッコ悪くない!

そういう変な価値観に踊らされているのは第2次ベビーブームを含む今の30歳以上の

独身の人たちに多いと思います。あとは団塊世代ね。

30代でも結婚している人はある意味地に足が付いている生活をしているとおもうので、

お金を使わずに遊んでいると思うんだよね。

逆に言ったら広告を作ったりお金もうけをしている会社はそういう人達に宣伝しても

お金にならないからね。

アラフォーの独身者とか団塊世代に向けて宣伝するのが一番もうかるのだと思います。

そういう風潮が世の中に蔓延しているのが今の日本の悪いところだよね。

一万円使っても千円使っても一緒にいる仲間と自分が本当に好きなことが分かっていれば

お金なんて必要ないんだろ思います。

本当の価値観を見つけること、お金をかけずに楽しむこと。僕はどんどん見つけようと思います。

お金を使うよりも楽しいことが世界にはたくさんあるからね!

足りていないのはお金ではなくて、人生を楽しむためのイマジネーションのほうだと思います。

2012年5月24日木曜日

改めて格差って・・・

世界で一番幸せな国のバヌアツで毎日のように暇な親父たちに囲まれて聞かれたことがある

日本にも俺たちみたいにスタップノモ ようは無職の人っているのか?

まあ日本にもホームレスはいるから

「いなくはないよ」

って答えたら

「そいつらはやっぱりジャングルの中に住んでいるのか?」

って聞かれたので

「いや、逆に都会の中に住んでるよ」

「そうなのか、でも基本的にその人たちは俺達と同じようん生活をしているんだろ、

その人たちと俺達の違いはなんだ?」

って聞かれて困ったことがありました。

 プライドの問題だ! とも思ったけど、それだけで片づくものでもないよね・・・

 

アンゴラにいたときも一緒にいたケイタと話していたんだけど、

アンゴラの今のレベルって日本の江戸時代くらいかな?

でも江戸時代の人はそれなりにプライドを持って生活していたはずだす、けっして援助な

んて必要としてなかっただろうな。

じゃあ何故いまのアンゴラに援助が必要なのかな?
  
 それはアンゴラよりも進んでいる国があるからだし、鎖国していないので、そういった情報が

 流れてくることがみんなをダメにする。

そう思うと格差があるから人はみじめに思うんだよね。

 同じ時代に自分よりもよい生活をしている人がいる。

 それがストレスになるのだと思います。
 
 「大人は価値観がしっかりしているから人と比べない。

 子供は自分の価値観がないから人と比べたがる。」

  そうだよね! 大人になろうって感じてしまいます。



2012年5月6日日曜日

タンナ島派遣中止宣言

僕が2年間少し遅い青春を過ごしたバヌアツ共和国タンナ島!

隊員の派遣が打ち切りになってしまいました。

窃盗団が隊員の家からものを盗みすぎたみたいです。

僕がもっと体育の授業中に規律とかフェアプレー精神とか

表現できればよかったのかもしれないけど、まあそれは仕方ないこと

被害にあった隊員は本当に気の毒で、タンナ島の為に! って思って人生の大切な

2年間をささげるつもりで行ったのに、嫌な思いをしたのだろうからこちらもかわいそうに

なります。


僕らのころにも意外とものがなくなる事があったのだけど、本当に必要なもの

(パスポートくらいかな? )はチーフに言うと戻ってくるものでした。

今回もパスポートは戻ってきたみたいです。

こないだ聞いた話では過去に盗まれたレトルトカレーの日本語表示を見て

バヌアツ人が隊員に

「どうやって食べたらよいのか?」

と聞いてきたらしいです。 たぶん盗んだのはその人ではないのだろうね。


窃盗団っていうと口をバンダナとかで覆っていて、馬に乗ってるようなイメージあるけど

決してそういうのではなくって、基本的には村の若者が興味本位でやってるだけで

人を傷つけるようなことはしないものです。ようは空き巣です。

基本的には自給自足が成り立っているからお腹が減って盗みに入るわけではないしね。

  
隊員も島にすみだしてから最初の一年以内ならそれは防ぎようの無いことだろうけど

一年過ぎでたらある程度は自分で防げるものだと思います。

「あの日本人の家からは盗んではいけない」

たとえ学校に通っていなくてもお互いに認め合っていればそれくらいのことは

わかるものです。

逆に一年すぎていれば、多少のものを盗まれても、

「困ったことだけど、こっちにも隙があったな、まあなんとなく理解できる」

くらいの感覚になれるだろうし、ちょっと周りに話すと、周りがすごく同情してくれて

結局は大切なものは戻ってくるのだと思います。

そういう絶妙な感覚が島にはあるんだよね。

そこらへんはある意味では深いレベルで成り立っているんだよね。



 物を盗まれている時点で成り立っていないのでは?


 という意見もわかるけど、それは法治国家日本の常識であって

島というのは法治国家とは違うからね。

若いころは少し悪い事して、恥ずかしい思いもして、でも大人はみんなそこらへんのことは

了解済みで、ある程度まで行くときちんと制裁が下るシステムが島にはあります。

もう何百年もそのシステムでやってきたから、少しくらいのことではブレることはないだろうね。

あの島は時代から取り残されることを気にしていないし、火山が爆発しても

温暖化で水位が上昇しても、自分達で解決する責任能力がきっちりと備わってると

おもいます。

究極的に言うと自然に任せているのだろうね。

 だから協力隊の派遣の中止は現地の人たちにとっても残念だろうけど、

 協力隊の隊員である日本人がタンナ島独特の「ルール」を学ぶ機会を失ってしまった

 ことにも残念だと思います。

  すこし様子をみて少しずつ良い方向にむかえばよいと思います。

 


2012年4月30日月曜日

高校生に伝える「夢と現実」とは?



  近いうちにスポーツで有名な高校で協力隊の経験を話させてもらうのだけど

 僕が選ばれた理由は実業団での選手経験があったからみたいです。

 16歳でそろそろ将来のことを考える生徒たちの中には

Jリーグのジュニアチームみたいなのに入ろうと思っている生徒も

いると思うし、不景気のこの時代に夢を追っても仕方ないから

進学して会社員を目指す生徒もいるだろうし、

親の影響とか経済的理由とか現実的な問題がたくさんあると思うんだよね。
 
僕だって長くアメフトやれたし、とても恵まれた環境でプレーできたけど、

だからと言ってそれだけで一生食べていけないのも現実。

 でもそこで、

「日本ではスポーツで飯を食っていけるのはプロ野球選手と

一部のJリーグの選手と相撲取り。

テニスとゴルフに関してはある程度のレベルに行くのには相当な

お金がかかるので貧乏では無理、お金があるならどうぞ!」

 っていう必要ってあるのかな? どうなのかな?

 

 僕も高校生くらいのときに将来は海外でボランティアしたいって話したら

 親から

「あんたみたいないい加減な人間には絶対に無理!」

 と何げなく言った一言に対して10倍くらいに否定されて、

二度と言わないと思ったことがあります。


 でも今はもう海外ボランティアに行ってきたら

 いつか母ちゃんにはいつか誤ってもらいたいね、

 (器小さいね・・・ボランティア行かせてもらったも、しょせんこんな器なのか?

  と言われそうです)

 大学に行きたいって言った時も

「絶対に無理!」って高校の先生に言われたし。
 
 アメリカのプロリーグに行きたいって言った時も

「考え方が甘い」
 
 ってエージェントに言われたし。

 親戚にも上司にも

 「ウラが考えてるみたいに世の中は甘いものではないよ」

 って言われてきたし、自分でもそう思ってはいるんだけど

 でも挑戦しないであきらめることが出来なくって

 とりあえず飛び込んで行ったら何とかなったんだよね。

  実際に飛び込んですぐは大変だったけど、人間の能力とか適応力は

 自分がおもってるよりも意外と高くて、今まで何とかなりました。


 「良い人との出会い、助けてくれる人がたくさんいたことも確かです」

 この言葉はあまり好きではないし、みんなよく使うからありきたりで

 嫌いなんだけど、確かにこれは本当。

 
  でも今の僕が16歳のころの僕

 「偏差値が大阪で最低レベルの普通科高校、アメフト部も大阪最弱

 漢字は書けなく、勉強はできなくて、実力も自信もないのにその裏返しで言う

ことだけは一人前、体力もなくて体は細くて、それでいて大人の言うことは聞かない」

 
 にアドバイスするとしたらなんて言うかな?

 「海外にボランティアに行けると思うよ、大学でアメフトもできるだろうし

 実業団でもできると思うよ」

 って言えるかなー? でも言わないといけないのかなー?
 

 それを言ったら無責任なのかなー?

 「しょせん他人の子供だから無責任なことを言って!」
  
 って父兄に怒られるかな?


 でも逆に有名な、ミュージシャンやお笑い芸人は周りにどれだけ否定されても

 迷いながらも自分を信じてやってきて成功してるんだろうしな・・・

 たとえ夢がかなわなかったとしても何かに一生懸命に打ち込んだ経験は人を成長させるし

、成功できなかったらそれはまたそれで、

頑張っている人の気持ちがよくわかる人間になれるしね。(そういう人は教員に向いていたり

 するとおもいます。)

 でもその場合は年齢を決めて

 25歳まで、とか30歳までというのを設定しておかないと駄目だろうね。

 

  いまどきの言葉で言うと「リアル」 ってことですね。

 あとは彼らが考える事だろうね。

 こちらは応援するしかできないよね。

 10年前の自分だったら(28歳ね)

 「絶対に夢は叶う、自分を信じて頑張ってみろ!」

 
 って言ってたんだけど、なんで年取るといえなくなるのかな?

  ひとつ今思っていることは、もしかしたら僕は自分の夢が結構

 叶ってしまって、でも叶ったらその夢は自分にとってはすでに過去に

 なってしまっていて、大したことではなくなっているというのがあるの
 
 かもしれません。だから夢をかなえたってしょせん人間は叶えた夢だけで

 一生食べていけるわけではなくって、次にまた生活のためなのか夢のため

 なのか現実(まさに「リアル」)が待っていて、過去に叶えた夢よりも

 今、現在の毎日の生活が結局は大切だと言うことが身にしみて分かっているか

らなのかもしれません。

 でもちょっと待てよ?
 
 そうなると自分の夢が貧乏フットボール選手や海外ボランティアではなくって、

 ビルゲイツだったら話は変わってくるな。

 だって叶えた夢と一緒に現金が残るからね。 

 資本主義社会では現金は夢よりも大きなものだよね!?

 自分の子供にプロゴルファーとかプロテニス選手になってもらえるかも

 しれないよね。

 やばい、結局は夢ではなく金なのか?

 いろんな矛盾が頭に浮かんできて、

 高校生に何を話したらよいのかわからなくなってきた・・・

  でも今回の高校はスポーツのことだけがテーマでよいんだったっけ?

 もう少し考えてみます・・・・