2012年3月20日火曜日

良いリーダーはマダマダいます

最近感じるけど、政治家も、会社の社長も、学校の先生も、

みんなほんとうは10年先とか100年先の日本の将来の事を考えているのだけれども、


会社の社長は本当に会社の為ではなくって、

自分が社長でいる数年間だけは株が下がらないようにして、

株主に怒られなければ社長としてやり手だと言われるようになったし、


学校の先生は生徒の将来よりも目の前の受験が大切だし


 政治家だって政権を取るにはとりあえず選挙に勝たなくてはいけないので、

みんなが喜ぶような「増税は絶対にしません」というような甘いことを政策に掲げて、

とりあえず目先の政権を取らないと、相手側に政権を取られてしまう。



 本当は政治家も、社長も、先生もきちんとしたビジョンを持っている人が

  多いのだとも思います。

 でもお金を持っていればそれで幸せとう世の中では

 長期的なことは発言できないのが現状です、

 国の将来を語ることは現在の国民の個人の自由を

 奪うことになりかねないからね。


 そろそろ何か変化が必要なのだと思います。

 政治家も社長達も先生達もみんな正しいことわかっているのに、

  一年だけで評価されるのはかわいそうです。

 良い政治家、良い社長、良い先生がいるうちにこの窮屈な制度を変えたいよね


 少しずつだけど日本はそういう方向に動いていくのだと僕は思っています。

空気読めない言い訳

空気を読むのがへたくそな人の理由の一つは

 読むのが上手な人は、空気が読みにくい状況だったり

 すこしおかしい雰囲気だった時には、空気を読もうとしないで

 黙っているのだと思います。

 結果としてはそれが結局は空気がよめてるということになるのではないかな?
 
 逆に空気の読めない人にかぎって自分は空気が読めると勘違いしているので、

 何とか会話をしなくては、とおもって気を使って余計な発言をして

 「あいつは空気が読めない」
 
 と逆にみんなに失笑されてしまうようなこともあると思います。

  って今日自分に対して思いました 

 関西人は沈黙が苦手だからついついね・・・

季節、時空、次元、社会的立場によってできる人格

アンゴラ、バヌアツ、イギリスと最近は違く国に行ってきて、日本に帰ってきて思う。 

自分っていう人間は季節が変わると考えてることが変わるものだって。

 冬はいくらか哲学的になる、動くのがおっくうになるし、

外に出るときはきちんとマフラー巻いたり、

モモヒキをはいたりしないといけないから服装にも神経質になる、

その日の一日の外出のスケジュールを考えて、念密にその日の服装を考える、

肌はカサカサになるし、血行が悪くなるから顔色もなんとなく青白くなる、

寒いからションベンの回数も多くなるし、残尿も多くなる? 

なんて思ってたのだけど、残尿については最近思った、

冬に残尿が多くなる理由は一つは寒いので男性のイチモツはとんがっているから

冷えやすいからションベンを切るというか気張るという感覚が鈍ること、

でも最近もっとよくよく考えると、本当の理由がわかってきた、

冬はみんなモモヒキを履いてしまうのがもう一つの理由なのだと思った。

モモヒキをはいてジーンズはいたり、スーツを履いたりすると、

男性はみんなわかると思うけど、トイレで立ちションをする時に

パンツのゴムとモモヒキのゴムを押し下げて、

その押し下げたゴムと開けたチャックの間というとても狭い間から

我々は出てきて仕事をしなくてはならない、

しかもスーツとかジーパンだと上にはキッチリベルトをしているから、

下からはパンツとモモヒキのゴムにボールもバットも締め付けられつつ押し上げられ、

上はキッチリベルトで固定されてその間のジッパーという

 限られた空間から出てきて用を足すということは、もともと難しいのだと思います。

 だから上手く水分が切れなくって、残尿して、それが不安で

冬になると年を取ったなーって男はみんな衰えたような気分になるのでしょう。

 この部分は別に力説する必要は今日はなかったのだけど、


そして春になると少し心ウキウキして心もオープンなって幸せな気分になるし、

さらに夏になると、毛穴も開いてラテンな気分、

心も体もみなぎったった気分になるのだけど、

秋になると何故か急にセンチメンタルな気分になりつつも

食欲は倍増するという心と体の矛盾を抱え込んだまま

気がついてみれば急にバタバタと年を越さなければいけないという強迫観念とともに、

除夜の鐘がなって本当に年を取ってしまうというサイクルになっている。 

これが日本、一年間の中で4人の自分に会える、

同じ人間が4つの考え方を持ってしまっているのです。

 ちなみにアンゴラもバヌアツも熱い夏、涼しい夏、雨の降る夏の

三つの夏はあるけど、

秋とか冬とか春とはは別にないから何時も毛穴も鼻の穴も全開で

攻撃的でみなぎっている。

 一方イギリスはちょっとした春のようなものはあるけど、

それは日差しがきつすぎて一瞬熱くなるときが30分とか午後いっぱいとかあるけど、

基本的には空気はとてもひんやりしているので、日差しの当たらないところは常に寒い。

 日本でいう10月から3月くらいまでで

一年間の季節が説明できてしまう感じです。

だから一人のなかの季節の感覚は日本人の半分くらいだと思います。 

逆に言ったらだから心が安定していて、イギリス人は冷静で合理的なのかもね?

 
 これに個人の経験が入るのだと思います。

「時間軸」とでも言うのかな?個人的経験と立場

 僕だったらファミレスの社員だった9年間、接客していたし、

一緒に働いていた大学生とか一生懸命パートをしながら子供を育てている

お母さん達の生活をみることができました。立場は社員だから一応は責任のある立場。

 でもその一方でフットボールではマダマダ試合も出ていなくって、

チームも「弱者」な立場でした、でもその後に合併して良いチームメートに巡り合い、

どんな試合でも勝てる「強者」の立場にも経ちました。

 バヌアツでのボランティアの2年間はそういった勝ち負けの全く無い世界、

僕のバックグランドなど全く知らない人達のところに単身で飛びこんでいって

一から人間関係を作るから、自分の笑顔と人間性が試された2年間でした。
 
フェミレスの「売上第一主義」でもなくフットボールの

「勝利以外は何も認めない」 というのでも無い世界でした。
 


 体が健康でいられるという面では僕は今のところ大きな病気はしてないから

「多数派」だし、結婚していないという面では「少数派」にはいります。

 何か決断をするときにそういった過去の経験してきた

10人くらいの自分の立場というか人格みたいなものが決断を下します。

 もちろんその決断は季節によっても左右されると思うんだよね。

 季節 × 経験 って感じ。

 でもそれともう一つ最近思うことは、

これはバヌアツとアンゴラに行って感じたのだけど、

バヌアツはジャングルだから三次元なんだよね、

森の中にすんでいるから子供の頃から木に登ったり、

遊ぶときでも道具が身の回りに豊富にある、ココナッツの実だったり、

木の枝、葉っぱ、ロープになるツル、

そういった道具に囲まれいるから常に立体的に物事を

感じたり考えたりしながら育っていくのだと思います。

 一方アンゴラは水が少ないので、砂漠みたいでドライです。

ようは2次元の世界なんだよね木とが少ないから立体的な環境ではありません。

子供は他の子供と遊んだりするだけ、食べ物も豊富ではないし、

木も少ないから焚き火もしない。

バヌアツの子供達が幼いころから火を起こしたり、

動物を追い回したり、ココナッツの木に登ったりという

3次元の遊びをしているのに比べると、

平面でしか想像力を働かしていないのきがします。

 海だってバヌアツの子供は入り組んだリーフの中で貝を探したり、

岩から飛び込んだりしているのに比べると、

アンゴラはだだっ広い大西洋の砂浜で水遊びといった感じです。

 だからバヌアツ人とか昔の日本人みたいに「自然を相手にする」


という経験は少なく、どちらかというと「人を相手にする」

経験が多いのだと思います。

 ちなみにイギリス人にとっては自然とは「征服するもの」

であって共存しようとは思っていなくて人と同じく自分たちで

コントロールできると思っていると思います。 

まあ彼らならある程度はできるのかもね。
 
 ちなみにバヌアツでいつも物足りないと思っていたのは、

日本みたいに20歳過ぎたら仕事をするわけではないので、

20歳過ぎてもみんな同じ性格のままなんだよね。

日本なら

・20代のバイブル

・男が30歳にすべきこと

・40代の中間管理職に捧ぐ本 

・50代のリーダシップ論

・60代の役員の条件
 
 みたいなそれぞれの世代の文化というか考え方があって研究されているけど、

仕事してないとそういうのも育たないのだと思いました。
 
 だから60歳のおじいちゃんでも少年と同じ笑顔で笑えるのだけどね


 そう言うと日本人ほど色々な角度から物事を考える環境が整っているし

 世界のなかでは珍しい自然環境なのだと思います。 

 季節に関していば何度もまたその季節ごとの自分にであるののだから、
 
 それが他の経験とか自分の職場とか家庭での環境とも複雑にまじりあって

 新しい自分が構築されていくのだろうな。って思います。

 繊細だったり、物事を深く考えるように日本人がなったのはそういう理由
 
 からなのでは?という考えもあってよいのだと思います。

2012年3月17日土曜日

毎日が無料のディズニーランドだった頃

子供の頃は日曜日になるとマンションの4階に住んでいたケンと

 3階のシーちゃんと三人で遊んでました、この二人以外は

 僕と遊ぶと怪我するから遊んではいけないと親から言われている

 みたいでした。

 遊ぶルートは最初にマンションのごみ箱に入り、なにかその日に使えそうな

 物をあさります、大型ゴミの日でゴルフクラブとかあればそれを

稲刈りの終わった田んぼに持って行ってゴルフをするし、

もしクラブはあってもボールがなければ

真ん中で折って、刀みたいに持ち歩きます。

折るときはコンクリートの壁の間に差し込んで、

力いっぱい押したり引いたりしているとポッキリ折れます。

 その先を石でコンコン叩けば先が平べったくなって、木でも、

土でもなんでも突き刺すことのできるスパスパ棒の完成で、

それだと攻撃力、

破壊力ともに80くらいと相当高めの武器になります。

 あとはジュウタンとかベニア板、スコップになりそうなもの、

 ムチになりそうなプラスティックの棒、ロープ、

フリスビーになりそうな園芸用の水受けのプラスティックの皿

 発泡スチロールはこすると分解されて雪みたいになるし

(後で掃除のおばさんにとても怒られるけどね)

ゴミ箱の中では想像力さえあればどんなものでも

 その日の「武器」となります。

 ドラゴンクエストの武器のようなもので良い道具を持っていれば

 その日は一日良い働きができるしまわりからも尊敬されます。


 でもマンションの管理人さんが一日に数回見回りにくるので、

そういうときはすかさず隠れます、

ゴミの小屋から逃げ遅れて中に潜んでいると、ホースで水を

かけられるという攻撃を受けます。

まあお互いに限度を分かってやってて

管理人さんもここら辺に逃げ込んで隠れているんだな?

って思ったあたりにイカク射撃に水をまいてる程度だから、

濡れたって大したことないけどいつ終わるかわからない水攻撃を

大型ごみのタンスの中や、ゴミの袋の間に埋もれたりして

 暗がりに隠れながら、水が自分の真上に水を振りかけられてい

る時の恐怖と隠れているタンスに水が当たってゴーゴーいう

水の音は、子供心にそれなりの覚悟と自立心を社会性を芽生え

させるのだと思います。

  あの頃はそう言った微笑ましくも暑い

「小学生なりの大人との戦い」

が僕達の世界ではありました。

うちは大型マンションだったので、

管理人さんもマンションの一階に住んでいてい、

何時もマンションの入り口のカウンターに座っているのだけど、

ゴミ箱に行く時はその前をとおると管理人さんに

 「悪ガキ3人げゴミ箱に行ったから、時間を見て追い払いに行こう」

 と思われると困るので、管理事務所の前は避けて裏の階段から行く

ようにしていました。

 今だったらゴミ箱の監視カメラが付けられていて、

そういうこざかしいことを考えることすら

意味がなくなってしまうよね。アナログ時代が懐かしいです。




僕達の武器になったそれらのアイテムを刀のようにベルトにさしたり、

ブンブン振り回してより良い使い方を考えたりしながら
 
山に入ってとりあえず木に登るか、崖を削って基地を作るか、

竹藪に入って竹を切って弓を作るか、また弓ができたら野犬を狩りにいくか、

田んぼに行ってチャンバラをするか、

ひたすらみんなでヘビを探してながら川口ヒロシ探検隊の

歌を歌ってそこら辺をさまようのか?


適用な目的を立ててドラクエのように近所をハイカイします。

 そのうちに何処かで誰かが何か面白いことを発見して、

場当たり的にその日の遊びの場が決まります。



田んぼに積み上げられているワラをみんなで高く積み上げて山を作り、

その中にトンネルを作って遊ぶ時は常に農家の人の目を気にしてい

ないといけません。
 
 (でも田んぼの場合は場所が広いから逃げ場所が沢山あるけどね)

 バラバラに逃げて散った後にどこに集合するのか?

などみんなで決めておきます。 

 高い竹に囲まれた日の当たらない池は冬になると氷が張って靴の

ままスケートできたし、

氷の上でみんなで集まってジャンプすると亀裂が入ってヤバイ事に

 なるのだけど、それが楽しくて、氷を割って遊んでいたし。

 亀のいる池、ザリガニだけの池、コイがいる池、カエルのいる池、全部いる池があります

遊んでいても怒られない池、

雨が降ると水位が上がってその先の用水路に亀も帰るも蛇も流されてきて捕まえられる池

春になるとカエルるの卵が沢山浮かんでいて、

竹の棒で集めて誰の長靴に一番多く入れられるかを競える池。

 子供ながらにそう言った情報はすべて頭に入っていて、毎日楽しく遊んでいました。




注意の必要な池は「野犬注意」「オバン注意」、「マムシの注意!」「工事中立ち入り禁止」

がありましたが、そういう場所ほど遊んでいて面白いものでした。

全部いる池があって(注意ではなくて獲物がね)そこが一度駐車場に

なるというので、市役所の人がポンプで水を抜いて中の魚やカエル、

ザリガニ、亀などを全部回収する日がありました。

 小学校の帰りに池の前を通ると、

すでに回収されたコイとか何時も逃げられて捕まえられなかった大きな亀とかがすでに

プラスティックのタライの中で泳いでいました。子供はみんな野次馬のように役所の人が

 網で次々と獲物を捕まえるのを見ていました。

 すでに池の中にはほとんど何も居なかったけど、

かろうじて数匹の食用ガエルが泥の中に混じっていて、

目を開けた時だけその存在を示していました。

 それを見つけた僕とシーちゃんは、これは絶対に使命感をもって

 回収すべきだ。役所の人に褒められるかも。

 と思ったのか、単に池の水がなくなっているこのチャンスに何も
 
 捕まえられないのは悔しいと思ったのか、一目散にそのカエルを
 
めがけて池というよりすでに沼になっていた中へと突入していき

 ました、でも自分が池の中に入ってしまうとカエルを見失ったりして

 もう一度外にでて、また入ったりしているうちに池の真ん中あたり

 まで入ってしまって、すでにパンツも浸かって、胸のあたりまで

 ドロの中でした。

 シーちゃんは腰までつかっていました。

  結局カエルは捕まえられなくて、二人はがっかりして帰ったの
 
 だけど、それぞれ家に帰った後に

 「こんな腰の深さまで池に入ってあんたは本当にアホだね」

 って言われたシーちゃんはすかさず

 「でもウはここまで入ってたよ、どっちがアホなん?」


 って言って胸のあたりを水平にチョップみたいにしてさし示していたので呆れた

 と後日シーちゃんのお母さんがウチの母親に笑いながら話していた

 らしいです。


 今はディズニーランドでもコンピュータゲームでも

すでに用意されている面白い遊びが沢山あるけど、

 あの頃は想像力さえあればディズニーランド以上に面白くて、緊張感のある

 「大人が金儲けの為に作った準備された遊び」ではなくって

 子供がお金の代わりに想像力をつかって作った遊びがあったのだと思います。
 
 ゴミ箱から始まる遊びはまさにリサイクル、のエコな遊びだったのだろうね
 
 「ゴミ箱行こうぜ」

 から始まる、僕達の遊びは、僕の人生に大きな影響を及ぼしていると思うし

 それはフットボールの状況判断でも、協力隊でバヌアツに住んでいたときでも

 大いに発揮されたと思います。うちの親は電子ゲームもゲームオッチも

 ファミコンすら買ってくれなかったけど、今思えばそれは良かったんだろうな
 
 って思います。

2012年3月15日木曜日

「知識」としても反抗期の例です

反抗期が大変だとかそういうこと良く聞くけど、あれって必要だと最近になって

よく思います。

 反抗期は子供が親に

「僕はもうあなたとは違う人間で違う人格が育ってきましたよ」

 って伝える作業だとおもいます。思春期になると自我が芽生えるからね。

 でも親のほうはすでにだたのおっさん、

おばさんだから別に思春期でもなんでもないし、単に

「思春期は季節みたいなものだからほっておけばよいけど、
    それにしても親に対して反抗するとは生意気だ!」

 みたいな感じだとおもうんだよね、

 何故急に反抗するのか理解できないのだと思います。

 昔みたいに中学出てから丁稚奉公にでもいって家庭から出ていくなら

13歳とか15歳とかで自分に目覚めても親にしてみたら後は勝手にやってください。

 ってかんじだけど、まずいことに最近は20歳でも学生だから経済的には

親に頼る時代だものね。

 親にしてみればこっちが金出して学校に行かせてるわけだし。

今の生活が厳しいのは自分が学生時代に勉強しなくて、

 就職を選べなかったからで、同じことを子供に繰り返さない為にも、

 少しでも良い学校に行ってもらいたい。そこで出てくる言葉は

「あなたの為だから!

 お母さんはあなたの為を思って勉強しろって言ってるのよ!」

 っていう言葉なのだと思います。

 子供にしてみば、

「自分のやりたいことをやらせてもらえなくて何が私の為なの?」
 
ってなるよね。

 だから親があきらめるまでとことんぶつからないと自分の人生が何時までも

 親にコントロールされているみたいな不安があって、

 生きてる意味がわからなくなるのだと思います。

子供の気持ちは 

「自分で決めて道を自分の力で歩みたい」

親にしてみたら

「バンドやりたいとか、留学したいとかより、とりあえず高校受験、

 大学受験が最優先、やりたいことは受験がおわったらいくらでもやらせてあげる」

 っておもってるだろうね


「そんなに親の言うことがきけないのなら、出て行きなさい、

 自分で好きなように生きなさい!」

 って言いたくもなるよね。

 それが反抗期なのだと思います。


  子供は親があきらめてくれるまですべての事に反抗するのだと思います。

 だってそこには自分の人生を自分のものにするために命をかけた戦い

  があるのだと思うからね。


 親の為の人生だったら自分の人生ではないから死んだほうがマシ、
  
どうせ死ぬなら死ぬ気で反抗してみてダメだったらあきらめて死ぬしかない


 これくらいの気持ちだと思います。

 金持ちの親とか、世間的に立派すぎる親で結局子供を理解できずに

 親も子供も疲れ果てている家もあると思いますが。

 僕が思うにはそういう親は自分自身の「社会的な成功」が成功であり、

自分の価値観よりも社会的にどうかが大切というまだ

 本人達が親離れできてない親だとも感じます。

 もちろんお金と権力、社会的地位はとても大切なことは僕も良く理解しています。

 そこが純粋な思春期の子供には理解できないし、

 醜いと感じてしまうのかもしれません。

 人生の中では権力も金も大切だとは思いますが、

 自分が本当にやりたいこととのバランスがあってのステータスなのだと思います。
 
 でも思春期の子供を抱えている親(40代、50代)は会社のなかでも

 一番忙しい時期だし、金銭的にも家のローンも子供の学費もあって、

 「もっと有名大学で高学歴を収めていれば、もう少し楽だった」

 という親自身の後悔もあり、勉強せずに反抗する子供は許せないのかもね。


  だからいろんなところで親子間の問題があるのだと思います。

 日本の教育制度とか社会のシステムと子供が自我に目覚める

 時期のタイミングが今の日本はあまり良くないのだろうね。

 
 しかしと言っては何ですが、

 そのすさまじい反抗期を乗り越えた子供は、

 自分というものをしっかりと持った素晴らしい大人になるのだともおもいます。

僕の好きな国際理解の例に例えると、

 日本以外の国はほとんどは一度他の国に攻め込まれて、植民地にされてりして、

 自分達の言葉や文化を否定されているから、

 逆に自分達のアイデンティティーとしっかり持っているんだよね。

 日本人はそういう経験がほとんどないから、

 グローバル化といえば外国人の真似をすれば良いと思ってるのと問題は似ています。

 親と一緒に生活してきたけど、これではいけないという独立心が芽生えてきて

 親にたいして自分達のアイデンティティーを主張する、

 「独立運動」みたいなものだと思います。

 そこで独立の為に戦った子供は自分のアイデンティティーを深く胸に刻み込めます。

 だからその時に反抗してもめればもめるほど、

 その後は自分にプライドを持って生きていけるのだと思うんだよね。

 でもその作業ができなかった人って、自分って何が好きなのかな?

 どういう服が似合うのかな?

 どういう人と結婚したら良いのかな?

 人生って何の為にあるのかな? 

 どうして私だけ何をやっても楽しく無いのかな?

 こんなことしたら親になんて思われるんだろう?なにか小言いわれるかな?


 みたいなことが気になって、「自分の人生」を生きる喜びを感じれないのだと思います。
 
 それでも不器用で、社会の不公平に疑問を感じて世の中に反抗できた人は

 社会に反抗して自己確立できるから良いけど。

 なまじ頭が良くて、偏差値社会の中では苦労しなくてもトップで、

 そのまま一流大学にはいって、気がつかないうちに高い給料もらって、

 でも私って何のために生きてるの? 生きてる理由はなんなの? 

 でもまわりにはそういう悩みは贅沢だと思われるし、

 とりあえず実感の無いまま生きていく、なんか自分に自信がもてないけど、

 ただ生きてるひともいると思います。

 そして最後まで親に押さえつけられて、自分の人生を生きられない人や、

 自らこの世を去っていく人もいるのが現実だと思います。

 僕は反抗期ってそういうことなんじゃないかな?って思ってます。

 この話は「知識」としてもっていることが大切だと思います。

 これがすべてではなくって、

 他にも色々な反抗期ともっと前向きなパターンや例も沢山あると思うけど、

 こういう話を聞いたことがあるなって「知識」として覚えておいてもらったら、

 いつかなんとなく役に立つこともあるかもしれないと僕は思っています。

2012年3月11日日曜日

アトムとターミネーターとエレファントマン

たぶんというか絶対に間違ってると思うのだけど、
 
鉄腕アトムの実写版かハリウッド版というのがあったと思うのだけど、

 映画の内容は、自分の子供が死んでしまってとても悲しい科学者が自分の

 子供の生まれ変わりのロボットを作るという話だったと思うんだよね。

 でもその科学者はその後に本当の自分の子供ができるか、何らかの理由で

 ロボットであるアトムを愛せなくなってしまって、アトムのスイッチを切ろう

としたのか切ってしまったのかのだと思います。もしくはアトムが自分で

 自分が邪魔な存在になってしまってことをに気がついて自ら去って行ったの

 かもしれません。

  
 シュワルツエネッガー主演のターミネーターもそういう話でした。

 未来から送られてきて、将来自分のボスになる子供を助けに来るんだけど、

 ロボットだけと人間の気持ちを理解して学習する能力がついてるんだよね。

 彼の最後のミッションはもう一人未来から送られてきた悪役の

ターミネーターと戦って、

将来の自分のボスを守りきり、敵のターミネーターの体を

 きちんと破壊して粉々にしてハッピーエンドで喜んでる時に急に

 「自分には最後にインプットされたプログラムがある、それは自分の体を

 溶かす釜ので溶かしてこの世に残さないこと、自分の体が残ってしまうと

 それが研究材料になって未来に新しいターミネーターができてしまう。

  最初に送られてきが時点でそのことは知っていたので問題は無い。

 でも自分には学習機能が付いているので、人間が涙を流す意味がこの数週間で

 理解できた。でも僕には波を流すことはできないけど、とても悲しい

 といって溶鉱炉に自殺していくというものでした。


  エレファントマンという映画の中では、病気で顔が像みたいになっていまっ

 った男の子が実は頭は良いのに、それが知れるといじめられるので、

言葉を話せないふりをして生きていて。

それに気がついたお医者さんが彼を引き取って人生で初めて人間として扱われた日に、

彼は鼻が悪いので座ってしか眠れず、

もし枕をすべて取って頭をフラットにして眠ってしまうと、

鼻が詰まって死んでしまうということを知っているのに、

自分が人間として扱ってもらったことに満足して、その日の晩、

眠るときに一つずつその枕を取り外して、

枕なしで寝てしまうのがラストシーンだった気がします。

 今までの人生があまりにも辛すぎたので、

今日という人間扱いしてもらった幸せな日に死にたいと思っての行動だったと思います。


 どれもこれもみんな人間のエゴ、

抱えられない苦しみや悲しみを何とか埋め合わせようと、

科学技術を使ってロボットに子供の代わりをさせたり。

必要ではなくなったら、スイッチを切ったりしたり。

人間ができない能力をコンピューターに装備して戦わしたり。

自分より弱かったり、醜いものをみて自分のほうがましだと思ったり。

それによってお金を稼いだり。

 やってる人達も悲しいし、

それ利用されたりロボットやエレファントマンはもっと悲しい。」

わかっているけど一時的な自分の気持ちの為に他人の事はどうでもよくなってしまう。

 悲しいけどそれが現実なのかな。

こんなこと言ってる自分だってきっと他人を傷つけてきたんだと思うんだよね。

 テーマが深すぎて答えが出ないけど、

もし傷つけられるのなら傷つけられたほうが良いのかな?

 どの映画も名作ってことは人はみんなこういう気持ちを持ちながら

 生活しているのだろうね。 世の中難しいなーって何時も思います

2012年3月8日木曜日

土地に対する気持ちって

今は東京で母親と一緒に住んでいるんだけど、両親は母親の実家が新宿区

 親父やは山口の下関、親父が学生の頃に東京で出会って結婚したんだけど

 親父の就職先が大阪だったので、僕と姉ちゃんは大阪で産まれました。

 今は親父は亡くなって母親は新宿区に戻ってきてるので、

僕も母親と一緒に新宿に住んでいますが、仕事で

「ご自宅どこですか?」

 って聞かれたら、

「新宿区です」

 って答えるんだけど、

「家賃高いでしょう?」

 って聞かれるので

「実家なんで大丈夫です」

っていう会話になるんだけど、相手の表情に少し違和感があるんだよね。

「なんでこの人関西弁なの?」

 この場合は実家はたとえ母親が東京に住んでいても産まれた大阪になるのかな?

 ちなみに僕は大阪で育ったけど、母親は東京だから納豆とか普通に食べれるし、

 たこ焼きを週に一回家族で食べる習慣は無かったし、

 母親の関西弁は僕と姉が学校に行くようになって、僕達から習ったものです。

 基本的には子供は関西弁ですが、母親は関西弁は今でもあんまり上手ではないです。

 
 
 この関西弁に対するリアクション現象はたまに学校で

 協力隊の話をさせてもらうときにもおこるんだけど

 僕が話しだすと生徒がヒソヒソ話を始めます。そのほとんどが僕の

関西弁のせいです。だから僕も気がついて

「ごめんね19歳まで大阪にいたから関西弁だけど許してね!」

 って言ってます。

そして教室に入って僕が話し出す前のヒソヒソ話の7割くらいは

「あの人はオードリーの春日に似てる」

 です、日本に帰ってきてから太ったから春日に似てるんだよね。

 髪型も似てるし、自分でもうなずけます。


 
 僕は19歳まで大阪だったけど、

大学一年の時は大学の学生の為の寮のある世田谷区、

2年、3年は今住んでる当時はまだ生きていたばあちゃんの家のある新宿区、

大学4年は今度はアメフト部の寮のある世田谷に一年間戻りました。
 
その後にすかいらーくのアメフト部に入社したので

 グランドのある埼玉の川越のほうに5年間住んで、

 アメフト部がオンワードと合併してからはグランドのある神奈川県の

 相模原市に4年間、でもその間2003年、2004年はそれぞれ春に

 ハワイのプロチームに所属していたのでそれぞれ5か月ワイキキにいました。
 
引退後は少しだけ都内に潜伏してたけど、親父の入院で大阪に3カ月ほど戻り、

その後は長野に協力隊の研修にまた2カ月ちょっと、

その後にバヌアツタンナ島に2年間、

 帰国後大阪に一年間、

 その後にイギリスに一年、、

 アンゴラ7カ月、

 アンゴラから帰国した時はすでに親父は亡くなって大阪は引き払っていたので、

 東京に戻ってきました。
 
 だからだと思うんだけど、バヌアツでもアンゴラでも、イギリスでも

 「日本が恋しいだろ」

 って言われるけど、土地に関する懐かしさって無いんだよね。

 バヌアツにいた2年間はなぜか帰るのはその前に4年間住んでいた

 相模原だったような気がしていて

 帰ったらいつものスーパー行って刺身買いたい!

 何時も行ってるアウトレットに行って買い物したい!

 ってついつい思ってしまうんだけどそのたびに

 「帰国するのは相模原ではなくって大阪なんだった」

 って思いだして変な気分でした、

イギリスに出発する時は大阪のマンションを引き払ったのちに東京に荷物送って

成田から出発したけど、その直前までは大阪に住んでいたし、
 
出発する前と帰国する時の家が違うと海外にいる間にどこを懐かしんで良いのか 

 今まで住んでいた大阪なのか? 

 今現在に日本で荷物を置かせてもらっていて帰国後に帰る東京なのか? 

 わからなくなってきます。

 だから結局は人は恋しくても場所は恋しくはならなくなってしまってます。

 正直に言うと人よりも一番恋しいのはどこにいっても和食だったけどね・・・

 たまに昔住んでいたあたりを車で通ったりすると

 「俺はこんなところに数年住んでいたんだなー、あれほど思い出あったはずなのに

 道もお店も全く思い出せないなー、そういうものなのかなー」

 って不思議な気持になります。それが懐かしいってことなのかもね・・・・
 
 こんな経験書いても誰も面白くないか?