2010年11月1日月曜日

30年で2回



 <写真はバヌアツの小学校一年生。
 僕は彼らの何人を励ますことができたのかな?っておもいます、
 ウラに褒めてもらったから、あの後30年頑張ったよ!って言ってくれる人
 は将来いないと思うけど、僕はあれから30年間頑張ったつもりです>

 今から30年前、僕が大阪の吹田市、千里第二小学校に入学したとき、

 当時はまだ第二次ベビーブームでマンモス校と呼ばれていて、
 
木造校舎に40人以上の生徒が詰め込まれて、

 それが10クラス近くあって、うちの小学校はなぜか宝塚みたいに、

 雪組、星組、花組、月組、みたいにクラスが呼ばれていたころ。

 僕の担任の先生は当時30歳くらいだったサッカー部の顧問の先生でした。

 その先生が僕に

 「ウラ君、キミはサッカーが凄く上手だし体育がよくできる。

 きっとよい選手になるよ!」

週末にある地元のサッカークラブを紹介してくれました。

 僕はそれがとても嬉しくて、自分がサッカーが上手なんだと思い込んで、

 一生懸命サッカーをしていたのを思い出します。

 そう信じていたからサッカーが上手になったのだと思います。

 そのまま30過ぎるまでずっとスポーツしてきたから、

 あの先生の一言が僕の人生に与えた影響は大きかったと思うし。

 ウチの母親もいまだにその先生のことをよく覚えています。

 それから30年が経って昨年ウチ親父の看病の為に大阪に戻って

 午前中だけ中学校で非常勤の先生をしていましたが。

 たまたま小学校の体育科の先生と、

 中学校の体育科の先生達が一緒に集まる情報交換会みたいなのがあって、

 そこでその先生に30年ぶりに再開しました。

 30年ぶりでしたが、全く変わっていなかったので驚きました。

 中学校で非常勤をしていること、

 親父が一学期で亡くなってしまったことなどを話しました。
 
 その先生はすでに校長先生になっておられて、地元では有名な先生でした。

 二学期末に教育委員会から連絡があって、

 「三学期、小学校で妊娠されている女性の先生のかわりに週3回、

 午後に体育教えてもらえますか?体育だけなら浦さんが小学校で教えても大丈夫です。」

 という連絡があり、30年ぶりに恩師の先生の学校で働かせてもらいました。

 朝礼での初めての挨拶のとこに、 

「みんなの校長先生は30年前の僕が小学校一年生の時の担任の先生でした」

 っていったらみんなとても喜んでくれました。

 僕の人生を2回も変えてくれた先生にはとても感謝しています。

 教員ってよいものだな。と改めて感じました。

2010年10月30日土曜日

哀れな日本人に愛の手を?


 <写真は募金をするときに使っている僕のオリジナルボードです、
 バヌアツの時の写真が貼ってあって、次はアンゴラに行くので募金宜しく!
 って言うとみんな納得してくれます。言葉よりも写真の力は大きいです>

 募金活動をしていて、思うことはアフリカ出身の人は二手に分かれること。
 
 とても喜んでくれて、協力してくれる人と、

 明らかに不審感を持って気分を害する人に分かれます。
 
「お前は何でアフリカに行きたいんだ!」

「おれたちの写真を使って金を集めてるだけだろ」

「おれたちはほっておいてほしいだけなんだ、助けなんていらない」

「旅行者気分で人助けなんてできないよ」

 って言われます。僕の答えは

「僕はスポーツを教えるのが好きだからアフリカに行きたい。

日本でも先生をしていたし、バヌアツでも体育を教えていて

自分の経験の為、楽しい時間を過ごしたいだけなんだ」

 でもこの答えは僕が最初に協力隊に行く前とは全く違っています。

4年前に協力隊に行こうと思った時に感じていたのは

「困っている人を助けたい、日本人として何か貢献したい」

でした、だからバヌアツで海外のボランティアが口々に

 「経験の為、自分の人生を変えたかったから」

っていうのを聞いて、少し驚いたし

「税金使って来てるのに、少し無責任だな、受け入れ国にも失礼だ」

なんて思いました、

  でも今は違います。バヌアツに行って少し感じだことは

 「基本的に人が人を助けることはできない」

解釈が難しいし誤解を生んだら困るけど、助けようと思って何かをしてあげると、

 最初は相手も喜んでくれるけど、それが継続的に行われると、

 相手もやってもらって当たり前になってくる。

 こっちは助けてあげている、って思ってるけど、何の感謝もされなくなる、

 別に感謝されるために初めて人助けではないけど、それが当たり前になってきたり。

 「もっと助けて!」

 って言われたりすると、
 
 助けるのではなくて自立させることが大切だ。

ということに気がつくのだと思います。もちろん

 「魚を与えて一日を養うのではなく、漁法を伝えて一生を養う」

「食べ物を与えて難民にするのではなく、クワを与えて自立してもらう」

 この言葉は基本にあります。でもこの言葉は時に現実的ではないこともあります。

 日本人は教育水準が上がれば彼らは自律して立派にほかの国と競争できる、

 と思っていても、もともと途上国はそんなことを望んでいないこともあります。

 また

 「こんなに献身的に頑張ってる自分て素敵!」

みたいな感じで、単に自己満足になる人もいると思います。

 ヨーロッパに来て思うことはボランティアって人生の中の一時期

 に無給で働いてみることによって、人生観が変わったり、

 給料をもらって働くことと比較できたする良い機会になるのかな?

 と思いました。

 またアフリカ出身の人が嫌な気分になるもう一つの理由は

 たとえば満面の笑みの日本人の子供の写真をどこかの外国人が

 ポスターにして持っていて、そのポスターのスローガンに

「日本を助けよう!」

「日本人に愛の手を!」

「あなたの100円で沢山の日本人の命が救えます」

「日本には教育が必要です!」

 こんなのを持っている外国人の若者を海外で見たとき、

 自分はどんな気持ちがするかな?って思ったら、きっと良い気分にはならないだろうな。

 っておもいました。

 だからアフリカ出身の人になぜアフリカに行きたいんだ?

 って聞かれたら今は

「自分の経験の為です、僕が彼らを助けることなんてできないことはわかってる、

 ただ僕はアフリカに行って彼らと一緒に遊びたいだけなんです」

 って胸を張って言うようにしています。
 
 そうすると相手も納得してくれます。

 間違っても

 「彼らを助けたいのです」

って言ってはいけない気がしてます。

 それが4年前と今とで僕の中で変わったことだと思います。

それぞれの人がいろいろな思いでボランティアだったり、

 人助けをするのだと思いますし、その動機は全員が違っていて良いし、

 常に変わっていくものだと思いますが

 2010年の僕は今こんなふうにおもっています。

2010年10月29日金曜日

僕の頭は150ギガくらい


  <写真はブリリングトンという港町です、古い建物が今でも
   残っているなかなか味のある町でした>

 学生時代に勉強する意味は、用は自分が持っているラップトップの中に

どんどんいろいろな情報を入れていくようなものだとおもう。
 
 メールソフトは国語
 
理科はエクセルで作った書類

 算数も書類、音楽はもちろん音楽

 社会もあって、英語もあって、自分のラップトップのメモリーの中にいろいろな情報を

「詰め込んで」行く作業のような気がします。

 メモリーが80ギガの人もいれば、500ギガのひともいて、

IQが高ければ1テラバイト(1000ギガバイト)みたいな人もいると思います。

 そして年齢が重なるごとにウィンドウズもアップデートされていって、

それらの情報はさらに使いやすく自分の頭の中で整理させて、

必要な時に必要な情報が取り出せるようになります。

 そこで重要なのは単に1テラバイトの中に凄く沢山の情報を詰め込んだ

IQの高い人でも、それらの情報を必要な時に取り出す技術が無ければ、

持っている情報は意味がなくなってしまうのだと思います。

「確かこんな情報を持っていたと思うけど、どこのフォルダに入れたかな?」
 
って感じること、パソコン持っている人ならだれでもあると思います。

 だから1テラバイトの情報量よりも300ギガバイトくらいの

使える情報を持っているほうが意味があるのかもしれません。


 でもとりあえず学生というのは自分の持っているメモリーの

容量に入るだけの情報を入れることは大切なのだと思います。

 そしてできるだけ多くアップデートして、

沢山の情報を使いやすく頭の中で整理して、準備しておきます。

 なぜその必要があるの?っていうことになりますが、

その答えは学生が終わって、社会人になりますが、社会人とはすなわち


インターネットだからです。

 仕事を始めるということはプロバイダーと契約して、

インターネットにつなぐことができることだと思います。

 だから社会人になったらわからないことがあればすぐに

グーグルやヤフーで検索すれば良いのです。

もういちいち図書館に行って調べなくても上司や友達に聞くことができます。


そのインターネットとは上司や同僚、お得意さんのことです。

わからない言葉があったら、

自分のメモリーの中の情報からいちいち探すよりもすでに

情報や経験のある人から聞いたほうが早いからです。

いちいちメモリーの中からファイルを探す必要はありません。

 じゃあ学生時代に詰め込んできた情報の意味はあるの?何のために勉強するの?

 ってことになりますが、それはあります、

というのはネットの中の情報は本当のこともありますが、

嘘の情報や正確でない情報が沢山あるからです。

 それが世の中だし、社会なのだと思います。

インターネットの世界は意外と恐ろしいものなのです。

 そういった情報の中からどの情報が自分に必要で、

正確なのかを判断するためには、

今まで自分の中に貯め込んできた自分の

ラップトップの中に入っている情報が頼りになります。


 もしラップトップの中が空っぽで何の情報の蓄積もなくって、

その人がいきなりインターネットをつないだとしたら、

入ってくる情報が自分に必要なのか?正確なのか?わからなくなります。

とりあえず自分の興味のままにクリックし続けた結果が、

タチの悪い詐欺だったり、ウィルスが入ったりすること多いと思います。

 それをキチンと判断するには、

 ラップトップの中に最低でも300ギガバイトくらいの

 情報が入っていることが大切だと思います。


 ちなみに僕の頭のラップトップには150ギガくらいしか入っていませんが、

 その情報はすべて自分の経験の中でものすごく濃く刻み込まれた情報なので、

 とても使える情報だと思っています。時に相当偏っていますが・・・・

逆にいえば1テラバイトも情報量を学生時代に詰め込んだ人でも

 その情報の使い方を全く知らなければ、社会の中では全く使い物になりません。

そういう人は英語の単語も漢字も理科も社会も「情報」として頭に入れただけで、

 それがどういう情報なのか

 「知識」として自分で考えることをしなかった人だと思います。

 そして悲しいことに日本のテストの結果がすべてな学校ではそういう人でも

 「優等生」として扱ってくれます。

学生が終わるまではそれで良いのですが、そのあと社会に出ると困ったりします。
 
 自分の人生を外付けのハードディスクみたいな役割で終わるのならよいですけど、

 人生の醍醐味はやっぱり自分のラップトップでネットにつないで

 社会の一員として世の中をネットサーフィンしながら

 経験して行くことだと僕は思うからです。

 じゃあどうやって判断力を身につけていくの?ってことになりますが、

 それは、受験には関係のない 音楽、美術、体育、読書などから

 身につけること結構あると思います。
 
もちろんそのバックグランドには「国語」がとても必要です。

  国語がきちんとできて「言葉」として自分のハートに

 知識が刻み込まれなければ持っている「知識」はただの「情報」になるからです。

 今僕が中学生に「なんで勉強しないといけないの?」

 「学歴に何の意味があるの」

 って言われたら、こんな風に説明してみようと思っています。

 でもこれはあくまでも一つの側面からみた「勉強」に対する考え方です。

 もう少し深く考えてみようと思いますが、今日のところはすでに僕のラップトップ

 の能力以上考えたので、フリーズしてしまいました。ごめんなさい・・・・

2010年10月27日水曜日

役割



 <写真は今週に古着を集めに行ったスコットランドです。低い空と湿った大地どこまでも続く農園、湿気のせいかすべての色が濃く見えました。ウチ学校から500キロくらいあります。一人で行って、一人でホテル泊まって、一人で古着集めて帰ってきました。考える時間がありすぎて、逆に何も考えなくなってしまいました・・・>

 埼玉のガストで社員として5年間ほど働いていた事がありますが、

 そのころに面白い疑問がありました。

 ウチのガストの隣にはとても忙しいガソリンスタンドがあって、

 そこの店長はなかなかの人で、バイトの子達の接客態度もしっかりしていて、

 いつも感心します。

 そして一カ月に一度、その店長のオゴリでバイトの子達がガストに食事に来ます。

 すべてオゴリなのでみんな豪快に頼んで、豪快に食べて、

 ドリンクバー飲んで、タバコ沢山吸って帰ります。

 僕はひたすら彼らのテーブルが汚くならないように、

 食べ終わった食器を片づけて、

 すぐにいっぱいになる灰皿を新しいものに変えて回ります。
 
 テーブルにゴミが散らかって、灰皿があふれると、みんな行儀が悪くなる、

 というのがファミレスの社員として僕が学んだことだったからです。


 でもたまに僕がガソリンを入れに行くと、

 とてもキチンと働いて好感を持てて自分達も接客業しているその子達が、

 すぐ隣のウチのお店でこれほどまでに行儀悪くなれるのかなって、

 不思議に思った頃あります。

 たとえばその日の夕方に僕がガソリンを入れに行くと全く立場が逆になって、

 「ガストの人が来た!」

 って感じでなんとなく気まずくなるからです。

 そういう時って気持ちよく

 「いらっしゃいませ!」
 
 って言いにくいよね。

 そこで感じたことは、

 「日本人って凄くその役割を演じているんだな」

 っていうことでした。

 普段その子達は元気で礼儀正しいガソリンスタンドの店員を演じていて、

 僕はファミレスの社員を演じています。

 だから仕事が終わって演じなくてよい時には本当の自分が出ます。

 仕事中は少し我慢して演じているからです。

 僕自身はそういうときに演じるのが下手くそなきがします。 だから良く

 「お前は要領が悪い!」 って怒られました。

 これは型にはめるという日本の教育のシステムから始まっているのだと思います。


 日本の良いところでもあり、悪いところでもあるきがします。

 役割で自分を殺すこともでるからです。

 そして殺しているうちに身に着くことも多くあると思います。

 
 忍耐強いといえば響きは良いし、

 日本人は裏表があるといわれる理由もそこだと思います。
 

 僕も無意識の自分の行動のなかからそういう面を感じることあります。


 これはイギリスだけでは無くて、海外に行くと思うことですが、

 どんなサービス業の人でも、決して自分を演じていなくて、

 ありのままの自分でいるな。って思います。

 日本でよくあるマニュアル先行ではないのです。

 だから時にサービス業の店員の態度が悪いと腹を立てることがあります。


 外国の店員さんはあくまでも店員を演じているのではなくて、

「自分らしく居ること」

 が優先されているからだと思います。

 だから横で外国人同士がお客さんと店員さんとして対等に世間話をしているのを見ると、

 この人達前から友達だったのかな? って思うことあります。

日本には「お客様は神様です」

っていう言葉があるくらいだものね。

 でも隣同士のガソリンスタンドとファミレスで、

 昼間はガソリンスタンドの店員さんが神様で、

 夕方僕がガソリンを入れに行ったときは僕が神様になる! 

 って何か疲れるよね。どことなく滑稽だよね。

 常にどちらの立場の時でもお互いに尊重して生きていたいよね。
 
 なんで常に自分であってはいけないのかな?

 自分らしく接客することがなぜ認められないのかな?

 レベルの低い人達が居るから、マニュアル作って押しつけたほうが簡単だ。

 という意見もあるかもしれないけど、

 逆に言ったらマニュアル以上の接客のできる人を白けさすし、

 接客されるほうもどこまでがマニュアルの笑顔で、

 どこからがその人の本心の笑顔かわからないと人間として接しにくいよね?

 日本は常に型にはまってるよね。
 

 30代の男は結婚しているべき!

 お年寄りは大らかであるべき!

 子供は無邪気であるべき!

 運動してる人はさわやかであるべき!

 長距離トラックの運転手はやしろあきを聞くべき!

 テレビ局のプロディーサーは石田純一であるべき!

 東大卒はプライド高くあるべき!

 課長は細くて神経質そうであるべき!

 部長は、小太りであるべき!

 新入社員の女の子は賢くてはいけないべき?
 (馬鹿を演じなくてはいけないってことです)

 30前の女子はたとえ結婚したくなくっても結婚を焦っているふりをするべき!

 お笑い芸人は自虐的であるべき。

 っていうなんとなく型にはまっていることを社会も要求するし、

 その肩にはまっているほうが何かと人生が生きやすくなるような

 仕組みができていると思います。

 
 おそらく企業がそれぞれの世代の多数派の人に向けて物を売りだしたり、

 宣伝広告出しているから、無意識のうちのそれに乗っかって、

 お金さえ払っていれば日本人の考える

 理想の日本人像」

 みたいなのに近づいていって、周りも本人も安心できるからかもしれません。

 そういうの外国ではあまり感じないです。

 僕が36歳っていうと、急に敬語になってよそよそしくなるわけでもなく、

 (英語に敬語無いしね)

 普通に20歳の人も今までとおなじように接してくれるし、

 年長だからという理由で、何かみんなから尊敬を受けた記憶もありません。

 ある意味36歳を演じる必要が無いので、気持ちは楽です。

 自分らしく入れます。

 でもそうやって自分らしく居ることは日本人には難しいのかもね。

自分ってどういう人なの?

ってあまり意識しないで生きているからだと思います。

 別に日本が悪いとは思ってないのだけど、そういうことをたまに

意識して生活してみるとまた面白いかな?って思います。
 

 

2010年10月25日月曜日

職業差別



 <写真は古着のコンテナを作っているイタリア人のトニーニョです。このコンテナ
  がコンビニとかパブとかスーパー、学校なんかに置いてあって、僕は車で回って
  中に入っている古着を集めます>


イギリス人で働いていて感じることだけど、職業差別が無いな。

って思います。

 常に人と人は対等で平等なんだ! っていう風に感じることがおおいです。

 募金活動していても

「私もボランティアしたいけど、忙しくてできないから、あなたに託します、

でもボランティアしてくれてありがとう」

 って言ってもらったことあるし。

 古着集めのコンテナを置く場所をお店に一軒一軒聞いて回ってもいても、
 
 「ウチはおけないけど、よい仕事だね、頑張ってね」

 って本心で言ってくれるし。

  先週も朝からドライブして、古着集めのコンテナを回っていたら、

 スーパーの清掃のオジサンがやってきて、

 「若い奴らがコンテナの周りにごみを捨てて汚れてしまってるけど、大丈夫かい?」
 
 って声かけてくれるし。

 その人もすでに60歳くらいの年だったと思うけど、

 杖みたいな先にごみを挟める棒みたいなのを持っていて、

 朝の7時くらいから一生懸命ごみを拾っていました。

 そしてみんなとても自分の仕事に誇りをもっているというか、

 僕がリサイクリングのコンテナを開けて、

 中に入っている誰かが入れたゴミと古着を少し

 ふてくされながら分別している時でも、凄く自然に。

 「おはよう、頑張ってるね、チャリティー活動してくれてありがとう!」

って声かけてくれいます。

 こんなところで汚い恰好して、ゴミと古着を分けてるアジア人になんで
 
こんなに親切なの?っておもいますが、

 僕の出会うイギリス人はそういう職業差別みたいなのは全くないみたいでうす。

 逆にいえば、40代50代くらいのキチンとした紳士が短パンにブーツはいて、

 郵便を配っていたりします。

 田舎の農家のオジサン達も夕方にはキチンと襟付きのシャツに着かえて、

 パブでビールを飲んでいます。

 決して作業着のままではパブにはいきません。

 そしてみんな凄く自分の仕事に誇りを持っているとともに、

 他人の仕事にも敬意を払います。


 一日中古着集めのコンテナから古着を回収して、疲れ切っていて、

 日差しが強くて夕方で外の気温は急に下がってきたのに、

 車の中は熱くてのどが渇いたな、と感じていた4時半頃。

 小学校の中のリサイクルセンターから古着を取り出して、

 次のコンテナの郵便番号をナビに打ち込んでいた時。

 子供がみんな帰った後の小学校で購買部の棚卸をしていた

 50代くらいのオジサンが、

 疲れて眉間にシワを寄せながらナビをにらんでいる僕のところに寄ってきて。

 「御苦労さま、よかったらこれ飲んで!」

 っていって紙パックのオレンジジュース2パックを

 大きな手のひらで僕に差し出してくれたとき、

「なんで僕がのど渇いてるってわかったんだろう?

 そしてなんでこんなところで作業着を着て古着集めてる

 アジア人にこんなにやさしくできるんだろう?」
 
 って嬉しさとともに疑問が沸きました。

日本では感じたことの少ない感覚だったからです。

 おそらくみんなが自分の仕事にプライドを持っているから、

 他人の仕事もけなさないのだと思います。
 
 そういう人間同士の平等っていうか、

 仕事や立場によって人の見方を変えないで、

 あくまでも個人と個人として人と接するところ、イギリス人は素晴らしいと思います。

 僕が日本で古着を回収している外国人を見た時に、

 そういう行動できるかな?って思ったら、なかなかできないと思います。

 イギリス人は合理的なのだと思います。

 決して人情とか憐みで親切にしているのではないんだよね。

 「なんで仕事で人を判断するの?」

 ってイギリス人は逆に疑問に思うのだろうね。

 自分にはそういう気持ちは少ないって思っていたけど、

 こちらに来てイギリス人と接していると、

 自分は無意識のうちに職業差別していたな、と感じました。

 そこは見習うべきところだと思います。

2010年10月22日金曜日

ガス欠


その日も朝からドライブしていました。

約250キロの旅ですが、朝にもらったガソリン代の5000円では足りそうもありません。

 選択肢は二つ、すべてのコンテナを回らずにガソリンの範囲ないで回るか、

自腹でガソリンを入れて、領収証であとから清算するか?

 そんなことを夕方の4時くらいから考えてきて、気がついたらすでに6時、

ついにガソリン切れのランプが赤く点灯しました。

 外は真っ暗、でもなんとか最後のコンテナの古着も回収、

なんとなく気持ちも楽になって、ナビを

「家に帰る!」

に選択して、あとはひたすらドライブするだけ、

でもこのまま高速に乗ってしまったらガス欠で止まる可能性もあるな、

なんとか高速に乗る前にガソリンを入れたい。

 って思っていたら、田舎だからなんと6時でガソリンスタンドが閉まっていました。

 やばい、もっと早めに決断して自腹でガソリン入れておくべきだった。

 って後悔しながら、暗い車内で赤く光る

エンプティー(空っぽ)ランプがやたらと気になります。

 高速までにガソリンスタンド無かったらやばいな・・・

 って冷や汗かきながら信号待ち。、田舎町で一車線なのに、

近くにある大型スーパーとイギリスでは意外と許されている

路上駐車のせいで道は少しだけ渋滞していました。

 こんなところでガス欠したらブーイングだろうな・・・

 って思いながら、疲れた頭と体で信号をまってました。

 青になったのに前の車が出発しないのは変だな?って思いながら

 イギリスはクラクション鳴らさないのが普通だし。

別にこっちも仕事が終わって帰るだけだから別に急いでないし、

ただ後続の車に悪いな、って思いながら、まっていました。

 もう一度信号が青になって、今度は明らかに出発してもらわないと困る感じ。

 でも前に止まっている軽自動車はなかなか出発しません。

 右折車に道譲ってるのかな?それとも友達を歩道に見つけて話してるのかな? 

って思ったら中から50歳くらいの女性が降りてきて

 「ガソリンが切れてしまったみたいで、押していただけませんか?」

 そんなこと人生で頼まれたこと無かったし、一瞬びっくりしたけど

 自分もガス欠寸前だったし、その気持ちよくわかるよ! ってことで

 なんかすごくエネルギーが沸いてきて。あわてて飛び降りて、軽自動車を押しました。

 なかなか動かないな?って思っていたら中学生くらいの男の子が
 
 全力疾走で走ってきて、隣で一緒に押してくれました。

 
 ふたりで10メートルくらい横の歩道に乗り上げるまで押して。

 そこでストップ。

  「ありがとう!」

 って言われてたから。
 
 「問題ないよ!」


 っていって自分の車に戻って後続の車にごめんね!

 って窓から挨拶して、出発しました。

  結局僕の車のガソリンは高速のひとつめのスタンドまでもったので、

 無事に帰ることができました。

  でもあの時に僕の力の入りようは普通では無かったと思います。

何か自分の車がガスケツして押すリハーサルしてるようなでも

半分はなぜかとても楽しい気分でした。こんなことあるんだなー

人助けして自分の気持ちも助けられることってあるよなー!

 って帰りの運転中に一人でニヤニヤといつまでもい笑ってしまいました。

2010年10月21日木曜日

忍耐力の続き③


 <写真は18歳予備校時代に大阪の淀川の河川敷のフットボールチームに参加していたころのものです。 一緒に写っているのは高校時代からの親友、ウッキーです、彼も僕の人生に大きく影響を与えた一人です、彼についてはまたいつか書きますね> 

ごめんなさい、忍耐力もうひとつ書きました。

 もし①と②を読んでいない方がいたら、順番が逆になっています。


ここまで書いてまたもう一つ深く考えると、

 なぜ高校三年間フットボールを続けられたのか? 

 ということになりますが。その理由の一つは劣等感からだと思います。

 専門学校を視野に入れながらやっと入った普通科高校でしたが、

 高校に入ったからと言って勉強ができるようになるわけでもなく、

 何か部活に入らないといけないと思って入ったアメフト部でしたが、

弱小チームで、公式戦も年に一度だけ一回戦で敗退するために出場するようなものでした。 

そのくせ練習だけはやたらときつくて、先輩にはいつもしごかれて、

 後輩にはなめられて、肩身の狭い3年間でしたが、なぜ続いたかというと、

「自分は勉強はできないから、

 もしアメフト部を辞めてしまったら学校に来る理由がなくなってしまう。

 子供のころから唯一好きだったスポーツまで辞めてしまったら、

 生きてる意味が本当に無くなる」

って思っていたからだと思います。

 もちろん、もう一つの理由は先輩と顧問の先生が怖くて辞めると

 言えなかったというのもあります。

 
 まあ理由はともあれ、一つのことに打ち込んだ高校三年間でしたが、

 3年間、嫌々続けてみると、それはそれなりに何か心に訴えるものがあり、

 大学に行ってやってみたい!

  って思うようになりました。

 たまたま大学に行った先輩が練習を見に来てくれて、

「ウチの大学は推薦なら、論文とフットボールだけで受験できるよ」

っていわれて、勉強しなくて大学に行けるんだ! 

 っていう甘い考えから始まったものでした。
 
 
 結局は現役で8校受けてすべて不合格、順調に予備校に入学しました。

 勉強嫌いな僕が予備校で自分に誓ったことはただ一つ。

「この受験勉強は勉強では無いんだ、

 大学でフットボールをするための入団試験の為のものなんだ、

 だからこれは勉強ではなくて、フットボールの一つなんだ、

 ウエイトしたり、練習したり、長距離はしったりして

 体を鍛えてフットボールが上手くなるための一つの手段なんだ

 だから受験勉強もフットボールの一環だと思えばよい」

 って自分に言い聞かせました。

 勉強を勉強と思わず、フットボールなんだ、と思えば意外と素直に机にむかえました。

 

 社会人でファミレスのスカイラークに入って、

 ガストの洗い場の油と食べ残しが浮いているシンクの中に初めて

 手を突っ込んだ時も思いました。
 

 「体育大学出てなんでこんな仕事してるんだろう?

 でも我慢できる、これをしてるから安心して実業団で社会人として

 フットボールができるんだ、日本一を目指せるんだ。

 この洗い場もフットボールのうちなんだ」

 
 って思って手を突っ込んだのを今でも覚えています。

 「日本一になるためなら、なんでもする、それが本当のプライドっていうものだ」

 って思っていました。

 元をただせばすべて自分の劣等感から来たのだと思います。

 みんなと同じレベルになりたい、社会に受け入れてもらいたい。

 チームのみんなと一緒に試合に出たい。さらに上のレベルでフットボールがしたい。

 
 そういう気持ちが僕に高校三年間のアメフト部を続けさしたと思うし、

 社会人生活も続いたのだとおもっています。

 もし勉強ができて、なんの苦労や劣等感もなく高校に入学していたら、

 アメフト部はすぐに辞めていたと思います。

 だから時に劣等感ってときには大切なんだと思います。

 けして持っていて悪いものではない気がしています。