2014年9月10日水曜日

神奈川のビーチから300年先まで

 ビーチでお酒を飲んではいけないという条例が神奈川のいくつかのビーチでできたと聞いた。

 僕が子供のころは、銭湯に行けば入れ墨の人がいたし、新幹線や電車の中でもタバコは自由に吸っていた。

 電車のホームで二重扉なんて考えられなかったし、車に乗るときはシートベルトはしめなくてよくて、バイクもヘルメットは必要なかった。
 
公衆便所は紙など常備していなくて、必ず水を流さない人が居て下品な落書きとタバコのにおいが定番だった。

この20年間で日本は本当に変わったと感じる。

最近の若者は無理にお酒の飲むこともしないし、車を持っている人も少ない。

ラグビー、アメフト、ボクシングなどの激しいスポーツが人格形成になるといった価値観もなくなってきた。

  
このままいくと100年後にはすべての人がベジタリアンになって
いたりお酒が法律で禁止されたり、本当に男女が平等になって、総理大臣や大統領の半数が女性になるかもしれない。

さらに200年くらい進むと、国際結婚がさらに加速して、人種や国境なんてものが無くなって、一人ひとりの個性が大切になって、
そうなってくると今以上にバイセクシャルの人も増えていくのかもしれない。

みんながベジタリアンになれば自然とマッチョの人も減ってきて、筋肉質で野性的な男性がセクシーというような考え方も減って、みんながヨガの先生みたいな細い体型になっていく。

個人的には望まないけど、サッカーのワールドカップやオリンピックなども人々の関心事ではなくなり、逆に絵画とかオペラとか美しさや芸術性を表現する運動がメインになってくるかもしれない。

競馬、狩猟、闘牛などはジャンルとしては確実になくなる・・・・

    
競争がなくなり文明の進歩は望めないかもしれないけど人口も減り食べ物や資源を奪い合うことも無くなる。 

今のところアフリカを中心に右肩上がりの人口も、ある時を超えて減り始め、人口も減って人の争いも減って、平和的な社会ができるかもしれない。

   
みんながベジタリアンになると動物が増えすぎるのでは? 


とおもうけど鳥、豚、牛などは基本的に野生のものを捕まえてきて食べている訳ではなくて、食べるために人間が育てているだけなので、問題はない。

生態系はそれほど崩れないものだと思う。

神奈川のビーチでお酒が飲めなくなったところから人類の今後30
0年後くらいまでいっきにタイムスリップしてしまったけど、結果的には少しずつ世界は整っていき、人間は自然とともに暮らす時代がくるのかな?

と感じる。

2014年8月22日金曜日

コーチはシェフ

 

最近アメフトのコーチのお手伝いをしている

 コーチというのは本当に難しくて、料理人に似ている気がする。

 選手は材料で、コーチはシェフ、

 いかに今ある材料で最高の料理を作れるかが

 シェフであるコーチの腕の見せ所だと感じる。

  そしてシェフがいかに多くのレシピを持っているかはとても大切である。

  たとえばカレーには肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、にんにくが必要だが
  毎年その具材がそろうわけではない、今年はジャガイモは無くてサツマイモだったり

  ニンジンは無くてゴーヤがあったりする。 

  

  ゴーヤはニンジンにはなれない。

  自分がサッカーの日本代表監督なら、 



 最初からカレーに必要な素材だけを選んでチームを

  つくれるが、大学の体育会では素材を選ぶことはできない。
  そこで大切なのがコーチがいかに多くのレシピを持っているかだ、

  別に例年カレーを作る必要はない、おいしければ何でもよいのだ。
 

  でもコーチがカレーのレシピしかもっていないと、毎年必要なのは

  お肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎとなる。

 選手の中にはマグロ、シイタケ、キャビア、トマト、フォアグラ、などが居て

  せっかくチームにキャビアやフォアグラがあっても



  コーチが料理するレシピを持っていなくては
  その素材は使われないまま腐ってしまう。

   多少癖のある個性の強い食材でもシェフの使い方で立派な料理となる。

   個性的な食材にはそれにあうスパイス(技術)と絡めてやれば使い道もある。

   毎年全く変わったレシピを試す必要はないけど

   コーチも経験とともにレシピとスパイスを増やしていけば多くの素材の良さを



  引き出して最高のチームを作ることができると感じる。

   今の自分にはもやし炒めくらいのレシピしかない。


   いつかもっと経験を積んでいろいろなレシピを身につけて


   みんながハッピーになるようなチームを作りたいと思う。
 

 写真はうちのチームのキャビアとフォアグラです。最高級の選手です。

2014年8月16日土曜日

「マイルドヤンキー」

 先日に東京の下町、葛飾区の都立高校にキャリア支援のお手伝いで行ったときのこと

進路担当の先生が挨拶のなかで、

「キャリア支援できてもらってもうしわけないのですが、うちの生徒が就職を考えるときに一番優先するのは、家から30分以内で通えるところです」

ということだった。

その場には30代、40代、50代の会社員の人たちがあつまっていたけどみんなとても驚いていた。

葛飾ってもともと下町だから地元意識が高いのかもしれないけど、僕の職場の八王子でも
同じような状況がある。

そういう世代を「マイルドヤンキー」というらしい。

 傾向としては 

 ・エグザイルが好き
 ・地元から出たくない
 ・「絆」、「家族」、「仲間」という言葉が好き
 ・車はミニバンが好き
 ・ショッピングモールが好き 

ということだった、できちゃった婚の人もおおくて、夫婦で非正規雇用なので、両親の近くに住んで、子供を親に預けて共稼ぎで子供を育てるという。

最初は僕も驚いたけど、それで本人達が幸せなら何の問題も無いのでは?と思ってきた。

親にしても、若干お金の心配はあっても自分の子供が近くで子育てしてくれることはありがたいことだと思う。

2011年に起こった震災を多感な時期に体験したこともあるのかもしれない。

一流企業に勤めて親からも独立して、高層マンションに住んで、子供を幼稚園に送り迎えするという生活も悪くはないと思うけどマイルドヤンキーの生き方もありだと思う。

マイルドヤンキーということばを学校の先生たちと話し合ったら

「その価値観は悪くはないけど、ヤンキーという名前を付けられるのはかわいそう」

ということだった。僕もそんな気がする。

彼らは彼らなりの欲張らない幸せを知っているのかもしれない

「足るを知る」を実践しているのかもしれない。

  
    ・ゆとり教育でそだって

    ・震災で「生きる」ことの大切さを知り

    ・高学歴でなければ大学にいっても終身雇用は望めない

そんな世代の新たしい価値観なのかもしれない。

大人たちは自分が理解できない若者たちの価値観にヤンキーとかニートとか悪意を持った名前を付ける傾向があるけど、もっと前向きにとらえてあげればよいのにな、と感じる。





2014年6月6日金曜日

オスギと義経

 オスギというアメフトの後輩は歴史の本をたくさん読んでいて、織田信長の「桶狭間の戦い」とか、秀吉がどうやって出世したかなどを、実際に本を読むよりも面白おかしく自分の主観を入れて僕に話してくれた。

それがあまりにも面白いので、自分も一度歴史小説を読んでみようと思い、結構立派な上下巻の文庫本を買ってみた。

僕はいい加減なので、小説の中の人の名前は全く覚えられず誰が主人公なのかもわからず読み進めていることがほとんどでその小説にはギケイというひととヨリアサという二人が出てきてどうやらその二人は兄弟のようだった。

全般的にひらがなの地名はない。

昔に三国志を読んだことがあったが、それも確か兄弟の話だったという記憶があり、僕の中ではこの小説も中国の話なのかな?

と思いつつ手さぐりで読んでいた。

信長も秀吉も家康も出てこなかったしね。

そんなある日にオスギとまた車に乗っていた、自分も歴史小説を読んでいることを自慢したくて、オスギに

「俺が呼んでいる小説は中国の話で主役はギケイでその兄がヨリアサというんだ、ギケイは子供のころに家から離れて生活していて・・・」

などと偉そうに話した、オスギはその話を黙って真面目な顔をして聞いていた。


しかしその後に登場人物の多さにパニックになり、飛ばし読みをしながらなんとか下巻をパラパラ開いたものの、ストーリーが全くつながらなくなり教科書を読んでいるような気がしてきて、そのままにしてしまった。

    
そんなある日に後輩のキイチが僕のところにきて

「ウラサン、ギケイとヨリアサの話どうですか?」

と聞いてきた。
   
このキイチは初めてチームに合流してきたときに
   
「自分は中井貴一に似ているとよく言われるので、キイチと呼んでください」

と自ら名乗り出てきたなかなかの強者で、千葉の地主の長男で人柄はおおらかで憎めない奴だった。

(しかしみんなからは中井貴一ではなくてギターリストの布袋さんに似ているといわれていた。)

僕はその時は

「なかなか面白いけど、登場人物が多いし、中国人の名前は覚えにくくて混乱している」

というよなことを話した。

しかしその後にキイチの質問になんか変な雰囲気を感じ、帰りにオスギに問いただすと、

「ウラサン、最初は自分も中国の話かと思いましたけど、義経とかいてヨシツネ、ヨリアサは頼朝とかいてヨリトモと読むんですよ。鎌倉幕府作った有名な人ですよ」

 と教えてくれた。 

オスギがどの段階でそのことに気が付いていたのかはわからないがすでに相当なチームメイトにウラサンが義経をギケイと読み、中国の話だと思って本を読み進めている。

と言いふらしていたようで、その後もたくさんの後輩からおちょくられた。

オスギはそういった恐ろしい一面を持った後輩でもあった。

   

  

オスギという男

アメフトをしていた時にオスギという後輩がいた

オスギはおばあちゃん子で子供のころからおおらかに育てられていたので、人に甘えるのが上手で、しかもとても優しい性格だった。

意地っ張りな僕とは全く逆の性格で、いま思えば僕はオスギから多くのことを学んだなーと思う。

 ある日オスギが僕に聞いた

 「ウラさん、人を判断する時ってその人のどこを見ますか?」

 そのときの僕はファミレスで働きながらアメフトをしていて、後輩が僕にはとても良いヤツなのに、自分より下の後輩にものすごく嫌な奴だったり、ファミレスで働いているときに、お客さんや僕たち社員にはとても気が利くのに、一緒に働いている人の悪口をものすごくいう人がいたりして、そういう人たちに疲れていた時期だったので

「俺に対する態度よりも、他人にどれだけ優しいかをみるかなー」

 と答た、するとオスギは少し考えてから

「ウラさん、それはウラさんが凄い人だからですよー、そりゃあ誰だってウラさんに偉そうな態度とりませんよ、 自分なんて誰にも相手にされないから、他人が少しでも話しかけてくれただけで、とてもうれしくって、なんでこの人話しかけてくれるのだろう?って思いますもん、さすがウラサンだなー」

って言いました。

 その時に僕はドキッとしたんだよね。

自分は結構うぬぼれているな、ってオスギがそれを悟らせようとしていったのかどうかはわからないけど、オスギは若いのに世の中のことが僕よりもわかっているなと感じました。

ちなみにオスギは苦労して公務員になり、今は結構出世しているはずです。

   

「今でしょ!」的人生論 パート②

先日あすなろラボという番組で 「今でしょ!」の林先生がヤンキーに授業をしていた。

林先生は「努力は裏切らない」という言葉は不正確だ   
 「正しい場所で」 「正しい方向で」
「十分な了なされた努力」は裏切らないが正しい。
 
どういうことかというと 僕がジャニーズになろうとして努力することに意味があるか?

と言っていた。 完璧なたとえだなー と驚かされた。


 
でも最近ふっと感じたことがある、林先生がジャニーズになることは難しいけど、AKBを目指していたらキンタローになれるひともいるかもしれない。

林先生だって東大を出て銀行員をしていて、その後に予備校講師をしていたら気が付いたら「今でしょ!」で大ブレイクしていて、今は予備校講師どころでは無い存在になっているしね。

自分の目標に向かって努力していくうちに、他の結果が付いてくることもあるのだろうなー 

林先生もキンタローさんもそうだけど、他のことに向かって努力していた人が、それ以外のことで結果がでたときって、人間的な幅が深いです。

一つは自分のことを客観的に見れているからなのかな? 
もう一つは結果的にどうなろうと、一度限界まで努力して人って、それだけで人間的な魅力と自信がつくのだろうな?

間違った方向への努力も意味がないわけではないよね。

   

 

2014年2月2日日曜日

ウォッシュレットが自由を奪った

 










  電車にのっている、

 右手につり革、左手に鞄、本を読みたい、もう一本腕があったらなー

 そう思って腕を一本増やす、電車が何時に目的地に到着するかを

 調べたい、4本目を増やしてスマホで調べる。

  選択肢を増やしたい、快適さを求めたい、そう思って多くのものを

  手に持ちすぎて気が付いたら自分が大忙しになっている。

  持っているものを維持するだけですでにとても肩がこる。

  しかも一度手に入れた腕(快適さ)を失うことはとても悲しい

  高度医療、年金、自衛隊 、マイホーム、高学歴、 

  リニアモーターカー、2020年東京オリンピック、原子力発電所

  「多くを持つことは良い事だ」

  と戦後に頑張ってきたけど、義務教育と健康保険で受けられる医療

  上下水道、電気、ガスがあれば結構人間幸せだよね? 

  失わないと気が付けないのかな?

  腕を増やすよりも自由な時間を増やした方が幸福度は増すと思います。

  スマホがないと生きていけないというなら、
 
  スマホが無かった10年前の日本人は不幸だったのかな?

  電気、ガス、水道が無かった江戸時代の日本人はどうしようもなく悲しい国民だった

  のかな?

   ウォッシュレットがないから海外旅行に行きたくないという人は

   ウォッシュレットが無い時代に生まれていたら海外旅行に行けたことになるぞ

   多くを持ち過ぎると失うのが怖くて動けなくなるのだと思います。
     
  
  「富は海水のようなもの。飲めば飲むほど、のどが渇く」

                     ショーペンハウアー

   
 今あるもので何とかするのも人生の楽しみだよね。