2010年6月19日土曜日

お葬式の段取りの話



 <写真は亡くなる二日前です、入院したことを姉にメールで伝えよう!
  って言って携帯で撮った写真です、子供みたいに笑ってくれました、
  今考えても本当に我慢強い人でした。人生の最後に頑張って作った
  笑顔だと思います。死ぬ寸前にニッコリ笑えたってことは、
  親父の人生はそれだけで大成功だったのだと思いますし、
 きっと姉に元気な顔を見せたかったのだとおもいます。>



 親父は死ぬ前に

 「死んだら大阪でお葬式するなよ、出家した時にお世話になった山口に持って

行って、そこで燃やしてくれ、俺は一応あそこのお寺の坊主だし、

きちんと向こう

には話してあるし、山口の兄ちゃん(僕のおじさん)にも話してあるから

大丈夫だ!
 
 と言っていました。

 
 結局親父が夜中の1時前に死んで、僕は病院に一人だけ、

 遺体を山口で燃やせって言うけど、そんなのできるのかな?

っておじさんに聞いたら、それは難しいと思う。もしそうするなら大阪の

葬儀屋にお願いするのではなくて、山口の葬儀屋にお願いして山口から迎

えにきてもらうことになるから、難しい。

 ってことになって、

 「親父、話と違うじゃん!」

 親父を恨んだけどすでにさっき死んじゃってるから恨みようがない・・・

 時間はすでに夜中の2時、明日の朝には親戚一同が病院に来ます。

 その後にマンションまでみんなで移ってそれから相談するの?

 その間親父の遺体は病院に置いておくのかな?

 そして気がつきました。

 
   決めるのは自分だ!既に親父はこの世に居ないのだ!

 
 そこから夜中に葬儀屋4件くらいに電話して、

どこも金額言わなかったけど、

一番誠実そうなところに決めて、

朝の6時に病院からマンションに親父を連れて行

ってもらうことにしまいた。

 金曜日でゴミの日だったから、7時とか8時にマンションに行くと

みんながゴミ出しに出てきていてあまり良くないと思ったから朝の6時に

してもらいました。

 朝の6時に葬儀屋の人が来てくれました、病院のほうは

 「お会計とかは今は気にしなくてよいです、二週間くらいして落ち着いたら着てください、大変だと思いますが頑張ってください」

 と言われて、葬儀屋の人には

 「あなた一人ですか?」

って言う感じでみられて、親父の車がでた後で、広い駐車場に朝の6時に

たった一台ポツンと停めてあった自分の原付に乗って、家に戻りました。

 親戚には

 「すでに実家のマンションにもどりましたがの、病院には行かないで、

 直接マンションに着てください」

 と連絡して、気が付いたら朝の7時。

 とりあえず親父の葬式代とかを親父の口座が閉じられる前に銀行から

 引き落としとかないと。
 
 と思いながらみんなが来るのを待ちました。

姉が悲しむ姿を見るのだけが唯一気になっていたけど、一緒に来てくれた

 姉の二人の息子達(3歳と5歳)が走り回るので、姉もゆっくりと悲しむ暇

は無かったかもしれません。

 
 それがお葬式のはじまりでした。後は葬儀屋さんが全て仕切ってくれる

から、楽なもんでした。

 面白いのは見積りって家に親父を運んでもらってから行われること。

 もしそこで金額とかがかみ合わなかったらすでに家まで運んでもらって

るし、ちょっと気まずいよね。

 身内は悲しんでるけど、そこらへんのお金の勘定は葬儀屋さんにとって

もこちらにとっても微妙な駆け引きがあるなー!

って感じました。

ウチの場合は親父の主将のお坊さんが来てくれていて、その人が

 「葬儀はお寺でしますので、大阪では単に骨にしてもらうだけで結構で

すので、余計なことはいりません、それが故人の希望でもあります。」

 って言ってくれたので、簡単に済みました。それでも約50万。

 僕は初めての喪主だったけど、特に何もすることはなく、喪服をきてウ

ロウロしてるだけだったです。

 あれから一年が経ちました。

 きちんとブログを書こうと思ったのですが、今日は朝から10時間も

 車を運転したので、お休みさせてもらいます。

 ちなみにイギリスは今夜の9じです。

 ワールドカップのアルジェリア先のために高速道路はガラガラ、

 町も静まり返っていました。 

  

 

2010年6月16日水曜日

ご連絡ありがとうございました。

 先週にアドレスを作ってから一週間ですが、

 皆さんから10件ほどの連絡をいただきました。

 本当にありがとうございます。
 
 一番多かったことは、写真がなんで乗っかってないの? というものでしたが、

 ブログの無料で使える容量が終わってしまって、こっちに持ってきたカードがなぜか今

 使えなくて、もう少し待ってください。 たったの500円くらいで沢山乗っけることが
 
 できます、そしてけっう良い写真を撮ってあるので、できたらすぐに乗っけますね。


  なんでウラはそんな人間になったの? っていう質問もありましたが、それは上手く

言えないけど、たぶんスタートがとても悲しかったからだと思います。

 子供の頃の夢は

 「普通の人間になりたい、みんなみたいに普通になりたい」

 ってなんか妖怪人間ベムみたいなことを考えていたからだと思います。

  大人になって少しだけ気がついたのは、少しくらい変わってるほうが人生は面白いかな?


 って思えた事。 後はスポーツしてたから、色々と物事を深く考えた事があったのかも

しれません。

 たぶん子供の頃にそれほど劣等感みたいなものがなかったら、今の人生で満足してない

 かもしれません。もっと学歴社会とかお金とか地位とか名誉にこだわっていたかもしれない

 けど、なぜか子供のころに漠然と、

  「自分はみんなよりも劣っている、悲しい人間なんだ」

 ってなぜか思っていたから、普通になれた今はそれだけで以外とうれしい物なのです。

 そこが元気の源かな?

  「生きてるだけで丸儲け」、ってサンマがいってました。

 後もう一つ、

 「人生は真っ裸で産まれてきたのだから、

 死ぬときにパンツ一枚でもはいていたら、それだけで大満足」

  というのもあったと思います。

 
 いまはブログ書いていて、一週間で10名ほどの人が連絡くれた事が

 とてもうれしかったです、幼馴染から、協力隊の方、関西、関東のともだち

 そして今週のブログにあった、「とても感謝していること」のK島さん

 など、改めて感謝しています。

  
  なんとなく安心しました、みなさんありがとうございました!

 

2010年6月15日火曜日

日本人と外国人の会話の違い




 <右上から、日本・ケイタ、 イタリア・シルビア、 フランス・セリーヌ、 
       ブラジル・パウロ
  左下、 ブラジル・アルツー、僕です。>


 日本人と外国人の会話の仕方の違いについて少し気がついたことがあります。

 外国人は人の悪口とか嫌いな人の話をしたいとき、いきなり

「俺はあいつが大嫌いだ、お前も嫌いか?どうおもうか?」

 って言います。


 日本人は逆に

「あいつって良い奴だよね、でもたまにこういうところがあるよね」

 っていう会話から始まります。そして少しずつ相手の反応をうかがいな

がら、徐々に相手に自分が相手を嫌いだという方向に会話を持っていきます。

 そして結果的に

「だから私はあの人が嫌いなんだよね!」


 って言う風になります。

 外国人は最初に

「大嫌い!」

 って言っておいてから、少しずつなぜ嫌いなのかを説明して、徐々に

 全体像が見えてきます。
 
 日本人は細部から少しずつ積み上げていって結果的に嫌いだということ

 を表現します。

 スタートは違うけど、結果は同じになります。

今日なんと無くそう感じました。

 模様替えをしたいときでも日本人は最初に、今のこのへやは良いと思う

けど、もしテレビの位置を変えたら夕方でも西日が当たらないかもね?

 みたいなところから攻めていきますが。
 

外国人は相談する前に勝手に変えています。 文句あるなら戻すけど?

 みたいな感じです。

 スピーディーだけど、失敗することもたびたび、逆に日本はスローなだけ

に結局何の変化もしないまま話が流れることも多くあると思います。

 どっちが良いとか悪いとかは特に感じません。

 たぶんどっちも良いのでしょう!

 

2010年6月13日日曜日

とても感謝していること



<写真は K島さんにお願いして、息子さんの育くん(イクくん)と一緒に
銀行の前でとってもらった写真です、姉に見てもらいたかったので撮らせてもらった
写真です、あまり知らない僕に急に抱っこされて、少しビックリしていますが、
本当に可愛くて優しそうな男の子でした。笑顔が素敵なで無邪気な子です。>


 
33年間家族で住んでいた家というのは、とてもものすごい量の物があると、

親父が無くなってから改めて感じました。

 アルバムだけでも30冊以上、親父の本も500冊以上あり、

それは全てブックオフに買い取りに来てもらいました。

 500冊売って1300円とは安いと思ったけど、

親父の本は哲学の本とビジネスの本ばかりだったし、

いろんなところに書き込みがしてあったので、まあ仕方ないかな? って思います。


 親父のゴルフのトロフィーや、学生時代の写真、社会人時代のスーツ、

春夏秋冬で使う、扇風機、ヒーター、乾燥機、古いエアコン。

 捨てるのが大変だったのは、阪神大震災の後に母親がかったスッゴク

重たい金庫、家の権利証とかその他大事な物が入ってるはずだったけど、

結局空けてみたら、4段くらいある引き出しはマダ買った時ビニール袋が巻かれていて、

特に大したものは入っていませんでした。

二人かがりで持ってきてくれた40キロはある金庫を一人で捨てるのは大変でした。
 
 少しだけ笑えたのはハンコ、母親が離婚した時に僕に7本くらいくれました、

「私はもうこのハンコは使わないから!」

 って当たり前だけど、その後に姉が結婚して、また5本くらいを残し、

親父も実印を含めて5本は持っていたし、ハンコって半永久的に使えるし、

「もしかしたら何かの通帳に使ってるかも?」

って絶対にそんなこと無いのに、考えてしまったりします。

 親戚でも「浦」っていう名前を継ぐ人は、僕ともう一人の従兄弟だけで、

ウチの姉も含めて女性が多いので、誰にもあげることげできません。

 ということで沢山捨ててしまいました。



 そして最後に残ったのはマンション、これは親父の人生の最大の買い物、

山口の嫁に行った姉は「残しておいて欲しい」という意見でしたが、

離婚した母親は東京に居るし、僕はこれからイギリスに行くし、

もし残しておいたとしても、

姉が大阪に遊びに来た時には人に貸しているから泊まれるわけではないし。

 ということで、みんなの反対を押し切って、売ることにしました。



 不動産屋さんには僕が3月に学校の仕事が終わって、

4月からイギリスに行けるのか、5月になるのかわからないので、

年が明けてからにしてほしい、と話していました。

 「駅前の団地が建て替えで年金暮らしの人の立ち退きがあるので、

その人達はローンは組めないけど、立ち退き料があるから、良いかもしれません」

 って言われて少し悲しい気分に、このマンションは両親が買う時に、

一階だけど二階の高さにベランダがあって、

まだ小さかった僕と姉が前の公園で遊んでいる声が聞こえて安心だ。

と言って決めたマンションでした。できればまた子供がここで育ってほしいな、

と贅沢な事を考えていました。

「とりあえず年が明けてから売りだします。」

 と伝えてから、意外と早めに

 「浦さん今週末に部屋を見たい人が居ますけど良いですか?」

ということで、急遽部屋を掃除しました。

来てくれたのは団地からの立ち退きの方ではなくて、

3歳の男の子を連れたK島さんというご家族でした。


 ちょうど僕が隣の駅の関大前から千里山に引っ越してきたのも4歳くらいでした、

部屋を見に来て、姉と二人で新品で空っぽだった

バスタブに入って撮った写真がまだ残っています。

 少し緊張していて、なぜ自分が知らない人の家に入ってるのかな?

って不安そうなその子をみながら、 こんな家族がこの家を引き継いでくれたら良いな。

と思っていました。

 でも意外と早くに帰ってしまったし、おそらく家を買うときって、

何件か見比べるだろうから、見に来てくれたご家族と不動産屋さんが帰ってしまって、

いつもよりもきれいにかたずいている我が家に一人残されて、

今ごろは他の家も見て回ってるのかな? なんて考えていました。

 「これから家が売れるまで、いろんな人がこうやって訪れて、

僕ら家族が育った家を、良いとか悪いとか判断されるのは、

少し気持ちが滅入るな、でもやっぱり家を買うというのは一大事だから、

買う人は真剣に考えるのは当たり前だしな、

できれば今日来てくれたみたいな人が引き継いでくれると良いな」

 と考えていました。もともと売ることを嫌がっていた姉にも

「僕らが引っ越してきた時と同じような家族が見に来てくれたよ、

可愛い男の子が居た、あの家族だったら僕はうれしいけど、まだ分からない」

 と伝えました。


 結局不動産屋さんからはそれから一度も見学の依頼はなく、

最初に来てくれた、そのK島さんがそのまま引き継いでくれることになりました。

 マンションの売り買いだし、特別な感情は必要ないとは思いますけど、

やっぱり自分が育った家を気にいってくれて、

買ってくれたK島さんにはとても感謝しています。

 引っ越しの前日までに自分の荷物はすべて母親のところに送って、
 
当日の朝まで寝ていた布団をそのままマンションのゴミ箱にもっていて、

子供の頃から引いてあったベランダの人工芝は備え付けではなくて

母親が張り付けたものだからはがさないといけないと気がついて、

朝からはがしてそれも捨てて全て空っぽにして、

キッチンとガスの取り扱い説明書と


郵便ポストのダイアルの開け方が書いた紙を流しの横にわかるように置いて

すでに家の中は空っぽなので、

朝一番でコンビニで買ってきたおにぎりをほおばりながら、

10時に不動屋さん屋さんが来るのを待っていました。

 
 「銀行にいって契約が終わるって鍵を渡すと、もうこの家に戻ることはできません」

 ということなので何かと緊張しました。

 最後まで使っていた、インターネットのモデムを

KDDIに返す為にあわてて取り外して、最後に玄関を出るとき。

33年間家族が過ごしたこのマンションのカギを最後に閉める瞬間。

 「ありがとうございました、さようなら」

って感じたのを覚えています。

 その後に千里中央の銀行に行って、K島さん、不動産屋さん、

司法書士の方、銀行員のかたと一緒に沢山の書類に署名と印鑑を押して

、お昼前に全て終了、僕にはもうマンションには帰るところは無いので、

そのまま新大阪から東京の母親のところへ。

 新幹線のなかでホッとしたと同時に、少しのさみしさが残りました。

 あれはたしか3月の25日だったと思います。
 
 約二カ月以上が経ち、僕はこちらで生活しています。

 実は先日ブログにコメントが欲しい、というメッセージをだしたら、

K島さんから連絡をいただきました。

 僕も個人的にとても興味があったので、アドレスを交換したり、

ブログの事を伝えたりしていたのです。

 「今はまだリフォーム中なので、住んでいませんが、ブログ拝見させてもらっています」

 といううれしい連絡が、早速このブログを確認してもらって、

もし大丈夫ならアップしたいと思います。

 
 自分の家族の後かたずけは楽しい仕事ではなくとても大変でしたが、

そのなかで唯一僕の気持ちを明るくしてくれたのはK島さんとの出会いでした。

2010年6月11日金曜日

自由、平等、権利

 先生のオーサが言った。

 アンゴラで40度の熱が出て、やっとの思いで病院に言った時、

 午前中は全く治療もしてくれないで、廊下でずっと待たされた。

午後になって私がきちんと保険に入っていて、

私の所属する団体が治療費を払うとわかると、

別室に移されてやっと治療を受けることができた。

 それが途上国です、お金がすべてなのです。

 
 逆に福祉国家のスウェーデンで息子のクリストーブが病気になった

時に、保険証を忘れてしまった私に先生が

 「そんなことは今は関係ない、まず第一に息子さんの治療が優先です」

 と言って治療をしてくれた、それがスウェーデン。

 

 権利と自由の国アメリカでは、病院に緊急で運ばれてきたホームレスが

 保険証もなく住所もないとわかると、そのまま病院の外の道に運んで

死んでしまうまで放置した、という話があるらしい。

 通行人はみんなそれを無視していた。

おそらくアメリカでも相当極端な例だからみんなの記憶に残ってるのだ

ろうと思います。

 死ぬのも自由だし、彼女には保険に入らない権利もあり、医療を受けな

る準備よりも毎日の生活を楽しむ権利があり、その権利を彼女自身が行使

した結果彼女は医療を受けなかった、しかし、他人の権利を侵害しない

限りは人間は自由であるのだから、アメリカではそれは間違っていない。


みんな基本的には平等だから教育を受ける権利だって持っていたはずな

のに、きちんと学校に行かず、知識を得なかったのも彼女の自由である。

 でもあまりにも自由すぎるとこうなっちゃうのかな?

 何事にも表と裏があるとおもいました。

 
 

完璧を求めすぎると・・・


 僕の尊敬する京都大学の監督さんが言っていました。

「人間は完璧を求めすぎると、人として最も大切なものを見失う」

 15年くらい前、学生だったころにその言葉を読んだ時は、

 どういうことだろう? ってあまり気にしていなかったですが、

 こっちに来て日本人として生活しているとたまにおもいます。

 「日本人は真面目だし、良く働く、個人の為ではなくて組織の

為に働こうとする、

(日本にいた頃は気にならな無かったけど、外国に来ると、なぜ日本人は

自分の利益よりも、組織の為に一生懸命はたらけるのか、不思議に感じま

す。もちろん外国の人と比べてだけどね。)

組織の為なら、自分を犠牲にする、部下が自分を犠牲

にすると、上司はもっと犠牲にしなくてはならない、上司がさらに犠牲を

払うと、社長は組織の目的をもっと高いレベルに設定せざるを得ない事

もある、おおらかな社長で、それを上手く受け止めて、部下のおかげで

組織が上手く回ってる

 って言える社長なら良いが、真面目な社長は日本一になったら、次

は世界一!

 と思うことも不思議ではないし、日本人にはそういうところがある。

 実際に経済では世界一だしね。

でも時に組織が大きくなりすぎると、社長もすでに組織に対して、

「これぐらいでやめておこうよ!」

 って言えなくなると、もうカジの聞かないタイタニック号のように、

ただ暴走して、沈むのを待つだけになってしまう。

 
 
 外国の人と一緒に仕事をしていて、日本人は素晴らしい、勤勉、真面目、

 謙虚、これ以上の事は無いと常にプライドを感じます。

  でも時には自分を戒めようと思います。

「人間は完璧を求めすぎると、人として最も大切なものを見失う」

 もちろんイギリスでボランティア活動を参加していたって、別に

完璧なんて求めてないけど、自分達が過去に戦争をしたことがあること、

思いつめると真面目すぎてとことんまでやってしまうことを考えると、

自分がそういう民族であり、そういう考えが

あるってことを時に客観的に考えて行動しようと思います。

2010年6月7日月曜日

人生のベストラップ!


 
 <写真はファミレスの社員だったころ、仕事はパートさんやアルバイトの子
のほうが全然できました。僕はクレームが出た時に謝りに行くかかりでした、
その時だけみんなが社員扱いしてくれました・・・>


ファミレスの社員だったころ、手が空いて求刑室をのぞいてみると、

高校生や大学生のアルバイトの子達が話し合っていました。

 「アー、もう一度小学校5年生くらいからやり直したい、そしたら絶対

にもっと勉強して、今みたいにはなってないはずだ!」

 「俺は中2くらいからで良い、高校受験に向けてもう一度頑張りたい!」

 「僕はもっと小学校時代を楽しみたい、もうあの時代は戻ってこない、

失敗した」

 
 などと二十歳前の若者たちが話し合っていました。

 それを途中から聞いていた僕が

 「お前ら贅沢なこといってはいけないよ、俺は小学校からやり直したっ

て、こんなに上手くはいかないと思ってるよ、今のこの時点で常に人生の

ベストラップを刻んでる気持ちがしてる、なんたって中学校3年生で同級

生が320人いて、俺の順番は300番目、専門学校を視野に入れながら

の高校受験です、って親の前で先生にはっきりと言われたからね、大学だ

って現役、浪人で16校も受けたんだよ、一校三万としたって、受験料だ

けで、一年目の学費がまかなえるよ、しかも結局受かったのは一校だけだ

しね、16分の一だよ。

 こんな素敵な人生は無いのだ!お前ら文句があるならこれから10年一

生懸命働いてみろ、10年後にまた同じセリフで、18歳の時に戻りたい、

って言わないために、今28歳だとおもって、これからやり直せると感じ

れば良いんだよ!」

 ってなんか自分で言っててもかっこ良いセリフが・・・・

それを聞いた一人が

 「さすがウラさん、かっこ良いですね、

なんか少しやる気が出てきましたよ」

 「それもそうだな、説得力あるかも」

 ってなんとなくみんなの意見が僕に賛成しかけた時に一人が

 「もちろん、それはそうだけどさー、ウラさん人生のベストラップきざ

んでて、30歳前でまだファミレスの副店長だぜ、しかも店長は27歳で

ウラさんよりも年下だし、ベストラップで副店長ではなー・・・」

 っていう鋭い突っ込みが、もちろんみんな冗談ってわかってるけどね

 
「ウーン、浦さん深刻ですね・・・・」

 「そうだな、やばいな、俺もそのことに今気がついた」

 
「ヤッパリ俺は中学校2年生に戻りたい」

 「僕も小学校の思いで作り直したい!」

 ということで、僕の人生の教訓はあっさりと却下されて、その日の午後

もバイトのみんなと忙しく働きました。

 あれから約8年が経ちましたが、僕にとってはこの8年間も結構学ぶこ

とが多かったし、それなりに頑張ったつもりなので、もう一度やれ!って

言われたらこんなに上手く行くかは不安です。ヤッパリ僕にとってはいま

でもマズマズの人生だと思っています。

 (決して他人にお勧めの人生では無い事はたしかです。

 求刑って漢字間違えちゃってゴメンナサイ、休憩だよね!)