2010年4月25日日曜日

一回だけ泣いた時の話


 

 昨年一年間僕は地元大阪で中学校の昔で言う養護学級(今は支援学級といいます)

 で働いていました。

 火曜日は親父のホスピスの通院があったし、親父は三食自分で飯の準備はしないから、

 午前中だけ週4日、地元の教育委員会に泣きついて、何とか入れてもらいました。

 本当に感謝しています。

 そこにダウン症の中学校三年生の男の子がいて、僕は一年間そのこと一緒に毎日テニスを
 
 していました。

  ダウン症の子はとても穏やかで癒されます。
 
 親父が死んだ後に唯一僕が泣いたのは葬式が終わって初めて学校に行った時にいつものよう

 に彼とテニスをしていて

 テニスと言っても、彼がバドミントンのラケットをブンブン

 と振り回していて、そこに僕が上手くボールを投げて、彼がそれを打ち返すとともに2メー

トルくらいの至近距離に立っている僕にボールをぶつけるというものです。

 ボールが僕の顔面や体に当たると

 「イエイ!」

 と言って喜んでくれます。

 今思えば昨年初めて学校という現場に僕が入って、色々な先生達から仲良くしていただいた

 最初のきっかけは僕が彼と毎日外でテニスをしているのをみてくれた先生達が

 「あいつは毎日午前中しか来てないけど、まんざら悪い奴でもなさそうだ」

 と思ってくれたところから始まった気がします。
 
 

 話はもどって彼は僕の投げたボールが上手くラケットに当たらなくて、

 何回か空振りすると、

 「駄目!駄目!」

 と言って怒りだします。
 
 親父が死んで初めてのその日、少しだけ集中力を失った僕が上手くボールを

 投げれなかったときに駄目!駄目!と 彼が怒りだしたとき

 「そうは言ってもこっちは親父が死んで葬式とかあって大変だったんだから

  ちょっとくらいボーとしても良いじゃん!そこらへん気を使ってよね!」


 って思った時、そんなことは全く知らずにいつもの

 ように怒ってくれる彼の前で初めて涙がこぼれました。

 君だけはいつも平等に接してくれるからこちらも素直になれるんだな、って思うとともに

  涙って期待されると流れないものだと気がつきました。


  なんかそういうものですよね?

 次回も彼の話です。

  ちなみに写真は卒業式の時のものです、だから僕はスーツ来てます。

 卒業式が終わったとに彼が

  「ウラ、テニス!」

 って言っていつものようにラケットを振るジェスチャーをしながらニンマリ
 
 笑ってくれたので、スーツのまま最後のテニスをしました。

  この時は僕ら二人に涙は無かったですが、僕ら二人を一年間見守ってくれていた

 ベテランの先生や介助師さん達は僕ら二人をみて涙をこらえてくれていました。

 本当にお世話になった一年間でした。

 
 

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