僕の知り合いで素朴な沖縄の女性が
「もし私がIQ200あったらアメリカのライス国防長官のようになるのが夢だ」
と言っていたことがあった、しかしその人には素敵な恋人がいて、誰もが認める
微笑ましいカップルだった。
だから僕は言った
「もしあなたがIQ200になっても、今の旦那さんと同じように生活してくれたら
それはとても幸せなことだとおもう、でももしそのIQを使って国防長官になって
しまったら、それは逆に普通の事になってしまって、あまり意味がないと思う
今の旦那さんは素敵な人だからIQが上がっても今と同じ生活をしてくれたら
それがもっとも幸せな人生だと思う。」
100億もっているひとが100億の生活をするより、それだけ持っていても
周りの人と同じ生活をしていることの方が僕には幸せに感じる。
頭も良いに越したことは無いけど、逆に自分らしさを見失しなうこともあるのだと思う。
結局僕は頭が良くないから想像するだでそういうひとの気持は一生わからないのだけどね・・・・
また人生の言い訳をブログに書いてしまいました・・・・・
2013年5月15日水曜日
2013年4月24日水曜日
持続可能な社会の創造
アフリカで子供が毎日一時間かけて水汲みをしている、 だから学校に行けない
井戸を掘ればその現状を変えられるのではないか?
援助をもらって一年をかけて井戸を掘ってみんな大喜び、
これで学校に通える子供が増える と思って一年後にその村に行くと
なぜか子供が学校に行っていない。
井戸を管理する村長が村人から水汲み一回100円ずつ取っていた
から・・・
村長いわく
「 村で電気があるのはウチだけだから電動ポンプの井戸を家の庭に掘 ったが
電気代まで援助してくれないし、 村人は協同で水場を使うことに慣れていない
ので、家の前は常に汚れっぱなし、水溜りができて不潔だ、 電気代はかかるし
仕事が増えたのだからお金をもらうのは当たり前だ」
結局村人はお金が必要になり、 子どもは働かなくてはいけなくなってしまった。
こんなことなら村人みんなで遠くまで水を汲みに行っていた頃のほ うが
みんなが平等で楽しかった・・・・
もしも電気ポンプではなくて手動のポンプにしていたら、 電気は必要ないから
村長の家の前に設置する必要も無かったし、
村から50メートルくらい離れた誰の土地でもない
ところに設置して、村人みんなで管理することを同時に教えたら
みんなきれいに使ったかもしれない。
医療を発達させ生活環境をよくすると人口が増えます。
今まで10人の子供を産んでも5人しか成人にならなかった国でも
9人が成人まで生きられるような平和な世の中になります。
しかし人口が増えれば当然食料の奪い合いになります。 土地も仕事も
奪い合いになります。 全然平和ではないよね。
若者の人口が多い国は戦争に走りやすいという事実は歴史が証明し ています。
医療を発達させるなら子供は5人生めば十分だという知識も先に
伝えなければなりません。
5年先10年先のビジョンではなくて50年先、 100年先のビジョンを考えないと
いけません。
何万年もかかって作られた石炭やガソリンなどの
化石燃料を産業革命からの
200年で使い果たしてしまってはいけないのです。
堀尽くした時には原子力に頼るしかなくなるかもしれません。
ちょうど9人の子供が健康に成人になれるようになった国が
その後に戦争に走るのと同じです。
神様が居るとしたら戦争で人口を減らそうとしているのかも知れま せん。
人間は学ばないと思われているかもしれません
必要なのは持続可能なビジョンだと思います。
山の真ん中に住んでいるとします。
冬に寒くなって家の周りから薪を集めます。
春になってストーブにくべる薪は必要なくなります。
春、夏、秋で木は成長します。
また冬になったらその一年で育った木を集めて家を暖めます。
それなら持続可能な世の中です。
もっと暖かくしたいとおもって、薪を使い過ぎると、
1キロ先、2キロ先まで薪を集めに行くことになります。
気がついたら薪を集めるだけでものすごい労働力になります。
環境も破壊されます。となりの家と薪の奪い合いになります。
持続可能ではなく破綻した生活になります。
持続可能な世の中の創造って日本人が一番得意分野だと思います。
江戸時代だって270年続いたしね。
徳川家康が考えたビジョンを今の我々が考えられない訳はないよね 。
日本人が本気で考えれば絶対に創造できると僕は思っています。
井戸を掘ればその現状を変えられるのではないか?
援助をもらって一年をかけて井戸を掘ってみんな大喜び、
これで学校に通える子供が増える と思って一年後にその村に行くと
なぜか子供が学校に行っていない。
井戸を管理する村長が村人から水汲み一回100円ずつ取っていた
村長いわく
「
電気代まで援助してくれないし、
ので、家の前は常に汚れっぱなし、水溜りができて不潔だ、
仕事が増えたのだからお金をもらうのは当たり前だ」
結局村人はお金が必要になり、
こんなことなら村人みんなで遠くまで水を汲みに行っていた頃のほ
みんなが平等で楽しかった・・・・
もしも電気ポンプではなくて手動のポンプにしていたら、
村長の家の前に設置する必要も無かったし、
村から50メートルくらい離れた誰の土地でもない
ところに設置して、村人みんなで管理することを同時に教えたら
みんなきれいに使ったかもしれない。
医療を発達させ生活環境をよくすると人口が増えます。
今まで10人の子供を産んでも5人しか成人にならなかった国でも
9人が成人まで生きられるような平和な世の中になります。
しかし人口が増えれば当然食料の奪い合いになります。 土地も仕事も
奪い合いになります。 全然平和ではないよね。
若者の人口が多い国は戦争に走りやすいという事実は歴史が証明し
医療を発達させるなら子供は5人生めば十分だという知識も先に
伝えなければなりません。
5年先10年先のビジョンではなくて50年先、 100年先のビジョンを考えないと
いけません。
何万年もかかって作られた石炭やガソリンなどの
化石燃料を産業革命からの
200年で使い果たしてしまってはいけないのです。
堀尽くした時には原子力に頼るしかなくなるかもしれません。
ちょうど9人の子供が健康に成人になれるようになった国が
その後に戦争に走るのと同じです。
神様が居るとしたら戦争で人口を減らそうとしているのかも知れま
人間は学ばないと思われているかもしれません
必要なのは持続可能なビジョンだと思います。
山の真ん中に住んでいるとします。
冬に寒くなって家の周りから薪を集めます。
春になってストーブにくべる薪は必要なくなります。
春、夏、秋で木は成長します。
また冬になったらその一年で育った木を集めて家を暖めます。
それなら持続可能な世の中です。
もっと暖かくしたいとおもって、薪を使い過ぎると、
1キロ先、2キロ先まで薪を集めに行くことになります。
気がついたら薪を集めるだけでものすごい労働力になります。
環境も破壊されます。となりの家と薪の奪い合いになります。
持続可能ではなく破綻した生活になります。
持続可能な世の中の創造って日本人が一番得意分野だと思います。
江戸時代だって270年続いたしね。
徳川家康が考えたビジョンを今の我々が考えられない訳はないよね
日本人が本気で考えれば絶対に創造できると僕は思っています。
2013年4月5日金曜日
名言で振り返る2年間(長くなってスイマセン)
協力隊のボランティアの哲学は
「魚を与えて一日を養うのではなく、漁法を伝えて一生を養う」
相手の国の自立を助けるというものです。
僕の要請の体育に例えると
僕が2年間現地の生徒に体育の授業を直接するだけでは、
2年後僕が帰国する
時には新しく日本からボランティアが来なければならないという
「甘やかしの援助」 になってしまう。からならず2年間で現地の先生達
から体育の指導をできる人を育てて、将来的には援助がなくても自立
できるようにすることであった。
ボランティアとして僕の心にいつもあったのは
東京都庁で働いていた方の言葉で
「正しいと言うことは正しいという理由だけで実現されるものではない
それをいかに実現するかを考えることが我々の仕事である」
だった。
今後バヌアツ共和国が先進国に近づいていく為には
「規律」 「ルールを守る」「チームワーク」
「正しい生活習慣 (運動⇒栄養⇒休養のトライアングル)」
などが必要になるだろうし、
学校でそれを学ぶには体育はもってこいだと僕は思っていた。
僕の中には「正義感」が燃えさかっていたのだ。
現地の先生にいくら嫌がられても逃げられても、
根気よく諭して諦めないでアプローチし続ける。
同時に生徒たちへの巡回指導で自分が実践してみせる。
「して見せて、やらせて見せて、褒めてやらねば人は育たず」
山本 五十六
例えみんなに理解してもらえなくても自分の中には
「正義感」と「使命感」」がみなぎっていた。
先生達に馬鹿にされたり、失礼な行動をとられても妥協はゆるさず
「やらない理由は自分が決める」
「ボランティアだからと行って自分の気分が乗らないから
辞めてしまうようでは結局は日本からの現実逃避になる」
「お金の為に働いているのではない」
「持続する情熱」
と思って頑張ってやってきた。
誰にも理解されなくても
・ローマ時代のイエスキリストも
・死んでから認められたゴッホも
・「それでも地球は回っている」 のガリレオ・ガリレイも
・アテネの政府に死刑にされたソクラテスだって
みんなパイオニアは周りに理解されずに、孤独に死を迎えるものなのだ、
だから自分も妥協せずに
「耐えざるを耐え、忍びざるを忍び」
自分の信じる「正義」を突き進むのだ!
バヌアツの人達もいつか気がつくはずだ、
たとえそれが僕の帰国後であっても・・・・
「強者はひとり孤独に耐える」
はじめの8ヶ月は島に1人しか日本人が居なかったし、まさしく孤独でした。
しかし一年が過ぎたあたりで体調がおかしくなってきた、
朝起きれなかったり、起きても授業に対する
イマジネーションとモチベーションが全く沸かなかったり・・・・
引きこもり状態になってしまった。
しかしそこでも引き下がれない、
だってフットボール選手だったころも毎日そうだった
疲れが溜まりぎて朝起きれない。モチベーションが上がらないのは
現役の頃は当たり前でした。
「NO PAIN NO GAIN」 (痛み無くして得るものなし)
「志あれば、そこに道あり」
「負けたから終わったのではなく、諦めたから終わったのだ」
「人生には一度妥協すると二度と戻れない道があるのだ!」
しかし一年が過ぎて自分の中にも変化が出てきました。
・「働きすぎるな」と会うたびにアドバイスしてくれる老人達
・僕の体を気遣ってくれるお母さん達
・僕がバイクで走っていると飛び跳ねてあいさつしてくれる子供達
・バイクが壊れて連絡手段も無く授業をサボってしまった僕を
責めるどころか「大変だったね」とやさしくし声をかけてくれる校長先生
・病気になって死が迫っているのに穏やかに死を待つ老人
・笑顔と鼻水が常に全快な子供達
「足るを知る」
「幸せは 自分の心が決める」
南の島の幸せな国の人達はすでに
人生に必要なもの全て持っているようでした。
「日本ではどうして昨日と今日が同じことの繰り返しではいけないの?」
と言われて、日本では
「向上心の無い人間はバカである」
「現状維持では下降と同じ」
という言葉を胸に抱きながらも、
自分の中での「正義」の意味がぐらつき始めました。
「途上国の人は困っている」
という勝手な思い込みでここまできてしまった自分のなかの
「正義」と「使命感」にすがりつく毎日。
「初心忘れるべからず」
という言葉を胸に何とかたまたま読んでいた本の中で見つけた言葉
「お前達の愛するというのは神が人間を愛するような、
金持ちの奥様が自分の犬を愛するようなそういう愛である、
なにもしれくれるな、我々はただほっておいて欲しいのだ」
(殺される側の理論 本多勝一)
先生達にしてみれば
「本気で体育を広めたいというのなら、何故2年間で帰国するのだ、
協力隊の2年間が終わっても日本から戻ってきて、
10年、20年我々と一緒に働いてくれれば
こっちだって本気になるかもしれないが、
2年間での本気には付き合えない、残される我々の事も考えて欲しい
お前にとっては経験でもこちらにとっては現実なのだ」
実際に言われたわけではないけど
みんなはそう思っているのではないか?
と感じるようになりました。
自分が信じていた「正義」とか「使命感」は間違っていたのか?
「過去の成功体験が足を引っ張ることもある」
たいした成功体験もないけれど方向転換してもよいのかな?
と考えるようになりました。
そして結果的には相手の気持ちをとことん考えて
僕の考える「正義」の押し付けは辞めることにしました
そのとき考えて自分なりの「言い訳」は
もしもタイムマシーンがあって100年先の人がやってきて
「日本人はかわいそうだね。平均寿命が85歳なんだ、
癌も糖尿病もエイズも治せないなんて・・・・
100年後の平均寿命は120歳だよ癌は治る病気だし、
HIVはすでに撲滅したよ
僕達が君達の生活を改善してあげよう」
といって彼らの「正義」と「使命感」によって
僕のこれまでの人生が否定され、
惨めなものだと決め付けられプライドを失っていくくらいだったら、
このまま胸をはって自分の人生を歩みたい。
平均寿命が85歳で何が悪い? とおもったこと
それと同じことを今自分がバヌアツで行っていて
勝手に行き詰っているのだ、 と気がついたからです。
そこまで来るのに大分と苦しんだから
答えが出てからは気持ちは楽になりました。
甘やかしの援助でもいいから先生達へのアプローチはもうしない。
一番最初の言葉
「正しいと言うことは正しいという理由だけで実現されるものではない
それをいかに実現するかを考えることが我々の仕事である」
バヌアツで体育を広めることは「正しい」ことであり、
いかに実現するのかを一生懸命考えていた自分の中の
「正しさ」の意味が変わってしまったのだと思います。
それに気がつけたのが自分の偉かったところかもしれませんし、
自分の弱さに助けられたのかもしれません。
僕がもっと強い人間だったり、強くて大きな組織を持っていたら
方向転換できずに
植民地支配だったり、ヒトラーだったり、
日本の第2次世界大戦への開戦を実行していたかもしれないしね。
「正しい」「正義」「使命感」という言葉に自分が酔っていたのかもしれないし、
34歳でそれに気がついたのかもしれません。
僕の立場がボランティアで、
離島で1人で頑張っていたから僕1人が方向性を変えても
誰にも迷惑がかからなかった事もよかったのだと思います。
ボランティアだったから数字的な結果よりも正しいことを突き進んで
良かったのだと思います。仕事だったらそうはいかないよね。
あのまま頑張っていたら結局は
自分が一番不幸になっていたのだと思います。
「正義を疑え」
「人間は完璧を求めすぎるともっとも大切なものを失うことになる」
あの2年間で多くのことを学びました。
こうやって大人になっていくのかな?
自分の限界を知った2年間でした。
僕が体育の教員を育てられなかったことに対して
現地の人が最後に言った言葉は
「最初から体育なんてどうでもよかった、
ただ日本人の友達が欲しかっただけなんだ
だからお前は最高のボランティアだった、
胸を張って日本に戻って欲しい」
という言葉でした。
帰国後にJICA職員からのアドバイスは
国際協力の為に協力隊に行って、
結果的に2年後に国際交流になってしまっても
それはしかたの無いこと
10年後にあなたの教え子が教員になったとき
初めてあなたの活動が花開くかもしれません。
もちろん2年間で結果を出す人い居る、
しかし援助とはそれほど簡単でないことは職員はみんな理解している。
「2年間本当にお疲れ様でした。」
もう一度同じ気持ちで挑むことはできないし、
答えが見えなかったから常に全力で頑張れたのだと思います。
これからの人生も沢山悩んで
自分の正義と正しさを常に考えながら成長したいと思います。
やばいね・・・ またここで「成長」という言葉を使ってしまった・・・
現状維持でも良いと学んできたはずなのに、
でもやっぱり自分は日本人だから「人生の道」というのを考えたいです。
効率化とか経済成長ではなくて「人としての成長」
これは全世界共通ですよね。 (長くなってスイマセン・・・・)
「魚を与えて一日を養うのではなく、漁法を伝えて一生を養う」
相手の国の自立を助けるというものです。
僕の要請の体育に例えると
僕が2年間現地の生徒に体育の授業を直接するだけでは、
2年後僕が帰国する
時には新しく日本からボランティアが来なければならないという
「甘やかしの援助」 になってしまう。からならず2年間で現地の先生達
から体育の指導をできる人を育てて、将来的には援助がなくても自立
できるようにすることであった。
ボランティアとして僕の心にいつもあったのは
東京都庁で働いていた方の言葉で
「正しいと言うことは正しいという理由だけで実現されるものではない
それをいかに実現するかを考えることが我々の仕事である」
だった。
今後バヌアツ共和国が先進国に近づいていく為には
「規律」 「ルールを守る」「チームワーク」
「正しい生活習慣 (運動⇒栄養⇒休養のトライアングル)」
などが必要になるだろうし、
学校でそれを学ぶには体育はもってこいだと僕は思っていた。
僕の中には「正義感」が燃えさかっていたのだ。
現地の先生にいくら嫌がられても逃げられても、
根気よく諭して諦めないでアプローチし続ける。
同時に生徒たちへの巡回指導で自分が実践してみせる。
「して見せて、やらせて見せて、褒めてやらねば人は育たず」
山本 五十六
例えみんなに理解してもらえなくても自分の中には
「正義感」と「使命感」」がみなぎっていた。
先生達に馬鹿にされたり、失礼な行動をとられても妥協はゆるさず
「やらない理由は自分が決める」
「ボランティアだからと行って自分の気分が乗らないから
辞めてしまうようでは結局は日本からの現実逃避になる」
「お金の為に働いているのではない」
「持続する情熱」
と思って頑張ってやってきた。
誰にも理解されなくても
・ローマ時代のイエスキリストも
・死んでから認められたゴッホも
・「それでも地球は回っている」 のガリレオ・ガリレイも
・アテネの政府に死刑にされたソクラテスだって
みんなパイオニアは周りに理解されずに、孤独に死を迎えるものなのだ、
だから自分も妥協せずに
「耐えざるを耐え、忍びざるを忍び」
自分の信じる「正義」を突き進むのだ!
バヌアツの人達もいつか気がつくはずだ、
たとえそれが僕の帰国後であっても・・・・
「強者はひとり孤独に耐える」
はじめの8ヶ月は島に1人しか日本人が居なかったし、まさしく孤独でした。
しかし一年が過ぎたあたりで体調がおかしくなってきた、
朝起きれなかったり、起きても授業に対する
イマジネーションとモチベーションが全く沸かなかったり・・・・
引きこもり状態になってしまった。
しかしそこでも引き下がれない、
だってフットボール選手だったころも毎日そうだった
疲れが溜まりぎて朝起きれない。モチベーションが上がらないのは
現役の頃は当たり前でした。
「NO PAIN NO GAIN」 (痛み無くして得るものなし)
「志あれば、そこに道あり」
「負けたから終わったのではなく、諦めたから終わったのだ」
「人生には一度妥協すると二度と戻れない道があるのだ!」
しかし一年が過ぎて自分の中にも変化が出てきました。
・「働きすぎるな」と会うたびにアドバイスしてくれる老人達
・僕の体を気遣ってくれるお母さん達
・僕がバイクで走っていると飛び跳ねてあいさつしてくれる子供達
・バイクが壊れて連絡手段も無く授業をサボってしまった僕を
責めるどころか「大変だったね」とやさしくし声をかけてくれる校長先生
・病気になって死が迫っているのに穏やかに死を待つ老人
・笑顔と鼻水が常に全快な子供達
「足るを知る」
「幸せは 自分の心が決める」
南の島の幸せな国の人達はすでに
人生に必要なもの全て持っているようでした。
「日本ではどうして昨日と今日が同じことの繰り返しではいけないの?」
と言われて、日本では
「向上心の無い人間はバカである」
「現状維持では下降と同じ」
という言葉を胸に抱きながらも、
自分の中での「正義」の意味がぐらつき始めました。
「途上国の人は困っている」
という勝手な思い込みでここまできてしまった自分のなかの
「正義」と「使命感」にすがりつく毎日。
「初心忘れるべからず」
という言葉を胸に何とかたまたま読んでいた本の中で見つけた言葉
「お前達の愛するというのは神が人間を愛するような、
金持ちの奥様が自分の犬を愛するようなそういう愛である、
なにもしれくれるな、我々はただほっておいて欲しいのだ」
(殺される側の理論 本多勝一)
先生達にしてみれば
「本気で体育を広めたいというのなら、何故2年間で帰国するのだ、
協力隊の2年間が終わっても日本から戻ってきて、
10年、20年我々と一緒に働いてくれれば
こっちだって本気になるかもしれないが、
2年間での本気には付き合えない、残される我々の事も考えて欲しい
お前にとっては経験でもこちらにとっては現実なのだ」
実際に言われたわけではないけど
みんなはそう思っているのではないか?
と感じるようになりました。
自分が信じていた「正義」とか「使命感」は間違っていたのか?
「過去の成功体験が足を引っ張ることもある」
たいした成功体験もないけれど方向転換してもよいのかな?
と考えるようになりました。
そして結果的には相手の気持ちをとことん考えて
僕の考える「正義」の押し付けは辞めることにしました
そのとき考えて自分なりの「言い訳」は
もしもタイムマシーンがあって100年先の人がやってきて
「日本人はかわいそうだね。平均寿命が85歳なんだ、
癌も糖尿病もエイズも治せないなんて・・・・
100年後の平均寿命は120歳だよ癌は治る病気だし、
HIVはすでに撲滅したよ
僕達が君達の生活を改善してあげよう」
といって彼らの「正義」と「使命感」によって
僕のこれまでの人生が否定され、
惨めなものだと決め付けられプライドを失っていくくらいだったら、
このまま胸をはって自分の人生を歩みたい。
平均寿命が85歳で何が悪い? とおもったこと
それと同じことを今自分がバヌアツで行っていて
勝手に行き詰っているのだ、 と気がついたからです。
そこまで来るのに大分と苦しんだから
答えが出てからは気持ちは楽になりました。
甘やかしの援助でもいいから先生達へのアプローチはもうしない。
一番最初の言葉
「正しいと言うことは正しいという理由だけで実現されるものではない
それをいかに実現するかを考えることが我々の仕事である」
バヌアツで体育を広めることは「正しい」ことであり、
いかに実現するのかを一生懸命考えていた自分の中の
「正しさ」の意味が変わってしまったのだと思います。
それに気がつけたのが自分の偉かったところかもしれませんし、
自分の弱さに助けられたのかもしれません。
僕がもっと強い人間だったり、強くて大きな組織を持っていたら
方向転換できずに
植民地支配だったり、ヒトラーだったり、
日本の第2次世界大戦への開戦を実行していたかもしれないしね。
「正しい」「正義」「使命感」という言葉に自分が酔っていたのかもしれないし、
34歳でそれに気がついたのかもしれません。
僕の立場がボランティアで、
離島で1人で頑張っていたから僕1人が方向性を変えても
誰にも迷惑がかからなかった事もよかったのだと思います。
ボランティアだったから数字的な結果よりも正しいことを突き進んで
良かったのだと思います。仕事だったらそうはいかないよね。
あのまま頑張っていたら結局は
自分が一番不幸になっていたのだと思います。
「正義を疑え」
「人間は完璧を求めすぎるともっとも大切なものを失うことになる」
あの2年間で多くのことを学びました。
こうやって大人になっていくのかな?
自分の限界を知った2年間でした。
僕が体育の教員を育てられなかったことに対して
現地の人が最後に言った言葉は
「最初から体育なんてどうでもよかった、
ただ日本人の友達が欲しかっただけなんだ
だからお前は最高のボランティアだった、
胸を張って日本に戻って欲しい」
という言葉でした。
帰国後にJICA職員からのアドバイスは
国際協力の為に協力隊に行って、
結果的に2年後に国際交流になってしまっても
それはしかたの無いこと
10年後にあなたの教え子が教員になったとき
初めてあなたの活動が花開くかもしれません。
もちろん2年間で結果を出す人い居る、
しかし援助とはそれほど簡単でないことは職員はみんな理解している。
「2年間本当にお疲れ様でした。」
もう一度同じ気持ちで挑むことはできないし、
答えが見えなかったから常に全力で頑張れたのだと思います。
これからの人生も沢山悩んで
自分の正義と正しさを常に考えながら成長したいと思います。
やばいね・・・ またここで「成長」という言葉を使ってしまった・・・
現状維持でも良いと学んできたはずなのに、
でもやっぱり自分は日本人だから「人生の道」というのを考えたいです。
効率化とか経済成長ではなくて「人としての成長」
これは全世界共通ですよね。 (長くなってスイマセン・・・・)
2013年3月24日日曜日
人も国も年を重ねます
先日に団塊世代の人(65歳くらい)と話していたときに
「日本は内向きになって良くない、中国や韓国に負けてしまう、
経済成長しなくてはならない」
というような話を熱心にされていました。その人は3年ほど海外に出ていて
数ヵ月前に帰国したからなのかもしれないけど、僕はその意見には疑問を持ちました。
経済成長も大切だと思いますが、それが「唯一」の豊かさへの道だという考え方は
少しずつ改めていくべきだと思っているからです。
「失われた20年 」という言葉をよく聞くけど、第2次ベビーブームに産まれて
今39歳の僕は何も失てはいないしね。おそらく何かを失ったと思っている人達は
団塊世代の男性に多いのだと思います。
女性の価値観は団塊世代でも今の若い世代でも男性ほどは変わらないと思います。
国を人間に例えるとこれからの日本は勢いだけで突き進んだ20代、30代ではなく
40代にはいってきたのだと思います。
若いことのようになんでも挑戦できるわけではなくて、
人生の方向性のようなものが必要になってきている時期です。
中国、韓国は今まさに20代、伸び盛りです。勢いがあります。
アメリカはいつまでたっても大人になれないまま40歳になってしまった感じです。
彼らは勢いのある20代が人生で一番輝いていると勝手に勘違いしていて、
若さにしがみつこうとしているように見えます。
強くて、頼りになるヒーローでいたいのです。
寛容さが無くライバルはすべて倒さないと自分たちの価値が下がると勝手に
思い込んでいる感じです。
ヨーロッパはすでに60代、自分のスタイルがほぼ固まってやや保守的ですが
もう無理はしない成熟した国に見えます。
アフリカは10代です、みんなで見守っていく必要があります。
今後に悪い道に進むのか、正しい大人になってくれるのかは
周りの大人たちが与える環境しだいで変わっていくと思います。
日本は40代はどうなるのかな? 20代の若者と張り合うようなまねはしないで、
「成熟した国」になるための意識改革が必要だと思います。
「失われた20年」という期間は次の段階になるための大切な20年であったと思います。
日本はさらなる「豊かさ」を手に入れるために日々進歩している国であると思います。
「日本は内向きになって良くない、中国や韓国に負けてしまう、
経済成長しなくてはならない」
というような話を熱心にされていました。その人は3年ほど海外に出ていて
数ヵ月前に帰国したからなのかもしれないけど、僕はその意見には疑問を持ちました。
経済成長も大切だと思いますが、それが「唯一」の豊かさへの道だという考え方は
少しずつ改めていくべきだと思っているからです。
「失われた20年 」という言葉をよく聞くけど、第2次ベビーブームに産まれて
今39歳の僕は何も失てはいないしね。おそらく何かを失ったと思っている人達は
団塊世代の男性に多いのだと思います。
女性の価値観は団塊世代でも今の若い世代でも男性ほどは変わらないと思います。
国を人間に例えるとこれからの日本は勢いだけで突き進んだ20代、30代ではなく
40代にはいってきたのだと思います。
若いことのようになんでも挑戦できるわけではなくて、
人生の方向性のようなものが必要になってきている時期です。
中国、韓国は今まさに20代、伸び盛りです。勢いがあります。
アメリカはいつまでたっても大人になれないまま40歳になってしまった感じです。
彼らは勢いのある20代が人生で一番輝いていると勝手に勘違いしていて、
若さにしがみつこうとしているように見えます。
強くて、頼りになるヒーローでいたいのです。
寛容さが無くライバルはすべて倒さないと自分たちの価値が下がると勝手に
思い込んでいる感じです。
ヨーロッパはすでに60代、自分のスタイルがほぼ固まってやや保守的ですが
もう無理はしない成熟した国に見えます。
アフリカは10代です、みんなで見守っていく必要があります。
今後に悪い道に進むのか、正しい大人になってくれるのかは
周りの大人たちが与える環境しだいで変わっていくと思います。
日本は40代はどうなるのかな? 20代の若者と張り合うようなまねはしないで、
「成熟した国」になるための意識改革が必要だと思います。
「失われた20年」という期間は次の段階になるための大切な20年であったと思います。
日本はさらなる「豊かさ」を手に入れるために日々進歩している国であると思います。
2013年3月5日火曜日
男はうんこで繋がっている②
その後アンゴラに居たとき、
これはある意味人体実験のようなもので、
空気が入らなくきめの細かい粘土のようでとても長くなる。
そして僕の住んでいた寮は水洗用便器を毎回バケツの水で流すという
いつか流れるだろうと思ったり、木の枝を切ってきて、
でも詰まっているのは便器の奥で、縦方向にS字になっていて、
おしるこを満タンにためた洋式トイレの前に椅子を置いて、
結局は水は一ミリも減らず、
自分の便所はすでに三日ほど詰まっていたので、したがって自分自身も三日分詰まっていた。
自分で汲んできたバケツの水で流そうと思ったが、
それからケイタの便所の前で汗びっしょりでかき混ぜたが水は全く引かない。 あまりの焦りと暑さとやり切れなさで「
と思ったが、その場合は肩くらいまではおしるこに埋まるだろう・
と予想され、辛うじて思いとどまった・・・・
ケイタが帰ってくる前になんとか流したくてしなりそうな木の枝をとってきて、何度も突っ込んでみたがついに流れなかった。
そしてついにケイタが帰って着てしまった。仕方なく白状すると
「僕は丁度ベンキの角度に合った棒を持っています」
といってどこかに行ったかと思うと、一分くらいすると使えなくなったほうきのとってが程よく曲がった棒をもってきて、
「こちらも治りました」
と1分で出てきた。
その棒を普段何処に隠しているのかはよく分からなかったが、
70センチくらいのその棒を持ってさっそうと歩くケイタの姿は、
三日ぶりに空になった自分の便器をみて、本当に嬉しかった。
その後にケイタとふたりで、
男はなぜかウンコにロマンを感じるものなのだと今でも思っている
2013年3月2日土曜日
男はうんこで繋がっている①
知り合いが旅行に行ったので、我が家に一日犬がきた
仕方ないから僕は犬の朝晩犬の散歩に行くことになった。
犬が野グソをした、でも今の時代は持ち帰らないといけないらしい
仕方が無いから家にもどってビニール袋を持ってきて、 強く握らないように
やわらかくソフトに握りながら家にウンコを持ち帰った、
ちなみに僕が子供の頃に
そらった大阪ではウンコではなくてウンチというのが子供達の間で は主流だった
ビニール袋一枚でウンコと僕の指は触れ合っているのだが、 子供の頃に
「ウンコ爆弾」というのが流行った、 カラカラに乾いたウンコを拾って、友達に投げつけ
るのだ、 何故男はあのようなおろかな行為を一緒にすることによって友情
を深めあうのだろう? ウンコに爆竹を指してまさしくウンコ爆弾にしてたりもした。
そのビニールに入ったウンコを家の水洗便所に流す。 ウンコの下に少しだけ
石が突き刺さっていたけどそれを取り除く勇気は無いのでそのまま 流してしまった。
小型犬のウンコはヒラヒラと回りながら水洗便所に吸い込まれてい った。
その時にまた記憶が蘇った。 子供の頃には毎回ウンコが流れていくときに
「ウンコさんさようならー」 と手を振っていた。
思わず心の中で「さようならー」と思ってしまった。
バヌアツの頃に一緒に生活していたスパイダーという犬は、 僕がよその村に
行くときは僕を守らなければいといけないと思っているようで、 常に僕の15メートル先
まで全力で走り、 そこで振り返り僕が歩いているのを必死に見ていた。
僕が彼に追いつくともう一度15メートル先まで全力疾走をすると いうことを繰り返す
犬だった。時にはいったん僕の後ろまで周り、 その後にまた15メートル先に戻ったりする
というとても忠誠心のある犬だった。 その彼が急に30メートル先まで全力疾走する
ことがある、ウンコのときだ、彼は僕の歩調を考えて、 僕が彼に追いつく距離を計算し
その間にウンコを済ませようとするのだ、彼がウンコをする時間、 それが僕が30メートル
を彼に追いつくまでに歩く時間だと彼なりに計算しているようだっ た。
30メートル先で始まった彼のウンコは丁度僕が彼に追いついた時 には終わるように計算
されており、その間の彼の必死な形相にはいつも笑わされた、
肛門をこちらに向けているのが少し気になってはいたが、 僕が近づいてくるのを振り返りながら
必死で気張る彼の顔には危機迫るものがあり、 ついつい小走りをして、もっと追い詰めてやろうか?
という意地悪な気持ちになったこともあった。
だいたいは僕が追いついた瞬間に彼のウンコも終わり、 何事も無かったかのようにまた
僕の15メートル先まで全力疾走してくれる。
その30メートルの間の彼の表情には飼い主を守るミッションと、 自分自身生理的欲求を満たす
ミッションの二つのミッションのハザマで限界の勝負をしてるとい うめんでは同じ男として
尊敬に値する一面があった。
その頃にロカタイ小学校に居たテツヤはカバというバヌアツ人が夕 方に好んで飲む
木の根っこを煎じて飲むのみものと、彼の学校が長期休暇に入り、 水を止めてしまったので
畑で使う井戸水を飲んでいたことも会って、常に腹を壊していた。 井戸の近くに豚が
飼われていたので、 そおらく相当ヤバイ水を飲んでいたのだと思う。
一日に何回ウンコに行ったかを報告してくれるテツヤはその顔色の 悪さに反して、
生き生きとしているように感じた。
テツヤの次にバヌアツにきたヒロもそうとう下痢に悩んでいた。
今思えばあの島は火山島だったので、地中に入った水には火山灰から入る
カルシウム分の多い水になっていたのだと思う。ペットボトルに水をためるとふちに白い
カルシウムのかたまりのようなものがたまっていた。
そういう自分も一人で島に入った時には下痢に悩まされ、朝一番の体育の授業などで
逆立ちをすると下痢のための脱水症状なのかめまいがすごくて星が回ることが
よくあった。 一か月も下痢が続くとすでに治すことをあきらめてしまって、せめて出口くらいは
清潔にしておきたいとおもって、出口の毛をバリカンで剃ってしまったこともあったなー
あの頃おれたちは食べる話と出す話で友情を高めあっていたのだとおもう・・・・
パート②に続く・・・・
仕方ないから僕は犬の朝晩犬の散歩に行くことになった。
犬が野グソをした、でも今の時代は持ち帰らないといけないらしい
仕方が無いから家にもどってビニール袋を持ってきて、
やわらかくソフトに握りながら家にウンコを持ち帰った、
そらった大阪ではウンコではなくてウンチというのが子供達の間で
ビニール袋一枚でウンコと僕の指は触れ合っているのだが、
「ウンコ爆弾」というのが流行った、
るのだ、
を深めあうのだろう? ウンコに爆竹を指してまさしくウンコ爆弾にしてたりもした。
そのビニールに入ったウンコを家の水洗便所に流す。
石が突き刺さっていたけどそれを取り除く勇気は無いのでそのまま
小型犬のウンコはヒラヒラと回りながら水洗便所に吸い込まれてい
その時にまた記憶が蘇った。 子供の頃には毎回ウンコが流れていくときに
「ウンコさんさようならー」 と手を振っていた。
思わず心の中で「さようならー」と思ってしまった。
バヌアツの頃に一緒に生活していたスパイダーという犬は、
行くときは僕を守らなければいといけないと思っているようで、
まで全力で走り、
僕が彼に追いつくともう一度15メートル先まで全力疾走をすると
犬だった。時にはいったん僕の後ろまで周り、
というとても忠誠心のある犬だった。 その彼が急に30メートル先まで全力疾走する
ことがある、ウンコのときだ、彼は僕の歩調を考えて、
その間にウンコを済ませようとするのだ、彼がウンコをする時間、
を彼に追いつくまでに歩く時間だと彼なりに計算しているようだっ
30メートル先で始まった彼のウンコは丁度僕が彼に追いついた時
されており、その間の彼の必死な形相にはいつも笑わされた、
肛門をこちらに向けているのが少し気になってはいたが、
必死で気張る彼の顔には危機迫るものがあり、
という意地悪な気持ちになったこともあった。
だいたいは僕が追いついた瞬間に彼のウンコも終わり、
僕の15メートル先まで全力疾走してくれる。
その30メートルの間の彼の表情には飼い主を守るミッションと、
ミッションの二つのミッションのハザマで限界の勝負をしてるとい
尊敬に値する一面があった。
その頃にロカタイ小学校に居たテツヤはカバというバヌアツ人が夕
木の根っこを煎じて飲むのみものと、彼の学校が長期休暇に入り、
畑で使う井戸水を飲んでいたことも会って、常に腹を壊していた。
飼われていたので、
一日に何回ウンコに行ったかを報告してくれるテツヤはその顔色の
生き生きとしているように感じた。
テツヤの次にバヌアツにきたヒロもそうとう下痢に悩んでいた。
今思えばあの島は火山島だったので、地中に入った水には火山灰から入る
カルシウム分の多い水になっていたのだと思う。ペットボトルに水をためるとふちに白い
カルシウムのかたまりのようなものがたまっていた。
そういう自分も一人で島に入った時には下痢に悩まされ、朝一番の体育の授業などで
逆立ちをすると下痢のための脱水症状なのかめまいがすごくて星が回ることが
よくあった。 一か月も下痢が続くとすでに治すことをあきらめてしまって、せめて出口くらいは
清潔にしておきたいとおもって、出口の毛をバリカンで剃ってしまったこともあったなー
あの頃おれたちは食べる話と出す話で友情を高めあっていたのだとおもう・・・・
パート②に続く・・・・
2013年2月17日日曜日
豚とソクラテス
この言葉を最近知ったのだけど、前半部分の満足なブタであるより、不満足な人間、満足な人間であるよりも不満足なソクラテスという部分が面白いなー、と思います。「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。」 ジョン・スチュアート・ミル— 『功利主義』第二章
僕がボランティアとして2年間生活していたバヌアツの人達は
「昨日と今日、今日と明日、同じ生活が60年から70年続いて人生が終わるのが一番良い人生だと思っている、どうして日本では昨日と今日が同じじゃいけないの?」
という素朴な疑問を持っていた。 しかも面白いことに僕のいたバヌアツは1980年までイギリスとフランスに植民地にされていて、
一度は自分たちのスローライフを否定され、島にはココナッツの畑ができたり、食品を加工する缶詰め工場ができたりしていたのだ。 今でも年配の人の中には若いことにイギリスに行って勉強したことがある人がいて、普通に英語を話す。
彼らは一度そういう生活を経験して、でもやっぱり自分たちには争いも格差もないスローライフが向いていると判断しているところがすばらしいと思う。
バヌアツの「毎日が同じことの繰り返しがいけないことなの?」の対極にある言葉で僕がよく紹介するのが夏目漱石が「心」のなかで言った
「向上心の無いものは馬鹿だ」
である。
話の流れ的にはこの言葉は悪だと思うかもしれないけど、そうではなくって、僕はこの言葉も大好きです。
せっかく人間として生まれてきたのだから、自分の心と体が持っている能力をフルに発揮して、死ぬまで自分を限界まで高めながら生きていくことが人間として尊い生き方であると思ってしまう。 二つの道があったら困難な道を選んでこそ人生は面白くなるのだと思う。
だからこの二つの言葉で僕はいつも迷ってしまうのだけど、
最近思うことは「向上する方向性」が大切なのかな?
と思います。
自分の心と体の向上を自分だけの為、有名になるため、お金持ちになるために使う「向上」なら必要ないと思うし、逆に世の為、人の為、家族の為(家族の為にひたすら金を稼ぐというわけではなくて、愛情を捧げるという意味で)
向上するという哲学があればそれでよいのかな?
なんて思います。
そういう方向に僕たちが行かなかったのは
・なんでも一番早く、一番大きく、一番強くというアメリカが近く にいた
・第1次、第2次 ベビーブームが右肩上がりの経済成長とと もにもともと日本人が持っていて素晴らしい価値観を忘れ て「道徳なき競争」に踊らされてしまったこと
・無意味な戦争をして、それに負けてしまったという反省と劣 等感
などがあると思います。
大人と子供の違いは、大人は自分の価値が定まっているから人より高級だから良い、人より高学歴だから良い、人より都会に住んでいるから良い、などという価値観にとらわれず、自分の愛する人と、自分の好きな場所で、自分のペースで生きるという「足るを知る」人のことで、子供は単に他人との比較によって自分の価値を評価する人のことだと聞きました。
満足した豚になるのか、不満足なソクラテスになるのかは難しいけど、僕は「満足した凡人」くらいが自分らしいかな? と思っています。
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