2012年8月19日日曜日

ムヒカ大統領のスピーチについて

 開発教育とか国際理解教育とかグローバル人材育成なんていうように、3年くらいで言葉は変わる日本の教育界だけど最近世界の流行りは
「持続可能な発展」 Sustainable Development
持続可能な社会」 

 という「持続可能」という言葉がキーポイントみたいです。
 ようは50年後も同じレベルが保てる事が大切で、例えばガソリンで走る車なんかは何年か後にガソリンが無くなったら維持できなくなる便利さだよね。 それではいけませんよということみたいです。

 前回のブログで紹介した  「ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ」
のなかで気に行ったところをコメントしようと思います。
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①ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

ウルグアイの大統領だからドイツとインドなのだろうけど、日本と中国に当てはめると分かりやすいと思います。

 発展は良い事である! という漠然とした考え方に流されているけど、日本人の約10倍近くいる中国人の全員が日本人と同じ生活レベルまで「発展」したとしたらすでに地球はパンクだよね、持続可能な世の中では無くなるよね?


②どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか? 

 これもものすごく納得、資本主義社会に追いついてこい、と言って援助してみたり、同じ価値観を進めたりして、ある程度のレベルまではかわいい子供みたいなものだけど、発展しすぎて自分の意思を持ち出すとライバルになってしまう。
 でももともとは発展が良いことだといって先進国のライフスタイルに途上国をひきこんでいったのは我々だよね。「可哀そう」から始まった政策はいつも間にかお互いの首を絞める「持続可能ではない世の中」を作っていると思います。
 

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

耳が痛いです。ブランド物を買いあさったり、海外旅行に行ったり、癒しという言葉に騙されてマッサージやエステに行く人達はいつになったら満足するのだろうね? きっと全ての物欲を手に入れたら次は「不老不死」を手にいれたくなるのだろうね。
 結局は満足することを知らない。資本主義社会の中で「本当の豊かさ」を学べなかった我々の問題点だと思います。
 ここらへんを学問的に追求することが
「持続可能な開発の為の教育」 ESD という言葉で今世界中で始まっています。
 
 この「持続可能」  Sustainable サステインナブル  
という言葉、オリンピックの開会式でも使われていたし、日本語としては「持続可能」って使い慣れていない言葉だけど、今後しばらくはキーワードになると思います。 

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