2011年2月5日土曜日

比較しにくいアンゴラとバヌアツ


バヌアツとアンゴラの違うところ、 

バヌアツは島国なので、物資が届きにくい、車の輸送はすべて船なので、

車の数と質は圧倒的に違う、アンゴラはすべてにおいて物が豊かだ、

そして石油があるのでお金があるセメントや車もどんどん輸入できる、

ビルもどんどん建つ、

バヌアツには資源が無い、だから外貨の獲得は難しい、

資源が無い国の外貨獲得は観光になる、

しかし観光はお金と引き換えに自分達の大切な自然とともに、

人間としてのプライドを失うことになりかねない。
 
外国からお金を持ってくる観光客のほうが自分達より

優れていると思わざるを得ないこともあるからだ。

そして彼らからしか現金を得ることができなことは悲しい。

 アンゴラのビザ獲得になぜ2ヶ月以上もかかったのか、

今なんとなくわかる、

彼らは外国人たちが勝手にアンゴラに乗り込んできて、

車やセメントと引き換えにオイルやダイヤモンドを

買っていくことを制限したいのだとおもう。

外国人に勝手に商売されては困るのだ。
 
そうやって自分達の国を守る手段を知っていることは

とてもすばらしいことだとおもう。

 僕も外国人としてビザ獲得に泣かされたけど、

やっぱりそうやって自分達の国と国民を守ることは当然の権利であり、

そういう面は日本も見習うことができるとおもう。

 日本もバヌアツも島国なので、

外国に対する警戒意識はどちらかといえば低い気がする。



そして教育、バヌアツの頃は僕は初等教育、

ローカルの村の小学校が専門で、

日本の教育との差は教育レベルの面でも、

組織つくりの面でもものすごいギャップがあり、戸惑った。

 

そして今はアンゴラの教員養成校。
 
小学校、中学校と選らばれて、しかも親もお金持ちで、

エリートとして育ってきた子供たちの集まり、
 
年齢は20歳前後だが、

彼らは僕の想像以上に真面目で親切で誠実なことに驚いた。

 途上国という言葉はバヌアツとアンゴラではまったく違ってくるし、

ヨーロッパとアジアがまったく違うように、

アンゴラとバヌアツもまったく違う。
 
比較はできないし、

バヌアツの学校での経験はアンゴラの学校では

応用はできない気がします。

 それほどの違いを今は感じています。

2011年2月3日木曜日

ポルトガル語と発展への道




  <写真は市場で売っていた、虫です。食べてみるとそのまんま
   「虫」のこおばしい味がしました。
   って書こうかな?っておもったけど、そうかいて
   「なるほどあの味か!」って思える人は日本にはあまりいないとおもいます。
   僕にも虫の味がどういうものか、どの虫がおいしくて、どれがまずいのか? 
   を論じる自信はありません。まあしいて言えば雑魚みたいな味です>

 アンゴラには天然資源のダイアモンド石油がたくさんあり、

 内戦が終わって平和になった今、

 中国を初めたくさんの国が興味を示しています。もちろん日本もです。
 
 でも少しだけアンゴラが難しいところは、

 ポルトガルに植民地にされていたことです。

 やっぱり今世界の中で経済的に豊かな国は英語を話しています。

 アメリカにしてもイギリスにしてもラテンの国の人達も、

 基本的には英語を話さなくても理解はします。
 
でもポルトガル語を話す国で経済的に豊かな国は無いのが現状です。

 ポルトガル、東ティモール、ブラジル、アンゴラ、モザンピーク
 
 特にアンゴラに関しては、

 ポルトガル人は植民地にして搾取だけして

 帰っていったという評価があります。

 イギリスやフランスみたいに学校を作って、農園を組織化して、

キリスト教を広めて、

 というような教育や国つくりにはあまり興味が無かったみたいです。

 そこがアンゴラの難しいところです。

 どの先進国と一緒に国作りを行えばよいのかが難しいのだと思います。

 先進国のほうも英語が通じれば一緒に仕事をしようかな? 

と思うかも知れませんが、言葉が通じないと、

とりあえず資源だけ買って商売しよう。

 という風になるのかもしれません。

 アンゴラの生徒が言っていました。
 
 「僕たちには資源というお金がある、

そのお金を使って教育にまわせば僕たちに国も日本みたいになれると思う」
 
 日本の戦後の復興についてよく聞かれます、

 でもそれはアンゴラだけではなくて、
 
スペイン人にも、ノルウェー人にも聞かれました。

 海外に行く人は自分なりの答えを考えていたほうがよさそうです。
 
ちなみに僕は

 戦争ですべて失って劣等感があったこと、

 みんなが何も持っていなかったので格差が無かったこと、

そして戦前からすでに日本の教育水準は高く「読み書きそろばん」
 
 が一般の人のレベルまできちんと行き届いていたことなどを説明しました。

  バヌアツの人達は心の中では発展することを望んでなかったけど、

アフリカの人達、特にアンゴラでは発展への意識は高いみたいです。

 バヌアツにいた頃とはまた違った感覚を今僕は感じています。

アンゴラ一週間目です



 アンゴラにきて約一週間、学校のネットは3ヶ月ほどつながってないらしくて、


  いつあっぷできるかわかりませんが、とりあえず近況を書こうと思います。

 10年ほど前まで内戦があって危険、しかも地雷もまだう待っている、

 マラリアは普通に念に一度はみんながかかる、

 ピアスは耳からもぎ取って盗まれるし、腕時計は腕ごとバッサリきられる。
 
 それがアンゴラ。
 
 なんて、昔話がどんどん大げさになるように、

 一つの噂が無知な人達の勝手な創造でどんどんと大げさになるように、

 ここアンゴラもそういう風になってしまっているようです。
 

 バヌアツ行く前も、


 「人を食べている、もちろんマラリアもある、逆夜這いの文化がある」

 と聞いていましたが2年間待っていても何も起こりませんでした。

 ちなみにアンゴラ人、凄くよい人です。

 というかノー天気に良いというわけではなくて、礼儀正しいということです。
 
 もちろん今回の僕の派遣先はバヌアツの頃みたいに

 ローカルな場所に行って現地の人と一緒に働くというものではなくて、
 

 アンゴラの中にある教員養成校、(20歳前後)に半年住み込んで、

 日本の文化を教えたり、英語が教えれればさらによし、

 体育が教えれればもっとよし、何もできなくてもそれもまたよし。

 というものなので、学生も毎日きちんとした格好をしているし、

 先生に関してはアイロンをあてた襟付きシャツを毎日着ている

 (一週間同じシャツをきていますが)


 という恐るべし「規律」を守っている学校です。

 先生も生徒もとてもプライドが高い、ポルトガル語を話さないと馬鹿にされる。

 
 という話でしたが、こちらが一生懸命に勉強していると、

 みんなとても喜んで教えてくれます。

 生徒はみんな礼儀正しくて、

 「すいません」 デスクーペ

 「失礼します」 コン リセンサ

 などといたってまじめです。

 もちろんみんな若いから何か楽しいことがあると大声で笑っていますが、

 バヌアツの頃のように常にみんな面白いことを探している。

 何があっても笑っている、というのではなくて、

 時にはとても真剣で、真面目です。

 放課後にバスケットをしているのを見ていましたが、

 みんな額に汗をかきながら、ものすごく真剣に勝ちにこだわっていました。

 笑いはほとんど無し、

 時には口論しながらどちらのファールなのか言い合っていましたが、

 おそらくそれは彼らの日常なのだとおもいます。

 真剣で真面目な黒人達。とても自分達にプライドを持っていて、

 物事を追求する姿勢があるように思います。もちろんおおらかさもありますが。

 バヌアツ、アンゴラと途上国と呼ばれる国の中で両極端な国を見て感じたことは、

 世の中人のすんでいるところは、それなりに規律があって、

 バランスが取れている、

 日本のドキュメンタリーとかユーチューブで流れてるような

 「この世の終わり」

 みたいな世界はテレビが作った世界であり、

 先進国の人達が自分の人生に少し疲れてしまったときに

 そういう番組を見て

 「あー、アフリカに比べたら、自分のほうがまだましなのかな?」

 
 っておもうための世界であって、

 実際にはどこもとても良いところなのだと思い始めました。

  
 もしかしたら刑務所の中だって入ってみたら意外とみんな良い人なのかもな?
 
 なんて思いました。

 それがアンゴラの第一印象です。

2011年1月26日水曜日

Genki desu

Angola ni tukimasita ga internet ga nai node kousin ga okurete imasu.
demo genki ni ganbatte imasu.
tikai utini net ga tunagaru to omoimasu mou sukosi matte kudasai.
yorosiku onegai simasu,
Teruhiro URA

2011年1月15日土曜日

ここからアンゴラです。


ついにアンゴラに到着しました。

 なんと言ったらよいのか、ちょっと難しいのですが、協力隊のOBの人がこのブログを

 読んでくれている思うので、正直に書くと、あまり実感がないというのが

 正直なところです。

 バヌアツでの2年間で僕の中ではなんとなくボランティアにたいする

 考え方がまとまっていて、

 今回の6ヶ月間はどちらかといえばそれほど熱く無いという気持ちです。

 ひとつの理由は4名で一緒にきましたが、

 みんながアフリカを目の前にして興奮しているのを見て、

 なんとなく一緒に興奮できない自分に気がついてしまったこと。

 空港に着いたときに感想は、

 なんとなくバヌアツに戻ってきたという気持ちでした。
 
 空港、町、人、匂い、湿気、食事、なんとなくすでに知っている気持ちでした。

 ただ一つ違うのはポルトガル語だということ、

 初日に来た首都の学校の先生達は英語を話しますが、

 それ以外はみんなポルトガル語だということです。

 アンゴラはポルトガルの植民地だったからです。

 
 もうひとつの僕がの気持ちが熱くならないというか落ち着いている理由は、

 学校の生徒も町の人たちもみんな親切でよい人達だとわかったからです。

  東京よりも物価が高くて、世界で一番すみにくい町と呼ばれている

  首都の町ルアンダですが、

 (ルアンダとはアンゴラの首都で、別にルワンダという国もあります)

  今日一日過ごして、みんながよい人だということがわかったので、

やっぱり地球はどこに行っても自分次第、

 みんなよい人という安心感をもちました。

  今は協力隊みたいに熱い気持ちではなくって、もっとこう大人な気持ちで

 挑むべきなのかな? と感じています。

 
 明日の朝から400キロほど南にあるバンゲラという町にある教員養成校

 バスで8時間かけて行きますが、

 少し冷静に、実践的に働きたいと思います。

  

 もうひとつの感想は、協力隊は2年間だったけど、今回は6ヶ月だということ。

 協力隊で初めて任地のタンナ島に着いたときみたいに、

 「ここで2年間すむんだ、それぞれのシーズンを二回経験して、

 帰国するときには自分は2年も年をとるんだ、

 何が何でも言葉を覚えて、島に貢献したい」

 という気持ちでした、でも今回は。

 「自分には半年しかない、

 プロジェクトの中心に自分がなることは言葉の面でも、

 時間の面でもありえない、

 だったらいまプロジェクトと学校を一生懸命運営している人を

 どうやってサポートできるか? 

 どちらかといえば裏方に徹することがもっとも貢献できる道だ」

 という気持ちでいます。そのなかでこっそりとポルトガルを覚えようと思います。

  
 イギリスとアンゴラの間で時差が1時間しかないのも理由のひとつかも知れません。

 変な時間に眠くなったり、食べたくないのに食事を取らなければならなかったりという

 海外旅行独特な変な健康状態になることはありません。

  いたって普通です。

 
 それがアンゴラの初日です。

 ちなみにアンゴラは内戦が長かったので、協力隊の派遣はありません。

 でも見た感じではいたって普通、ものはバヌアツよりも豊かです。

 国の規模もバヌアツより10倍くらい大きいしね。
 
 国土は日本の5倍くらいはあると思います。

 そんなアンゴラ生活始めますので、またよろしくお願いします。

2011年1月11日火曜日

一流の人


 <写真はイングランドに田舎町です、冬は昼間でも気温がマイナスなので
 これだけ日がてっていても凍りついた木はとけません、強い日差しなのに
 枝が凍っているのはとても美しかったです>
 
フットボールをしていた頃。

 数々の伝説的な先輩と一緒にプレーすることができました。

 学生の頃に、

 「あの先輩はすごかった」

 と色々な伝説を聞いていた先輩や、

 ほかの大学でも大学からものすごく活躍していて、

雑誌に載っているような僕があこがれていたような選手と

 一緒にプレーできたことは僕にとってはとてもよい経験になりました。

 
 やっぱり一流と呼ばれる人は何かほかの人とは違うものを

 持っている気がしました。

  試合中にそういった先輩がものすごいプレーをして、

 チームみんなが盛り上がったときに、

  
 「流石ですね、すごかったですね!」


  って僕が声をかけたときに
  
 「いや、もっとやれた、あんなんではあかんな!」

 と普通な感じで返事が返ってきたときに

 「やっぱりこの人は違うなー!」

 っ手気持ちが引き締まった思い出があります。


  試合前にお互いの選手同士が少し興奮して、

 喧嘩しそうな変な雰囲気になったとき、

 
 「おい、なにやってるねん。相手にするな、早く戻って来い」


  ってうちのキャプテンがめちゃくちゃ落ち着いた声で普通に言ったとき、

 チーム全体の浮ついた気持ちが一気に静まって試合に集中できました。

 
 
  大切な試合の前にゼネラルマネージャーがみんなを励まそうとして

 「次の試合はスポンサー、マスコミ、

 その他もろもろのものすごい期待がかかっている、
  
 君たちの人生もこの一試合で大きく変わる」

 などと、練習後の寒いグランドで永遠と20分くらいしゃべり続けて、

 みんなが何かものすごい

 プレッシャーと不安を感じはじめた後に、うちのキャプテンが

 「簡単なことや、ようは勝つだけ」

 って少し面倒くさそうに言ったときその一言でチームの不安が取れて、

 みんな勝つことだけに集中できたような気がします。

 「ウラ、ちょっとくらいいいプレーしたからって喜んでたら

 いつまでたってもお前は二流や、本当の一流はよいプレーしたあとに、

 これくらいのプレーのレベルはすでに経験済みだよ、
 
 っていう顔ができないとあかん、

 そういった態度は自分のチームを引き締めるし、

 相手チームに恐怖心を与えることができる、

 だから雑魚な選手みたいにしょうもないプレーでイチイチ喜ぶな」

 っていわれたことあります。

 たぶんこういう人が戦国時代とかに天下取るような人なんだろうな、

 生まれる時代を間違えてるなー っていまでも思います。

 

2011年1月7日金曜日

二週間と二ヶ月の理論

 フットボールをしていたころ、

 練習の最後にコンディショニングという走り物がありました。

 練習で疲れているのに、さらに直線を7割くらいの速さで20本くらい走ったり、

 時には5キロくらいの距離を

 100メートル、400メートル、200メートルとランダムに走ったりします。

 そうやって走ると疲れた筋肉の中の乳酸が血液と一緒に流されて、

 次の日に筋肉の疲れが取れる。

 というコーチの理論でしたが、僕にしてみれば筋肉はすでに悲鳴を上げていて、

 必要なのは休養であり、さらに僕のひざの関節は半月版が割れていて、

 走るたびに痛むし、股関節の骨折の痛み、慢性疲労からくる腰痛など考えると、

筋肉の疲れよりも体を休めるほうが大切だと思っていました。

 
  練習で走って疲れたのに、その跡にまた走ると疲れが取れる意味がわからない?

 
 だったら二回練習すれば、一回目の練習の疲れが取れるの?

 
 食べすぎで胃袋が荒れたら、もっと食べたら胃痛が取れるの?


  心の弱い僕は走りながらそんな言い訳ばかり考えていました。


 本当に駄目な選手だったと思います。


 でもそんなときにコーチが教えてくれました。

 「ウラ、シーズンは4ヶ月と長い、もちろん今走るメニューを止めたら最初の

  二週間は体も楽になるし、慢性疲労も取れるかもしれない、

 でも二ヵ月後に気がつく、自分の全体的な身体能力が落ちてしまっていることを、

 だから辛くてもシーズンの最後までこのメニューは続けなくてはいけない、

 勝つためだから仕方がない」

 
  なるほどね、それもそうだよね、って納得したのを覚えています。


  なんでそんなことを今思い出したかというと、

 約一ヶ月前にプログラムが終わって、今はビザ待ちで学校でクリスマスと新年を

 すごしてしまいました。勉強も募金活動も終わってしまって、最初はとてもリラックス

 した気分で少し気楽な生活でしたが、最近気がつきました。


  「この生活をもう一ヶ月続けたら駄目人間になってしまう。」

 やっぱり休暇は二週間で十分だと気がつきました。

  少しずつ、仕事したり、アンゴラに向けての運動したりしようと思います。

 そうしないと二ヵ月後には駄目人間だよね。

  
  まあ来週には出発できそうなので、アンゴラでまた忙しくなると思いますが。

  二週間と二ヶ月の理論は体にも心にも使える理論だと思います。