2012年8月19日日曜日

どんくさいけど、自信のある子供

どんくさいのに自信は人一倍ある子供はどうやって育てたらよいのかなー? 

 って最近漠然と考えています。

 このカテゴリーは4つに分かれていて、

①能力があって自信がある ⇒ ほっておける

②能力があって自信がない ⇒ 褒める、励ます(可愛く思える)

③能力も自信もない     ⇒ 教える、励ます、成長する(可愛く思える)

④能力はないが自信はある ⇒ ほっておけない、
                        でも学ばない(可愛くない)

 最近甥っ子を見ていて自分の子供の頃を思い出しました。 
 
 注意してあげるのだけど、言うことは聞かないし、やることが全てどんくさくて怪我ばかりするし、他人に迷惑をかける。
 自分が怪我するのなら良いのだけど、よその子供に怪我をさせたり、人に迷惑をかけるのはやっぱり注意しないとね。
 でも注意しても本人は反省しているつもりだけど、3分で忘れてしまうのだよね。

 まさに自分がそうだったのだよね。子供の頃って人の迷惑とか考えてなくって(今も若干そうだけど・・・)親は苦労したのだと思います。でも注意されても治らないのだよね。成長しないというか。

 だから母親は僕をビビらす事ばかり言っていたのだと思います。
「今のままでは普通の人間になれない」
「ほかの子供はみんな良い子だ」
「いとこの誰々ちゃんは私学の中学校に行っている」
「うちのマンションの子供はみんな頭が良いのでお母さんはずかしい」
「お父さんみたいになってほしかったのに・・・・」
 
 そういった言葉は僕の行動の抑止力になったわけではなくって、なんとなく自分の中に生きている事に対する「罪悪感」みたいなものと、自分を受け入れてくれない世の中に対する「反社会的」な気持ちをため込んでいくという結果になったのだと思います。

 潔癖症とかってそういうところから始まるのだろうね。自分が不潔であるというのは、何か処理できない気持ちの表れなのだろうね。
 
アメフトで妥協を許せなかったのはボールを集中して捕るというポジションには必要だったと思うけど、チームワークという面では協調性は必要だからマイナスなのかもしれないね。

 そこら辺はプラス面もあり、マイナス面もあったのかな?

 協力隊でボランティアに行った理由も全てではないとしても
「人生を攻めていないことに対する罪悪感、自分だけ日本で楽して生活してるのではないかという気持ち」
 があったのではないかなとも思います。 

 じゃあ親はどうしたらよいのだろうか? と思うと難しいよね。
「どんな子供でも私はあなたを100%愛している」
と言ってあげたいけど、それで自由奔放な子供が交通事故にあったり、よその子供に怪我をさせては駄目だものね。

 毎日子供と周りに気を使いながらいつまでたってもそれに気がついてくれない子供を見守るしかないよね。そいういうときには周囲の助けとか母親以外にその子供に接してくれる人がとても助けになるのだろうと思います。
 そして親ができる最大の仕事は「成長を待つこと」だろうね。
こっちがしつけなくっても子供は心も体も成長していくから、高校生くらいになると急に気がつく事ってあると思います。

 それまでに親が過剰に子供に注意しすぎるとバランスを失ってしまうのだろうね。 とは言っても高校くらいいける学力はつけてほしいしね。
 
 まとまらないけど子育ては難しいなーって思います。
  そして一番辛いのはその子供本人なのだということも身にしみて分かっているつもりです。

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