2010年10月21日木曜日

忍耐力の続き③


 <写真は18歳予備校時代に大阪の淀川の河川敷のフットボールチームに参加していたころのものです。 一緒に写っているのは高校時代からの親友、ウッキーです、彼も僕の人生に大きく影響を与えた一人です、彼についてはまたいつか書きますね> 

ごめんなさい、忍耐力もうひとつ書きました。

 もし①と②を読んでいない方がいたら、順番が逆になっています。


ここまで書いてまたもう一つ深く考えると、

 なぜ高校三年間フットボールを続けられたのか? 

 ということになりますが。その理由の一つは劣等感からだと思います。

 専門学校を視野に入れながらやっと入った普通科高校でしたが、

 高校に入ったからと言って勉強ができるようになるわけでもなく、

 何か部活に入らないといけないと思って入ったアメフト部でしたが、

弱小チームで、公式戦も年に一度だけ一回戦で敗退するために出場するようなものでした。 

そのくせ練習だけはやたらときつくて、先輩にはいつもしごかれて、

 後輩にはなめられて、肩身の狭い3年間でしたが、なぜ続いたかというと、

「自分は勉強はできないから、

 もしアメフト部を辞めてしまったら学校に来る理由がなくなってしまう。

 子供のころから唯一好きだったスポーツまで辞めてしまったら、

 生きてる意味が本当に無くなる」

って思っていたからだと思います。

 もちろん、もう一つの理由は先輩と顧問の先生が怖くて辞めると

 言えなかったというのもあります。

 
 まあ理由はともあれ、一つのことに打ち込んだ高校三年間でしたが、

 3年間、嫌々続けてみると、それはそれなりに何か心に訴えるものがあり、

 大学に行ってやってみたい!

  って思うようになりました。

 たまたま大学に行った先輩が練習を見に来てくれて、

「ウチの大学は推薦なら、論文とフットボールだけで受験できるよ」

っていわれて、勉強しなくて大学に行けるんだ! 

 っていう甘い考えから始まったものでした。
 
 
 結局は現役で8校受けてすべて不合格、順調に予備校に入学しました。

 勉強嫌いな僕が予備校で自分に誓ったことはただ一つ。

「この受験勉強は勉強では無いんだ、

 大学でフットボールをするための入団試験の為のものなんだ、

 だからこれは勉強ではなくて、フットボールの一つなんだ、

 ウエイトしたり、練習したり、長距離はしったりして

 体を鍛えてフットボールが上手くなるための一つの手段なんだ

 だから受験勉強もフットボールの一環だと思えばよい」

 って自分に言い聞かせました。

 勉強を勉強と思わず、フットボールなんだ、と思えば意外と素直に机にむかえました。

 

 社会人でファミレスのスカイラークに入って、

 ガストの洗い場の油と食べ残しが浮いているシンクの中に初めて

 手を突っ込んだ時も思いました。
 

 「体育大学出てなんでこんな仕事してるんだろう?

 でも我慢できる、これをしてるから安心して実業団で社会人として

 フットボールができるんだ、日本一を目指せるんだ。

 この洗い場もフットボールのうちなんだ」

 
 って思って手を突っ込んだのを今でも覚えています。

 「日本一になるためなら、なんでもする、それが本当のプライドっていうものだ」

 って思っていました。

 元をただせばすべて自分の劣等感から来たのだと思います。

 みんなと同じレベルになりたい、社会に受け入れてもらいたい。

 チームのみんなと一緒に試合に出たい。さらに上のレベルでフットボールがしたい。

 
 そういう気持ちが僕に高校三年間のアメフト部を続けさしたと思うし、

 社会人生活も続いたのだとおもっています。

 もし勉強ができて、なんの苦労や劣等感もなく高校に入学していたら、

 アメフト部はすぐに辞めていたと思います。

 だから時に劣等感ってときには大切なんだと思います。

 けして持っていて悪いものではない気がしています。

2010年10月20日水曜日

忍耐力 ①


 
 <写真はイギリスのある生協がやっているコンビニの横にあるリサイクリングサイトです。手前からグラスのリサイクリングがあって、靴のリサイクリング、プラスティック。紙、一番奥の青いコンテナが僕たちの服のリサイクリングです。その奥の車が僕が運転している大きなバンです。このリサイクリング場は相当大きな規模です。普通は田舎の小さなパブ、公民館やスポーツセンターの駐車場にポツンとコンテナが置いてあったりします。>
 


ちょっと忙しくしていました。

6か月のプログラムですでに4カ月が経過、すでに残り二カ月を切っています。

 先週の仕事はうちの学校がイギリスのいたるところに置いている

 古着回収のコンテナを、大きなバンで一人で回って中に入っている

 古着を集めてくるという仕事でした。

 

 だいたい朝の6時からスタートして、夜の7時くらいまでかかります。

 範囲は日本でいう、市とか区くらいの範囲で、

 25件くらいの場所を回って集めてきます。 

 平均のコンテナの距離は10キロほどなので、

 一日に250キロくらい車で走ります。

 
 それを6日間連続で行いました。

 地図は毎日違います。
 
 今日は新宿区、明日は世田谷区、明後日は町田市みたいな感じです。


 一週間続けていて思ったのは、自分には忍耐力がついたな。ということでした。

 若いころはつまらない仕事を続けることはとても

 苦痛だったしストレスがたまりました。

 自分の中で

「もっと効率の良い勉強の仕方があるのではないか?」

「もっと自分にあった会社に転職するべきではないか?」

「自分の居場所はここでは無いのではないか?」

 
 などと常に不安で、根気が無いというか、忍耐が無いというか、

 努力を継続することが難しかったと思います。

 なぜ最近はそれができるのかな?って考えると、一つは単に年をとったから、

 もう一つは過去に何度かだけだけど、味わうことのできた成功体験からだと思います。

 
 たとえば受験勉強。

僕は一浪したけど、浪人は、どれだけ勉強しても大学に受からなかったら

 全く意味がない一年間です。

 高校三年生までは、一応卒業という目標があるから頑張って

 中間、期末テスト受けてたけど、

 予備校って大学に受からなければどれだけ頑張っても

 全く意味のない一年になってしまう。だからこそ絶対に合格しなければならない。

 
 でもその一年間は何の充実感もなく、何の達成感もなく、

 毎日がどんよりと憂鬱に進むだけでした。予備校に一年間通ったからって、

 それが学歴として履歴書に書けるわけでもなく、ただ暗い一年間。

 でも奇跡的に浪人で8校受けた大学のうちの一校だけが受かって、

 なぜかこんな僕でも大学で勉強することができました。

 ほとんど運だったと思うし、数撃ったから当たったたけだと思うけど、

 僕にとっては数少ない成功体験であったと思います。

 もう一つはフットボール、
高校三年間は弱小チーム。推薦ではどこの大学にも相手にされず、

 親に頼んで予備校通いが始まりました。

奇跡的に受かった大学でも4年間二軍。

 だから社会人も一部リーグの中で中の下だったチームに入れてもらいました。

 社会人一年目はシーズン前に肩の脱臼

  二年目もシーズン前に前十字靭帯、内側靭帯、半月板損傷という

 フットボール選手としては一番最悪な怪我、通称

 (アンラッキートライアングル) を経験。リハビリの日々が続きました。

 この時点でフットボールを始めてから25歳まで一度も公式戦に

 キチンと出たことのない選手でした。

 26歳の秋に初めて社会人リーグデビュー、

 三試合目で昨年とは逆の膝の内側靭帯が伸びて、

 半月板も割れて、またシーズン途中でアウト。
 
チームの成績も悪くプレイオフには行けませんでした。

 その年のシーズンオフに受けたプレーオフを狙えるチームの入団テストも不合格。

 当たり前だよね、何の結果も出してないんだから。

 このままでは何も得ないままに無駄に大切な時間を使っているような

 気がして焦っていました。

でもその後に何故か幸運が重なって、

 自分が思っていた目標よりもさらに高いレベルでフットボールをできて、

 引退する頃には満足というよりも

 「よくこんなに幸運が続いたな」と不思議な気持ちで引退しました。
 
 僕がただ一つ続けていたことは単に、

 毎日の辛くて厳しい練習と社会人生活を周りのみんなに

 愚痴を聞いてもらいながら我慢して続けていただけ。

 その結果が自分でも信じられないくらいに良いものになった気がします。
 
 

 そのあとの協力隊。バヌアツでの2年間は楽しくもあり、

 辛くもあった2年間でした、。今ブログを読みなおせば、

 とても充実した2年間だったと思いますが。

 2年間の一日、一日をたどっていけば、朝起きるのが辛い日々も沢山ありました。

 自分はこんな地球の果てまで来て一人で何やってるのだろう?

 って思っていた時期もありました。

 何も貢献できなくて、税金の無駄使い、申し訳ないと思っていた僕にバヌアツ人が

「お前が2年間バヌアツに居てくれたことが最も大切なことだった」

「仕事や体育なんてどうでもよい、お前の存在が大切だったんだよ」

 ってお世辞でも言ってもらって、そういうものなのかなー?

ってなんとなく帰りの飛行機のなかで感じたプライドみたいなもの。

あの経験もある意味の成功体験だったのかも知れません。

 そんな過去の「成功体験」って言ってよいのかどうかわからないけど、

 「石の上にも三年」っていうか、

 単に続けていた事が小さくても何かしらの結果に繋がったという体験が、

 自分に忍耐力をつけさせたのかな?
 
 と思いながら、一週間毎日12時間以上ドライブしていました。

 疲れて不機嫌なこともあったけど、でも辞めたいとは思いませんでした。

 それは頑張っていれば何かしらの経験や成功が得られるという

 気持ちが心の奥にあるからだと思います。

  
 

忍耐力②


  
 (写真はヨークというイギリスの田舎町です、畑の先にある町に置いてあるコンテナをナビで探しながら走り続けます。それが先週の僕の仕事、単純な仕事かもしれないけど、一人で考える時間が沢山あって、学ぶことは多くありました)

もう一つ考えられるのは目標がしっかりしていることかもしれません。

 たとえば週に6日間、毎日12時間の一人でのドライブが、何の目標もなしに、

家族の為でもなく、永遠に自分の人生の中で続いて行くと思ったら、

やっぱり何かしらの不安や迷いがドライブ中に出来てくると思います。

仕事の順調な時は良いけど、たとえば、ナビが壊れてなかなか目標地点につけないとか、

雨が降ってきて思うように仕事がはかどらないとか、

車のパンク、交通渋滞など、運転していれば当たり前に起こることだけど、

それは自分の責任ではないって思えてしまうこと。

 そういうストレスや不満や迷いが、スピードの出しすぎとか、

仕事のいい加減さ、なげやりさなどに繋がって、周りからも信頼されなくなり、

ますます自分をダメにする気がします。

 
 それを防ぐのはキチンとした目標があることが大切だと思います。

それに向かって順調に進んでいると思えれば、

多少のトラブルでも我慢できるものだと思います。

 
僕のプログラムの残り二カ月ですが、

自分がアフリカに行くための予算約45万円の内すでに30万は古着集めや

サイトファインディングという、古着集めのコンテナを置いてもらう為の営業活動。

または街頭での募金活動などで集めました。

残り2カ月での15万は頑張ればなんとかなりそうです。

今はラストスパートの時期です。

 それにプラスしてアンゴラに行くので、

そのためのビザの申請、ポルトガル語の勉強などもありますが、

それも困難ながらもできることから潰していくのが

結局は一番の近道だと納得できています。

 キチンと地に足がついているからこそ、

辛い仕事も頑張れるのだと自分では思っています。

 10年前には全く気がつかなかったことだと思います。

 周りで支えてくれた方々には本当に感謝しています。


 長距離恋愛も3カ月とか1年とか目標がしっかりとしていれば続くと思いますが、

 ただ漠然と長距離恋愛というのでは難しいのと同じだと思います。

 やっぱり人生には3カ月、1年、3年、10年後とキッチリとした

 ビジョンがあるからこそ、「今日この1日何をすべきか」

 の目標ができるものだと思います。

 「ウラサン気がつくの遅いよ!」

 って言われるかもしれませんが。いろんなところで遠回りをしてきた

 僕が、1週間ドライブしてきたなんとなく考えた結果はこんな感じでした。・・・・

2010年10月8日金曜日

Kill your speed not a child!




 前から気になってたんだけど、この看板はイギリスらしくて面白いよね。
 
 「殺すのはスピード、子供じゃないよ!」

 って感じなのかな?

  バルスティックっていう街の入り口にあります。
 
  役所が作ったのではなくて、町の人が作ったのだと思うけど 

  今日やっと写真撮れたので紹介します。

2010年10月7日木曜日

西洋文化村


 (写真はデンマークです、このカラフルなウィン・ミールという
 風力発電機の特許を持っていて、デンマークの重要な収入源になっているそうです) 

「西洋文化村」(先進国村)というのがあるとします。
その村は1000年くらい前から存在しています。

 日本がその村に引っ越してきたのは100年くらい前の話で、

まだまだ新参者です、現在の自治会長はアメリカ家、

この家族もほんの2,3百年前に引っ越してきたばっかりの、

新参者には変わりありませんが、とりあえず村を形成するほかの家の人達は、

持ち回りで一度は自治会長やったことがあるし、そのときに結構いやなおもいもしたし、

だから自分がもう一度自治会長をやらされるくらいなら、

とりあえず新参者のアメリカ家にやらしておいて、

嫌なときは協力しなければ良いし、自分に得のありそうなときは協力すればよい。

 という感じです。

 何といっても西洋文化むらの歴史はすでに1000年を超えており、

過去に村の中では色々な衝突があり、みんな表面的には仲良くしてますが、

腹の中では

 「イタリア家には40前になってもまだ結婚できていないいい加減な息子がいる、

古くから村に住んでいるから文句は言えないけど、

あの息子はきちんと仕事をして自治会費をいれるべきだ、

青年団の団長の仕事もきちんとやるべきだ!」



「ポルトガル家は300年前にボヤをだして、近所に迷惑をかけた、

現在は生活保護をうけている、最近は大人しいが、昔はヤンチャでこまった家だった」

 
「デンマーク家は昔はノルウェー家の面倒をよくみていたが、

ノルウェー家が油田という遺産を親からもらって金持ちになったために、

仲が悪くなり、最近はあまりつるんでいない」


「スェーデン家は真面目にコツコツと貯金していたのに、

お金もちだったがために自治会の運営費としてたくさんお金をとられてしまって気の毒だ」 


「フランス家は昔に自治会長をしていて、

そのときはかなり羽振りがよかったが、今は貧乏になってしまった、

でもプライドが高くて何かあると過去の栄光の話ばかりきかされるから、少し面倒だ」


「ドイツ家は酒も飲まず、社交性もなく、クソマジメで協調性が無い、

ゴミの日は守るがゴミの分別に協力的ではない、共働きで金はもっているし、

自治会ひきちんと払ってるからとりあえず今は良し」


「ロシア家は頑固おやじに嫌気がさして、

三人の子供はまったく家によりつかず、すきかってな生活をしている、

息子達は青年団のミーティングにも参加していない。文句を言いたいけど、

あの言えは貧乏で何かとお金を借りたがる。だから今はあまりつるまないほうが良い」


 「イギリス家も昔に自治会長をしていた、今はむらのご意見番だけど、

家が少しだけ村から離れているから、なんとなく村のことを冷めた目で見ている」


「スペイン家は金もなく、仕事も無く、ゴミ日の日も守らない、

酒ばっかり飲んでパーティばかりしている、ほっておくしかない」


「ギリシャ家は破産してしまった」


 もちろん西洋文化村は歴史、知識、経験など幅広く持っていますが、


それぞれの家は自分の家のことで精いっぱいなのと、

これまでも村の歴史で色々な衝突があったために、

お互いに自治会に対してはあまり積極的ではありません。


 その村につい最近に引っ越してきた日本家は村の状況があまり分からず、

ついつい自治会長のアメリカ家に頼っています。

 西洋文化村の人達も少し自分達とは違うこの家の人達に興味はありますが、

過去の村での嫌な思いでが邪魔してなかなか友達になるきっかけがつかめません。

 日本家の評価は

「新しく引っ越してきた日本家はとりあえず金は持っている、

車も高級車だ、子供たちは私学の学費の高い学校に通わせている。

ゴミの日はきちんと守っている、何の主張もしないから害はないけど、

週末などの自由な時間はいつもアメリカ家と一緒に行動しているので、

なかなか友達になりずらい、夕食に誘ってよいのかどうかもわからないし、

村人と友達になりたいのかどうかもわからない、

とりあえず自治会費の払いはとても良いし、

害はないからいてもらっても良いけど、よく理解できないく家だ」

 というかんじだと思います。

 日本家のすべきことはとりあえず英語だけでも上手に話せるようになれば、

歴史、文化、人柄はほかの国とはまったくおとっていないので、

みんなに愛され尊敬されると思います。 

もしくは英語話すの辞めて、頑固に日本語だけでとうしてもそれはそれでまた、

神秘の国として喜ばれると思うけど、それでは楽しくないし友達できないから、

やっぱり言葉は大事だと思います。 せっかく良い文化持ってるしね。

 自分達の気持ちをすなおに表現できれば友達もたくさんできるし

日本人は世界基準からみてもみんな良い人だと思います。

 

2010年10月5日火曜日

デミタス



 (写真はデミタス、普段は少し怖そうなヤンキーメガネをかけていて、
  少し接しにくい感じでしたが、少年のようなとても良い人でした)


 「私はエド・ピリオド(江戸時代)と宮本武蔵をこよなく愛します」

 僕が日本人だと知って、開口一番この言葉を話しだしたその男の名は

      デミタス

 デンマークでのオリンピックのボランティアとしてノルウェーの

 学校からやってきた、ラトビアの男です。

 
 彼は50名近くのボランティアが初めて集まってみんなが緊張気味

にミーティングを始めた矢先に、入り口の扉の横にあった大きなガラスの壁

が目に入らなくって、そこから外に出ようとして、ガラスに衝突、

 大きな音にみんなが驚いて振り返った時にはすでにガラスは粉々

彼は何が起こったのかわからなかったみたいで呆然と立っていましたが、

 その後にゆっくりと尻もちをつき、そのまま仰向けに倒れてしまいました。

 多少の出血とともに病院に送られた彼は2時間ほどして戻ってきましたが、

 縫うほどの傷は無かったみたいでした。

 病院で顔に貼ってもらったバンドエイドがどういうわけか

 真っ白なバンドエイドだったので、

なんとなくフランケンシュタインみたいに見えたけど、

 初日ということもあり、みんな遠慮して彼にそのことは忠告しませんでした。

 
 その彼も典型的な外国の「オタク」でした

 
 僕に向かって永遠と徳川家康について語り続ける彼のところに

 他のノルウェーチームのボランティアが寄ってきて

 「ウラ、面倒だろうから気を使わずに 黙れデミタス! って言って
 
    良いよ、デミタスは話し出すと止まらないからね」

 って忠告してくれるほどでした。

 
 「エド・ピリオドは200年以上だ、

 もちろんノブナガやヒデヨシも素晴らしい、

 しかし200年以上続く都を組織したイエヤスは別格だ

  あの時代の日本文化の発達は素晴らしい」

  僕

 「鎖国してたし戦争無かったからみんな暇でそうとう煮詰まってるからね!」

 ってぼくは言いたかったけど、

 「煮詰まる」って英語ないよね? 深いっていう ディープで良いのかな?

 僕が適当に答えてるとデミタスはそんなことは全く無視して話し続けました。

 オタクの人ってそういうところこちらが気を遣わなくて良いから楽です。

 とても嬉しそうに話すので、こちらもとても嬉しくなります。

 バヌアツにいたころ感じたのは、

 バヌアツ人はジャッキー・チェンとかブルー・スリーとかのアクション

 映画は良く見るけど、人の内面とか、悲しさ、人情、歴史などについての

 映画はあまり見ていないこと。

 もともとは中国人がバヌアツで売れそうなDVDを

 輸入してくるからかもしれないけど、

 バヌアツでは日本文化について知ってるひとは少なかったです。

 それに比べてデミタスなんかのヨーロッパの北のほうの

 人達は人の内面について描かれた映画とか本をよく読んでいます。

  デンマークで知ったけど、 

 「醜いアヒルの子」 「マッチ売りの少女」

 などはデンマークの童話だそうです。

 どちらもヒーローものとは全く逆な話だと思います。

 こないだ読んだ記事ではフランダースの犬は

 最後に主人公が教会で死んでしまうという悲しい話なので、

 アメリカではうけない、しかし日本では原作のままでもとても共感を呼んでいる。

 という話でしたが、そういう面でも日本とヨーロッパ似てるのだと思います。

  国の歴史が長くなると人間の考えってどんどんと深くなって、

 悲しいほうに流れていくのかな? って思いました。

 「楽しくて愉快なだけでは人生はつまらない、

 悲しさや虚しさというスパイスが効いてこそ人生はより豊かになるのだ!」


 ってみんな気がつくのかもしれないですね。


 ごめんねデミタス、君の話だったのに少しずれたね。 

 次会う時までに僕もヨーロッパの歴史について学んでおきます。

2010年10月4日月曜日

ヒッチハイク


 人生の中で募金活動をしたことがある人が何人いるだろうか?

 って募金活動のときのブログに書いたと思います。その続きです。

「人生のなかでヒッチハイクをしたことがある人が何人いるだろうか?」

うちの学校から一番近いハル駅の間にヘドンという街があります。

 「トラディショナル・マーケット・プレース」

っていうスロウガンなんだけど、うちは田舎なので、それほど道のチョイスがなくって、

駅に行く車はみんなヘドンを通過します。

 しかもバスは45分に一回くらいしかなくって、

バス停の前で長時間待つのも嫌だし、たまに時間より早く来るので、

定時に待っていても次のバスまで一時間近く待たなければならないこともあります。

 
今週は募金活動の週なので、ヘドンに行ってみよう!

と思いついて、なんとなくヒッチハイクしてみようかな?

って思いました。

 僕の勝手な推測だとヒッチハイクは乗せるほうも、

乗るほうも恥ずかしいものだと思いました。

 だから頼む側は最初からものすごく無防備で飛び込んで

 行かないと乗せる側も気を使うだろう。

 ということで、キチンと紙に 「ヘドン」 って大きく書きました、。

ヒッチハイクに成功すれば、

ヘドンまでのバス代約300円を募金してもらった計算になります。

 朝一で300円の募金は相当大きいので、

何とか成功したいと思いながら前の晩に「ヘドン」と書いた紙をを用意しました。

 バス停までは歩いて20分、そこからバスでヘドンまで30分です。

 とりあえずメイン通りのバス停20分間歩いて行って、

 そこでヒッチハイクを始めよう。と考えていました。

 それだともし勇気が無くってヒッチハイク出来なくってもバスに乗れるからです。

 自分の中ではまだ自分がヒッチハイクする勇気があるかどうかわからなかったからです。

とりあえず募金活動用に使うボードに「ヘドン」の紙を張り付けて、

バス停まで歩くことにしました。

バス停までの20分で心の準備をしようと考えていたからです。

 途中の家の前に人がいたので、気持ちを切り替えるために

「グッドモーニング!」

って笑顔で挨拶してみたりもしました。

 そうやって少しずつフレンドリーな自分をバス停に着く

20分間の間に作らなくてはいけない。という気持ちがあったからです。
 
でもそういうことするとさらに緊張して、300円のバス代なら払っても良いかな?

っていう弱気な気分もでてきます。
 
バス停がドンドンと近づいてきて、

自分の中での葛藤と緊張が胸の高鳴りが大分大きくなってきたころ。
 
後ろから少しゆっくり走っている車の音を感じました。
 
うちの学校の車ではないし、道を聞かれても道も英語もわからないから、

気まずいのにな・・・

 っておもってたら、その車の人が

「さっき挨拶したよね、その時にヘドンの看板見たんだけど、乗ってく?」

 って言ってくれました。

 逆ナンパならぬ、逆ヒッチハイクみたいでした。

 あまりにも突然の提案と緊張で

「今日はバス停でヒッチハイクするつもりだから結構です」

 っていいそうになったけど、あわてて自分がすでにヒッチハイクに

 成功していることに気がつきました。

 気がついたら40代くらいのその夫婦の車に乗っていました。

ヘドンの親戚の家に奥さんの車があるから、そこまでとりに行くということでした。

 ということで僕のヒッチハイク初日は

こちらの意思とは関係なくあっさりと大成功して、

9時に着くはずだったヘドンに8時に着いてしまいました。

 「なんでこんな朝早くから、募金活動のマガジン売ってるの?」

 ヘドンの人達に思われてるみたいだったけど、

朝一番のうれしい出来事のおかげで、その日はいつも以上に募金活動も楽しくて、

 お昼までには目標の5000円を達成。

 「グッドモーニングとハブ ア ナイスデイ」


の言いすぎで、午後には耳がおかしく感じたので、早めに終わりました。

 
 その後も調子に乗って何度がヘドンまでヒッチハイクしましたが。

 常に3分以内で誰かがとまってくれるようになりました。

 止まってくれるのは老夫婦が多い気がします。
 
 僕の看板を見て、運転している旦那さんが隣に座っている奥さんに

 「乗っけてあげようか?」

 って尋ねる姿が見えたらそれはほぼ80%止まってくれるサインです。

 あとは満面の笑みで車に飛び乗って、キチンとシートベルトを締めてから

 「日本から来ました」 って自己紹介すれば、そのあとは相手の人が

 話し続けてくれます。 みんなお話好きだからね。

 うちの学校が田舎にあるからかもしれませんが、

本当にイギリス人は真面目でやさしいと思います。