2011年5月20日金曜日

ちょっとお休みしてました


 
 <写真は町でごみ箱を燃やしているところです。 これも普通の風景です。
決して戦争しているわけではありません。>

すいません、しばらく更新してませんでした。
 
言い訳すると、部屋に電気が来なくて、パソコンを使うときはいつも

学校内の教室に行かなければならなくて、

ブログをよく書く朝に自分の部屋に電気がないので、

ついつい書く習慣がなくなってしまいました。

 
 それに加えて自分の中で少し考える時間が必要だったのもあります。

 このブログはバヌアツの頃から書いていて、いつも面白いこ、

バヌアツの生き生きした出来事、援助以上に大切なことみたいなことを書いてきたし、

自分としてもそういうことを書くのが好きだったのだけど、

アンゴラにきて3カ月がすぎて、

アンゴラはまたバヌアツとは違うということに気が付き始めたのだと思います。

バヌアツの頃と同じようにブログを書こうとする自分に無理が出てきたのかもしれません。

 南大西洋の島国でイギリスとフランスの植民地だったバヌアツと

アフリカ大陸でポルトガル植民地だった資源豊富な大国アンゴラでは

まったく違うのだと感じます。

植民地としてポルトガルに500年搾取され続けた人達の心の中にある、

複雑な気持ちは、南太平洋であまり搾取されずに教育と教会を与えてもらった

バヌアツ人とはなにか真剣さみたいなものが違うのだと感じます。

 なるべく面白くわかりやすくそこらへんを書いていきたいと思っています。

2011年4月23日土曜日

発展と幸せのバランス


 <写真は教育実習に行っている生徒の学校に付き添いで行った時に
 写真です、この男の子は授業中に10秒に一回くらいの僕のことを振り返って
 くれました
 

 世界で一番人々が幸せに暮らしている国NO1に選ばれたバヌアツという

南太平洋の国に協力隊として派遣されていた時、

バヌアツ人に言われたことがあります。

 西洋文化って面白いよね。今日よりも明日、

明日よりも明後日のほうが進化していないといけないんでしょ。

毎日勉強して、毎日働いて、毎日少しでも向上していくことが大切な

文化なんだよね。それはとても興味ぶかいなー。

 バヌアツではね、昨日と今日、今日と明日、明日と明後日、

毎日同じことの繰り返しで一生が終わることが一番幸せだと

考えられているんだよ。

 「昨日と今日が同じことの繰り返しでなにか困ることがあるの?」

 っていわれたらそこには君達の知らない高度な精神世界があるのだ!
 
 って言いたくなるかもしれないけど、それをわざわざ彼らに教えて、

 資本主義社会では君たちは負け組なんだよ。ってわからすことに

何も意味もないし、でもどっぷり西洋文化につかってしまっている

 自分の生き方を変える勇気もないしそこはやっぱりお互いにお互いを尊敬
 
しあって行くことが大切で、こっちのほうが良いのだ!

と言いたい人がいるのなら、

それは西洋文化とかバヌアツの文化だからではなく、

その人の人生の個人的な問題のような気がします。

 僕はどっちの文化に生まれていても結構楽しめる自信あるよ!

 はなしをもどして、アメリカ人のボランティアは

 「どちらを選ぶかは彼らのそれはチョイスだ、
  われわれボランティアは新しい世界と生き方を掲示するだけだ」

 という意見でした。

 
 医療もないから、死んだ理由はたった一つ、「死んだ」だけです。

日本みたいにもっとお金があったら高度な医療が受けれて長生きできたとか、

保険に入っていればよかった、定期健診をキッチリ受けていればよかった。

などの後悔は一切なしです。

 誰かが亡くなればみんなで思い切り悲しんで、それでおしまい。 

 死に方にも格差なしです。死にそうなおじいさんの周りに家族が集まって、

 みんなで一緒に居て、おじいさんを順番でウチワであおいであげていました。

 あの姿をみたとき、自分が少しだけ強くなれたような気がしました。

 何が正しいかは本当に難しいです。

地球は平らだとみんなが信じていた時代もあるし、

キリスト教が邪教扱いされていた時代もあるし、

「アフリカ人は組織作りができないから、代わりに頭の良いヨーロッパ人が
まとめてあげよう!」って使命感を持って植民地を作っていた時代もあるしね。

「21世紀の人達は心の豊かさよりも、物質的な豊かさを競い合う時代でした、自分にとっての大切なものよりも、他人よりも多くを持っていることが幸せだと信じていた、ユニークな時代でした」

と語られる日が来るのかもね。

 資本主義についてのメキシコ人とアメリカ人の面白い話があるので
 また次回アップします!

メキシコ人とアメリカ人の話



<写真は一緒にボランティアに来ているメキシコ人のエリックです。
 彼のプロジェクトはニュートリジョンです、スペイン語とポルトガル語は似ているので
 僕なんかよりもずっと活躍しています。ちなみに彼はMBAを持っています!>

 この話は資本主義社会の矛盾についての有名な話です。


メキシコ人の漁師が小さな網で魚をとってき た。その魚はなんとも生きがいい。

それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」

と尋ねた。すると漁師は

「そんなに長い時間じゃないよ」

と答えた。旅行者が

「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」

と言うと、漁師は

「自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だ」

と言った。

「それじゃあ、余った時間でいったい何をするの」

と旅行者が聞くと、漁師は

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。

戻ってきたら子供と遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一 杯やって、

ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、

きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、

漁をするべきだ。それで余った魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。

そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。

その儲けで漁船を2隻、3隻と増や していくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。

そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、

そこに魚を入れる。

その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、

ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。

きみはマン ハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、

日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子供と遊んだり、

奥さんと昼寝して過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、

歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

2011年4月21日木曜日

河童とサボネッチ


体は大きいけどいつも笑顔で微笑んでいる19歳の男の子、

サボネッチが僕の日本語の辞書に興味をしめして、

ページをめくりだしましました。

 その辞書は政治、教育、生活、文化など、ジャンルごとに分かれています。

 動物の欄をみていたので

 「アンゴラにはライオンは居るの?」

 って聞くと、自信満々に

 「テイン!(いるよ!)」
 
 って答えました。日本には居るのか?と聞かれたので、

 「いないよ!」 っていったら少し自慢げに鼻の穴が膨らみました。

 その後にヤギ、鹿、カモシカ、像、キリンと順調に
 
 「テイン!」

 が続いて、パンダになった時に、サボネッチが「テイン!」

 っていったので、

 「本当なの?パンダって知ってるの、熊みたいなやつだよ」

 っていったけど、やっぱり少し鼻の穴を大きくして言い張るので、

 まあどっちでもいいや!っておもって次のページに行きました。

 ナマケモノ、とアリクイで初めて居ないと認めたサボネッチでしたが、

 夢を食べるという「バク」になったときに、これはポルトガル語特有ですが

 女性名詞ではアンタとなって、男性名詞ではタピールって書いてあったんだけ

 ど、「アンタはいるけど、タピールはいないよ!」

 って言った時に、

 「サボネッチきちんと字が読めてるのか?」

 ってちょっと疑問がわきました。

 そしてなぜポルトガル語の辞書の動物欄にそれが乗っていたの

かわかりませんがアルマジロ、犀(サイ)と続いたとの後に、

河童(かっぱ)が入っていました。 ポルトガル語でヒポポタマス

 そういえば人間ってホモサピエンスとかホモヒポポタマスだよね?

 そういう流れなのかな?なんて思いながら、

コンペイトウとかカルタとかカステラなど

日本語とポルトガル語は共通点があるし

でもまさかアンゴラにカッパは住んでないだろうな!

 っておもって、

「サボネッチ、カッパも居るのか!」

 って期待して聞いたら

 「テイン」(居るよ!)

 って自身満々に答えました。絶対にこいつは負けず嫌いなだけだ!

 っておもって、

「サボネッチ、カッパしってるのか?川に住んでるんだぞ!」

っていったら、

 「学校のあるバンゲラには居ないけど、俺の地元のウィラにはたくさんいるん
 
  だよ、群れでいる」

 って言ってきたから

カッパが群れでいる姿を想像してみましたが、やっぱり理解できませんでした。

そういえばワンカップ黄桜のCMのカッパは親子だったけ?

 と一瞬自身が揺らぎましたが、そんなはずない!と思いました。

 とりあえず面倒だったし、難しいこと話してもポルトガル語わからないから

 そのまま次の、熊、オオカミ、狐へと進みました。

 暑くて頭ぼーっとしてたし、アンゴラではそれくらいの理解できな

い出来事は毎日僕の周りでおこってるし、まあ良いや!

 っておもっていたのだけど、夜になってもう一度辞書をみなおしてみたら

 僕が「河童」(かっぱ)だと思っていたのは実は河馬(かば)でした。

 それならアンゴラの川に群れでいてもおかしくはないよね。

 でも辞書の小さい字なら間違えるよね?(かば)(かっぱ)紛らわしいよね

 変に納得しようとしていた自分が少し恥ずかしくなりました。

 でも異国に居て言葉や文化が理解できないと毎日これに似た状況

 がおこっています。今回は誤解がわかっただけでも良かったです。

 サボネッチ疑ってごめんね!

2011年4月14日木曜日

エミリアに感謝していること



<一階で足をかきながら携帯で電話しているのがエミリアで、
  二階は洗濯干し場です・・・>

 初めてエミリアを見たとき前任だったアートラッテンが

少し美人だったこともあって、凄い人がきたなー、なんか豪快だなー、

アートラッテン戻ってこないのかなー? って少し思ってしまいました。

アンゴラの女性にしては体も大柄で、声は大きくて、笑い声は豪快で、

寝起きは悪くて、おこると怖くて、昼寝は長くて、授業は短くて、

携帯で話す声は馬鹿でかく、毎日Tバックのパンティーを二枚ずつ二階に物干し

に干しているのは何かのサインなのか?それと何かのアピールなのか?

とケイタと二人で毎日見上げながら話し合ったりもしましたが、

でも料理が上手で生徒にはやさしいエミリアは25人いる

プレファラトリオと呼ばれる今年の8月から正式に生徒に

なる準備期間の生徒たちのよきお母さんなのだと最近になって気が付きました。
 

 実はどういう成り行きだったのか忘れましたが、

このプレファラトリオ達はエミリアと同時に僕も彼らの面倒をみる為に

学校に居るのだと思い込んでいるみたいで。週に二回の日本語の授業と、

毎朝のランニングの出席をっとっているだけですが、

ものすごくなついてくれています。

 そしてこの日本語の授業、最初は僕は英語とかほかの授業のほうが生徒の今後

に役立つのではと思って、少し英語を教えたりしました。

アンゴラの生徒は全く英語を話さないので、

僕のレベルでも多少は教えることができます。

 生徒は使う機会のない日本語よりも英語のほうがやる気が出るのだろう。

とどっちつかずで続けていた授業で、

何となく生徒たちもやる気がなくなりかけていた4回目くらいの授業の時に

「ウラ、英語はもういいからもっと日本語教えてほしい」

と言い出しました。

「あっそうなの?逆に日本語もういいから英語教えてほしい」

っていうのだと思っていました。

 その後にだんだんと授業のペースもつかめてきて、10回を超えた今では、

2時間と少し長めな授業の流れも安定してきて、

生徒達も日本語を話し始めました。

あれ日本語意外と簡単なのかな?って最近は思いだしました。

 はじめのころは眠っていたり、途中で抜け出したり、

ノートをとりたがらなかった生徒達も、

今は意外ときちんと授業を受けてくれています。

でも何か不思議な気持ちがしました。

なんでプレファラトリオはこんなに良い子なんだろう?って思っていました。


 朝のランニングも2010年入学の生徒達約100名と

プレファラトリオ25人の合計125人で始まりましたが。

 僕には名前と顔が一致しないし、それを良いことに代返したり、

病気を装ったり。出席だけとって走らずに帰ったりと苦労しましたが、

結局は2010の生徒は4月から実習が始まって走らなくなったので

プレファラトリオ25人だけになった後は、

一時期ほとんどいなくなった出席者なぜか今はみんな戻ってきて

走るようになりました。みんな機嫌よく走ってくれています。

 なんでなのかな?しかもまんざら嫌そうではないんだよね。
 
「ウラ、明日の朝も走るからね!」

って寝る前に言ってきたりします。

 なんでだろう?って不思議に思っていました。

 
 でも最近になって気が付きました。一見豪快なようにも見えるエミリアは

実はとても気が回るし、面倒見も良く、上手におこるし、

生徒の好き嫌いもないので、生徒達はとても安心して学校に入れるようです。

特にこの学校のように全寮制の学校では私生活の面でも、

きちんと目を光らせてくれていて、怒るときにはきちんと怒って、

笑う時には一緒に笑ってくれる先生がとても大切なのだと感じました。

 エミリアはとても自然体です。寝起きで生徒が教室やキッチンの

カギをとりに来ると、とても寝むそうにして起きてくるし、たまに居留守使うし

授業の合間に自分の洗濯物をゴシゴシ洗っているし、

サッカーするときはほかの生徒を押しのけてでも大笑いしながらボールを

奪いに行くし、バレーボールをしていて疲れた時には

自分のチームをほって休憩しているし、いつでもとても自然体なのです。
 
でも生徒に怒るときにはとてもキッチリと話しています。

ポルトガル語だから何を言っているのかわかりませんが、

生徒達が嫌な顔をせずに聞いてるところを見ると言っていることは

間違っていないのだと思います。

 プレファラトリオ達が学校に来て約2カ月が経ちましたが、

彼らがドンドンと良くなっていくのは何気にエミリアの力が大きいのだと

最近になって思うことが多くなりました。

 僕の第一印象は「恐竜」だったのですが、

今は「よきお母さん」という風に感じています。

 最近はアートラッテンよりもエミリアのほうが素敵に見えます。

 彼女に恋愛感情を抱く勇気はまだ僕には全くありませんが・・・・

 年はたぶん25歳くらいだと思います

2011年4月12日火曜日

言葉と行動



 <写真は海で泳いでいた子供たちです、みんないつも砂まみれです> 
 

朝の6時に生徒は起きて学校のまわりの掃除を始めますが、

レベッカとクラウディオがとても深刻そうな顔で何かを話しています。

ポルトガル語だから内容はわからないけど何やらとても深刻そうでした。

 月曜の朝だから憂鬱なのかな?それとも何かあったのかな?

 って思って見守っていると、急に二人で大爆笑しました。

 何これ? なんでこの雰囲気でこうなるの?今までの深刻さは何だったの?

 アンゴラでは結構こういうことがあります。

イギリスでも何言ってるのかわからないことが多かったけど、

アンゴラみたいに急に場の雰囲気が変わることはなかったです。


 昨日も海で、僕たちは人の少ないところを選んで泳いでいたのですが何やらその場所は遊泳禁止だったみたいで、監視員みたいな人が来て、

僕たちの隣で泳いでいた若者7,8人のグループに

遊泳禁止だということを伝えていました。

 僕はすでに砂浜に上がっていたので、その様子を見ていましたが。

若者達はいっこうに監視員の言うことを聞きません。

 30代くらいで、ものすごく体の大きい監視員の人は若者達に辛抱強くお願い

しているような感じでしたが。彼らは人数が多いからか、海の中から言い返すば

かりで、泳ぐのをやめようとはしませんでした。

 怒った監視員が一番いいわけをしている男の子を指さして、

「お前ちょっと上がってこい!」

 といって人差指で指図しました。

僕は殴り合いでも始まるのか?と様子をみていましたが。

 海から上がってきた20歳くらいのその男の子は180センチくらいある

監視員のおじさんよりもさらに5センチくらい体が大きくて、たくましい体をし

ていました。

 「監視員のおじさん勝てるのかなー?」

 少し緊張して様子を見ていると。

その青年はものすごく言い訳しながら、急に監視員に右手を差し出して握手しま

した。そして

「オブリガード」 (ありがとう)

 と言いました。

「え!なんで?」

 って思ったけど、結局二人は2分くらい話してから、

それで分かれてしまいました。

そのグループは海からは上がらずに少しだけ横にずれましたが。

結局はほぼ同じ所で泳いでいました。

 それにしてもあんな凄い勢いで言い合っていたのに、

結局は事態は全く変化なかったのはなんでなのかな?
 
って不思議に感じましたが、アンゴラでは結構そういうことがあります。

 ちなみにそこが遊泳禁止なのは海底に船着き場だったころの

鉄の柱がまだあって、それで怪我をしないためだよ。
 
とその監視員の人が僕たちに丁寧に説明してくれました。

 
学校でも生徒もものすごく言い合いをした後に、

結局は何も解決しないまま、終わることが多いです。

 
ちなみに日本人の話し方の意味がわからない僕が言われた時に経験を一つ。

 イギリスの学校からデンマークの学校を訪問した時の空港で、

暇だった僕がケイタに

「何か本を持ってない?待ち時間が長くて退屈してしまった」

 と尋ねました。ケイタは

「ウラサン、これどうですか?リーダーシップとマネージメントの本です」

 っていって僕に一冊の本を貸してくれました。僕が

「どんなことが書いてあるの?ケイタはどこがおもしろかったの?」

と目次を見たり、中に書いてあるグラフをみたり、

面白そうなところを少し読んだりしていました。

 ケイタも熱心に内容について説明してくれました。
 
おそらく5分くらいは話していたと思います。
 
それを空港の待合席の向かいで60歳の女の先生のカリンがずっと

観察していたみたいで。

 「ウラは本を読んでいる、ケイタはウラに一生懸命話しかけている。

ウラは本を読みながら話を聞いていて、たまにケイタを見ては頷いている、

私にはウラがとてもいい加減なことをしているように見えるし、

ケイタが自分を無視しているウラに何を一生懸命に話しているのか

全く理解できない?」 
 
と尋ねられたことがありました。

 ケイタと僕は顔を見合わせてしまいましたが、カリンに

「二人でこの本について話しているんだよ」

 と説明すると、何となくわかったような、

でも何か納得いかないような感じでした。

 でも言葉が理解できないと、人の行動ってこれほどおかしく感じるんだな。

と感じました。

 たとえば字幕なしで全くしらないドイツ語の映画を見ていると

何がおこっているのか全く理解できないのと同じ感時なのかもしれません。
 
 言葉と行動って密接に絡み合ってるんだなーっていつも思います。

 

難しいけど現実的なこと



 <写真はアンゴラの女性がよくやってる頭にものをのっけて運んで
 居る所です、写真は生徒のリンダ、年は二十歳くらいだとおもうけど
 ものすごい貫禄です。アンゴラの女性はつわものぞろいです>

昔バヌアツでみてコマーシャルなんだけど、

20歳くらいの女の子が椅子に座っていて、大学入学の推薦状を持ってい

ます。カメラがその推薦状からドンドンと引いていくと、椅子に座ってい

るその女の子はお腹が大きくて妊娠していることがわかります。
 
 その子は大学に行くチャンスを逃してしまったというストーリーです。

 初めてみた時、悲しい出来事だし良くできたコマーシャルだと思いまし

た。バヌアツにはピッタリだとおもいました。

 一方アンゴラ、このコマーシャルはあまり受けないと思います。

 あまりにも先進国にあわせてつくったコマーシャルに感じます。

 
途上国の問題は女性が10代から子供を産み始めて、

一人の女性が5人以上の子供を持つと、子供の学費が払えなくなる。

だから教育が受けれなくてますます貧困が広がっていく。
 
 一人につき2、3人くらいの子供にして、

教育をきちんと受けされるべきだ。

 ということが叫ばれていますが、
 
アンゴラの女性の立場から言えば、 頑張って教育を受けたって、

アンゴラは仕事してお金をもうけているわけではなくて、

石油とダイアモンドを輸出してお金をもうけているだけだから、

女性のつける仕事なんて無い。

そもそも兄弟が5人以上いたら、親は男の子に優先的に教育を受けさす。
 

 だったら今好きな人と子供を作って30歳までに5人から10人の子供

がいれば、学力なんて無くても社会が自分をほっておくわけがない。 

結局は誰かが面倒を見てくれる。という現実もあるのだと思います。

アンゴラで学歴があっても30歳で子供2人しかいない女性は少しさみしい気がします。

もちろん素敵な旦那さんがいて、しっかり守ってくれるのなら話は別ですが、

なかなかそういう雰囲気ではなさそうです。

 だからある意味こちらでの
 
 「子供作ろう」

 は純粋でまじめです。

 先進国みたいに快楽のための遊びや商売ではないようです。