反抗期が大変だとかそういうこと良く聞くけど、あれって必要だと最近になって
よく思います。
反抗期は子供が親に
「僕はもうあなたとは違う人間で違う人格が育ってきましたよ」
って伝える作業だとおもいます。思春期になると自我が芽生えるからね。
でも親のほうはすでにだたのおっさん、
おばさんだから別に思春期でもなんでもないし、単に
「思春期は季節みたいなものだからほっておけばよいけど、
それにしても親に対して反抗するとは生意気だ!」
みたいな感じだとおもうんだよね、
何故急に反抗するのか理解できないのだと思います。
昔みたいに中学出てから丁稚奉公にでもいって家庭から出ていくなら
13歳とか15歳とかで自分に目覚めても親にしてみたら後は勝手にやってください。
ってかんじだけど、まずいことに最近は20歳でも学生だから経済的には
親に頼る時代だものね。
親にしてみればこっちが金出して学校に行かせてるわけだし。
今の生活が厳しいのは自分が学生時代に勉強しなくて、
就職を選べなかったからで、同じことを子供に繰り返さない為にも、
少しでも良い学校に行ってもらいたい。そこで出てくる言葉は
「あなたの為だから!
お母さんはあなたの為を思って勉強しろって言ってるのよ!」
っていう言葉なのだと思います。
子供にしてみば、
「自分のやりたいことをやらせてもらえなくて何が私の為なの?」
ってなるよね。
だから親があきらめるまでとことんぶつからないと自分の人生が何時までも
親にコントロールされているみたいな不安があって、
生きてる意味がわからなくなるのだと思います。
子供の気持ちは
「自分で決めて道を自分の力で歩みたい」
親にしてみたら
「バンドやりたいとか、留学したいとかより、とりあえず高校受験、
大学受験が最優先、やりたいことは受験がおわったらいくらでもやらせてあげる」
っておもってるだろうね
「そんなに親の言うことがきけないのなら、出て行きなさい、
自分で好きなように生きなさい!」
って言いたくもなるよね。
それが反抗期なのだと思います。
子供は親があきらめてくれるまですべての事に反抗するのだと思います。
だってそこには自分の人生を自分のものにするために命をかけた戦い
があるのだと思うからね。
親の為の人生だったら自分の人生ではないから死んだほうがマシ、
どうせ死ぬなら死ぬ気で反抗してみてダメだったらあきらめて死ぬしかない
これくらいの気持ちだと思います。
金持ちの親とか、世間的に立派すぎる親で結局子供を理解できずに
親も子供も疲れ果てている家もあると思いますが。
僕が思うにはそういう親は自分自身の「社会的な成功」が成功であり、
自分の価値観よりも社会的にどうかが大切というまだ
本人達が親離れできてない親だとも感じます。
もちろんお金と権力、社会的地位はとても大切なことは僕も良く理解しています。
そこが純粋な思春期の子供には理解できないし、
醜いと感じてしまうのかもしれません。
人生の中では権力も金も大切だとは思いますが、
自分が本当にやりたいこととのバランスがあってのステータスなのだと思います。
でも思春期の子供を抱えている親(40代、50代)は会社のなかでも
一番忙しい時期だし、金銭的にも家のローンも子供の学費もあって、
「もっと有名大学で高学歴を収めていれば、もう少し楽だった」
という親自身の後悔もあり、勉強せずに反抗する子供は許せないのかもね。
だからいろんなところで親子間の問題があるのだと思います。
日本の教育制度とか社会のシステムと子供が自我に目覚める
時期のタイミングが今の日本はあまり良くないのだろうね。
しかしと言っては何ですが、
そのすさまじい反抗期を乗り越えた子供は、
自分というものをしっかりと持った素晴らしい大人になるのだともおもいます。
僕の好きな国際理解の例に例えると、
日本以外の国はほとんどは一度他の国に攻め込まれて、植民地にされてりして、
自分達の言葉や文化を否定されているから、
逆に自分達のアイデンティティーとしっかり持っているんだよね。
日本人はそういう経験がほとんどないから、
グローバル化といえば外国人の真似をすれば良いと思ってるのと問題は似ています。
親と一緒に生活してきたけど、これではいけないという独立心が芽生えてきて
親にたいして自分達のアイデンティティーを主張する、
「独立運動」みたいなものだと思います。
そこで独立の為に戦った子供は自分のアイデンティティーを深く胸に刻み込めます。
だからその時に反抗してもめればもめるほど、
その後は自分にプライドを持って生きていけるのだと思うんだよね。
でもその作業ができなかった人って、自分って何が好きなのかな?
どういう服が似合うのかな?
どういう人と結婚したら良いのかな?
人生って何の為にあるのかな?
どうして私だけ何をやっても楽しく無いのかな?
こんなことしたら親になんて思われるんだろう?なにか小言いわれるかな?
みたいなことが気になって、「自分の人生」を生きる喜びを感じれないのだと思います。
それでも不器用で、社会の不公平に疑問を感じて世の中に反抗できた人は
社会に反抗して自己確立できるから良いけど。
なまじ頭が良くて、偏差値社会の中では苦労しなくてもトップで、
そのまま一流大学にはいって、気がつかないうちに高い給料もらって、
でも私って何のために生きてるの? 生きてる理由はなんなの?
でもまわりにはそういう悩みは贅沢だと思われるし、
とりあえず実感の無いまま生きていく、なんか自分に自信がもてないけど、
ただ生きてるひともいると思います。
そして最後まで親に押さえつけられて、自分の人生を生きられない人や、
自らこの世を去っていく人もいるのが現実だと思います。
僕は反抗期ってそういうことなんじゃないかな?って思ってます。
この話は「知識」としてもっていることが大切だと思います。
これがすべてではなくって、
他にも色々な反抗期ともっと前向きなパターンや例も沢山あると思うけど、
こういう話を聞いたことがあるなって「知識」として覚えておいてもらったら、
いつかなんとなく役に立つこともあるかもしれないと僕は思っています。
2012年3月15日木曜日
2012年3月11日日曜日
アトムとターミネーターとエレファントマン
たぶんというか絶対に間違ってると思うのだけど、
鉄腕アトムの実写版かハリウッド版というのがあったと思うのだけど、
映画の内容は、自分の子供が死んでしまってとても悲しい科学者が自分の
子供の生まれ変わりのロボットを作るという話だったと思うんだよね。
でもその科学者はその後に本当の自分の子供ができるか、何らかの理由で
ロボットであるアトムを愛せなくなってしまって、アトムのスイッチを切ろう
としたのか切ってしまったのかのだと思います。もしくはアトムが自分で
自分が邪魔な存在になってしまってことをに気がついて自ら去って行ったの
かもしれません。
シュワルツエネッガー主演のターミネーターもそういう話でした。
未来から送られてきて、将来自分のボスになる子供を助けに来るんだけど、
ロボットだけと人間の気持ちを理解して学習する能力がついてるんだよね。
彼の最後のミッションはもう一人未来から送られてきた悪役の
ターミネーターと戦って、
将来の自分のボスを守りきり、敵のターミネーターの体を
きちんと破壊して粉々にしてハッピーエンドで喜んでる時に急に
「自分には最後にインプットされたプログラムがある、それは自分の体を
溶かす釜ので溶かしてこの世に残さないこと、自分の体が残ってしまうと
それが研究材料になって未来に新しいターミネーターができてしまう。
最初に送られてきが時点でそのことは知っていたので問題は無い。
でも自分には学習機能が付いているので、人間が涙を流す意味がこの数週間で
理解できた。でも僕には波を流すことはできないけど、とても悲しい
といって溶鉱炉に自殺していくというものでした。
エレファントマンという映画の中では、病気で顔が像みたいになっていまっ
った男の子が実は頭は良いのに、それが知れるといじめられるので、
言葉を話せないふりをして生きていて。
それに気がついたお医者さんが彼を引き取って人生で初めて人間として扱われた日に、
彼は鼻が悪いので座ってしか眠れず、
もし枕をすべて取って頭をフラットにして眠ってしまうと、
鼻が詰まって死んでしまうということを知っているのに、
自分が人間として扱ってもらったことに満足して、その日の晩、
眠るときに一つずつその枕を取り外して、
枕なしで寝てしまうのがラストシーンだった気がします。
今までの人生があまりにも辛すぎたので、
今日という人間扱いしてもらった幸せな日に死にたいと思っての行動だったと思います。
どれもこれもみんな人間のエゴ、
抱えられない苦しみや悲しみを何とか埋め合わせようと、
科学技術を使ってロボットに子供の代わりをさせたり。
必要ではなくなったら、スイッチを切ったりしたり。
人間ができない能力をコンピューターに装備して戦わしたり。
自分より弱かったり、醜いものをみて自分のほうがましだと思ったり。
それによってお金を稼いだり。
やってる人達も悲しいし、
それ利用されたりロボットやエレファントマンはもっと悲しい。」
わかっているけど一時的な自分の気持ちの為に他人の事はどうでもよくなってしまう。
悲しいけどそれが現実なのかな。
こんなこと言ってる自分だってきっと他人を傷つけてきたんだと思うんだよね。
テーマが深すぎて答えが出ないけど、
もし傷つけられるのなら傷つけられたほうが良いのかな?
どの映画も名作ってことは人はみんなこういう気持ちを持ちながら
生活しているのだろうね。 世の中難しいなーって何時も思います
鉄腕アトムの実写版かハリウッド版というのがあったと思うのだけど、
映画の内容は、自分の子供が死んでしまってとても悲しい科学者が自分の
子供の生まれ変わりのロボットを作るという話だったと思うんだよね。
でもその科学者はその後に本当の自分の子供ができるか、何らかの理由で
ロボットであるアトムを愛せなくなってしまって、アトムのスイッチを切ろう
としたのか切ってしまったのかのだと思います。もしくはアトムが自分で
自分が邪魔な存在になってしまってことをに気がついて自ら去って行ったの
かもしれません。
シュワルツエネッガー主演のターミネーターもそういう話でした。
未来から送られてきて、将来自分のボスになる子供を助けに来るんだけど、
ロボットだけと人間の気持ちを理解して学習する能力がついてるんだよね。
彼の最後のミッションはもう一人未来から送られてきた悪役の
ターミネーターと戦って、
将来の自分のボスを守りきり、敵のターミネーターの体を
きちんと破壊して粉々にしてハッピーエンドで喜んでる時に急に
「自分には最後にインプットされたプログラムがある、それは自分の体を
溶かす釜ので溶かしてこの世に残さないこと、自分の体が残ってしまうと
それが研究材料になって未来に新しいターミネーターができてしまう。
最初に送られてきが時点でそのことは知っていたので問題は無い。
でも自分には学習機能が付いているので、人間が涙を流す意味がこの数週間で
理解できた。でも僕には波を流すことはできないけど、とても悲しい
といって溶鉱炉に自殺していくというものでした。
エレファントマンという映画の中では、病気で顔が像みたいになっていまっ
った男の子が実は頭は良いのに、それが知れるといじめられるので、
言葉を話せないふりをして生きていて。
それに気がついたお医者さんが彼を引き取って人生で初めて人間として扱われた日に、
彼は鼻が悪いので座ってしか眠れず、
もし枕をすべて取って頭をフラットにして眠ってしまうと、
鼻が詰まって死んでしまうということを知っているのに、
自分が人間として扱ってもらったことに満足して、その日の晩、
眠るときに一つずつその枕を取り外して、
枕なしで寝てしまうのがラストシーンだった気がします。
今までの人生があまりにも辛すぎたので、
今日という人間扱いしてもらった幸せな日に死にたいと思っての行動だったと思います。
どれもこれもみんな人間のエゴ、
抱えられない苦しみや悲しみを何とか埋め合わせようと、
科学技術を使ってロボットに子供の代わりをさせたり。
必要ではなくなったら、スイッチを切ったりしたり。
人間ができない能力をコンピューターに装備して戦わしたり。
自分より弱かったり、醜いものをみて自分のほうがましだと思ったり。
それによってお金を稼いだり。
やってる人達も悲しいし、
それ利用されたりロボットやエレファントマンはもっと悲しい。」
わかっているけど一時的な自分の気持ちの為に他人の事はどうでもよくなってしまう。
悲しいけどそれが現実なのかな。
こんなこと言ってる自分だってきっと他人を傷つけてきたんだと思うんだよね。
テーマが深すぎて答えが出ないけど、
もし傷つけられるのなら傷つけられたほうが良いのかな?
どの映画も名作ってことは人はみんなこういう気持ちを持ちながら
生活しているのだろうね。 世の中難しいなーって何時も思います
2012年3月8日木曜日
土地に対する気持ちって
今は東京で母親と一緒に住んでいるんだけど、両親は母親の実家が新宿区
親父やは山口の下関、親父が学生の頃に東京で出会って結婚したんだけど
親父の就職先が大阪だったので、僕と姉ちゃんは大阪で産まれました。
今は親父は亡くなって母親は新宿区に戻ってきてるので、
僕も母親と一緒に新宿に住んでいますが、仕事で
「ご自宅どこですか?」
って聞かれたら、
「新宿区です」
って答えるんだけど、
「家賃高いでしょう?」
って聞かれるので
「実家なんで大丈夫です」
っていう会話になるんだけど、相手の表情に少し違和感があるんだよね。
「なんでこの人関西弁なの?」
この場合は実家はたとえ母親が東京に住んでいても産まれた大阪になるのかな?
ちなみに僕は大阪で育ったけど、母親は東京だから納豆とか普通に食べれるし、
たこ焼きを週に一回家族で食べる習慣は無かったし、
母親の関西弁は僕と姉が学校に行くようになって、僕達から習ったものです。
基本的には子供は関西弁ですが、母親は関西弁は今でもあんまり上手ではないです。
この関西弁に対するリアクション現象はたまに学校で
協力隊の話をさせてもらうときにもおこるんだけど
僕が話しだすと生徒がヒソヒソ話を始めます。そのほとんどが僕の
関西弁のせいです。だから僕も気がついて
「ごめんね19歳まで大阪にいたから関西弁だけど許してね!」
って言ってます。
そして教室に入って僕が話し出す前のヒソヒソ話の7割くらいは
「あの人はオードリーの春日に似てる」
です、日本に帰ってきてから太ったから春日に似てるんだよね。
髪型も似てるし、自分でもうなずけます。
僕は19歳まで大阪だったけど、
大学一年の時は大学の学生の為の寮のある世田谷区、
2年、3年は今住んでる当時はまだ生きていたばあちゃんの家のある新宿区、
大学4年は今度はアメフト部の寮のある世田谷に一年間戻りました。
その後にすかいらーくのアメフト部に入社したので
グランドのある埼玉の川越のほうに5年間住んで、
アメフト部がオンワードと合併してからはグランドのある神奈川県の
相模原市に4年間、でもその間2003年、2004年はそれぞれ春に
ハワイのプロチームに所属していたのでそれぞれ5か月ワイキキにいました。
引退後は少しだけ都内に潜伏してたけど、親父の入院で大阪に3カ月ほど戻り、
その後は長野に協力隊の研修にまた2カ月ちょっと、
その後にバヌアツタンナ島に2年間、
帰国後大阪に一年間、
その後にイギリスに一年、、
アンゴラ7カ月、
アンゴラから帰国した時はすでに親父は亡くなって大阪は引き払っていたので、
東京に戻ってきました。
だからだと思うんだけど、バヌアツでもアンゴラでも、イギリスでも
「日本が恋しいだろ」
って言われるけど、土地に関する懐かしさって無いんだよね。
バヌアツにいた2年間はなぜか帰るのはその前に4年間住んでいた
相模原だったような気がしていて
帰ったらいつものスーパー行って刺身買いたい!
何時も行ってるアウトレットに行って買い物したい!
ってついつい思ってしまうんだけどそのたびに
「帰国するのは相模原ではなくって大阪なんだった」
って思いだして変な気分でした、
イギリスに出発する時は大阪のマンションを引き払ったのちに東京に荷物送って
成田から出発したけど、その直前までは大阪に住んでいたし、
出発する前と帰国する時の家が違うと海外にいる間にどこを懐かしんで良いのか
今まで住んでいた大阪なのか?
今現在に日本で荷物を置かせてもらっていて帰国後に帰る東京なのか?
わからなくなってきます。
だから結局は人は恋しくても場所は恋しくはならなくなってしまってます。
正直に言うと人よりも一番恋しいのはどこにいっても和食だったけどね・・・
たまに昔住んでいたあたりを車で通ったりすると
「俺はこんなところに数年住んでいたんだなー、あれほど思い出あったはずなのに
道もお店も全く思い出せないなー、そういうものなのかなー」
って不思議な気持になります。それが懐かしいってことなのかもね・・・・
こんな経験書いても誰も面白くないか?
親父やは山口の下関、親父が学生の頃に東京で出会って結婚したんだけど
親父の就職先が大阪だったので、僕と姉ちゃんは大阪で産まれました。
今は親父は亡くなって母親は新宿区に戻ってきてるので、
僕も母親と一緒に新宿に住んでいますが、仕事で
「ご自宅どこですか?」
って聞かれたら、
「新宿区です」
って答えるんだけど、
「家賃高いでしょう?」
って聞かれるので
「実家なんで大丈夫です」
っていう会話になるんだけど、相手の表情に少し違和感があるんだよね。
「なんでこの人関西弁なの?」
この場合は実家はたとえ母親が東京に住んでいても産まれた大阪になるのかな?
ちなみに僕は大阪で育ったけど、母親は東京だから納豆とか普通に食べれるし、
たこ焼きを週に一回家族で食べる習慣は無かったし、
母親の関西弁は僕と姉が学校に行くようになって、僕達から習ったものです。
基本的には子供は関西弁ですが、母親は関西弁は今でもあんまり上手ではないです。
この関西弁に対するリアクション現象はたまに学校で
協力隊の話をさせてもらうときにもおこるんだけど
僕が話しだすと生徒がヒソヒソ話を始めます。そのほとんどが僕の
関西弁のせいです。だから僕も気がついて
「ごめんね19歳まで大阪にいたから関西弁だけど許してね!」
って言ってます。
そして教室に入って僕が話し出す前のヒソヒソ話の7割くらいは
「あの人はオードリーの春日に似てる」
です、日本に帰ってきてから太ったから春日に似てるんだよね。
髪型も似てるし、自分でもうなずけます。
僕は19歳まで大阪だったけど、
大学一年の時は大学の学生の為の寮のある世田谷区、
2年、3年は今住んでる当時はまだ生きていたばあちゃんの家のある新宿区、
大学4年は今度はアメフト部の寮のある世田谷に一年間戻りました。
その後にすかいらーくのアメフト部に入社したので
グランドのある埼玉の川越のほうに5年間住んで、
アメフト部がオンワードと合併してからはグランドのある神奈川県の
相模原市に4年間、でもその間2003年、2004年はそれぞれ春に
ハワイのプロチームに所属していたのでそれぞれ5か月ワイキキにいました。
引退後は少しだけ都内に潜伏してたけど、親父の入院で大阪に3カ月ほど戻り、
その後は長野に協力隊の研修にまた2カ月ちょっと、
その後にバヌアツタンナ島に2年間、
帰国後大阪に一年間、
その後にイギリスに一年、、
アンゴラ7カ月、
アンゴラから帰国した時はすでに親父は亡くなって大阪は引き払っていたので、
東京に戻ってきました。
だからだと思うんだけど、バヌアツでもアンゴラでも、イギリスでも
「日本が恋しいだろ」
って言われるけど、土地に関する懐かしさって無いんだよね。
バヌアツにいた2年間はなぜか帰るのはその前に4年間住んでいた
相模原だったような気がしていて
帰ったらいつものスーパー行って刺身買いたい!
何時も行ってるアウトレットに行って買い物したい!
ってついつい思ってしまうんだけどそのたびに
「帰国するのは相模原ではなくって大阪なんだった」
って思いだして変な気分でした、
イギリスに出発する時は大阪のマンションを引き払ったのちに東京に荷物送って
成田から出発したけど、その直前までは大阪に住んでいたし、
出発する前と帰国する時の家が違うと海外にいる間にどこを懐かしんで良いのか
今まで住んでいた大阪なのか?
今現在に日本で荷物を置かせてもらっていて帰国後に帰る東京なのか?
わからなくなってきます。
だから結局は人は恋しくても場所は恋しくはならなくなってしまってます。
正直に言うと人よりも一番恋しいのはどこにいっても和食だったけどね・・・
たまに昔住んでいたあたりを車で通ったりすると
「俺はこんなところに数年住んでいたんだなー、あれほど思い出あったはずなのに
道もお店も全く思い出せないなー、そういうものなのかなー」
って不思議な気持になります。それが懐かしいってことなのかもね・・・・
こんな経験書いても誰も面白くないか?
今日、若者から学んだこと
ちょっとまじめに仕事しなくてはいけなくって、部屋の中だとどうしても集
中出来ないので朝から図書館に行くことにした、家から5分くらいでいけてしま
うからね。
図書館の自習室はガラガラだったんだけど、パソコンを使っても良いところは
満杯で、割り込みにくい雰囲気だったので、しばらく本でも読んで時間をつぶそ
うかな?
って思ったけど、図書館は朝の9時にあいたばっかりなので、
10時半には誰も出ていかないだろうな、っておもって、
贅沢だけどそのまま隣の駅まで歩いて何処か喫茶店に入ろうと思ってぐんぐん
と歩いて行きました。
何回か行ったことのあるおひとり様用みたいなカフェがあって
そこは2階もあたんだけど、今までは一階しか行ったことが無かったんだよね。
11時にあいたその店に11時10分くらいに入ったんだけど、
若い男の店員さんが二人で準備してました。
「2階に行っても良いですか?」って聞いたら
「どうぞ、どうぞ」
って一緒に階段を上ってくれました。
「二階初めてですか?テーブルとカウンターがありますのでお好きなところ
どうぞ」
って言ってくれました。
二階からだと川が見えてとても解放感があるし、
しかもみんながパソコン繋げるように、
タコ足配線がおしゃれに固定してあるんだよね。
偉いなー、っておもってコーヒー頼んで、パソコン開いてたんだけど、
コーヒー持って来てくれた時に
「二階どうですか?気にいってくれましたか?」
って聞いてくれたんだよね。
「イヤー、素敵だよ、眺め良いし、落ち着くし、とっても良いよ」
ってお礼を言ってそこから30分くらい僕にしては集中して作業してて、
結構はかどってる最中にフッと何故か思ったんだけど、
「たぶん2階が素敵なんじゃなくって、そのことを気がつかせてくれたあの
店員さんの接客が素敵だったんだ」
ってヒラメイタっていうか気がついたんだよね
伝えたほうが良いかな?って思ったけど、
僕の場合そういうカッコつけてこと言おうとするとロレツが回らなくなって、
カッコ悪くなるからどうしようかなー
なんて思いながら一時過ぎに一階でレジしたんだけど、
ドキドキして下りて行ったワリにはその人はもう働いて無かったので、
伝えれなかったんだけど、
若い人でも立派な人いるなー、って最近思うこと結構あります。
ちなみに僕は老人が多いフィットネスクラブにも通ってるんだけど、
そこの老人達も一緒にロッカー使ってたり、シャワー浴びていたりすると
とても礼儀正しい人がいます。
団塊世代より上の人だから70歳くらいなのかな?尊敬できます。
でもそういう人から見たら僕だってマダマダケツの青い若造なんだろうな。
「最近の若造もなかなかしっかりしてる奴がいるもんだな!」
って思われるように自分も行動しないとな。 なんて思いました。
中出来ないので朝から図書館に行くことにした、家から5分くらいでいけてしま
うからね。
図書館の自習室はガラガラだったんだけど、パソコンを使っても良いところは
満杯で、割り込みにくい雰囲気だったので、しばらく本でも読んで時間をつぶそ
うかな?
って思ったけど、図書館は朝の9時にあいたばっかりなので、
10時半には誰も出ていかないだろうな、っておもって、
贅沢だけどそのまま隣の駅まで歩いて何処か喫茶店に入ろうと思ってぐんぐん
と歩いて行きました。
何回か行ったことのあるおひとり様用みたいなカフェがあって
そこは2階もあたんだけど、今までは一階しか行ったことが無かったんだよね。
11時にあいたその店に11時10分くらいに入ったんだけど、
若い男の店員さんが二人で準備してました。
「2階に行っても良いですか?」って聞いたら
「どうぞ、どうぞ」
って一緒に階段を上ってくれました。
「二階初めてですか?テーブルとカウンターがありますのでお好きなところ
どうぞ」
って言ってくれました。
二階からだと川が見えてとても解放感があるし、
しかもみんながパソコン繋げるように、
タコ足配線がおしゃれに固定してあるんだよね。
偉いなー、っておもってコーヒー頼んで、パソコン開いてたんだけど、
コーヒー持って来てくれた時に
「二階どうですか?気にいってくれましたか?」
って聞いてくれたんだよね。
「イヤー、素敵だよ、眺め良いし、落ち着くし、とっても良いよ」
ってお礼を言ってそこから30分くらい僕にしては集中して作業してて、
結構はかどってる最中にフッと何故か思ったんだけど、
「たぶん2階が素敵なんじゃなくって、そのことを気がつかせてくれたあの
店員さんの接客が素敵だったんだ」
ってヒラメイタっていうか気がついたんだよね
伝えたほうが良いかな?って思ったけど、
僕の場合そういうカッコつけてこと言おうとするとロレツが回らなくなって、
カッコ悪くなるからどうしようかなー
なんて思いながら一時過ぎに一階でレジしたんだけど、
ドキドキして下りて行ったワリにはその人はもう働いて無かったので、
伝えれなかったんだけど、
若い人でも立派な人いるなー、って最近思うこと結構あります。
ちなみに僕は老人が多いフィットネスクラブにも通ってるんだけど、
そこの老人達も一緒にロッカー使ってたり、シャワー浴びていたりすると
とても礼儀正しい人がいます。
団塊世代より上の人だから70歳くらいなのかな?尊敬できます。
でもそういう人から見たら僕だってマダマダケツの青い若造なんだろうな。
「最近の若造もなかなかしっかりしてる奴がいるもんだな!」
って思われるように自分も行動しないとな。 なんて思いました。
2012年3月2日金曜日
オバン訓練
放課後にみんなでよく遊びに行った池があったんだけど、そこは
「絶対立ち入り禁止」
という池でした。でもそういう池って何故か魅力的だし遊んでて楽しいんだよね。
でも農家のおばちゃんが夕方になると農作業するためにやってきて怒られます。
一番捕まるのはザリガニを釣っているときで、これはみんなが池に向かって
集中力を保っているので気がついた時には真後ろに立っていて、
「あんたらどこの子や、親をよんできなさい!」
などと言われて、人生が終わったような気持ちになります。
管理しているのは農家のおばさんなので
「オバンが来た!」
といったらみんなはザリガニ釣りに使っている竹の竿とかタコ糸とかを
そのままほおり出して、いちもくさんに逃げます。サクを飛び越えるルートは
みんなが集中して順番が詰まるので焦るし、
焦って服がワイヤーについているトゲに引っ掛かると
服が破れるかオバンに捕まるかを瞬時に選択する必要が出てきます。
一番最低でみんなから失望されるケースは、ランドセルやカバンをその場に忘れる
事で、オバンの農作業は基本的には3時から5時半ごろまでなので、それが
終わるまでは取りに戻れません。オバンが長く働いて6時まで帰らないと
門限が6時の我が家ではオバンとオカンのどちらに怒られるかの選択にも
悩まされます。
そんなある日
「オバンが来た!」
と誰かが叫びました。みんなあわててランドセルや給食袋をかき集めて背負う
余裕もなく両手に持って駆け出します。サクを超えるのは順番なので、とりあえず
サクの向こうにランドセルを投げて、その後に自分がサクを超えます。
みんなが必死になって逃げている時に誰かが叫びます
「ウソよねーん」
「あほやなー、お前ら何ビビってんねん!」
ってなって誰がどれだけビビって必死になって逃げていたかが
検証されます。
「コーチャンは靴を忘れてはだしで逃げていた!」
「シミタンは一人だけ逆方向に逃げた、みんなを裏切った!」
「アベチャンは必死にランドセルをサクの向こうに投げててフエが壊れた!」
「チーは一人で竹藪のほうに逃げたけど、誰も一緒についてきてくれないので
怖くなって戻ってきた」
「ケンは田んぼにはまってサンダルが脱げてた」
「ヨッチャンまだ嘘に気がつかずに帰ってこない、
もしかしたらそのまま家に帰ったんとちゃうか?」
となります。
そう言った状況で一番尊敬されるのは最後まで冷静に逃げなかったヤツです
「リョウヘイ凄いなー、全然逃げへんかったな、こわなかったん?」
みたいな称賛があびせられ、そういう人間は一目置かれます。
「俺せっかくメッチャでっかいザリガニつれそうだったのに、
嘘のせいで逃げられた」
って言うやつがいて、最後に誰かが
「もうオバン訓練するの辞めてや!」
って言ったので、みんなが「そうやオバン訓練や!オバン訓練!」
って言って大笑いしました。そのうちに
「おい、誰かの仕掛けにザリが来てるぞ!」
ってなって、みんなそれぞれ自分の仕掛けの場所にもどってザリガニ釣りが
再会されます。
そんなことを繰り返しているうちに僕らはすっかりオオカミ少年状態
になっていたある日、今日も釣れへんし、オバン訓練も飽きたなー、って
「災害は忘れた頃にやってくる」 状態に陥っていた時
そこにいた7,8名全員が一挙に確保されてしまったことがありました。
池のふちは低くなっていてみんなそこに降りてつっていたので、
オバンに上から見下ろされて
「あんたらどこの小や? サイショウか?(左寺小学校)
センニか?(千里第二小学校)」
って言われて、学校に電話するからな、この池は危ないから遊んだらアカンで、
あんなデッカイ柵を作ってるのになんであんたら入ってくるの!
って相当怒られました。
「みんながオバン訓練ばっかりやってるからこんなことになったんや」
「なんでうそついて隣の小学校の生徒って言わへんかってん」
って帰りに負け惜しみを言いながら、
「言われるとしたら来週の月曜日の全校朝礼やな」
「月曜日に言われる前に親に行っておいたほうが良いかな?」
って話しあいました。結局はその後におとがめは無かったけどね。
オバンには火遊びしてて見つかったこともあったし、
大人の男性専用の写真中心雑誌をみんなで見つけて来て読んでいた時も
見つかったことあったなー
あの時はザリガニ釣り以上にみんなの集中力が本に向かっていたので
オバンが後ろに立っていた時は何が起こったかわからず茫然でした。
大人になって今思うことはオバンはあの時はモンペみたいなのはいてて
年よりに見えたけど、今思えばそんなに年ではなかったのかもしれません。
「オバンが来た!」って叫ばずに、「お姉さんが来た!」ってみんなで
騒いでたら、あんなに怒らなかったし、なんだったらみかんとか干しイモの一つも
恵んでもらえたのかな? あの頃は女心がわからなかったなー
(だからといって今もわかってるわけではないけど・・・)
プレステーションもウィーもなかったけど、あの頃毎日楽しかったなー
想像力使ってたなー、っておもいます。
大人になって仕事してるとあの時の経験が貴重だったことに気がつかされます。
「絶対立ち入り禁止」
という池でした。でもそういう池って何故か魅力的だし遊んでて楽しいんだよね。
でも農家のおばちゃんが夕方になると農作業するためにやってきて怒られます。
一番捕まるのはザリガニを釣っているときで、これはみんなが池に向かって
集中力を保っているので気がついた時には真後ろに立っていて、
「あんたらどこの子や、親をよんできなさい!」
などと言われて、人生が終わったような気持ちになります。
管理しているのは農家のおばさんなので
「オバンが来た!」
といったらみんなはザリガニ釣りに使っている竹の竿とかタコ糸とかを
そのままほおり出して、いちもくさんに逃げます。サクを飛び越えるルートは
みんなが集中して順番が詰まるので焦るし、
焦って服がワイヤーについているトゲに引っ掛かると
服が破れるかオバンに捕まるかを瞬時に選択する必要が出てきます。
一番最低でみんなから失望されるケースは、ランドセルやカバンをその場に忘れる
事で、オバンの農作業は基本的には3時から5時半ごろまでなので、それが
終わるまでは取りに戻れません。オバンが長く働いて6時まで帰らないと
門限が6時の我が家ではオバンとオカンのどちらに怒られるかの選択にも
悩まされます。
そんなある日
「オバンが来た!」
と誰かが叫びました。みんなあわててランドセルや給食袋をかき集めて背負う
余裕もなく両手に持って駆け出します。サクを超えるのは順番なので、とりあえず
サクの向こうにランドセルを投げて、その後に自分がサクを超えます。
みんなが必死になって逃げている時に誰かが叫びます
「ウソよねーん」
「あほやなー、お前ら何ビビってんねん!」
ってなって誰がどれだけビビって必死になって逃げていたかが
検証されます。
「コーチャンは靴を忘れてはだしで逃げていた!」
「シミタンは一人だけ逆方向に逃げた、みんなを裏切った!」
「アベチャンは必死にランドセルをサクの向こうに投げててフエが壊れた!」
「チーは一人で竹藪のほうに逃げたけど、誰も一緒についてきてくれないので
怖くなって戻ってきた」
「ケンは田んぼにはまってサンダルが脱げてた」
「ヨッチャンまだ嘘に気がつかずに帰ってこない、
もしかしたらそのまま家に帰ったんとちゃうか?」
となります。
そう言った状況で一番尊敬されるのは最後まで冷静に逃げなかったヤツです
「リョウヘイ凄いなー、全然逃げへんかったな、こわなかったん?」
みたいな称賛があびせられ、そういう人間は一目置かれます。
「俺せっかくメッチャでっかいザリガニつれそうだったのに、
嘘のせいで逃げられた」
って言うやつがいて、最後に誰かが
「もうオバン訓練するの辞めてや!」
って言ったので、みんなが「そうやオバン訓練や!オバン訓練!」
って言って大笑いしました。そのうちに
「おい、誰かの仕掛けにザリが来てるぞ!」
ってなって、みんなそれぞれ自分の仕掛けの場所にもどってザリガニ釣りが
再会されます。
そんなことを繰り返しているうちに僕らはすっかりオオカミ少年状態
になっていたある日、今日も釣れへんし、オバン訓練も飽きたなー、って
「災害は忘れた頃にやってくる」 状態に陥っていた時
そこにいた7,8名全員が一挙に確保されてしまったことがありました。
池のふちは低くなっていてみんなそこに降りてつっていたので、
オバンに上から見下ろされて
「あんたらどこの小や? サイショウか?(左寺小学校)
センニか?(千里第二小学校)」
って言われて、学校に電話するからな、この池は危ないから遊んだらアカンで、
あんなデッカイ柵を作ってるのになんであんたら入ってくるの!
って相当怒られました。
「みんながオバン訓練ばっかりやってるからこんなことになったんや」
「なんでうそついて隣の小学校の生徒って言わへんかってん」
って帰りに負け惜しみを言いながら、
「言われるとしたら来週の月曜日の全校朝礼やな」
「月曜日に言われる前に親に行っておいたほうが良いかな?」
って話しあいました。結局はその後におとがめは無かったけどね。
オバンには火遊びしてて見つかったこともあったし、
大人の男性専用の写真中心雑誌をみんなで見つけて来て読んでいた時も
見つかったことあったなー
あの時はザリガニ釣り以上にみんなの集中力が本に向かっていたので
オバンが後ろに立っていた時は何が起こったかわからず茫然でした。
大人になって今思うことはオバンはあの時はモンペみたいなのはいてて
年よりに見えたけど、今思えばそんなに年ではなかったのかもしれません。
「オバンが来た!」って叫ばずに、「お姉さんが来た!」ってみんなで
騒いでたら、あんなに怒らなかったし、なんだったらみかんとか干しイモの一つも
恵んでもらえたのかな? あの頃は女心がわからなかったなー
(だからといって今もわかってるわけではないけど・・・)
プレステーションもウィーもなかったけど、あの頃毎日楽しかったなー
想像力使ってたなー、っておもいます。
大人になって仕事してるとあの時の経験が貴重だったことに気がつかされます。
2012年3月1日木曜日
協力隊に行く不安
協力隊に参加するかどうかを相談されるときに必ずあるのが
「やっぱり危険ですか?治安とか病気とか大丈夫ですか」
っていうものです。それに対する答えは
「自分の身の保障を求めながら人助けをしようと思うのなら、
きっと現地では何もできないし誰も助けることはできないから
行かないほうが良いと思います」
です、でも僕は今この文章を書いていて、あまりの正論に耐えれなくて
熱燗のんで現実逃避したくなります。
(今は2月です、東京から博多に向かう新幹線の中です)
みんな不安で、みんな怖くて、それでも一歩踏み出すのだと思います。
逆に言ったら病気もなくって、治安もよくって、安全が確保されて日本み
たいだったら、協力隊にいってる意味もないし、そんな立派な国で協力隊の
助けが必要だとも思えないしね。
だったら留学しても同じだもんね。
怖くて不安でそれを口にしてもよいのだと思います。
「やっぱり危険ですか?治安とか病気とか大丈夫ですか」
っていうものです。それに対する答えは
「自分の身の保障を求めながら人助けをしようと思うのなら、
きっと現地では何もできないし誰も助けることはできないから
行かないほうが良いと思います」
です、でも僕は今この文章を書いていて、あまりの正論に耐えれなくて
熱燗のんで現実逃避したくなります。
(今は2月です、東京から博多に向かう新幹線の中です)
みんな不安で、みんな怖くて、それでも一歩踏み出すのだと思います。
逆に言ったら病気もなくって、治安もよくって、安全が確保されて日本み
たいだったら、協力隊にいってる意味もないし、そんな立派な国で協力隊の
助けが必要だとも思えないしね。
だったら留学しても同じだもんね。
怖くて不安でそれを口にしてもよいのだと思います。
2012年2月20日月曜日
プレッシャーについて
幅20センチ、長さ10メートルの平均台を地面の上に置いて歩いたら
綱渡りみたいな感じだけど、誰も落ちないとおもうんだよね。
それを30センチにしても落ちたらすぐに足が着ける高さだから安心して
渡れると思います。
それを1メートルくらいにしたくらいから少し恐怖心がでるよね、
それがプレッシャーなのだと思います。
1メートルは高校野球で言うと一回戦って感じ、
5メートルは県大会の決勝、
甲子園は10メートルくらい、注目度も高まるしね、落ちたら多少は怪我する
怖さもあるよね。
甲子園決勝は30メートルくらいです、絶対に負けられない、
甲子園で優勝するか準優勝かは高校生の当人達にとっては
生きるか死ぬかくらいの気持ちになると思います。
でも基本的にはその平均台が地面の上に置いてあるときはほとんどの人が
わたれるわけだから、技術的というか能力的には渡れないはずはないんだよね。
でもみんなが注目しているとか絶対に負けたくないとか、落ちたら怪我を
してしまうという恐怖感が心に動揺を生んでバランスを失うのだと思います
それがプレッシャーだよね。
「プレッシャーというのは実はこの世に存在しない、だから誰もみたことはない
ただ人が勝手にその実在しないものの存在を感じるだけだ」
ということを教えてもらったことがあります。
克服の仕方は色々とあると思うけど、
一つはやっぱり反復練習と経験で10メートル、20メートルのプレッシャーを
自分でコントロールできて自信が持てれば30メートルも行けると思います。
心、技、体の三つがバランスよくトレーニングされているからね。
もう一つは私心をわすれること、自分が自分でなくなってしまうくらい、
怪我したってもうこの体はチームのものであって、自分のものではない、
というくらいに使命感というか、
あるいみマインドコントロールされているとき、
または強烈なカリスマをもった指導者がいるときなんかは
そういうことあると思います。
もう一つはセコイこと考えないこと「王道」とでも言うのかな?
高校野球の場合なら対戦相手がいるから
「もしも相手が自分達よりも質の高い練習して、準備をして、栄養を取って
努力して、圧倒的に上回っているのなら、相手が勝つことは当たり前だ、
それは仕方のないことだ、自分が今日の試合でベストを尽くしても負ける
だろうからそれは仕方ない。でも自分たちだって一年間、日本のどのチームに
も負けないくらいの努力を積み重ねていた、その自信がある。
セコイことせずに真っ向勝負しても絶対に勝てるはずだ、このメンバーで
チームとして一年間やってきたことを今日の試合でもやるだけ」
というふうに気持ちが落ち着いていれば0対0での9回の裏でも何の
プレッシャーも動揺もなくプレーをできるのだと思います
自信がなくなって試合中にセコイことして策におぼれて負けた場合は
自分達を信じ切れなかったという気持ちで後悔するけど、真っ向勝負で
負けたら、次の年にもう一度頑張れば良いと感じることができると思います。
「王道」で勝負して負けたら、優勝チームは自分たちよりも努力と準備を
怠らなかったということだから、潔く負けを認めて相手を尊敬できると思います。
一球入魂とか一戦必勝とかいうけど、プレッシャーとか考えずに自分の
プレーだけに集中できるのはやっぱり心の中にセコサが無いのだと思います。
ちなみにアメリカでも同じ言葉があって
「ONE PLAY AT THE TIME 」
過去のミスとか、試合の流れとか、気にせずにその一プレーに集中しろ。
というのがあります。
ハワイにいたときのコーチは
ワン ステップ アット ザ タイム
って言ってました。
後は10点差で負けていても10点差で勝っていても常に同じ気持ちでプレ
ーできることを常に心がけておくこと、それができていなくて、10点差で勝って
いる時にスタンドプレーをして気を抜いたかっこをつけてプレーをしてしまう
と、それが体に染みついて癖になって、大事な場面で余計な考えることが増えれ
しまうからです。
そういうことがすべてわかっていればプレッシャーをコントロールすること
は難しく無いと僕は思います。
綱渡りみたいな感じだけど、誰も落ちないとおもうんだよね。
それを30センチにしても落ちたらすぐに足が着ける高さだから安心して
渡れると思います。
それを1メートルくらいにしたくらいから少し恐怖心がでるよね、
それがプレッシャーなのだと思います。
1メートルは高校野球で言うと一回戦って感じ、
5メートルは県大会の決勝、
甲子園は10メートルくらい、注目度も高まるしね、落ちたら多少は怪我する
怖さもあるよね。
甲子園決勝は30メートルくらいです、絶対に負けられない、
甲子園で優勝するか準優勝かは高校生の当人達にとっては
生きるか死ぬかくらいの気持ちになると思います。
でも基本的にはその平均台が地面の上に置いてあるときはほとんどの人が
わたれるわけだから、技術的というか能力的には渡れないはずはないんだよね。
でもみんなが注目しているとか絶対に負けたくないとか、落ちたら怪我を
してしまうという恐怖感が心に動揺を生んでバランスを失うのだと思います
それがプレッシャーだよね。
「プレッシャーというのは実はこの世に存在しない、だから誰もみたことはない
ただ人が勝手にその実在しないものの存在を感じるだけだ」
ということを教えてもらったことがあります。
克服の仕方は色々とあると思うけど、
一つはやっぱり反復練習と経験で10メートル、20メートルのプレッシャーを
自分でコントロールできて自信が持てれば30メートルも行けると思います。
心、技、体の三つがバランスよくトレーニングされているからね。
もう一つは私心をわすれること、自分が自分でなくなってしまうくらい、
怪我したってもうこの体はチームのものであって、自分のものではない、
というくらいに使命感というか、
あるいみマインドコントロールされているとき、
または強烈なカリスマをもった指導者がいるときなんかは
そういうことあると思います。
もう一つはセコイこと考えないこと「王道」とでも言うのかな?
高校野球の場合なら対戦相手がいるから
「もしも相手が自分達よりも質の高い練習して、準備をして、栄養を取って
努力して、圧倒的に上回っているのなら、相手が勝つことは当たり前だ、
それは仕方のないことだ、自分が今日の試合でベストを尽くしても負ける
だろうからそれは仕方ない。でも自分たちだって一年間、日本のどのチームに
も負けないくらいの努力を積み重ねていた、その自信がある。
セコイことせずに真っ向勝負しても絶対に勝てるはずだ、このメンバーで
チームとして一年間やってきたことを今日の試合でもやるだけ」
というふうに気持ちが落ち着いていれば0対0での9回の裏でも何の
プレッシャーも動揺もなくプレーをできるのだと思います
自信がなくなって試合中にセコイことして策におぼれて負けた場合は
自分達を信じ切れなかったという気持ちで後悔するけど、真っ向勝負で
負けたら、次の年にもう一度頑張れば良いと感じることができると思います。
「王道」で勝負して負けたら、優勝チームは自分たちよりも努力と準備を
怠らなかったということだから、潔く負けを認めて相手を尊敬できると思います。
一球入魂とか一戦必勝とかいうけど、プレッシャーとか考えずに自分の
プレーだけに集中できるのはやっぱり心の中にセコサが無いのだと思います。
ちなみにアメリカでも同じ言葉があって
「ONE PLAY AT THE TIME 」
過去のミスとか、試合の流れとか、気にせずにその一プレーに集中しろ。
というのがあります。
ハワイにいたときのコーチは
ワン ステップ アット ザ タイム
って言ってました。
後は10点差で負けていても10点差で勝っていても常に同じ気持ちでプレ
ーできることを常に心がけておくこと、それができていなくて、10点差で勝って
いる時にスタンドプレーをして気を抜いたかっこをつけてプレーをしてしまう
と、それが体に染みついて癖になって、大事な場面で余計な考えることが増えれ
しまうからです。
そういうことがすべてわかっていればプレッシャーをコントロールすること
は難しく無いと僕は思います。
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