昔に人間的に完成されたフットボール選手が引退する時にその友人が言っていたことばで
「彼は偉大なフットボール選手なのではなく、偉大な人間なのだ、たまたまその
偉大な人間が人生の何年間かヘルメットをかぶってフットボールをやっていたにすぎない
だから彼の偉大さは引退しても全く変わらない」
というようなことを言っていた、最近国民栄誉賞をとった松井はまさにそういうひとなのだと
思う。
昔に山下達郎が言っていた
「僕は普通の人と同じようにディスニーランドに行ったりするしスーパーで買い物もする、
だって普通の人と同じ生活をしていないと、普通の人の気持ちが歌えなくなるから」
村上春樹も先日に同じようなことを言っていたと思う。
このことについては先日に才能に対するプレゼンテーションを見て驚いたのだど
昔の人はそういった才能というものは人が持っているのではなくて、ほかの所に
普段はいて、たまに特定の人のところに降りてきて、作曲をさせたり詞を書かせたり
するのだと考えていた。 ジーニアスとかダイモン(デーモン) という言葉はその降りてくる
才能のことを意味していて、それを書いた人間とは関係のないものだと考えられていて
だから偉大な芸術家たちも謙虚でいれたし、逆にスランプにもならなかった。
といっていた。
そういう考えができれば偉大な人達ももっと楽に生きれるのかな? と思う。
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