2010年5月18日火曜日

 世界のシステム

  今日の朝のミーティングの議題はガーナのダイアモンドとか金を

採掘するところに白人の若者がいって、一日体験入学みたいなのをして

「辛い!」

 って愚痴る番組を15分くらい見て、それについてどう思うか?

 という話でした。

 「先進国の人達がアクセサリーを買うのがいけないんだ!」

 「それを商品化して売ってる会社が悪い」

 「買う消費者がわるい」
 
 「でもやめたらガーナの人達の仕事が無くなる」

 「もともと彼らは自分達だけで幸せに暮らしていたのに、植民地

 支配をして違う価値観を植え付けた我々が悪い」

 
 ブラジルのアルツーが少し興奮気味に

 「ヨーロッパの人達がそう言った価値観を植え付けた、我々ブラジルは

 とても貧乏だ」

 カメルーンのアーネスティーンがアルツーに耳打ちした後アルツーが

 「アーネスティーンはイギリスに来て初めてバナナを食べた、でも

 今俺達が毎日ここで食べているバナナはカメルーンから来ている、

 なぜ自分達の国で食べるものを自分達で作らないのか?」

 
 すかさずポルトガルのルイ―スは

 「アルツーはブラジルは貧乏でヨーロッパの人達は金持ちだって言う

 けど、我が国ポルトガルは近年ヨーロッパでもっとも貧乏な国だった

 だから俺は知っている、貧困の苦しさを」

  
 スウェーデン人のオーサは

 「私達スウェーデン人は福祉国家で私はずっと年金で生活できると思っていた、しかし近年になってヨーロッパがヨーロッパユニオンとして統合して、
私達の国の税金はポルトガルなどの貧乏な国に流れて行ってしまって、
今は私達の年金制度は崩壊してしまった、私は個人的に年金に入らないといけなくなってしまった。」

 
 なんか怪しい雰囲気になってきました・・・

 アルツーが

「例をあげると先週の金曜日にオーサはアイスクリームとケーキを買って
いた、ブラジルでアイスクリームを買えるひとは金持ちの人だけだ、だからあなたたちは年金制度がどうだとか言うけど、その前に金持ちだと思う」

 オーサ
「金持ちの定義をブラジルと比べられては困る、スウェーデンでは私は決して金持ちでは無いし、私は途上国を見てきたから、今はこうやってイギリスに住んで途上国の為の仕事をしているし、私はシングルマザーだから
誰も助けてくれない、おまけに年金制度はUKユニオンのせいで崩壊してしまった、私は決して金持ちでは無い!」

 ルイ―スは

「結局はガーナの人達も一生懸命働いているけど、あれは自分の為ではなくて、自分の子供たちに教育を受けさせるためなんだ、彼らは自分達が貧乏なのは教育を受ける機会が無かったからだ、子供達にはそういう思いをさせたくない、だから子供の為に自分達は犠牲になってでもお金の為に働く、そう信じて働いているんだ」

 「結局はバナナにしても、ダイアモンドにしても、安い人件費を使ってお金儲けをしている奴らが悪いんだ、ガーナの人達は決して正当な給料をもらっているとは思えない」

 「社会のシステムが悪い、でも誰もこれを変えることはできない、でも我々はあきらめないからここに居るのだ!」

 でもアルツーはずっと言っていました

「結局あなたたちは金持ちだからそういうことが言えるんだ、本当の貧困を知らないのだ」

 初めて僕の意見

 「言いにくいけど、その悪い社会のシステムを使ってお金を沢山吸い上げてのし上がったのは僕達日本人だと思う、中間に入ってお金を吸い上げるの上手だからね、でも仕方なかったんだよ、僕たちも第二次世界大戦に負けて、早く先進国に追いつかないといけないって思って必死だったんだ、そして世界一の経済大国になった日本人たちは、何の為の人生なのか思い悩んで自殺者が凄い数だ、そして僕たちはエコノミックアニマルなんて呼ばれて、人生を楽しむことよりもお金の事を優先する、人間ではなくて動物だと言われている、僕にしてみたらブラジルの人はお金もちではないけど、サンバとか踊ってみんな情熱的だし日本人よりもよっぽど人生を楽しんでいると思うよ」

 すかさずオーサが

「そうだ!そうだ!」

 アルツーは

「ウラの意見は面白い、ブラジル人の俺がアフリカに行ったときに、アフリカの人はお金無いのに、何でみんなこんなに幸せそうなんだろう?って思ったもの、それと同じことをウラは俺に思ったってことだろ」


 「結局は誰も勝者は居ないのかな?」

 「この社会のシステムが悪い!」

 「でも作ったのは我々だ」

 「ブラジル人とか日本人、ポルトガル、スウェーデンとかは関係ない

結局は人間がやったんだ、価値観とか国ではなくて全ては人間の問題なん

だ」

 
 ということでなんとなくここでおしまい。

 先生のオーサが

「この問題はエンドレスです、だから今日はここまでね!」

って言って終わりました。朝一番からみんな鼻息が荒かったです。

  

飛行機事故の死亡率

 朝一のミーティングでの議題は飛行機事故で100人以上の

 人が亡くなったのに、子供だけが助かることがある。

 それはなぜか?

  幸運か? それとも体のサイズとか柔らかさの問題か?

 という話でした。

 ポルトガル人のルイ―スは

 「親がとっさに子供を抱くからだと思う」

 ブラジル人のアルツーは
 
 「神が誰が生き残るべきか決めているからだと思う」

 すかさず先生のオーサ(スウェーデン人)は

 「それは無い、この場合に限っては神は居ない、なぜなら車の事故では圧倒的に

 子供が犠牲になっている、もし神様が決めているのなら、車の事故

 でも同じ結果が出ているはずだ。」

  誰かが言った
 
 「子供は車を運転しないから、車から飛び出してしまって、犠牲に

 なる、飛行機は基本的にはパイロット以外は運転しないからみんな平等

 な立場になる、だから神がいるかも」

 その時に僕がボンヤリと考えていたのは

 
 「ルイ―スは親が子供を抱き締めるからだ、っていうけど、抱きしめる

 ってことはシートベルトをはずすってことかな? 
 
 隣に座ってれば頭は抱けるけど、どうなのかな?」

 って思っていました、言わなかった理由は、もしそれを言った時に

 「何故日本人は数分後に死ぬかもしれないときに、人間としての

 行動ではなくて、規則を守ろうとするのか? どうせ死ぬなら子供

 を守るろうとするのが人間ではないか?」

 って言われるかな? そこらへんの取り違えが怖かったのと、朝一番

 であんまり、発言する気が無かったからです。

 でもきっと自分だったらシートベルトを最後まで締めると思います。

 やっぱりそういうところ日本人だよね。

  ソフィアは

 「子供は死ぬことをあまり恐れてないから、体がリラックスしている

 からではないかな?大人は死ぬのを怖がるから、パニックを起こしたり

 体に力が入りすぎるのがいけないのではないかな」

 という意見でした。

  司会をしていたオージリアが僕が真面目に聞いているふりして彼女の顔を

一生懸命みていたから、急に

 「ウラはどう思うのか?」

 って振られました。 ヤバい、実はあまり考えてなかった?

 でもこういうときにきちんと発言しないと

 「日本人の男は馬鹿だ、自分の意見が無いんだ!」

 ってなるのが怖いのとっさに

 「僕もソフィアの子供はリラックスしてるからだという意見に似てるよ、

おそらく子供の気持ちとしては、親と一緒に飛行機に乗って居れば

 親が守ってくれると思ってるし、安心してるから、体に力が入らないの

ではないかな?もちろん実際に親がかばってくれることもあると思うし

でももし10歳くらいの子供が一人で飛行機に乗っていたとしたら、

不安で大人と同じようにパニックになると思う

死ぬ前にもう一度だけでも親に会いたい!って願うだろうしね」

 それに対するみんなの答えは
 
「・・・・・・・・・」

 何それ? 英語が伝わってないのか、それとも根本的に何か違うセンス

だったのか? それともなんとなくみんなけっこう喋ったからもう気が

すんでたのかな?

 なんとなくしらけた感じでその後は先生のオーサがまとめて

 朝のミーティングは終わりました。

 たぶん英語が伝わらなかったのが50%でそれ以外が50%で沈黙

 になったんだと思うけど、どうだったのかな?って思ってます。

 

2010年5月15日土曜日

多国籍なキッチン


 
 <真はマーケットです、毎週水曜日の朝の7時に行って、野菜とフルーツを買う
 っていうか「仕入れ」ます。いつも空気がひんやりと冷たくて、なんとなく緊張感
 があって僕は好きです。>


住んでる寮とか教室を綺麗にしたり、キッチンで料理を作ったり、毎日の

 食事の準備とか掃除とか、ここではみんなが仕事をしないといけません。

 
 そういう共同生活を色々な国の人と学ぶことが大事だ!

 という建前と、経費を浮かすという両方の意味がありますが。

 僕はそういう実践的な仕事を色々な国の人とするのが楽しいので、結構楽しんで

やっています。 学校みたいに「ごっご」ではあまり真剣になれません。

 
 一番大変なのがキッチン、みんなは勝手に食べ物持って行ってしまうし、

 予算を決めて、次の週に何人の人が居るのかを火曜日にカウントして、一人につき一日3ポンド(たぶん400円くらい)の予算を決めて、先生に相談。

 水曜日の朝にお金をもらって週に20万近くの買い物をスーパーでします。

 大体平均50人くらいの人がここにはいます。

 
 キッチンの仕事はみんなから文句言われるし、たいして感謝されないし、大変な

仕事。
 
 というとで、ファミレスに9年いた僕はなんとなくそこになってしまいました。

 本当は芝刈りの仕事したかったんだけどね・・・

一人でできるしね、あのカートみたいなやつに乗って芝かるのかっこ良いものね!

ということでキッチンメンバーは最強メンバーにしないといけない!

 ということで、立候補者を募りました。


メキシコ代表エリック、ブラジル代表アルツー、ポルトガル代表ソフィア、

 イタリア代表シルビア、日本代表の僕です。

 

 ちなみにイタリア人はリゾット作れるけど、白米は炊けません。

 日本人はみんなが朝に食べてる玄米といろんな種がまじってるみたいな

お粥みたいな味のない食べ物作り方も知らないし、作ったとしてもそれが上手く

できてるのか、それとも失敗なのかもわかりません。

 メキシコ・エリックはパソコン使えるし、ミーティングしきれるけど、

料理はあんまり。ポルトガル・ソフィアは英語が駄目だけど料理は相当な腕、

そして彼女が唯一UK(ヨーロッパ)の免許をもっているので8人乗りのシート

の車を運転できます。それは保険の問題。

 日本人、南アメリカ人は8人乗りの車は運転できません。

 でもサイズはでかいのでもなんでもOKです、

ただ人数が多いと駄目みたいです。



 みんで今日からミーティング


 メニュー、買い物、朝飯、昼飯、晩飯、ベジタリアン、皿洗いのローテーション、洗剤とかスポンジ、オーブンの使い方、どうやって50人分の米を炊くのか?

冷凍食品の解凍は何時間前からか?


基本的には英語で話そうね!って言うとだけど途中でみんなが

 「プロセスってポルトガル語では何?」

 「スティルって盗むってこと?」

 「この場合のスティルはのマダの意味!」

 
「ミーンってどういう意味?意地悪じゃないよね?」

 「この場合のミーンはポルトガル語では(+*‘<@¥)だし英語なら

 たぶんコンセプトに近いよいみだよ」


 みたいな会話が永遠続いて、結局誰も100%理解しないまま、3時間みんなが

自分の言いたいことを話し合いました。


 おそらく他からみたら喧嘩してるみたいだったけど、本人たちはそういうつもり

は無かったです、みんな純粋に

 「本当に良くしたいなら自分の意見を言うべきだ」

 と思ってる感じでした。

 結局みんなで何が居るかのリストを作ろう!ということになり、

 みんなでパソコンを持ってキッチンに行きました。

 長ネギをもって
 
 「ウラこれはなんていうんだ?」

 「日本ではネギだけど、たぶん英語はチャイニーズオニオンだと思う」
   (辞書の答えは long green onion でした)

 「でも細いのと太いのがあるよ?」

 「とりあえずビッグとスモールって書いとけば?」

 「まって!それはポルトガル語では断固として ‘@+*:*¥・だ!だから
  そうかいてくれないと私はわからない」

 「今の英語で話した?それともポルトガル語?」

  「今のはウラに話したのではなくてアルツーに話したから気にしないで」

  「ウラこれは何?」
 
  「それは日本ではブロッコリー」
 
  「そうなんだ、私の国では ブロッコリー って言うのよ!」
   
  「だから今僕もブロッコリーって言ったつもりだけど・・・・」

  「あら、私には他の発音に聞こえたけど・・・」

 
 「ところでこの野菜はイタリアではつかったこと無いから、

  なんて名前かもイメージできない」

  「俺も知らない」
 
  「みんな知らない・・・・」

  そんな会話を一時間くらい続けながら
 
  パソコンの早いエリックがエクセルに手早く打ちこんで作業終了!

 もう十時だから今日はここまで! っていってみんなでキッチンから出てきました。

みんなけっこう疲れてたとおもいます。

 ちなみに前にキッチンを仕切っていたフランチェスカはイタリア人で、彼女から

 もらったリストは難しいところはイタリア語なので、僕らにはわかりません。

  この先この仕事は確実に2カ月はしないといけないけど、なんか面白そう

 です、頑張りますね!




 

 
 

2010年5月14日金曜日

喪中ハガキって・・・



 <写真は今から25年くらい前だと思います、僕が小学校高学年で、家族で
 志賀高原にスキーに行った時のものです、僕は親父が29歳の時に産まれている
 から、親父はちょうど今も僕よりも2歳くらい年上なのだと思います。
 そう思うと自分は何やってるんだか?って思います・・・>



親父が死んで喪中です。

って言う手紙をみんなに出すときになって気がついた。

 僕はすでに10年近く殆ど年賀状だしてないし、過去の2年間は

バヌアツだったし、その後はもといた住所でもないし、この5年間で

 会社を辞めて、東京、大阪、バヌアツ、大阪と色々と住所が変わって居るので、

 だれも僕には年賀状をくれません。 親友だけはくれますが・・・

 でも親父は会社員のころから毎年100枚以上の年賀状を出していたので、

 喪中のハガキだすのも大変です。

 
  ってここまで書いて気がついてくれた人いるかな?

 死んだ人って喪中ハガキは出さないってことを? だっておかしいよね。

 死んだ人から
 
 「今年は私は喪中ですから、年賀状いりません。もしくは天国に送ってください」

 ってありえないよね。

  そんなこと気がつかないで、僕は50枚ほどハガキを買ってきてせっせと

 親父の為に喪中ハガキを作っていました。

 そして途中で気がつきました。

 「なんか変だぞ!僕の友達に親父が死んだから喪中です、って言うハガキは

 ありえるけど、死んだ人から死にましたから喪中です。って言うのは変だな」

 
 そして何人かに確認したら

 「それは必要なくって、親父の死を伝えきれてなくて、年賀状をくれた人には

 1月15日を過ぎてから寒中見舞いとしてハガキを出すものです」


 ということになりました。だから結局50枚のはがきは大切に保存して

少しずつ郵便局で手紙を送るときなどに現金として使ってます。

 
 6月19日に死んだ親父への年賀状は15枚ほど来ました。

 
 その中に一つに


 「年末に癌の手術と転移を繰り返しても、まだ10年以上も頑張ってる人の

 テレビをNHKでやっていました。浦さんに伝えようと思って、あわてて電話

したけど、繋がりませんでした。電話番号変えたのですか?

 浦さん今年も頑張ってくださいね!」

 という内容でした。

 親父の携帯は66月に亡くなってから2カ月ほどそのままにしていましたが、

 誰からも連絡が来なくなったので、解約してしまいました。

 面白かったのは僕が親父の電話に出るとみんなが100%親父だと思って

 話し出すことです。自分では思っていなかったけど、声の出し方とか話し方

 は凄く似てるみたいです。


 みんな親父が癌になってから8年間ずっと見守ってくれていて、それが今年

も続くと願っていてくれたんだな。と思うと、寒中見舞いを書くのは少し辛い

 作業でしたが、誇らしくもありました。 親父は幸せ者だったと思います。

2010年5月13日木曜日

120%では駄目ですね・・・


  お腹のすいているアフリカの人達を助けたい。

 でもアフリカって電気とか水とか無いでしょ、ネット繋がらなかったらどうしよう?

 マラリアにかかったらどうしよう。

 戦争が始まったらどうしよう? デジカメ盗まれるかな?アイポットは大丈夫かな?

  って心配する人沢山いると思います。

   正論としてはこうです。

 「自分の保身ばかり考えてる人に、

   今にも死にそうな人を助けることはできないから行かないほうが良いよ」
 
 こうやって言うのは簡単だけど、僕はそうでもないと思います。

  自己犠牲とか、献身的なことはもちろん素敵だし、正論は口にするのは

 気持ち良いけど、最近思うことは

 そうやって無理して120%の自分で全力疾走してしまって2年くらいで息切れして

 、挫折感を味わうよりも、80%くらいで走って10年つづけたほうが

 結果的には良いと思うし。基本的には80%も途上国の人に何かしてあげなくても

 20%くらいの気持ちでなんとなく世の中には困っている人もいるんだな、

 ってことを意識しな人生を生きるほうが、結果的には自分にも世界にも良いと思います。

 
自分が幸せでない人は人を幸せにはできないだろうし、

自分に体力と経済力が無ければ人には優しくできないしね。

 日本人は桜みたいに一時パッと咲いて、

 後は散ってしまうような人生が美学の中にあるけど、

 それは武士のはなしであって普通の農民は自然を相手にしながら、

 コツコツと毎日8割くらいの気持ちで働けばそれが幸せなのだと思います。

 それが人生! 国際協力もそういうものだと思います。

 日本人がそんなに自分犠牲にして燃え尽きるほど頑張らなければならないほど、

 アフリカの人達は馬鹿でもないし、弱くもないです。

 もちろん助けは必要だけどね。

 どちらかと言えばパートナーとしての助けが必要だと思います。

身を削っての人助けは間違ってると思います。

自分を削って人を助けたら、

 削った自分の体をまた他の人に治してもらわないといけなくなるからね。

 
 バランスが大切だよね。そういうバランス感覚を身につけようと思っています。

2010年5月12日水曜日

お金と援助の問題

5月10日は赤十字の日

 ということでジュネーブの赤十字で2年間働いていて今はこのボランティア活動

 (CICD)に参加している

 ドーランドが赤十字の歴史についてプレゼンテーションしてくれました。

 ちなみに英語では その旗のとうり 「レッド・クロス」 が赤十字です。

 ちなみに今僕が参加しているボランティア活動は半年の間に自分でプレゼンテーションを

したり、僕だったらみんなに体育を教えたりして、点数稼がないとアフリカに行かせてもらえ

ません。 だから毎週土曜日には誰かのプレゼンがあり、それが結構熱いものになります。

 こないだはブラジル人のアランがブラジルの歴史のプレゼンをしましたが、

 「ポルトガル人が我々の国に攻め込んできた。」

 「彼らは僕たちを人間とは思っていなかったので、最初は殺しまくった」

 「途中で人間だと気がついて、キリスト教を広めだし、そして結果的には成功した」

 という内容でしたが、そこにポルトガル人のジョゼが居たから僕は結構緊張しました。

 ジョゼいわく

 「我々の国っていうけど、俺達が行かなかったら今のブラジルの発展もなかったし、

 お前だって産まれて無かったんだぞ」

 「ポルトガル人からの視点でブラジルへの植民地支配で俺達がどれだけの苦労と犠牲を

  払ったかをプレゼンテーションさせてもらったら、全く違う無いようになると思う。」

 と話していました。 まだその機会はないけどね。

 でもいつも思うけど、外国の人って違うなって思うのは、その場では相当ストレートな表現

するけど、その場だけで終わることです。 良く言えばさわやか、悪く言えば単純!

 でもその時に思ったのは、そういう話をお互いに面等向かってできることって偉いな。

 って思いました。

 今このプログラムには、中国人、韓国人、日本人といるけど、お互いにネガティブな問題

は話したことはないです。一つの理由にはそういったデリケートな問題をお互いにつたない

 英語で話し合おうとすると、時には誤解が産まれて、それを正そうと必死に違う言葉で表現

しようとすればするほど、さらにそれが新しい誤解をまねくこともあるというのも理由の

一つだと思います。


 ポルトガル人で40歳くらいのルイ―スが言っていたけど、

 我々より昔の年代のポルトガル人は人達は、

自分達のした植民地支配について恥じていたから、あまり海外

に出たがらなかった、そして我々の年代は少しずつ海外に興味を持ちだした。

 でも今の若いポルトガル人は我々よりもっと前向きに海外にでて、自分達のした過ちをとり

 かえそうとしてくれている。それが今のポルトガルだとおもう。とても頼もしい。

 と話していました。

 自分も見習わないとな!って思いました。


  話は戻ってドーランドの赤十字の話。

 スイスから始まった赤十字は

 国境も関係なく、

 宗教も関係なく、

 人種も関係なく

 政治的に動くこともなく

 みんなを平等に助け、誰でも参加できる。

 「完全に独立した」組織だそうです。

 というような内容でした。

 だからそのシンボルである旗も月のマークだったり、十字の赤だったり、

 なるべくどの宗教でも受け入れらしいように4、5のシンボルマークがあって、

 どれを使っても自由になっているということでした。

 
  歴史や今までの活動など一時間ほど話してくれました。質問コーナーになって

  旗のデザインとかドーランドはジュネーブで何をしていたか?
 
 とかみんなが聞きました。

 ちなみにドーランドはジュネーブで家庭に問題のある子供なんかの面倒をみるプロジェクト

 に2年間たずさわっていたようです。

  最後にルイースが聞きました。

 「完全に独立して政治的に走ることは無い、って言うことだけど、僕が気になるのは

 お金はどこから出ているの?おそらくUKユニオンとかスイスとか、

 ユニセフみたいにアメリカとかから出てると

 思うけど、そういうのが活動に影響したりしないのかな?

 イラク兵とアメリカ兵を平等に扱うのかな?」

 っていう鋭い質問がでました。

  みんなもその意見には興味があるようでした。 誰かがすかさず

 「まさか赤十字が俺たちみたいに古着を集めたり、活動のマガジン売って

 ファンドレイジング(募金活動)したりしないよね・・・」

 と言ったので笑いましたが、それは一瞬でやみました。
 
 ドーランドも
 
 「それは我々の永遠のテーマです、その矛盾があることは誰もが知っている」

 誰も答えが見つからないまま質問したルイースが

 「難しい問題だと思うから、今日はこのくらいにしよう」

 と提案したので、とりあえず終わりましたが、その場にいた50人くらいの人達の中には

疑問が残りました。

 でもそのうちの20人くらいは僕と同じように英語が完璧では無いので、ポイントをつかみ

切れてない人もいたと思います。 
 
 それでも発言する人もあれば僕みたいにブログに書く人もいるでしょう。

 青年海外協力隊でバヌアツでお世話になったOVの方から

 「ブルーセーター」

 という本にそこらへんの答えがつかめる部分がある。

 という話を聞きました。 ゴメンナサイ、普通ブログってそいう言うのすぐにクリック

できるように横に宣伝が張り付けてあるはずなんですけど、まだそういうスキルないから

 書きっぱなしです。 

 募金とか良心に頼って活動するのではなくて、きちんとビジネスパートナーとして途上国

 をみてく、お互いに利益がないとこの活動は続かない。

  というような内容だと思いますがまだ読んでないのでわかりません。

 お金と援助の問題は永遠のテーマだと思います。

2010年5月10日月曜日

癌の宣告

 出家した親父は

正座のタコが持病の糖尿病のせいで血行が悪くなおらずに、脚の脛が膿んでしまい。

 久しぶりに下界に降りてきたが、すでに血糖のコントロールができなくなっていて、

 ドクターストップ、それでも周りの人達の助けとおそらくそれなりに本人が頑張って

 いた事が認められて、何とか一年間の修行でインチキ坊主としての

資格はいただいたようだった。

 下界に降りてきてすぐに口内炎が治らずに町医者にいったら、その場ですぐに紹介状

を渡されて大学病院で検査。

 出家した時に離婚してたので、その時に埼玉にいた僕と実家の大阪で親父と暮らしてい

姉の三人で癌の宣告を受けた。

  
 「手術、抗がん剤、放射線治療、と言う三つの選択肢プラス何もしないという選択肢も

あります。

 もちろん治療するにあたってはこの三つを状況によってミックスして行います。」

 と言うことだった。

 「もし5年以内に再発すると、そこから3年、2年と再発する間隔が短くなることも

考えられます。癌は命にかかわる病気です、いい加減な気持ちでは治せません。」

 

 病院の帰りに家族三人で南千里で池のある大きな公園で途方にくれて座っていたのを

思いだす。 

 親父は良く言っていた

 「最初に宣告してくれた先生がボカした言い方をしないでキチンと正直に淡々と伝えて

くれたのが俺にとっては本当によかった。たいして貫禄のある先生では無かったし、

まだ30半ばくらいに見えたし最初に見た時は頼りなさそうな人だな、って思ったけど、

人間としての強さと誠実さがあの先生にはあった」

 と話していました。その先生は親父の手術をした後に他の病院に移ってしまったけど

 親父は癌が再発するたびに

「あの先生とももう一度話したいなー、どうすべきた聞きに行こうかなー」

 とつぶやいていました。