2012年8月19日日曜日

回転木馬のデッドヒート

 先日に村上春樹さんの本の題名で
「回転木馬のデットヒート」 
というのがあった、短編物だったのだけど、
その中に
 「人間は人生というレースが何処かの方向に向かって進んでいると思っているけど、実はメリーゴーランドの回転木馬のように人間は同じ場所をクルクル回らされているだけなのだ。」 
 というような内容でした(本は図書館に返したのできちんと覚えていなくてごめんなさい・・・・) 

 でもこの言葉ものすごくおもしろいなーって思いました。
 回転木馬なのに、それがデッドヒート(死に物狂い)で競い合ってるということだよね。でも今の世の中を見ているととてもぴったりだと思いました。

 回転木馬という楽しいはずのテーマパークの中でスイッチが入れられると1日中ゴールもないのにデッドヒートを繰り返している(ようにみえる)、本人達は必死なんだろうけどね
 
ものすごく奥が深い言葉だなー、って思いました。

 さすがですよね
 

結婚式と葬式と・・・

 昔から結婚式は苦手で、なんか途中で疲れてしまう。
 なんかみんなが無理して喜んでいたり、はしゃいでいたりすることに気疲れしてしまうのかもしれない。
 もちろん素敵な結婚式もたくさんあった、それは本当に来ている人が二人を祝福するようなムードがあり、無理せずにそこにいられる時だ思う。

 もともとが運動をしていたので、体育会系の結婚式が多かったというのもあると思う、そういうもので良くあるのは
 ・脱ぐ
 ・暴露話
 ・いじられキャラをみんなでいじる
 ・食べ物コンペティション
 ・景品が当たるゲーム

 という感じかな?
 たくさん結婚式いったけど、式場とかその日の余興は覚えているけど、誰の結婚式だったか忘れている式がたくさんあります。
 みんな個性が無くて同じなんだものね。そしてそれが良いと思っているのだろうね。
  今思えば結婚式は基本的に「若者」がするということだから
 やっぱりノリは若者文化になるのかもね。
 
  でももしアラフォーで結婚すしようと思っている人が結婚式上にいって、いかにも無理して若者向けの式を挙げさせられるのはなんか可哀そうだなー。とも思うけどね。 そういう人は神社でやればよいのか?
 でもその関係って難しいよね。 お金もうけでやっている結婚式の会社と、建前としてはお金にとらわれてはいけない お寺の間でどのような話がされているのか? とても興味があります。

 僕は結婚生活に最近興味はあるけど、結婚式には昔から全く興味はないのだよね。 半分くらいの男性はそうなのだと思うけどね・・・・

 たかが5時間で300万物金を使っている。ご祝儀があっても100万は自分で払うのだよね?

 その金を使って毎日の結婚生活をもっと充実したものにしたほうがよっぽど良いと思います。 5時間で100万だったら5時間我慢して100万貯金したと思えばよっぽど良いけどね。
 
 お嫁さんの為とかご両親の為とかいうけど、結局は結婚式場の為にやらされているということに何故きがつかないのかね?

  まあこういった発言が僕の器の小ささを露出してしまうのだね・・・ もう少し大人になります・・・・
 
 結婚式しなくて良いという女性がいたら結婚したいと長く思っていた時期もありました。

 でも結局は本人たちがそれでよくても、

「親戚が・・・ 」 「親が・・・・」 「会社が・・・・」

 という「日本人的」な考え方で結局はそうはいかないのだ。

 まあ結局はやってしまえばやっぱり  「やってよかった」

 となるのだろうけどね。 でもそういうときの日本社会は僕には重たい。 先日に結婚式に来ていた元同じチームの外国人選手に 「日本の結婚式どう思う?」って聞いたら
 「クレイジーだ」と言っていて少しほっとした。
外国人から見たら宗教的でもなんでも無くて、みんなでから騒ぎするだけの式ってなんだろう? って思うのだろうね。
 結局は日本にはお金が余っているのだろうね。

 同じような事を思ったのが親父の葬式の時。
うちの親父は大阪で亡くなったけど、式は山口でするので、大阪では遺骨にするだけでした。だから家からそのまま火葬場に持っていってほしい。
 と葬儀屋さんにお願いすると。
 「最近は家からというのはあまりなくて、いったん葬儀場でお預かりして、そこでお別れをしてそこから火葬場というのが普通なんですよ。」 と何度こちらも事情を説明しても理解してくれない。

 金額も家からそのまま火葬場だと50万、一度セレモニーホールを使うと、その使用料で100万アップする。それプラスお花代とかくだらない物がプラスされるのだろうけどね。
 「一般的とかそうでないとかは関係なく、親父からの遺言で式は大阪でしないというおことなのでセレモニーホールに行ってもだれも来ませんから、家から直接で良いです」
  と再度言うと
 「それはよくわかるのですけど実は最近はマンションから直接に出棺されるのをマンションの方や自治会、管理人さんが嫌がられることがあるので、こちらとしてはそういったトラブルを避けるためにもやっぱりセレモニーホールをお勧めします。」

 というのだよね。でも親父の遺体は今は家にあって、そこからセレモニーホールに持っていくにしても、火葬場にもっていくにしても、いずれにしてもマンションの入り口を通るよね?
 それに何の違いがあるのかな? ただ火葬してほしいだけだよ?葬式は山口県でやるからね。

 って思ったし、身内を失って弱っている家族に言い方は丁寧だけどマンションのほかの方が嫌がる。なんていうのはとても変だとおもいました。今の日本では人は死んではいけないというとなのかね?

 うちの親父は35年前に新築でマンションができたときに入居してきたのだし、それから35年間、最近は自治会の役員までやっていたのに、その人の出棺を嫌がって「気持ち悪い」と思う人がいたら、その人の考え方がすでに「気持ち悪い」 よね。

 家族を失った人にそんな言葉まで使ってセレモニーホール100万円コースを進める会社って何なんだろう? と思ってしまいました。 でもあの人へ会社に帰ったら上司に
「お前の営業力が無いからセレモニーホール使えなくて100万取り損ねたじゃないか!」
 とおこられるのだろうね。冠婚葬祭業界には務めなくないなー。

 結局管理人さんに聞きにいったら、管理人さんもとても改まって
「そうでしたか、浦さん亡くなられたのですね、ご病気されたいたのは前から存じていましたが、ご愁傷さまでした」
 とても丁寧に挨拶してもらって、自治会から香典までいただきました。 
やっぱり葬式屋の言っていることはおかしいのだと思ったね。

 結局はそういう商売のやり方が今でも成り立っているということは不景気とは言ってもあるところにはお金があって、日本人は人生を楽しむことよりもそういう建前の為にお金を使う民族なのだろうね。 冠婚葬祭のタブーはまだまだ破られないだろうと思います・・・・
 

 

2012年8月11日土曜日

日本とアフリカの旅行の違い

先日にアフリカから帰ってきた協力隊員に話を聞いたら

日本の凄いところは旅行に行く時に
(例えば東京から東北に行くとして)
その間にまったく誰にも道を尋ねずに行けてしまうところだ。
 と話していました。
 看板がきちんと整備されていて、切符だって新幹線やバスのシステムだって統一化されているし、いざとなればスマートフォン見れば人に聞くよりも早くて確実な情報が入ってくるものね。

 アフリカならいろいろな人に聞きながら、一緒に考えてもらったり助けてもらったりして目的地にたどり着くので、その感動も大きいし、到着を待ってくれている友人との再会も感動的だし、一つの旅で経験することも多くなる。

 日本人の追求してきた便利さにアフリカから帰国してきたばかりの私は今は違和感と物足りなさを感じている。
 と話していました。 

なるほどー、確か自分にもそういうことを感じた時期があったなー、と日本社会にどっぷりつかってしまっている自分が少しさみしくなってしまいました・・・

金メダルかジャイアンツの選手か?

先日に後輩が言っていた

「ジャイアンツの選手よりもオリンピックの金メダリストのほうがよっぽど素晴らしいけど、今の物質主義の中では結果的にお金を多く稼ぐプロ野球選手のほうが勝ち組になれるのはおかしい」

 この話を聞いた時になるほどなー、とは思ったけど、まあ僕の素直な気持ちとしてはプロ野球選手もオリンピック選手もどっちも同じくらい素晴らしいのに、入ってくるお金の額が圧倒的にプロ野球選手が多いということに不満を感じるのだろうな、と思いました。

 でも金メダリストの良いところは日本人の好きな
「パッと咲いて、パッと散る」
という面もあるよね。意外とみんな普通の人、だからメダルをとった時にインタビューなんかもプロ選手とは違って言葉になってなかったりする。それが日本人の感動を呼ぶのだと思います。ある意味高校野球みたいな感動があるよね。

 応援していた家族もみんな普通の人、どこにでもいるような田舎の人で、この人はきっと子供がオリンピックに出なかったら一生海外旅行なんて行かないのだろうなー。っていう見ていて微笑ましい家族もいるよね。

 でもトータルするとどっちが良いのかな?って考えると
また不思議な気持ちになります。

 プロ野球選手は引退後はみんなどんなことをしているのだろうね。

 年収とか高いから現役の頃は良い生活しているけど、引退後
 にそれと同じ収入が得られるわけではないし、今までのプロ選手としての充実した生活は終わってしまって、普通の人になってしまう。プロ野球選手だったから仲良くしてくれていた知り合いなんかも少なからずいるだろうから「元プロ野球選手」になってしまうと離れていく人もいるだろうね。

 子供の頃から野球中心の人生だったから野球という土俵の上では強いけど、それ以外の仕事の場所ではどうなのかな?
 元プロ野球選手だったという「ピエロ」的な仕事はあるだろうけど、そんな見せ物的な仕事で満足するような事はないだろうしね。

 まあどちらもスポーツ選手である前に自分という一人の人間である。という気持ちが無いといけないのだろうね。
 スポーツは自分の人生の大切な部分ではあるけれど、家族があって仕事があってスポーツがあるという三本柱を形成することを忘れない事が大切なのだと思います。

 ここではやっぱり前回にも書いた「武道」というスポーツを通じて以下に人格形成をしておくか、が引退後の人生を左右するのだと思います。

2012年8月9日木曜日

「勉強道」なのか「勉強術」なのか?

スポーツマンっていう言葉だったり、スポーツしてる人間はさわやかでハキハキしているべきだという意見があったりして、
子供の頃は漠然と「そうあるべきなんだ」みたいな気持だったけど、
実業団でフットボールを長くやったり、海外でプレーしたりするうちにスポーツは礼儀や人間性を育てるものだ。

という気持ちを忘れていったような気がする。
 
ある時に空手をしている先生に
「空手の世界ではそこらへんはどうなっているのですか?」
 と聞いたら、
「それには明確な答えがあって、日本では武術と武道にわけている。武術は自分のテクニックをあげて強くなること、試合に勝つかに優先順位を置いている。
逆に武道というのは空手を使って人間としての道を極めることに優先順位がある。だから勝ち負けに優先順位はない」
 
なるほどなー 

 って思ったのだけど、最近オリンピックを見ていて思うのは日本のスポーツは武道と武術の比率がどうしても武道のほうに偏りがちなのだと思いました。(ほかの国と比べてね)
 負けた選手が泣いていたり、必要以上に感謝の気持ちを述べたりするのは日本独特のものだと思います。
(それが良い悪いは関係なくです)
 特にオリンピックはアマチュアリズムにのっとっているからどちらかと言えば大会の趣旨も「武道」ということなのかもしれないけど、実際には「参加することに意味がある」という気持ちでオリンピックに参加している人はすでにいないよね?

 そして今日書きたかったことはもう一つあって、日本の教育についても同じような事が言えると思います。
 学校は勉強しながら社会性や人間性を学ぶところ、という「武道」の精神だとおもうのだけど、いつの間にか評価の基準は「受験に勝つため、学力の向上」
という武術になっているのだと思います。 
それで言うと塾は最初から勉強だけという「武術」の世界なのでスッキリしてるよね。
こちらはお金を払って、先生は勉強を教えるというプロの世界。塾の先生は能力が低ければ生徒がこなくなって失業するだけだからね。

 でも学校は難しい、武道ですよというスローガンを掲げながら、評価の基準はあくまでも勉強という「武術」になってしまっている。本当は「勉強」というツールを通じて子供に「人間としての道」を教えるはずの「勉強道」であるべきものがテストや受験で良い点数をとるためのテクニックを教える「勉強術」になっているのだろうね。

 それでも良いと思うのだよね。だって僕は小学校の頃にやっていて「スポーツごっご」よりも実業団でやっていて
「勝つためのスポーツ」から多くの事を学んだからね。
 
有名な関西のアメフトの監督も言っていました

「スポーツは勝つことが全てではない、参加することに意義があるなどというトロい取り組み方をしていては、勝つこと以上に大切なことも手に入れることはできない」 

 やっぱり「ごっこ」では人は本当の意味での強い人間は育たないのかもね。 もちろんその子供の年齢とか能力にも関係するだろうけどね。

 日本の学校ってそこらへんが明確ではないのではないかな? だから先生達が迷ってしまう。人間性を育てろという大きなスローガンがあるけど、実際にそれはできない。
 
 武道と武術が混同しているのだろうね。分かっていてやっているのとなんとなく矛盾を感じながら教えているのでは少し伝わり方が違うと思います。教えているほうが迷ってしまうのではないかな?
  なんてオリンピックを見ながら考えていました・・・
 

2012年7月30日月曜日

フェアトレード

先日にフェアトレードのイベントに行ったんだけど、

 インドの人が作ったオリジナルマフラーが3000円でした。 

でもフェアトレードのやっているイオンのビルの3階の

ユニクロにはもっと素敵で扱いやすいマフラーが

999円で売っていました。


フェアトレードを否定する気は全くなくって、


でもあの3000円マフラーが人助けという

付加価値がついても一日一本しか売れなくって


逆にユニクロのマフラーが一日に30本売れて売上3万円

その売りあげの5%である1500円をユニクロが

途上国に送るのと、

フェアトレードの3000円のマフラーの半額の1500円が

途上国に行くのとでは同じことなのだと思ってしまいました。 

 だから人の心がけ次第ではどちらもやり方でも人助けは

 できるのだと思います。

2012年7月23日月曜日

少子化万歳!

 今日の朝に山手線を待っていたら向かいのホームから人があふれそうになっていた。
先日も渋谷から乗ったら
「現在原宿駅でホームから人があふれているので、この電車いったん停止いたします」
 って言ってたけど、ホームから人があふれているなら早く電車を入れて乗せてあげないと、次から次えと人が来てますますあふれるだろうなー、
 と思いながらも原宿駅の様子を想像してみました。 でもなんか原宿って常にお祭りみたいな町だからきっとみんなホームでオシクラマンジュウ ワッショイ!ワッショイ!みたいになって楽しんでるのかな? なんておかしな想像しかできませんでした。 
そういうのを期待して原宿に着いたら意外と普通だったけどね。

 でもその時に思ったのだけど、人がどんどん増えるなら山手線とかすべてのホームを長くして、電車とかも20両にするとか、もしくは2階建てにするとか(無理か?)なにか対策しないとこのままではいつまでたっても改善されないな。 と思う反面。 
待てよ?少子化になってこれから人口がどんどん減って20年後に団塊世代が減りだしたら、高いお金を出してホームの改装工事が終わったころには日本の人口が減って寂しくなってしまうのではないかな?

 とも思いました。そういえば最近は大学受験だって倍率が低くて意外と入りやすいそうだからね。 いつか東大の学生は9割が留学生!地方の大学はすべて地域のコミュニティーセンターへ!慶応大学3年連続定員割れ!みたいな日が来ないかな?
そしたら慶応に入れていただきたいです。

 だから電車もこのままでよくって僕たち人間がも少し我慢すれば良いのかな?
って思いました。

 家だってそうだよね。おそらく20年もしたら団塊世代の人達のもっている家がその子供達に継がれていって、しかも少子化でその次の世代の子供達は少ない。
 第三次ベビーブームって言葉は日本には存在しないんだろうなー
 きっと家の値段もお手頃になるんだろうな。って思いました。 そうしたらそれほどお金稼がなくても家も買えるし、そうなると逆にみんな家なんてどうでもよくなるのかもしれないし?
大学も入りやすいし。駅のホームもあふれることは無くなるし、日本はもっと良い国になるのかなー。
 なんて思いました。

 みんな年金のことばかり気にしているけど、少子化には良いこともあると思います。