2012年7月12日木曜日

本当のプライスレスって何だろう

 日本で宝石を買いに行くと気にいったデザインは大抵高い、だから安くてソコソコのをとおもって選ぶと、なんか悲しくなる、みじめになる。途中から疲れてしまって 高い物=良い物 
となって自分の美的センスは関係なくなってしまう。

結局は高いのを買っても無駄使いをしたと後悔し、安いのを買うと「もっとお金があったら」と思って寂しくもなる。


 バヌアツの小さな離島の海岸で綺麗な石を探したときは胸が躍った。この砂浜で一番綺麗な石を探してやろうと思って夢中で探した。どんどん良いものが見つかってポケットがいっぱいになっても何も問題はない。最後に一つを選べばよいからね。 純粋に自分の好きな石を自分の五感を使って探すことができた。

 どっちもやっていることは同じ、気に入った「石」を一つ探しているだけなのだけど、金額という価値観が付いてくると純粋に自分の五感とか美的感覚を使うことができなくなってしまうのは悲しいものだと思う。


  日本の生活は貨幣社会なのでお金はとても大切だと思うけど、自分が一番美しいと思うものを見つけ出せる気持ちは年をとっても持ち続けていたいと思います。

 

2012年7月10日火曜日

楽して幸せになる方法

 一流のスポーツ選手が決勝戦ですごいプレーをした時に最後に言う言葉は
「気合で打ちました」 
 が多いよね。 だからかもしれないけどスポーツで勝つには気合が一番大切なのだと思っている人が多いと思います。
 
 でも実際はリーグ戦の初戦から決勝に行くまではあまり気合は関係無くって、どちらかと言えば、心(気合)、技、体の三つのバランスなんだよね。
  体(フィジカル)を鍛えることがまず基本、その次に技(テクニック)を身につけることが大切だよね。そして最後に心(メンタル)なのだと思います。
 ようは体力がついてテクニックがつけばメンタルは最後に自然とついてくるものだと思います。(京都大学のアメリカンフットボール部の水野監督も言っていました)
 だってリーグ戦の初戦から最後の決勝戦で使うのと同じくらいの気合を入れて戦っていたら途中で心が折れてしまうよね。
 そんな初戦から気合だけで戦っているギリギリのチームが優勝するとは思えないよね。 マンガじゃあるまいしね。
 
 心を33%、技を33%、体を33%鍛えて、最後に残った1%で完璧になるその最後が気合なのだというとかっこよいかもね。でもそういうものだと思います。

 最後までは体と技、土壇場まで来てこれ以上は体と技で何もすることはできないというところで最後に勝負を呼び込むのは気合なのだと思います。 だからMVPをとる人は
「気合で頑張りました。」
 となるのだと思います。
 
  これを世の中に当てはめると人生にも順番というか心技体的なものがあると思うんだよね。

 今の世の中って少し「お金」に対して意識しすぎだと思います。

 ようはよく頑張って努力した人がお金を持っているからみんなお金があれば成功なんだ、って思ってしまってるところがあるとおもうのだよね。
 MVP    = 気合で頑張った
 人気者  =  お金があるから人が寄ってくる
 
 でも本当はそうではないと思います。人が集まってくる人は決してお金だけではないと思うのだよね。
・体が丈夫で ・頭がよくって ・心(ハート)が良い、だから成功するのだと思います。まさに心技体だよね。
 もちろん頭が20%で体が30%で心が50%とかでも良いとは思うけどね。でもバランスが良いほうが人気が持続可能なのだと思います。

お金を持っているから人が寄ってくるのであればその人のお金に寄ってくるだけで決してその人間に寄ってくるのではないと思うのだよね。

 お金がある = 成功者 と思っていているのは用は気合があれば試合に勝てる。と勘違いしているのと同じだと思います。

 それを言うと女性の美しさも同じだと思うんだよね。
 女性のなかには 
 美しい = 幸せになれる  と強く信じ込んでエステとか洋服にお金を使っているけど、美しさと幸せは必ずしも=ではないと思います。

 女性に美しさを求めている男性はその女性の外見が好きなのであって「心」が好きなわけではないものね。こういう女性は自分自身でもうっすらとそれに気が付いていて、自分の美しさが衰える = 男性が去っていってしまう。 という頭の構造になっていて異常に美しさばかりにこだわったり、自分に自信が無くって異常に男性に尽くしたりするのだと思います。 そして自分より美しい女性が大嫌い! 
 でも実際は


 ⇒ きちんとした生活習慣をもっていて
      ⇒ 気立てが良くって
           ⇒美しい


 この三つのバランスで女性は幸せになるのだと思います。
 それが分かっている男性と一緒になるのが一番安心で幸せです。
 綺麗になる = 幸せになれる と勝手に美しさが幸せに直結すると思っていて、そこばかりに気を使っているよね。
 そうやってもうけているエステ業界やそれとセットになっている広告業界に食い物にされていることに気が付けないのは悲しいよね・・・・

 それでは努力の方向が間違っているからいつまでたっても自分が本当にほしいものは手に入れらないのだと思います。

  ・スポーツで勝つことも
  ・多くの友を持つことも
  ・幸せもつかむことも
 
 バランスが大切、もちろん気合やお金、美しさも要素のひとつで大切ではあるけども、それが一番大切。というのは間違えだと思います。それが分かれば人生は意外と簡単でみんなもっと楽にたのしく生きれるのだと思います。

 僕もそういう風に思って頑張ろうと思ってる今日この頃です。
 


 

 

2012年7月4日水曜日

京子と中子の間で・・・・


京王線との出会いはある朝に突然訪れた。

僕は毎朝新宿から中央線で八王子に通っているのだけど、この

中央線というのは2日に1度はダイアが遅れる。まあ遅れたところ

ですべての電車が10分とか20分とか遅れるので一本前に来る

はずだった電車に乗れるので問題のないことも多いのだけどね・・・・

その朝も6時40分ごろに中央線のホームにいた、八王子まで約

一時間、快速とかいってもほぼすべての駅に止まる。しかも八王

子から新宿に来る電車が混むの ならわかるが、新宿から八王子

に行く電車も混んでいて、一時間のうちの半分は座れない。家で

朝飯など食べた日には途中で気持ちが悪くなる。 慣れてきたひ 

とつわかったのは吉祥寺や立川の私立の小学校に通っている子

供は必ずその役で降りるので、その子供の前に立っていれば、そ

の駅に着けば必ず席が確保でき る。 大の大人がそんなセコイ

ことを思いついてしまうほどに中央線の朝は殺気立っているの

だ。


そんな僕と中央線のすさんだ関係がダラダラと続いた朝に京王線

に出会ってしまった。

そ の日もいつものように中央線は遅れていた。電車が10分遅れ

ると、そのあと八王子まで約20駅ある中央線の駅のホームに人

があふれんばかりに溜まってし まう。その全員が10分遅れてき

た電車に乗り込もうとする。 青梅線と分かれる立川などでは乗り

換えのためにホームに降りた人と、電車に乗り込もうとした 人が

どちらも一歩も動けず上り階段にも下り階段にも人があふれてい

てお互いに動きようがなくなってホームのモラルは朝から完全に

崩れてしま う。


そんな憂鬱な6通勤が今日も始まってしまう予感がした時40分の

中央線のホームでなんとなく京王という選択肢が頭に浮かんだ。


「そういえば京王線は中央線と並行して八王子まで行っている。少し歩いて京王線の新宿駅に行けば八王子まで座れるかも知れない、座れなくても中央線でなければもうなんだって良い」


少し浮ついた心で京王線 のホームへ行ってみた。 そこには少し

涼しい顔をした「京王八王子行」きが僕を待っていてくれた。 喜

びもせず、嫌がりもせずというかんじであった。しかも大して並ば

なくても席が確保できてしまったのだ。


八王子までの約45分間、本を読んだりうたた寝をしたり、朝から

とても癒されて出勤することができた。 そんな安心感が僕を京子

の虜にし、会社に申請した正式な通勤路である中子との関係を

少しずつ冷めさせていた。


中央 = JR  即ち  国立 (国鉄か・・・)

京王 = 私鉄 即ち  私立


やっぱり田舎者の僕としては国立大学の女性よりも私立大学の

お譲さまに心ひかれるし   京王と打ち込めば変換の仕方に

よっては「慶応 」と僕の意思とは関係なく慶応大学を 連想させる

文字が変換されることもある、中央は何度打っても中央大学だ、

変換のミスはない。 もちろん中央大学は素晴らしい学校だし国

立でもないが、しかし電鉄会社である限り、陸の王者を名乗る「慶

応」という言葉の響きには勝てないのである。

しかしそんな京子との甘い生活はやはり長くは続かないもので、

約2カ月続いた京子との関係も思わぬところで問題が出てきてし

まった。


この三ヶ月間の外勤の交通費の申請の時期が来てしまったのだ。
会社に正式に申請しているのは中子との関係であり、京子との関

係ではない。したがって外勤で中央線に乗った時には定期を持っ

ているという判断から交通費は支給されないことになる。 


しかし今の僕の生活は実質的には京子との事実婚になっている。 

ここで正式に中子との関係を終わらせて京子との関係をオフィ

シャルなものにすれば、中央線を使った外勤にも交通費が支給さ

れることになる。 そして僕の外勤は、日野市、立川市、武蔵野

市、青梅市と圧倒的に中央線沿線の外勤が多いのだ。 これは

馬鹿にならない金額である。 

今まで正式に交際をしていることになっていた中子と別れを告げ

て会社に京子との正式な関係告白すれば、中央線での交通費は

胸をはって申請できる。 事実僕は今中央線での出勤はほとんど

行っていない。 


しかし男として、一度申請した中子との関係を簡単に解消してよ

いのだろうか? という疑問も残る、やはり一度は世の中に計約

を明らかにした間柄ではあるのだ。 

中子に対してひとつ言い訳をさせてもらえばそもそも彼女は僕だ

けを乗せて走っているわけではないのだ。 遠い東京駅からほか

の多くの男たちを乗せており、僕は 途中の新宿から八王子まで

を利用しているだけ、八王子で中子も一緒に終点なのかといえば

彼女は僕を下した後も山梨のほうまで走って行ってしまう、所詮

僕は 彼女の路線の途中から乗り、途中で降りていくという行きず

りの客に過ぎないのだ、それに比べると京子は始発の新宿で僕

の乗車を待っていてくれて、そのまま一緒に 終点の京王八王子

までいってくれる、そこで僕を下して自分はほかの客を乗せてそ

の先に進むようなことはしない。

夕方にはまた京王八王子で僕の帰りを待っていてくれる。そこか

ら本を読んだりうたた寝をしたり新宿まで癒されながら帰る

ことができる。必ず席は確保できるし、ほかの乗客のマナーも決

して悪くない。 

ここはひとつ男として一大決心をするべき時なのか、それとも男

が一度決めた相手を簡単に変えることは許されないのか、アラ

フォー男は毎朝京子との甘えた関係を正式なものにするかどうか

を迷っているのである。 馬鹿馬鹿しくてすいません。

おしまい・・・・



2012年6月22日金曜日

人間に値札の付いている国、日本

本当の価値って何だろう? って最近よく考えてしまうんだよね。

 それは第2次ベビーブームの僕たち世代くらいが持っている悪い価値観なのだとおもうけど、

 お金がかかっている =  カッコ良い ステータスがある

  みたいな感覚がまだあるところだと思います。それが自分にとって本当に必要なものか
 
 どうかということではないんだよね。

  実際にグッチやコーチのデザインが好きかどうかではなくて、それがブランド品だから

 良いと思っている人。 結局は自分でその商品がよいのかどうかわからないから

 とりあえず他人に認められるブランドを買っておけば安心と思っている人が

 多いのだと思います。

 まあ僕が買えないからひがんでるのかもしれないけどね。

  たとえば一緒に結婚指輪を買いに行ったときに、

  そのお店の指輪に一つも値段が張っていなくても、

  もしくはすべての指輪に値段が初めから張ってあったとしても

  2回とも

 「私はこの指輪がよい!」

 と同じ指輪を選べる人がいたらその人は自分の価値観がしっかりしている

 人だと思います。

  100個の指輪のなかから選んだ一つが、3万円だったから、ほかのよりも安くて
 
 なんか納得いかない。 って思う人はだめだと思うんだよね。

   
 逆に値段を知らずに50万の指輪を選んだのならそこは男として

 何としても買ってあげたいと思うだろうしね。

   バヌアツでの人柄も同じでした。みんなお金を使っていないから、純粋にその人の人柄
 
 だけで勝負なんだよね。 良い人にはみんなが集まってくるし、嫌な人には集まってこない。

 もともとみんな平等だから上司も部下もないしね。地位とか名誉とかいうものがあるとしたら
 
 それは純粋に人柄の良さだけで判断されます。

  今の日本みたいにあの人は部長だから、とかあの人はお金もっているからとかという

 人間の値札みたいなものはバヌアツではついていないからね。

  だから3万円の指輪でも限りなく輝ける世界なんだよね。

  みんなが100%心から他人に優しくできる国なんだよね。

  震災があって世の中の価値観が研ぎ澄まされてきた時代になったと思います。

  本当に自分に必要なものを選べる人間になりたいな。と僕は思っていますし

 それを胸を張って言うことがかっこ悪い時代ではなくなってきたのだとも思います。

2012年6月17日日曜日

とっても難しい幸せ感の話

幸せな国指数
 
 人生満足度 × 平均寿命  ÷  地球環境負担度  =  幸福指数

 という計算みたいです。平均寿命と地球環境負担度というのは計算すればある程度の正確な数

字は出るのだとおもうけど、人生満足度という一番最初の部分は難しいよね?
 
日本人は国民性で
 
「俺って幸せ!」 と言ってる人にはなんとなくうさんくさく感じるところあるものね。

 本当に生活が充実している人は「脳ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

 という言葉があるように

  あなたは幸せですか? と聞かれた時に

  「幸せです」

  というのかどうかわからないよね。

 現在になってなぜ盛んに日本人の「幸せ感」について語られることが多いのかと考えると

 ひとつは震災があると思います。

もう一つは経済成長がこれ以上望めなくなってきたからだろうね。

 今あるお金でいかに幸せに満足して暮らしていけるか、ということを考えていかないと

 「お金がある = 幸せ」  という計算はこの先は通じなくなってきたのかもしれません。

  いままでそれが成り立ってきたことがおかしかったのかもね。戦後から70年間近くも
 
 経済成長を続けてきた国って世界中で何カ国あるのかな?

  世界一幸せといわれているブータンはもともと経済成長が望めなかったから

 お金がなくても幸せになることを考えよう、という「幸せ先進国」なのかもね、
 
 日本は「お金の先進国」ではあったけど、 お金がある = 幸せ ではないことに気がついて
  
 今からブータンやスウェーデン、スイスのような大人としての幸せを追求することができるように

 なっていくのかな?

   途上国の話を中学校や高校で話した時に

  「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」

  と聞くと

  「僕たちは幸せだと気がついた」

  と言ってくれてそれもまたうれしいのだけど、そういった現状を知る今日の今まで

 自分達が幸せなのかどうかすらも意識しないで生きていたって少し不思議だよね。

  もしかしたらそれを意識しないで生きてこれたことが「幸せ」ということなのかもしれないけどね。

    僕の話が逆に
 
 「海外では日本よりもお金持ちも国がもっとあります、医療、福祉、洋服や車のデザイン、

  生活の便利さは日本よりもさらに洗練されたものを持っています」

 というお話をしたあとに

 「それではみんなは今の日本を幸せだと思いますか?」

  という質問をしたら生徒はきっと

  「少し惨めだったことに気がつかされた・・・・」

  となるかもね。 

  
    そこが国際理解教育の難しいところで、他と比べて自分たちが幸せだと気がついてもらう

 のはまだまだ第一段階でその次の段階としては

 「それでは世界中の人達が環境を壊さずに格差がなくて平等に幸せだと思える世界を創造しよう

 というところまで持っていければもっと意味のある話ができると思います。

  このブログでも何回も書いてきたけど

 大人と子供の違いは、子供は自分の価値観がないので、他人と比べて自分が幸せかどうかを
 認識する、
 人より高級なカバンを買えるから自分は幸せだ、人より大きな家に住んでいるから自分は幸せだ、人より多くのお金をもっているから幸せだ。

 でも大人は自分の価値観をきちんと持っているから他人や金額は関係なく、自分にとって素敵だと思えるデザイン、自分にとって住み心地の良い家、ということなのだと思います。

  前にテレビで見たスウェーデン人の夫婦はお互いに仕事が忙しいから必要なのは夫婦が

 ゆっくりとくつろげるシンプルな家、大きな家は掃除も大変だし必要はない
 
 と話していました。

  その後にアメリカの成功者の家はプールとテニスコート、ホームシアターが完備という

 その設備は年に何回使うんだ?

  なぜ家の近所にあればよい施設を家のなかに作る必要があるのか?

 結局は自分たちが成功していることを他人に見せつける為の家であって、自分たちがくつろいで

 そこで人間らしい生活をするための家ではない。

 という印象を受けました。 いかにも歴史の重みを知らないアメリカ的な家だな。

 と感じました。 まあ「価値観」は一人一人違うのだから否定はしてはいけないのだろうけど、

 そういった生活をする人がいることが50年後や100年後の未来の世界に対して良い影響

 を与えるのかな? と思うとそうではない気がします。

  このテーマは今後も考えていきたいと思いますが長くなったのでひとまず

 今日はここまでにしますね。

 


2012年5月28日月曜日

広告会社に騙されない為に・・・

 久しぶりにバヌアツのメンバーと代々木公園に行きました。

ラオスフェスタがやっていたこともあって、公園内でビールを飲んだり、バドミントンをしたり、

サッカーをしたり、みんなそれぞれ楽しそうに遊んでいました。 

外国人が多いのも目につきました。

代々木公園は無料で入れるし、トイレはあるし、

コンビニでビールを買えば1000円あれば十分に酔っぱらえるし、

風は気持ちよいし、最高の一日でした。

(ラオスフェスタが無かったら代々木公園はビールだめなのかなー?)

海外に行くと改めて思うけど、みんなお金を使わずに楽しめる方法をよく知っていて、

それが一番良いと感じているようです。 

日本みたいに週末はディズニーランドとか車で郊外のアウトレットに行く。

次の週末はスカイツリーに! 

みたいな遊びってすべてがどこかの代理店がお金儲けのためにテレビコマーシャルや

電車の中刷り広告、トーキョーウォーカーなんかで宣伝していて。結局はお金が絡むんだよね。

いままではみんながそれがカッコよいとおもっていた時代だったと思います。

週初めの月曜日に

「スカイツリーに行ってきたよ!」

なんていうと、なんか最先端!いけてる人みたいな感じになるものね。

でも一番世の中に踊らされていて、

自分の楽しさがわかってない価値観の乏しい人だともいえるよね。

もちろん電車の中刷り広告に

「無料ではいれる代々木公園でコンビニで買ったビールを飲んで、一日1000円で酔っ払おう!」

なんて広告はだれもはらないとおもいます。どの会社も儲からないからね・・・・
 
でも海外ではそういう週末が当たり前。 

ハワイは公共の場での飲酒はだめだったけど、みんなビールをコップに入れ替えて、

バーベキューしてたし、そのレベルだと許されるしね。イギリスは犬の散歩とか乗馬、

乗馬というとお金がかかると思うけど、自分で普段から趣味でかっている馬だからタダです。

海外ではゴルフだって庶民のスポーツで2000円とか3000円だしね。

日本のゴルフは確実に商業ゴルフになってるよね。

海外にあこがれた高度成長時代の親父たちが勝手にゴルフを

崇拝しているだけだとおもいます。

お金を使う イコール 価値が高いこと  という方程式は明らかに成金&拝金主義の

下品な文化です。

心が豊かではない人間が惑わされる罠だよね。

  日本は何もかもが商売になっていて、それに踊らされていることができるお金もちが

最先端というような幼稚な文化があったのだと思います。

海外では

「週末にビーチに行こう!」

と言って寒くて泳げないシーズンでもビーチにって一日中ひなたぼっこしているし

「夕陽を見に行こう!」

「バーベキューをしよう!」 (もちろん入場料とかいらないところで)

「サイクリングしよう」

「犬の散歩しよう」

「木の実を採りに行こう」

「あるこう!」

なんでもありです。でも日本だとそういったお金を使わない地味な遊びはカッコ悪い・・・

みたいな風潮があったのだと思います。

でもこれからの時代はそれがありだと思うんだよね。

最近ぼくはよく図書館に行きます。

2週間借りれるから、とりあえず6,7冊を借りてきて、その2週間の間に読めなかったり、

読んでいたけどあまり楽しめなくって後回しになった本はいったん返してまた新く6,7冊を借りて

きます。 それだと常に一番読みたい本を読めるので、

「新書を1200円出して買ったから、面白くなても最後まで読もう。」

というような気持ちがないです。常に一番読みたい本が読めます。

でもバブルのころ、若いころの自分は図書館はなんかダサい人の行くところ。

 月曜日に

 「週末何してたの?

 って聞かれて

 「図書館に行ってた」

 っていったらなんとなく会話が終わりそうだったよね・・・

 でも今はそんなことないと思います。無駄な紙と印刷代を使わないため

にもどんどん利用するのが良いと思っています。

フリーマーケットでも市民プールでも公立学校でもカッコ悪くない!

そういう変な価値観に踊らされているのは第2次ベビーブームを含む今の30歳以上の

独身の人たちに多いと思います。あとは団塊世代ね。

30代でも結婚している人はある意味地に足が付いている生活をしているとおもうので、

お金を使わずに遊んでいると思うんだよね。

逆に言ったら広告を作ったりお金もうけをしている会社はそういう人達に宣伝しても

お金にならないからね。

アラフォーの独身者とか団塊世代に向けて宣伝するのが一番もうかるのだと思います。

そういう風潮が世の中に蔓延しているのが今の日本の悪いところだよね。

一万円使っても千円使っても一緒にいる仲間と自分が本当に好きなことが分かっていれば

お金なんて必要ないんだろ思います。

本当の価値観を見つけること、お金をかけずに楽しむこと。僕はどんどん見つけようと思います。

お金を使うよりも楽しいことが世界にはたくさんあるからね!

足りていないのはお金ではなくて、人生を楽しむためのイマジネーションのほうだと思います。

2012年5月24日木曜日

改めて格差って・・・

世界で一番幸せな国のバヌアツで毎日のように暇な親父たちに囲まれて聞かれたことがある

日本にも俺たちみたいにスタップノモ ようは無職の人っているのか?

まあ日本にもホームレスはいるから

「いなくはないよ」

って答えたら

「そいつらはやっぱりジャングルの中に住んでいるのか?」

って聞かれたので

「いや、逆に都会の中に住んでるよ」

「そうなのか、でも基本的にその人たちは俺達と同じようん生活をしているんだろ、

その人たちと俺達の違いはなんだ?」

って聞かれて困ったことがありました。

 プライドの問題だ! とも思ったけど、それだけで片づくものでもないよね・・・

 

アンゴラにいたときも一緒にいたケイタと話していたんだけど、

アンゴラの今のレベルって日本の江戸時代くらいかな?

でも江戸時代の人はそれなりにプライドを持って生活していたはずだす、けっして援助な

んて必要としてなかっただろうな。

じゃあ何故いまのアンゴラに援助が必要なのかな?
  
 それはアンゴラよりも進んでいる国があるからだし、鎖国していないので、そういった情報が

 流れてくることがみんなをダメにする。

そう思うと格差があるから人はみじめに思うんだよね。

 同じ時代に自分よりもよい生活をしている人がいる。

 それがストレスになるのだと思います。
 
 「大人は価値観がしっかりしているから人と比べない。

 子供は自分の価値観がないから人と比べたがる。」

  そうだよね! 大人になろうって感じてしまいます。