2011年3月8日火曜日

南北問題


 僕の聞き取りが間違ってなければ、昨日生徒が僕に教えてくれた内容は

大統領かゲリラ側かは知らないけど、

「今のままの政治が続くのなら2年後にもう一度内戦を始める」

って発表したらしいです。

 「ウラはその頃もういないから大丈夫!」

 って何か自信ありげに言ってたけど、

2002年に終わった内戦から約10年、

現在二十歳の生徒達が10歳の頃からやっと国が良くなって、

10年間安定して教育を受けて、

これから先生になって国に恩返しできるという時になって、

また逆戻りなの?
 

 昔聞いたことがあります

 植民地から独立したアフリカの国は内戦が始まって彼らの中の誰かが

今度は自分達の国民を植民地化しようとする。

その政治が悪かったりすると、独立しなかったほうがましだった、

ということになる。

 血みどろの内戦が終わって、やっとのことで新政府が誕生した後の

第一段階は

「武装解除」

 みんなの武器を回収して、独裁政治、クーデター、軍隊が力を持ちすぎる

ことなどを避ける、3年から5年間



 第二段階は

「インフラ整備」

町づくりが始まる、内戦で壊された橋、水道、道路、病院、学校、地雷撤去

などを行って、効率よく生活できるように、町を整えていく。

 10年くらいかかる


 段三段階は

「教育」

 義務教育から初めて、長期的、計画的に物事を考えることができる人を

育てる、政治家でも教員でも今後の「国つくり」をきちんとできる人を育成

する、そしてその人達が社会に出て実際に活躍して国が良くなるまでにかか

る時間が

 20年から30年

 第三段階まで行けば、そこで初めて独立と自立が成功したことになるのか

も知れない、日本の戦後30年って第一次ベビーブーム、いまや団塊世代が

30歳のときだよね。日本人は良く頑張ったのだと思います。

 
アンゴラは内戦が終わって10年、中国の技術援助とともにこの10年で

インフラ整備が進んできています。女性や子供がやっと安心して暮らせるよ

うになってきたのに、

2年後に内戦はじめるのはあまり賢い選択ではないと思います。

 もう少し我慢して欲しいと思います。

 そして、もう一つの疑問は

ダイアモンドや石油をたくさん持っているアンゴラが今後順調に国力を伸ば

していったら、困る人達や国もあるのだと思います。

 内戦が始まってアンゴラからの石油の輸出が不安定になれば、

値段があがること間違いないしね。

 そしてアンゴラが石油とダイアモンドを売ったお金で順調に

成長していって、もともと賢くて真面目なこの人達が教育を受けて強くなる

ことを恐れている人や国もあるのだと思います。

 自分の国に資源がない先進国の国は、アンゴラのような国には常に不安定

であってもらうころが大切なのだと思います。

 だから国つくりがある程度成功してくると、

反政府側に都合の良い話を提案して

お金や武器を援助して、内戦を起こさすのかもしれません。

そうすれば第三国が介入できるビジネスチャンスがまた増えるわけだしね。

ものすごく奥が深くて、アフリカがいつまでも成長しなくて世界で問題視さ

れている一番の理由はここにあるのだと思います。

 こういうのを南北問題っていうのかな?

 それを操っているのは資本主義、物質主義でお金持ってないと勝ち組にな

れない、正義を叫ぶ貧乏な人は説得力が無く、

「いつまでも学ばない民衆」はお金をもっている強いひと人と国の言うことを聞

いてしまうのが現況なのだと思います。無意識のうちに自分もその民衆の一人

かもしれないけどね。



 日本の戦後の歴史は奇跡的だよね。

 アメリカ一国が日本の面倒を見てきたからからかな?

 それとも島国だし、資源とかないから利用価値がないと思われたのか、

日本がまさかこれほど「物づくり」上手だとはどこの国も気がつかなくって、

気がついたら自分達が買う側になっていてお金払わされていたのかもね。

 日本は国としては戦前からすでに成熟した国だったこともあるのかな?

 建国200年のアメリカには理解できないし、コントロールできない

部分もあったのだと思います。


 日本人は、日本のそういった世界の中でもユニークな歴史をたどってきたこ

とを意識しながら、よその国とかかわっていけたらと思います。

 


 そしてそうやってアンゴラの利用している一部の人達に、

「アンゴラを利用するのは良くない」

 と言ったとすると、

 「何が悪いの、自国の利益考えるの当たり前じゃない、俺達は頭が良い
 
  だけだよ、国際社会ではそれが当たり前じゃない?

  アンゴラ人には内戦を断る選択肢もあるんだしね、俺達は選択肢を

  増やしてあげているだけ、選択しているのは彼だから俺達悪くないよ」

 ってあっさり言われるのだとおもいます。

 ヨーロッパを中心とする「西洋文化」ではすでに何千年も前からそうやって

 お互いに駆け引きしあって歴史を作ってきたわけだから、それは汚いことでは

無くって、当たり前なんだと思います。そういった国から見たらアンゴラ

みたいに、「幼い」国を外からコントロールすることは

 簡単なことなのかもしれません。 アフリカの本当の問題はここにあるの

かもね。

 

 自分の国の国民に選ばれた政治家達がよその国の利益になることより

自分の国の国民の利益を考えることは当たり前だものね。

 
 今一緒にいる生徒達が2年後に兵隊ではなくて教員になって欲しいと

 僕は思います。

 せっかく10年かけて育ててきた長期的に物事を考える事ができる

 人達なんだからね。

 大事なことはそこまでわかっていも現場レベルで毎日コツコツ

頑張ることだとも思います。それができないと「自分の為」に良くない

気がします。文句ばかり言っていても誰も僕の為の都合の良い人生を

 作ってくれるわけではないしね。

 今日も一日健康で頑張れればとりあえず2年後も良くなると信じようと

思います。

2011年3月7日月曜日

平凡で非凡な日曜日


 <写真は水場から見える学校と農園の風景です>

日曜日なので水場に洗濯に行った。

 ナイススミス、ゴメシュ、ジョニートの三人が先にいて、

 ナイススミスはラジオの音楽に合わせて上半身裸で静かにずっと

踊り続けていた、ゴメシュ、ジョニートは洗濯をしていた。
 
ラジオからかかっている曲はレディー・ガガ

 その後はアメリカのヒットソングがずっとかかっていて、

  ゆっくりと踊っているナイススミスと洗濯の二人が話している内容は

 デモクラシー、アメリカ、アンゴラ、テクノロジー、アジア、中国、

日本、教育、お金、など聞き取れたのはそんな感じだけど、

雰囲気からいって民主主義について話しているみたいだった、

 


  「アンゴラ人が日曜日にアメリカンポップスに

    乗って踊りながらポルトガル語で民主主義について真剣に話しているのを

    洗濯しながら横で聞いている日本人の僕」



地球は果てしなく広いのか狭いのか理解に苦しむなー、

と思っていたらレディー・ガガが終わった直後のラジオのコマーシャルは

いきなり元気の良い中国語でした。
 
「これもまたありだよねー」

っておもいながら、気がついたらポルトガル語のラブソングが

流れているみたいで、三人はうれしそうに合唱していました。

 その後にトレイシー・チャップマンという僕が中学校の頃にはやった、

曲の少し新しいバージョンの曲が流れていて、

なんとなく懐かしかったし、

あの頃はまったく歌詞とか理解していなかったけど、

今英語で聞くと少しだけ意味がわかるようになったなー、

と自分も少し変わったんだなー、と感じながら、

気がついたら三人は洗濯が終わって戻っていき、

時間は午後の1時、強い日差しだけど、

乾いた風が吹く水場の空気はなんとなく気持ちよくて、

木陰でしばらく風に当たっていました。

 「人種も大陸も言葉も時間さえも混ざりあう世の中なんだなー」

  寝坊して、何をするにも中途半端な時間だから、

とりあえず洗濯して昼飯まで時間つぶそう、

っていう本当にごく平凡なよくある日曜日の風景なのに、

これだけの事が混ざり合っているんだなー、
 
三人がラジオとともにいなくなって静まりかえった

アンゴラの水場でしばらくボーっとして今いました・・・・
 
 なんとなく良い日曜日でした

2011年3月2日水曜日

「中途半端に賢い人」と「本当に賢い人」


 <僕の髪はこちらでは珍しいけど、黒人の人の髪ってとっても
  やわらかくて驚きます。フワフワです>

 僕は大学から社会人3年目まで、7年間ずっと2軍でした、いつも試合で

活躍している同期や先輩の姿をみて、自分もいつか試合に出たい!

 って思っていたし、試合に出てる人の何か助けになれば。

と思ってチームの為にがんばっていました。

 そういう2軍の選手から見ると、一軍の選手の中でも二つのタイプの選

手がいることがわかります。

 一つはプレーできていることに感謝できている選手、二軍の僕達のこと

も気遣ってくれて、自分が活躍することよりも、チームの勝利を考えてい

る選手、そういう選手が試合中に良いプレーをすると、試合に出ていない

こちらも感動するし、たとえそういう選手が良いプレーができなかったと

しても

「頑張って欲しい!」

 という気持ちが沸き起こります。試合中でも思わず

「今日も期待してますよ!」

って声をかけに行ってしまいます。

 それがその人にどれほどの効果があるかわわからないけど、

みんなが必死なときにたとえ2軍の僕からでも励ましてもらえることはと

ても意味があると僕は思います。

 もう一つはもともとセンスがあってあまり努力しなくても活躍できる選

手、どちらかと言えば、毎日努力しても試合に出れていない僕のような選

手が馬鹿らしく見えるし、へたくそな選手に足を引っ張られてチームが負

けるのは迷惑だ、と考えている選手。

 仕事なら40代、50代で結果が出ることが多いから実力と人間としての

器が同じタイミングで育ってくると思うけど、スポーツは10代、20代

ですでに一流になれるものね、逆に30代に入ると練習量が落ちてしまう

のは仕方が無いよね。

 だから人間としての器が出来上がる前にものすごい地位と名声を手にし

てしまえば、そうならないほうがおかしいのだと思います。

 そして、

「俺がこれだけ頑張っているのに、ほかの選手のせいで勝てなかった」

「へたくそ組のやつらは今の倍は練習してもらわないと、チームは勝てない、それがチームのためだ」

「もっと自分は尊敬されるべきだ、これだけ試合中にチームで貢献しているのだから」

 というような気持ちが起こるのだと思います。

 そしてそういう選手が怪我で練習を休んでいたり、辛い練習をしなかっ

たり、練習に遅れてきたりすると、なんとなく2軍にいる僕は

「シラケテ」しまうよね。

 その人の倍は努力してるはずなのに、才能が無い、認められない、チー

ムのお荷物扱い、フットボールではなくて仕事でしか貢献できない僕とし

ては素直にチームを応援できなくなるのだと思います。

 今となっては

僕の努力の仕方が間違っていたからいつまでも2軍だったのだ!

 と認めるしかないですけどね・・・・

 まあそのときは若かったし、やっぱり悔しかったのを思い出します。

 そんな話をなぜ今ごろ思い出したかというと、

才能だけがある選手を「中途半端に賢い人」とすると

才能があってしかも2軍の選手やチーム全体のことを考えることができる

選手は「本当に賢い人」

なのだと思うからです。そこまで気がつけるというのは本当に賢いのだと思います。

 中途半端に賢い選手は

自分のため、自分の名誉のため、自己満足のためにプレーするし、自分の

才能を使うと思いますが。

 本当に賢い人は自分の才能を、組織全体のため、弱い立場の人のため、

世の為に使ってくれるのだと思います。

 そういった「使命感」を持ってる人は判断を間違えないし、自分の才能

以上のものを発揮することができるのだと重います。

 回りも応援してくれるしね。やる気が持続するのだと思います。

 でも「自己満足」の為にやっている人はやっぱり途中で挫折することも

多いのだと思います。そこで気がついて世の為人のためにと思える人もい

ると思いますし、

「俺がここまで頑張っているのみ、認めてくれなかった社会が間違っている」

となってせっかくの才能を無駄に終わらせてしまう人もいるのだと思います。

 ずっと2軍だった僕から見たら、なんともったいない・・・・

 ということになるのかもしれませんし、彼らから見たら

「ずっと2軍の奴は良いよな、栄光が無かった分、挫折を感じなくてもすむ、でも俺は一度頂点に立ったから落ちたときのショックは大きいのだ・・・」

 となるのかも知れません。

 僕の周りには「本当に賢い人」と「中途半端に賢い人」

の両方がいたと思います。

そして本当に賢い人は引退してもほかの業界で今でも輝いています。

そういう人は自分のためだけに努力しているのではないので、

判断力が良いし、使命感をもっています。

 挫折しても立ち上がります。やっぱり人間って自分のエゴだけの為に働

き続けることってよっぽどのエゴの強い人で無い限り難しいのだと思いま

す。家族のためとか社会のために働いているほうが人も集まってきて、

やる気が継続しやすいのだと思います。

 僕はいまだに人生は2軍ですが、先輩にもそして最近は後輩にも

「本当に賢い人」が出てきました。

 30代になって、そういう人達が自分の「使命」に気がついて、それぞ

れの道を進んでいくのを見ると、自分もエネルギーをもらえる気がします。

 それはちょうど試合中に

「今日も期待していますよ!」

って言いに行きたい気持ちと似ています。

 みんな僕より出世して、

 僕のことをいつか雇ってくれたらうれしいです。

 下働きならいまでも結構良い仕事する自身ありますよ。

2011年2月27日日曜日

自主性を保ちながら管理すること


 <いつもは干上がっていて歩いてわたれる川ですが、上流で雨がふったので
 今日は靴を脱いで濡れながらわたりました>

 「自主性を保ちながら管理すること」って本当に難しいなと改めて

感じてしまいます。それは実業団のフットボールでも、ファミレスの店舗

でも、大学の体育会でも同じだと思います。

 組織が大きくなって、一人ひとりの意見が反映されなくなると、

みんな自分では考えることをやめてしまって、従うだけになるんだよね。
 
 だからといって、自主性に任せてしまうと、方向性を見失ったり、

モラルが下がったりしてしまいます。

 それを保つにはきちんとしたビジョンを持つリーダーが常に全

体を「見守る」ことができることが大切なのかもしれません。

 常に上の人が自分を見ていてくれているという「安心感」

はやる気とモラルを保つには大切なのだと思います。

管理する側がそれをしなくなると

管理される側もそれをしなくなります。

 実業団でフットボールをしていた頃に九州から来た選手がいました。

3年間関東の実業団でフットボールを勉強して母校に戻って、

自分の大学を九州で優勝させる。

 というのが目標だったので、良い選手だったのに

3年でやめて九州に戻りました。

 僕と何人かの同期が年に2回ほどその大学に呼ばれて教えていたのです

が、一番最初に合宿に呼ばれていったときの選手達の目の輝きは凄いもの

がありました。

 今までは関東の大学のビデオを見ながら選手同士で

「ああでもない、こうでもない」

と話し合って、そのまねをしていたのが、それを実際にやっていて、

今は実業団でプレーしている僕達が教えに来たのだから、

喜んでくれるよね。

 金髪に髪を染めたり、関東とはまた違うファッションでたくみに九州弁

をあやつる学生達のフットボールに対する質問は、

とても高度なものから、単純なものまで数多くあり。

 「実際に関東でやってる俺達もそこまで考えてないよ!」

っていう質問から。

 「よくこのレベルまで考えてるな?」

と感心させられるものまで、選手の意識の高さはすばらしいものがありました。

 
2年、3年と続けて行っているうちにあるプレーの選手の動きが気になって

「何でこのプレーはこうやって動いてるの?」

 ってきいたところ

自分が、大学一年生のときにウラサンにこの動きを教えていただきました

 だからそれから3年間、ずっとこれを守ってやってきました」

って言われて、

 とても驚いたし感動もしたし責任を感じた記憶があります。

 その後、僕は自分のフットボールが忙しくなり、2年ほどその大学から

遠ざかってしまいましたが、その間に創部30年近くで初の九州制覇をと

げ、大学から予算もたくさん下りて、しかも高校からのスポーツ推薦枠も

3人までが10人近く取れるようになり。

チームの環境も大分良なりました。

 俺達貢献できたのかなー?なんておもって久しぶりにコーチに行った

時には、きれいなミーティングルームも完成して、エアコンがかかった

なかでミーティングして、グランドで練習もしましたが。

 ミーティングでは特に質問もなく、選手はフットボールに対して自分達

で考えるのを辞めてしまって、コーチにやらされる感じでした。

 練習前の自主練習もとくに行わず、どこの体育会でもある練習前の憂鬱

な雰囲気が漂うチームになってしまっていました。

 僕の同期は監督になっていましたが、自主性の無い選手に怒ることも多

くなり、選手からは鬼コーチ呼ばわりでした。

 九州で優勝してからはそれまで関心を持っていなかったOB達がやたら

と口を出すようになって、関東から来た僕達があまり歓迎されなくなり。

高校で野球や柔道をしていて、運動能力が高く推薦で入ってきた能力の高

い選手は先輩を尊敬しなくなって、

5年ほど前に初めて僕達が尋ねたときの雰囲気は

なくなってしまっていました。

 ちなみに5年前に初めてその大学の合宿に呼ばれていったとき、

僕は夜中にものすごく怖い夢を見て、金縛りにもあい。

九州にはオバケがいると感じて
 
人生で初めて夜中にトイレに行くのが怖くなって一緒に寝ていた同期を起

こしてトイレに行ったことが、

次の日の朝には選手全員に知れ渡っていて。

「ウラサン偉そうなこと行ってるけど、
 大人なのに怖い夢見てトイレ行けなくなったらしいぞ」
 
 と選手にささやかれていたことを合宿の帰りに聞きました。

 でもあの旅館絶対に何かいたと思います。

選手達はチームを変えるためにわざわざ関東の実業団で3年も修行して、

自分達のチームを九州で優勝させた

僕の同期の長年の情熱を理解しているのかな?

と感じながら、人を管理すること、教育すること、そして

「鬼コーチ」
とささやかれても情熱を持ち続けることは大変だし、

それができて初めて、「教育者」なのだと感じました。

 アンゴラの学生はとても自主性があります。

子供の頃から自分から主張して勝ち取っていかないと、

食事でも勉強でも誰も準備してくれないからです。
ここにいる生徒はとても高い生存競争のなかで勝ち残っていた

生徒なのです。実際に多くの生徒たちが兄弟の死を経験しています。

 ようは九州の大学に僕が始めていったときのような

「向上心」と「野望」が彼らにはあります。

こちらが管理しすぎて、甘やかされた生徒にしてしまうよりも、

できるだけ一緒に働いて、何かを感じてもらって

今後の人生に生かしてもらうことが、半年しかいない僕にできる

最低で最高のことなのではと感じます。

 ちなみにアンゴラではまだ怖い夢を見ていないので、

今のところ「ウラはカラテを扱う凄い日本人だ!」

 ということになっているはずです。

2011年2月25日金曜日

久米宏的教員と筑紫哲也的教員


 
 <写真は毎日僕達が食べている豆を料理しているところです>

  親父に言われたことがある、この二人の違いはなにか?

 久米宏はアナウンサーのプロである、だから話すことは上手だし。

 表現力も豊かである。視聴者が求めているものが何かを見極めて

 それに答えるべくニュースを作ってサービスのように届ける。

 
 筑紫哲也はもともとアナウンサーではなく、新聞社で働いていた。

 だから社会人としての経験がとても長く、世の中の「現実」や汚い

部分もたくさん学んできたことになる。

 だから時に番組の中でコメントに詰まって

 「うーん、難しい問題ですね」

 とかいって、何か考えているような時がある。

 きっと過去の自分の経験から肯定も否定もできないニュースが世の中

には多いことを良く知っているからだとおもう。

 話すプロとしてのアナウンサーとしては駄目なのかもしれないけど

  「アー」とか「ウー」とかうなるだけでも何か僕には訴えるもの

があったような気がする、人柄からうかがえる何かがあの人にはあった

 と思う。

 そして自分の意見をまとめて番組の最後に話すコーナーもあった、

 きっと記者の経験が長かったので、自分の意見は一度文章にしてから

 読んだほうがやりやすかったのかも知れない。

  
 と僕がなぜ今僕がこの二人のことを考えているかというと、

 学校で教員として働いている中でこの二人のことをよく思い出すからです。


 たとえば教員一本でいた人は久米宏的要素が大きいと思います。

 常に臨機応変に生徒の意見に対応して、その場でことをまとめなけれ

ばいけない、子供の意見は勉強したくなかったり、ルールを守れなかったときの言い訳であることが多いので、とっさに正論をいえなくてはいけないのだと思います。

  でも僕は自分は学生の頃はずっと勉強できなくって、落ちこぼれで

「言い訳番長」だったし、ファミレス、フットボール、協力隊と色々な

組織や、国、ものの見方を学んできて、とっさに正論を言うのをためらってしまうというか、言ってる自分に自信が持てなくなるときがあります。

 もちろん正論を振りかざすことは気持ちよいけどね。

 だからどちらかといえば筑紫哲也的なのだとおもいます。

正論を振りかざすことにためらいます。だからとっさに

「あー」とか「うー」とか言っちゃうんだよね。

 それで困った顔になると、生徒のほうも察してくれて

 「アー、ウラ、別に良いよ、ウラの言うこと聞いてあげるよ!」

 みたいなことになることが5割よりもちょっと多くて6割くらいです。でも6割なら良いかな?

 後の4割は子供に押し切られます。

 「言ったもの勝ち」

 になって、口の上手い生徒がいつも得するようでは駄目だな。

 と思いながらも、生徒達の「良心」に助けられて、今日も頑張っています。

2011年2月24日木曜日

長期的に考えること


 <写真はバスケットボールのファールをめぐってポルトガル語で激しく
 抗議するサムエル、見方からも「サムエル、ジョガ!ジョガ!」
 (しゃべるのやめてプレーしろ!)ってずっと言われてました

アンゴラにいてよく感じることは、長期的に物事を考えることに

 慣れていないな、ということです。

 1975年に独立してから内戦がが2002年まで続いていたこの国では

 人々の関心は10年先ではなくて、明日なのだと思います。

 今でも内戦の銃弾の後や地雷がたくさん残っています。

 そういった環境で育てってきた人達は、長期的なことは考えません。

 農業よりも略奪のほうが効率が良いかもしれませんし、

 貯金よりも今日おなかいっぱい食べるほうが賢い選択だったのかも

しれません。

 そして共同でものを管理することにも慣れていません。


 たとえば僕が働いているキッチンですが、食材の中でもニンニク、

 玉ねぎ、トマト缶、洗剤、油などは実際に使う量と同じだけ、

もって行かれてしまいます。

 トウモノコシの粉や米、小麦粉などはなくなっていても僕には

わかりませんが、それ以外は昨日まで10あったものが、一しかない

ことも普通にあります。

 新しく買った2本のナイフも一日で無くなってしまいましたし。

 チキンを切っていても、

 「ウラ、おなか痛くてみんなと一緒に食べれないから別に料理

したいの、一切れ頂戴」

 と悪びれずに言ってきます。おなか痛かったら鶏肉良くないよ!

 っておもい増すが、あまりにも真剣な目つきにこちらも渡して

しまいます。

 すこし大げさに言えば、とりあえずキッチンに入ったら何かを

ポケットに入れないといけない。という雰囲気があります。

 僕がキッチンにいるとみんな少しだけですが気まずそうな雰囲気に

なるときがあります。なにか働きにくそうなのです。

 僕が生徒に

「ニンニクが昨日はたくさん会ったのに今日は
             ゼロだからどうしよう?」

 っていうと、生徒が

 「部屋にあるから持ってきてあげる!」

 っていって悪びれずに持ってきました。

 一番信頼しているキッチンで働いているおばちゃんのですら、

 帰るときには用意した黒のビニール袋に何かを持って帰ります。

  みんながしていて、それで成り立っているから良いといえば

良いのですが、これを変えていくのは難しいなー!

 と思いながら、昨日はナイフが一本も無かったので、野菜は切れませ

んでした。

 だから料理は豆と米ばかり、

 学校側としては玉ねぎとかトマト缶とかかってきても無くなるだけ

だから、米と豆だけにして毎日同じメニューにしおいたほうが良い。

 と思うのが当たり前なのかもしれません。

 生徒自信は結局は自分達の行為が、毎日同じメニューを食べる結果

を招く。という長期的な考えよりも

 とりあえず今日自分がおいしいものを食べれれた

らそれでよい。明日がどうなるかは明日考える。

 メニューが同じになったらとりあえず上に文句を言えばなんとか

なるかも。

それが、長いこと植民地にされて、内戦が続いて、将来的に物事

を考えていてもその結果が出る前に、ぶち壊され続けてきた人達の
 
 標準的な考え方なのだと納得できます。

 なぜ中国と国の発達の為に共同で働いているのかという質問には

 「中国人はビルを建てるためにセメントを5袋用意したら、5袋つか

ってビルを建ててくれる。アンゴラ人なら5袋すべて自分の為に使う、

中国人はすばらしい、だからアンゴラは契約を交わした」

 と話していました。

 最初は少し戸惑いましたが、少しずつ納得してしまいました。

 なかなか根が深くて、向上していくのは時間がかかる問題だと

 思います。彼らを攻めることは今の僕にはできません

「王道」から思い出した話


 <写真は干上がった川を歩いてわたる人達です、
 でも空は晴れていても、上流で大量に雨が降ると、ものすごい勢いで
 泥水が流れ出すので要注意です> 

  地味な仕事が今の「王道」

 って書きましたが、続きがあります。
 
 イギリスでもアンゴラでも感じることがあります。

 日本の社会は地味に一生懸命働いていれば、

上司や社会がそれを評価してくれるものだとおもいますし、

そうなりやすい社会なのだと思います。

 「そんなの嘘だ!」

 と日本社会で働いている人は思うかも知れませんが、本当です。

 イギリス、アンゴラで感じることは、

地味な仕事をコツコツやって自己主張しない人は周りから

 「あの人は地味に働くことが好きな人なんだ」

 って思われます。我慢して社会や組織のために地味に働いている

 とは誰も思いません。

  だからもし、自分が評価を得たいのなら、

 「これだけ働いたよ!、結果出したよ!」

 って言わないといけません。

 それはイギリスの学校でよく感じました。

 ちなみにイギリスの学校にはイギリス人の先生はいなかったので、基本的に

 文化としてはフランス、イタリア、ポルトガルなどにラテンの国、自己主張

の強い国の人達が主導権を握っていました。

 そういう人達は働く前に自己主張します。不利な仕事はしないんだよね。

 最初はそういう文化に戸惑ったけど、それはある意味当たり前なんだと感じ

 ました、だって地味に働くことも、ある意味では自分の意思だととられるから

 です。

 ヨーロッパやアメリカみたいに色々の国の人が混ざって働いていると、

 日本みたいに仕事に対する「共通認識」みたいなものは無いんだよね。

 日本みたいに嫌な仕事は誰が決めなくても順番に行うというのではなくて、

 毎回きちんと明確にローテーションを決めないと、誰もしないし。

 そうするには最初に自分が権力を持ってローテーションを

 決める立場にならないと、他人がその立場になったら、

 自分は使われる立場になってしまう。

 そしてみんな恐ろしいほど自分のモラルとリーダーシップに

 自信を持っています。自分はすばらしい人間なのだ!

 という絶対的に自信を持っているラテンの人達は日本の

 それの3割増しくらいはいると思います。

 だから自己主張激しいです。

 日本人は、それほどもめるのなら、僕は使われる立場でよいよ、そこで地味に

やっていたら、いつか評価されるだろう。

 と思いますが、それではいつまでたっても評価されないこともあります。

 でも不思議なことに、結果としては同じなんだよね。

 自己主張の強い人達はお互いに足を引っ張り合うから、結果的に

 「一番働いている日本人に仕切ってもらおう!」
 
 見たいなことになりかねないからです。話がとても矛盾んしていますが、

 まあ時と場合ですね!