2010年8月27日金曜日

Ⅹメン


Xメン、っていう映画をみたことがあって、そのなかで面白いな?

って感じたことがありました。 4作目くらいだったと思います。

すでに何作も出されてると思うから、

過去のストーリーはわからないのだけど 相当いい加減な僕の解釈だと

人間の中の何人かの人達がスパイダーマンとかスーパーマンみたいに

特殊な能力を持つことになる。

 それは身体的だけではなくて、

超能力みたいな能力ももっていて彼らはミュータントと呼ばれている。

そしてそういう人達がきちんと社会に適応できるように、

 高いモラルと倫理観をもったリーダーみたいな人が、

 学校を作って、ミュータント達を受け入れて、

 その能力を悪いほうに使わないように教育している。

「自分達が持っている特別なパワーを自分で支配できるか、

 それともその特別なパワーに自分が支配されてしまうのか

 それがミュータントとしての大切なところだ。」



 多くのミュータント達は自分達が人間から進化してしまって、

時には親から驚かれたり、

自分で自分の力をコントロールできないことに戸惑いや恐怖を感じているが、

その学校に来ることによって、

同じ悩みを持っているほかのミュータント達にあって、安心する。

でも中には学校に合わなくて悪の世界に進んでしまう人ももいる。

 そんな中で地球では多数派である人間達は

 ミュータントの進化に対する研究を進めていて、

 ついに治療薬を発見する。そして

「ミュータントの皆さん。ついに私達はあなた達に対する治療薬を見つけました。

 これであなた達も普通の人間になれます。」
 
 というようなキャンペーンが始まる。

それが強制だったのか、そうでなかったのかは忘れてしまったが。

 
 ミュータント達はとても戸惑う。

 「これは病気ではない、進化なのだ、だから直す必要はない」

 「人間達は特殊な能力をもった我々を恐れているのだ、

 だから自分達でコントロールできるように治療薬を見つけた、

 でもだまされていはいけない、

 きっと治療に見せかけて我々を管理しようとするだけだ」

 
 という人も出てきます。

または人間の中に好きな人がいて、その人と結ばれたいから、

 進んで治療を受けてミュータントではなくなって、好きな人と結ばれたい

と思っている人もいます。

 Xメンのなかで意見が分かれます。


 多数派(マジョリティー) である人間達は彼らの能力を

 恐れているので、無理にでも治療を受けさせようとします。

 多数派って怖いな、進化ですら自分達でコントロールできないと
 
「治療」という名前を使って管理しようとする。

人間ってそういうものなんだなー! って思いました。

確かにXメンの中にも悪者がいて、人間を困らせています。



そして映画だから一応クライマックスがあって、

 強制的に治療を受けさせようとする一部の人間と、

 悪役のミュータント達、そしてそれを

 止めようとする善役のミュータント達が戦うことになります。

 

 薬を開発してた科学者を悪者のミュータントが捕まえてきて、

 さらしものにします。 科学者は言います。


 「私はあなた達の為に研究を進めたんだ、

  これで治療が可能になった、すべて君たちの為だったんだ」

 悪役のミュータントは言います。


 「お前からみたら、おれたちは治療が必要なくらいにみじめなのか?」


  そういえばそうだな?進化だもん、病気ではないよね、でもそれが


 多数派の人にとって恐怖になるのであれば治療という「善意」の


 言葉を使ってコントロールしようとする。

 

 でもたぶん自分でも同じことするんだろうな?とも感じました。

 だって自分と違うもの、理解できないものって怖いものね。

  結局、映画は善者ミュータントが勝って一安心。


 悪の親玉は治療薬を打たれて人間になってしまいます。

 要は「治療」されてしまいます。

そして人間とミュータントの共存生活は続きます。
 
 映画だからいろんな矛盾はたくさんあるけど、色々と考えさせら

れました。

 「他人の善意ほど人を傷つけるものはない」
 
 っていう言葉を昔に聞いて、意味が分からなかったけど、こういうときに

使うものなのかな?って思いました。

  映画の中ではミュータント達は「進化」してしまって治療させられるし、

 一方アフリカの人たちは「発達していない」という理由で強制的に

 パワーを持っている西洋文明に自分達の文化を「発展」という言葉によって
 
 変えさせされているし、そういうのって難しいなと思いました。

 でも実際に今この時点で命の危険にさらされている人をみたら助けなければ
 
 ならないことも真実だしね。

 答えはないと思います。常に迷うことが大切、

  これがあってる! これから10年はこれでいこう!なんていうことはあっては

 ならないのだと思います。 Xメン なかなか良い映画でした!

2010年8月24日火曜日

僕はフランス語もできます




 午後3時、眠たいまま勉強してた、トータル・コントロール・オブエミデミックス

 略してTCE っていう本が必要だったので、

本棚の前に立っていたアルツーにとってもらった。

 眠たいまま読ボーとして見てたけど、目次を見ても、

ページをめくっても全然頭に入ってこない。

見つけなければならないサバイバルの10のルール

っていう健康とか回虫とかの項目が全然見当たらない。


 5分くらいしてやっぱりこの本使うのやめようかな?

って思ったころ、アルツーが同じ表紙の本をもう一冊もってきて、

無言で僕の机の上に置いた。


 「何これ、上巻、下巻とかになってるの?

だってサバイバルの10のルール全く見つからないよ」

 って聞いたら、アルツーが


「ウラ何言ってんの?さっき俺が渡したのは、フランス語版だよ、

今持ってきたほうが英語版、

フランス語版だって今まで気がつかないで読んでたの?」


「アッ! 本当だ、よく見たらこれは英語じゃなかった!」


「ウラはフランス語よめるんだよ、きっとコンゴ(フランス語圏)に行けるよ」

 「本当だ、俺フランス語を話せたんだ」

 よく見たら
 
 HIV/ AIDS  が  VIH/SIDA って逆に書いてありました。

これってフランス語式なのかな?

 ブイ アイ エイチ / シダ? なんだこれ?って思ってました。

2010年8月23日月曜日

チームワークについて 7/6


 6回で書き終えるはずだったのに、7回目になってます。

すいません。 自分でもわからなくなってきたのでまとめますね。

良いチームワークとはメンバーの馴れ合いから生まれるのではなく、

個人個人がきちんと自律していなければならない。

 から始まって、

良いリーダーとは能力だけではなくて、きちんと

 「情と知」

 を兼ね備えていなければならない。

 その二つを持っているかどうかは引退後、何の利益も生まなくな

った時に良くわかる。

という感じだったと思います。

 ちなみに僕がフットボール選手のときに言われてうれしかったエピソードを書くと、

 2004プレーオフのアサヒビール戦、11月の横浜スタジアムの

 大事な試合で、僕はボールをキャッチ後に

相手の強烈なヒットを受けて、脳シントウ、

気がついたらスタジアムの真ん中で横たわっていました。


今でもその時の記憶はありません。

 でもラッキーなことに僕はボールを握ったまま倒れたので、

キャッチが認められました。


 試合を退場する僕を見ながらチームのみんなは感動したそうです。

 後から言われました。

「浦さんみたいに、普段ボーっとしててたいして何もしない人が、

ああいう大切な場面でたまに気合いの入ったプレーを見せると、

チームはとても勇気つけられるものですよ」


 「そうでしょ!」

 って素直に言えなかったけど、何となく自分らしいのかな?

って思いました。


 僕は線が細いので、肉食動物のなかに一匹だけ

草食動物が混じってアメフトをやってうみたいだ、って言われていました。


 高校時代のあだ名は

「バンビ」 でした。

 


チームワークの話でしたが、まとまらなくなってきたし、

もうまとめる必要もないかな?

もうすでに書きたいことは十分伝わったかな?って思ってきたので、

 ここまでにします。また何か気がついたら書くことにしますね。

  6回シリーズが7回になりましたが読んでいただいて

 ありがとうございました。

チームワークについて 6/6


 

少し話がチームワークからリーダーシップへと脱線してるような

気がしますが、このまま書こうと思います。



1、自分が本当にチームワークを大切にしていたのか?

2、良いリーダーシップを発揮してチームの一員として頑張っていたのか?

3、それとも自分の能力を鼻にかけてエゴのままに動いてチームに迷惑をかけていたのか?

 を判断する一つの基準があると思います。それは


「引退」

 
の後です、会社でもスポーツチームでも同じだと思います。


同じチームで一緒にプレーしていて、お互いに勝つために頑張ってきた、

または会社の利益の為に自分はとても貢献した。



 でも引退した後に誰も自分と連絡を取ろうとしなかったり、

引退して退職金をもらった瞬間に嫁さんに逃げられたり、

後輩やお得意さんから一切声がかからなくなった時に、


その人の人間的な魅力で、人が付いてきていたのか?

それとも単に能力があるから、みんなが利益のために我慢して一緒に働いて

いたのかがわかるのだと思います。


 そして本人もこう感じます。


「家族を守るため、会社の利益のため、

チームの勝利のために今まで自分を犠牲にして、

辛いことも頑張ったし、人が嫌がるような汚い仕事も時にはした、

沢山の人が自分のおかげで多くの利益を得たはずなのに、

なぜ自分の役目が終わった今、誰も自分のことを気にかけてくれないのか?」

 
 それに対しては沢山の角度から沢山の意見があると思います。

 たとえば

「家族の為、会社の為、勝利の為ってあなたは言うけど、

それは結局は自分がしたくてやったことでしょ。
 
見返りや人からの尊敬が欲しくてやっていたのではないはず、

今になって、自分はこれだけみんなの為に頑張ったのだから、

評価してほしい、って言ってもそれは遅い」


特に今の僕みたいなボランティア活動にはそういう問題があると思います。

いくら頑張ってもアフリカの人に感謝されることは少ないと思うし、

そもそも自分がやりたくてやってるんだから、

感謝なんて必要ないよね、それを履き違えて、

「自分はこんなにも他人の為に頑張っている」

って思うのなら、今すぐボランティアやめて、

自分の為に働いたほうが良いのかもしれません。



全く逆にこういう人も居ると思います。

 
それまで一生懸命に組織の為に頑張ってきたけど、あるとき急に身辺整理して、

「長い間大変お世話になりました、次の目標ができたので、

お先に抜けさせてもらいます。」

 っていって、急に去って行く人、僕はこういう人は好きです。

 

仕事人間ではなくて、バランスのとれた人だと思うし、そういう人

には引退後にも多くの人が関心を寄せると思います。


 ちなみにうちに親父が53歳の時に会社の早期退職優遇制度に

勝手に申しこんで、急に出家するといって母親に退職金半分を

渡して静岡にあるお寺に出発する前に言った言葉は

「俺は家族の為に頑張ったことは一度もない、

常に自分の為に頑張ってきた、

でも、家族がいてくれたから我慢して頑張れたことは沢山あった、

 だから感謝している。」

 と言って出て行きました。

 
 「親父、意外とさわやかだな!」

って僕はその時思っていました。


母親はとても怒っていました。

それが団塊世代の真ん中にいたうちの親父でした。

 でも大丈夫です、うちの親父にはきちんと「落ち」があります。

うちの親父の面白いところは、修行で毎日正座して、

 供え物のマンジュウを毎日こっそり食べていたら、

 持病の糖尿病が悪化して、正座のせいで足のスネにできたタコが膿んできて、

 このまま修行を続けたら両足を切断することになりますよ!

 ってドクターストップがかかって、下山してきたこと。


下山して、糖尿の治療をしていたら、口内炎が治らなくて、

病院に行ったら、すぐに大きな病院で検査してください、

って言われて、舌癌の告知を受けることになります。

 そこから9年間で4か所の転移と6回の手術。

 出家をあきらめた親父はその9年間の間にガンの治療と並行して

家の近所にあった関西大学の哲学科に3年生から編入、

無事に卒業して、大学院にも行き、卒論以外はすべての単位をとりました。

 
「卒論もできてるんやけど、出してしまうともう大学行かれないし、

 そうすると大学の図書館使えなくなるし、

 学生証無いと学割使えないからな、

 どうせ学歴なんてもう使うことないから卒業せんほうが便利やねん」

 と言っていました。

 ちなみに親父が携帯の支払いを学割にしていることや、

孫に会いに山口に行く時に学割使ってることに僕は驚きました。

 
 でもその間、親父の周りには常に沢山の人が面倒をみて心配してくれました。

 うちの親父は決して愛想が良いわけでもなく、飲みに行っても

金の払いが良いわけでもなく、特に会社を引退してからは、

元の同僚達に相当おごってもらってると思います。


 まさしくエゴの塊、ゴキブリのような人でしたが、周りからは

嫌われていないようでした。

おそらくうちの親父は他人の評価をまったく気にしない人間

だったからだと思います。



 

2010年8月22日日曜日

リームワークについて 5/6




 <この教会はヨークという土地の相当田舎の町の中心にあります。

 車を運転していて、突然ド田舎の真ん中に50メートルはある塔の

 がそびえたっているのを見た時はとても感動しました。

 YORKという土地は、イギリスの東側にありますが、もしかしたら

 アメリカの NEW YORK はここから来てるのかな? って思います>





  じゃあどうしたら、130%の選手がほかの天狗にならずにほかの選手

を助けることができるか?そこはとても難しいところになります。

 普通の人間は自分の能力が人よりも高ければそれを見せびらかした

り、人に評価してもらおうとするのは当たり前だし、むしろ普通です。

 
 その競技自体が好きで自分の能力を伸ばしたいだけなのか?

 対戦相手に勝つことが好きなのか?

 人に評価されて優越感をえたいのか?


 スポーツでも仕事でもその本質を見失うと道を誤るのだと思いますが。

 
 でもやっぱり人間だから、この三つともがミックスされて、その人の

意欲(モチベーション)になるのだと思います。
 



 でもそれで勝てなくって、その選手が自分のなかで、


「どうして俺がこれだけ頑張ってるのに勝てないのかな?」 


と考えて、自分と真剣に向き合った時、

その答えを見つけることができるのだと思います。


「自分の意見をみんなが聞いてくれないのは自分の人間性に魅力がないからだ」


「土壇場でチームが内部崩壊するのは中心選手である自分が我慢強くないからだ」


 と自分で気がつくことできれば、その人はおそらく本当のリーダーに

なれるのだと思います。


     「究極の個人技は、チームプレーに繋がってくる」


 自己中心的で自分の能力だけをひけらかすような選手は

「中途半端な良い選手」であって、「本当に良い選手」ではありません。

能力だけでハートのない選手になります。



そういう選手は周りも本人もとても不幸になります。

本人は自分がこれだけ頑張ってるのに勝てないのは周りの選手の能力

が低いせいだと嘆きます。

 

 せっかく人よりも恵まれたものを持っているのに不幸です。

究極の個人技は結局はチームプレーにつながってくる。

やっぱりそういうことなのだということだと思います。

 

2010年8月20日金曜日

チームワークについて4/6




 そこでどうやって助けるかが問題になります。

 よくこういう選手がいます。

「チームが勝っているのはおれが頑張ってるからだ、

おれは130%なのに70%の奴がチームにいるから、

いつまでたっても日本一にはなれない、70%の奴は今の倍は練習すべきだ。

だってそれはチームにとって迷惑だから、

おれたちは友達を作るために辛い練習しているのではない、

目標はあくまで日本一なのだ。」



 言ってることはあってます。

だってチームワークは勝つための要因の一つであって、

それがすべてではない、って僕も書いたし、70%の選手は努力するのは当たり前です。


 でも考えてみたら全員が100%の選手を

10人そろえることは無理なのだと思います。

どこのチームだって完全ではないから組織は面白いのだと思います。

巨人軍だって毎年日本一にはなれません。


 シーズン序盤は、130%の選手が多少は我儘でもなんとかなりますが、

プレーオフ、日本一をかけた決勝となると、

相手の選手のレベルも試合自体の質も上がってきて

130%の選手もたまにはミスをします。

ギリギリの試合になってくるからです。


 接戦が試合後半まで続き、

どちらのチームもものすごいプレッシャーの中で戦わなければならない時に、

もし130%の選手がミスをした時にチームの雰囲気はどうなるでしょうか?

 
 何となく「シラケル」のは当たり前です。

本人もまっとうな感覚を持っていれば、

自分の普段の行動や言動をが間違っていたことを反省するものだと思います。

 でも試合中にそんなことに気がついてもすでに遅いよね。

 試合で起こりうることはすべて事前に想定してそれに対して準備するチームが

 勝者になるのです。


何となくそのシラケタ雰囲気が少しずつ試合の流れを相手チームに運んでいきます。

 
 
 逆に130%の選手が常に謙虚で、文句も言わずチームの為に頑張っていたとします。

その選手が大舞台でミスしたとき、チーム全員が思うことはただ一つ。

 「あの人がミスしたのなら、おれが取り戻す!

            あの人のおかげでここまでこれたのだから」

チームがそういう流れになっていった時、

同じ力同士の試合では土壇場で少しずつ試合の流れは変わっていきます。

 
そういうチームは接戦になればなるほどさらに強くなっていきます。
 
まさしく試合を楽しんでいるのです、


 それが本当にスポーツを楽しんでいるときであって、

みんなが笑顔で楽しんでいるのとは全く違う楽しみです。

 ものすごく真剣、そして充実、心も体も震えます。

 信頼できるチームのみんなと一緒に何かに立ち向かえる時、

人間としてこれほどの充実感を味わうことはないと思います。
 

要は130%の選手が謙虚だと接戦になればなるほどチームの

結束は固くなるのです。 トップの選手が謙虚で我慢強いと、

下の選手も我慢できます。 接戦でのチーム内の崩壊はあり得ません。

 そういう雰囲気の中で勝ち取った勝利は、体が熱いのとは逆に

 背筋がゾーと冷たくなって、

眼球の裏が熱くなってから涙が押し出されるような感覚になります。
 
これ以上の充実感はないのだと思います。最高の勝利になります。

2010年8月19日木曜日

チームワークについて 3/6


 しかしチーム全員が70%というアベレージのチームは

 人間の能力は機械では測れないのでわかりません。

でもこうも考えられます。

一人は130%の能力を持っている、

5人は100%

あとは70%もいれば、110%もいる。

 こういう風になった場合には少しチームワークの意味が変わってきます。

130%の選手が70%の選手を補ったり、

相手からのダメージは少なくするように心掛ければ、

そこにチームワークが生まれます。

 両チームともの選手の能力だけがお互いに

10人足して1000なのであれば、お互いに助け合うチームのほうが、

けなしあっているチームよりも強くなることは確かだと思います。

 そこにはチームワークが必要となってきます。