2014年2月2日日曜日

ルパンの自己実現欲


子供のころからルパン三世が好きだ。

ルパンはお金が欲しくて泥棒をしてるのではなく

金持ちが大切にするものや、誰も盗めないものを手に入れるために

日々頑張っているのが素晴らしい。

オリンピックのメダルと一緒であくまでも象徴なのだ
 
  
ルパンは手に入れたものには価値を見出さない。

高価なものを盗むまでの充実感を楽しんでいて、

決してお金もちになりたい訳ではないのだ。

そのほとんどが最後にフジコに持っていかれるのも面白い。

フジコは手段はどうでもよくて、単にお金が欲しいだけなのだ。

いかに楽してお金が手に入るか、自分が贅沢できるかが大切なのである

(いかにも女性的だと書いたら怒られるからここでは書きませんが)

  
ルパンはいつもフジコに肩透かしを食らい盗んだ財宝を持っていかれるが

本当のところはフジコを手に入れるまでにゲームを楽しんいるだけなので

実際に手に入れる必要はないと知っているのだと思う。
 
  
  
「真の強者は群れない。」

というが基本的にはルパンは一人だ、次元はパートナではあるが手下ではないし

五右衛門にいたっては必要のある時しか出てこないし

彼も決して自分はルパンの手下だとは思っていない。

  
そうやってみるとルパンには男としての生き方のヒントが詰まっている

  
「男には自分の世界がある、たとえるなら空をかける一筋の流れ星」

と歌っているのもうなずける。

流れ星は世界で一番美しいがダイアモンドのようにお金では買えないし、
  
決して手に入れることはできない。 それが男の世界なのだと思う。

そんな風に生きれたら良いなー  

   

   
 
  

  

 

心を枯れさせた井戸の話


 先日に知り合いの先生に中学校3年生の授業に呼んでもらいました。 

 テーマは日本の国際協力(ODA政府開発援助)は増やすべきか、減らすべきかです。


 まず中学生に問題を出しました。

   アフリカに毎日片道一時間、
往復2時間水汲みをしている村がありました。 

   子供たちはそのために学校に行くことができません

 日本の国際協力でそこに井戸を掘ることにしました。 

  さいわい村長の家には電気が通っていたので、
そこにポンプ付きの井戸を掘りました。

 これで子供たちは学校に行けると思って一件落着

 しかし一年後に行って見ると子供たちは以前と同じように学校に行
っていませんでした。   何故でしょう? という問題です。

 生徒たちは

 「学校にいく必要性がわからないから」 

   「井戸ができても他に仕事があるから」 

  「学校に行くお金がないから」


  というようなことを考えてくれました。 でも答えは

  「
一年後にいったら村長が水汲み料として村人から100円ずつ集めていたので、

   子供たちはそのお金を作るために働かなければならなかった」

 というものです。 

 「途上国の人は困っている、純粋である、
与えられたものに感謝する」
 
 というのはこちらの勝手な思い込みで、日本と同じように彼らにも社会があり、

 
人より多くを持ちたいと思う気持ちがありやきもちもある。  

 みんな納得していました。

   

 村長の意見は

「電気ポンプを動かす電気代はウチに請求が来る、
しかも村人は共同でものを管理することに慣れていないので、

水場はいつも汚れているし、
たまった水が腐ってボウフラがわくし、
結局それを掃除して管理するのは私の家族だ

だから100円もらわないと割に合わない」


 村人は

「昔は村長の子供も、ウチの子供も仲良く水汲みに行っていた、

今は井戸によって格差ができた。

こんなことなら井戸なんて無くても村人みんなが平等なほうが幸せ
だった」

作った日本人は
  
「一つの村につき20万の予算がついていた、

 電気ポンプにしないと予算を消化できなかった」

というものでした。

そして日本人から見たら可愛そうに見えた往復2時間の水汲み生活
が果たして本当にかわいそうだったのか?  という疑問もあります。

アフリカの人に 往復2時間満員電車に押し込まれて通勤している日本のサラリーマ
ンと
  
往復2時間水汲みをしている自分たちのどちらを選ぶ?と聞いたら

「アフリカ!今のままで幸せ」

というと思います。

      

では何故ODA(Official Development Assistance 政府開発援助) 

が必要かというと中国やアメリカに負けないように、

ガソリンやレアメタルを持っている途上国から優先的に資源を買うため。

グローバル化で勝ち残る為。ということになるのだと思います。 
   
中学生はそれにも納得していました。

みんな熱心に発言してくれてとてもうれしかったです。

 

2013年11月17日日曜日

気候は性格に影響するのか? その②






 昨日にとてもよく勉強している高校生に聞かれました。


 「浦さん、気候は人柄に影響すると思いますか?」

  僕の答えはするです。

  寒い国の人は常に食べ物が少ないし、寒さから身を守ることを考えなければ

   いけない。

  南に国の人は常に短パンとTシャツがあって太陽に当たって波の音を聞いていれば

   結構幸せなことは事実だと思います。

  では日本人にはどういう風に影響しているかというと、僕の持論では

   日本人は一人の人間が年間4回のシーズンを感じることができる、だからその人は

   一年間で4個の人格になる。 だってそうでしょ

    夏には情熱的になるし、冬には深く人生を考えるし、春はウキウキするし

   秋はセンチメンタルになるし。

   一人の人間の人格が3カ月くらいでどんどん変わっていくのだよね。

    それが木の年輪のように年齢とともに深まっていく。

    ずっと夏の気候と夏の気温で生きている人や、ずっと冬で気温15度以下の国のひと

    よりも感情や考え方が豊かになるのは当たり前だと思います。

    でもこの考え方今まで誰にいっても納得してくれなかったんだよね。

     でも昨日の高校生達はみんな納得してくれました。

    とてもうれしかったです。

気候は性格に影響するか?その①

 ポーランドに協力隊に行っていた友人が言うには
ポーランド人は自殺者が多いそうで、その理由は気温が低くて日照時間が短いと
 人は憂鬱になりバランスを崩すからだということでした。

 一緒にいた人が

 「でもそれって日本から一時的に行った人が対応できないだけで子供のころから
  ずっとポーランドで育った人には当てはまらないでしょ 」

 と言いました。 でもそれは違うらしくて昔からポーランドに住んでいるひとも
 自殺しやすいということでした。 人間の適応力は追い付いていない見たいです。

  その時に僕が思ったのは

  もし人間の適応力が日照時間の短さや気温の低さに適応して自殺者が少なくなるなら

   とても陽気なハワイの人や僕の居たバヌアツの人も日照時間の長さや温かさ、
  
  常夏でなことにいつしか環境に適応して陽気ではなくなり「普通?」になるはずだと

  おもいました。 でもその場合の「普通な人格」 というのはどこかな?

  それはどのレベルなんだ?

  とおもうと不思議になりました。 まあ自殺するのは生き物の中で人間くらいだろうし

  そちらはバランスを失っているとは思うけど、ハワイの人が環境に適応して

   陽気でなくなる必要はないと思います。 そうだよね?




 写真はデンマークにあるレゴランド、ちなみにデンマーク人は北欧だけど幸福度指数は高いです。 レゴはデンマークでできたそうです。 首都はコペンハーゲン、アンデルセン童話で有名
なアンデルセンさんの家が今でもあります。



 

2013年9月9日月曜日

スポーツのおける移籍について

実業団に居た頃に助っ人外人だったレジーがよく文句を言っていた

 「日本のチームはシステムに選手をはめ込みすぎる、

  あれでは楽しくプレーできないしミーティングも長くなる」

 「じゃあアメリカならどうするの?」

 「その動きができる選手を移籍で取ってくる、そのほうが早い」

   さすがアメリカだと思いました。 そういえばアメリカはシーズン中でも選手の

  移籍とかあたり前だものね。 

  しかしハワイ大学のアメフト選手が全く違うことを言っていたのを思い出した。

 「ハワイのフットボールは昔から厳しい練習で有名だ、理由は簡単、体の大きい選手は

  ドラフトで本土に行く、だってハワイの大学を出てもハワイに就職は無いからね、

  ハワイは今でもアメリカの植民地だ、本土から来た会社がハワイの現地の人を

  雇って儲けるだけ、そして年寄りの白人達が老後を過ごすためにハワイはある。

  ハワイにある会社はドールのパイナップル畑と不動産、観光業だけ、
 
  だからハワイの大学をでたってホテルのプールの監視員とか駐車場の

  受付、レンタカー会社、レストランの店員、観光バスの運転手になるしかない。

  就職を考えたら本土の大学に行くべきだ。

   逆にフットボール選手で本土の選手がハワイに来るのは物好きだけ、

  だから伝統的にハワイの練習は厳しい」

   なるほどと思ったけど、そういった理由以外にハワイの練習が厳しいのは

   ハワイ人が伝統的に自分達を鍛えること、向上することに対する気持ちが
   
    強く、正義感が強く卑怯なことをしないことなどがあげられると思います。

   島国は大陸に比べてそういう文化が育ちやすい気がします。

   日本でも常勝するチームは伝統的に良い選手が入ってきます。

   選手を育てる事も大切ですがもともとの素材がよければ、入ってきた時点で
  
   高いレベルのことから教えることができるからね。

    
    実業団に居たときに言われたことがあります。

   「どうしても日本一になりたいのなら、今のチームにいるより

   日本一になれるチームに移籍したほうが早い、

   現役で居られるのは数年しかない。日本一になる事が目的なら

    そのほうが早いし確実だ」

    でもそれでなった日本一に意味があるのかな?

   と思うこともあるし、逆に日本一になれないまま引退するのも嫌だなーと

   思っていた事もありました。

    
   スポーツの目的を「勝つこと」にするのか、「教育」とするのかによって考え方も

   変わると思うし、プロとアマでも考え方も変わるし答えは無いのだろうけど

   移籍についてはいつも考えがまとまりません。

   
  

2013年7月30日火曜日

柔道、人としての一流と選手としての一流

1984年のロサンゼルスオリンピックの柔道で金メダルを取った山下は
 エジプトのラシュアンと決勝で戦った。

 山下は右足を怪我していて、ラシュアンはその右足を責めずに結果的に

 銀メダルだったということで、 国際フェアプレー賞をもらっている。

 本当はラシュアンは右足も責めていたらしいが、基本的には責めなかったという解釈。

  先日に大学のセミナーで25名くらいの学生を対象にラシュアンの行動について           
賛成か反対かを聞いてみた。

  柔道のオリンピック決勝で相手の選手が片足を引きずっていた場合にその足を

   ●当然責める 
   ●仕方なく責める
   ●特にそちらだけ攻めるようなことはしない 
   ●そちらへの攻撃は避ける

  という4択だった。

  10名程の学生が 当然責めるだった、1名が避ける、後はその間。

  よく考えてみたら今の20歳くらいの学生は柔道の山下の金メダルは
 
  知らない世代だった。

   「実はこれは実際に84年おオリンピックであった話で、

  エジプトのラシュアンは山下の負傷した右足を責めずに、結局負けてしまった」

  という事実を伝えたらみんな驚いていた。 学生から出た意見は
 
  ・情けをかけられて勝っても相手は嬉しくない

  ・オリンピック代表になるには国の代表なのだから金メダルを取ることは当たり前、
  もしラシュアンがエジプト人ではなく中国やソビエト連邦の選手なら絶対に責めたはず

  ・怪我をしないことも競技の重要な要素なので、怪我した山下の自己管理が悪いので責める

  ・本当に痛いなら棄権することだってできるのだから責めても構わない

  ・相手の弱いところを責めることは卑怯である、
   それで勝つと柔道家としては一流だが、人としては二流だ
 
  ・ラシュアンの心の中に怪我したほうを責めなくても自分は勝ってみせるという自信があった
 
  ・オリンピックはプロではない、勝つこと以上に大切なものがありそれを失ってはいけない
  
  ・ボクシングだったら相手の弱っているところを責め続けるのは当たり前
 
 
   というような意見でした。 あとは柔道は基本的には個人スポーツであることもラシュアンに

   山下の右足を責めさせなかった理由の一つかもしれません。 もしこの柔道が5人の対抗戦で

   日本、エジプトが2勝ー2敗での大将戦だったら全く考え方が違うとおもいます。

   その大将戦で自分の国の大将が相手の弱いところを責めずに負けたら、自分はその人を

   一生責めると思うものね。  「痛み無くして、得るもの無し」が競技スポーツの基本です。

    このレベルだとみんなどこか痛いものね。

    
   オリンピックで医療チームも待機しているのだから、死ぬことなんて絶対に無いし、

  対抗戦になると背負っているものが全く違ってくると思います。

     学生からはイロイロな意見が出てきて面白かったです。答えは無いけど事実としては

   山下は金、ラシュアンは銀でした。学生の反応は事実とは逆でなかなか面白かったです。



 



2013年7月10日水曜日

「天下取り大会」

 日本人の性格についてずっと考えているのだけど、最近自分のなかで一つの考えが深まってきたのでまとめるために書いてみます。

 それは日本人が「天下を取る」というスポーツ競技のようなものを作って天皇陛下に審判をしてもらって、国民全員参加でやってきたとてもユニークな国なのではないのか?という仮説です。

  だってヨーロッパを中心に世界で何千年と行われてきた戦争の基本は侵略だよね。 領地を拡大し植民地をつくることが主な理由だと思います。
 
 でも島国日本で江戸時代まで行われてきた戦争って、基本的には誰が天下を取るか? というプライドをかけて国全体でやってきた大規模な国民参加型のスポーツみたいなものだと思います。 

 だって島国だし、それ以上拡大できないから今いる中で一番決めるだけで良いものね。

 だってすでに「日本」という国は「天皇」のもとにまとまっているからね。

 ルールといえば

 例えば負ける方は白旗を振って降伏したり、

 その前に女子供は先に敵に渡したり実家に帰らしたり、

 大将が切腹するからあとの家来は許してもらったり、

 フェアープレイに徹するためのルールみたいなものがあって、

 そして競技の前提として

 「大義名分」というその試合が始まるための理由も必要で

 最終目的はあくまで

 天下を取って天皇陛下に「あんたが大将!」という金メダルをもらうために

 お家というチーム対抗で必死になって戦争ごっこをする。

 という面白い国民性だったのかも知れません。

  ヨーロッパの国が世界中に領土を広げて植民地を作って、自分の国を大きくしようと闘ってきた500年くらいの間に、日本だけそれを競技として「天下取り」というスポーツをしてきたのだろうね。

  ・戦が始まると自分の名前をきちんと名乗ってから討ち合ったり

  ・源義経がサムライだけでなく、戦の船を漕いでいる船頭さんをも戦闘員として

 みなして攻撃したりして、それがと当時は反則ギリギリだけど新しい戦法として認められたり

 ・小田信長の鉄砲三列戦法は少し助っ人外人的というかドーピング的というか、

  「鉄砲使っちゃったら競技の本質が変わってきちゃうじゃん!」

 という風にとられてしまって、一瞬微妙な雰囲気もあったが勝てば官軍ということばで何とかOKが出てしまったり。

  みんなでそうやって天下取りというスポーツ競技を楽しんできた気がします。

  西洋の戦争が「欲の為」だったとすれば日本の戦争は「プライドの為」だったのかもねだって目的は日本を平和にするということよりもとりあえず天下を取るという自己実現だものね。

 そうやってもともと国民参加型のスポーツを国全体で行ってきたから人一倍フェアー精神とかモラルとか、ルールを守ることなどは徹底されてきたのだと思います。

 宗教がないのに何故モラルが高いのか?神がいないなら生きる目的は何なのだ?
 
  と西洋人から不思議がられるかもしれないけど、我々は「天下取りごっこ」を生甲斐としながらお互いに技を磨いてやってきたユニークな国民なんだ。 と思います。