先日テレビでスイスのお宅を訪問
というテレビをやっていたんだよね、基本的にはアメリカの大邸宅とは全く違っていて
こじんまりした家のなかに、それぞれ自分の気に入った家具を買ってきて
生活しているという感じでした、スイスの中でも上流な50代くらいの奥さんが言うには
「旦那さんの仕事が忙しいので、私達にはくつろぐ場所が必要なの、だから小さくても
気にいった家具があって、ゆっくりくつろげる空間をつくることを心がけている」
ということでした、
ハリウッドスターみたいに家の中に映画館があったり、ジムを作ったり、
噴水やテニスコートがあったり、
自分達の成功を他人に見せる為に生活しているのではなくて、
自分達の心の豊かさと価値観を中心に生活しているのだと感じました。
(ハリウッドスターはみんなに夢を売っているのだから派手でも良いのかもね)
税金は高いけど、福祉がしっかりしているので、納得している。
と言っていましたが、それも理解できました。
でもここで一つ言わせてほしいのは、僕が今までみてきた福祉に対する一つの問題、
偉大な世代が福祉や生活保護を充実させると、
30年後の次の世代は自分達が楽しても政府が助けてくれる、と思って、
失業保険や生活保護をつかって昼間っからビールを飲んでいる、
そういう姿を先進国でよく見ます。
日本も最近はそうだよね、昔は失業保険で生活するのは恥ずかしい、
という考え方が少し会って、僕も会社を辞めた後は少し遠慮気味にもらいに行った
記憶があるけど、最近は
「当然の権利だ!」
という雰囲気になりつつあるのもよくわかります。自分が生まれたころからある制度
って、当たり前になってしまってるんだろうね。
話はちょっと脱線したけど、日本もスイスみたいにみんな本当の豊かさを
考える時代がそろそろ来たと思うし、すでに考えている人は実行しているの
だろうけど、そういう人はわざわざ他人にアピールすることがないので、結局
成功をアピールしている人が成功者なのだ!という変な文化に陥っているのだろうね
今がその過渡期でこれから良い方向に変わっていくのだろうけどね
2012年1月17日火曜日
格差について (江戸時代のプライド)
アンゴラに居た時に一緒にボランティアしていたケイタと
アンゴラって日本の江戸時代くらいのレベルかなー?
って話してました、まあたぶんそれくらいだと思います。そこに自分達はボランティア
として来ている、それはアンゴラは貧しくて、助けが居るから。
ってことは日本の江戸時代の人達は貧しくて助けが居るのかな?
っておもったら、そうではないと思うんだよね、きっとプライド持っていたと思うし、
自分達の生活に何の疑問も持たずに生活していたのだと思います。
じゃあ何故アンゴラにやアフリカには援助が居るの?
日本の江戸時代と何が違うの?ってなると、そこに出てくる答えは「格差」なのだと
思います。21世紀をリードする先進国からみるとアンゴラは貧しい、
でもそれは生活のレベルではなくって、「格差」の問題なのだと思います。
他の人がもっている生活レベルを自分達が持っていない。
それが人を悲しくさせるのだと思います。
南太平洋の食べ物が人が食べるよりも早く育つ国バヌアツ人も言ってました、
「日本にも俺たちと同じように スタップ ノモ (止まってるだけ、ようは無職)
の生活の人達はいるのか?」
という質問になんとなく僕はホームレスの人をそうぞうして
「居なくはないよ」
っていたら、
「そいつらと俺達との違いはなんだ?」
と言われて返答に困って記憶があるけど、用は格差の問題なんだろうね。
電気も水道もなくっても幸せだと思ってる人もいれば
隣の人が外車に乗っているけど自分の家が国産車なことに不満を感じている人もいる
生活のレベルではなくて
「格差」というのは人を悲しくさせるのだと思います。
経済成長と同時にそっちの価値観
も変えていかないといけないと思います。
アンゴラって日本の江戸時代くらいのレベルかなー?
って話してました、まあたぶんそれくらいだと思います。そこに自分達はボランティア
として来ている、それはアンゴラは貧しくて、助けが居るから。
ってことは日本の江戸時代の人達は貧しくて助けが居るのかな?
っておもったら、そうではないと思うんだよね、きっとプライド持っていたと思うし、
自分達の生活に何の疑問も持たずに生活していたのだと思います。
じゃあ何故アンゴラにやアフリカには援助が居るの?
日本の江戸時代と何が違うの?ってなると、そこに出てくる答えは「格差」なのだと
思います。21世紀をリードする先進国からみるとアンゴラは貧しい、
でもそれは生活のレベルではなくって、「格差」の問題なのだと思います。
他の人がもっている生活レベルを自分達が持っていない。
それが人を悲しくさせるのだと思います。
南太平洋の食べ物が人が食べるよりも早く育つ国バヌアツ人も言ってました、
「日本にも俺たちと同じように スタップ ノモ (止まってるだけ、ようは無職)
の生活の人達はいるのか?」
という質問になんとなく僕はホームレスの人をそうぞうして
「居なくはないよ」
っていたら、
「そいつらと俺達との違いはなんだ?」
と言われて返答に困って記憶があるけど、用は格差の問題なんだろうね。
電気も水道もなくっても幸せだと思ってる人もいれば
隣の人が外車に乗っているけど自分の家が国産車なことに不満を感じている人もいる
生活のレベルではなくて
「格差」というのは人を悲しくさせるのだと思います。
経済成長と同時にそっちの価値観
も変えていかないといけないと思います。
2012年1月16日月曜日
格差について (経済成長より大切なこと)
資本主義社会がマネーゲーム、弱肉強食になってしまってそれぞれの国が行き詰って、
各国の政府や政治家は国民の期待にこたえて何とかしようと頑張っているけど、
その結果は結局はよその国からいかにお金を奪ってくるかになっているきがします。
経済成長イコール経済戦略というか、まあ国というまとまりで選挙をして
税金を集めて運営しているのだから、その枠でしか考えられないのだけど、結局は
自分の国の利益の為には相手の国の不利益は仕方ない、という考え方になってしまうよね、
それって今までは自分達の国内で競争していたのがグローバル化で国同士での競争に
なってしまっただけで、時期が来れば行き詰るものだとおもいます。
経済成長が国を建て直すカギ、という考え方はやめて、成長しなくても
幸せを感じられる生き方を模索するほうが良いと感じます。
結局はよその国から奪い取ってきたばあいは、奪い取られた国はさらに弱い国から
奪い取ることになるから、そのピラミッドの一番下になる国が必ずでてきて、
その国はやけくそになったり、能力のある人は海外に出て行ってしまって、優秀な人材が
残らなかったりで、悪循環になるものね。
スイスとかデンマークなんかは意外とそういうの気が付いていて、
地味だけど幸せに暮らしているし、それが一番良いと思っているみたいです。
そう言えばバヌアツもそうだったきがします、そろそろ日本もアメリカ以外の
国に目がいくと良いとおもいます。もちろん日本にも相当良い文化あるから
それを再確認することも大切だと思います。
各国の政府や政治家は国民の期待にこたえて何とかしようと頑張っているけど、
その結果は結局はよその国からいかにお金を奪ってくるかになっているきがします。
経済成長イコール経済戦略というか、まあ国というまとまりで選挙をして
税金を集めて運営しているのだから、その枠でしか考えられないのだけど、結局は
自分の国の利益の為には相手の国の不利益は仕方ない、という考え方になってしまうよね、
それって今までは自分達の国内で競争していたのがグローバル化で国同士での競争に
なってしまっただけで、時期が来れば行き詰るものだとおもいます。
経済成長が国を建て直すカギ、という考え方はやめて、成長しなくても
幸せを感じられる生き方を模索するほうが良いと感じます。
結局はよその国から奪い取ってきたばあいは、奪い取られた国はさらに弱い国から
奪い取ることになるから、そのピラミッドの一番下になる国が必ずでてきて、
その国はやけくそになったり、能力のある人は海外に出て行ってしまって、優秀な人材が
残らなかったりで、悪循環になるものね。
スイスとかデンマークなんかは意外とそういうの気が付いていて、
地味だけど幸せに暮らしているし、それが一番良いと思っているみたいです。
そう言えばバヌアツもそうだったきがします、そろそろ日本もアメリカ以外の
国に目がいくと良いとおもいます。もちろん日本にも相当良い文化あるから
それを再確認することも大切だと思います。
2012年1月10日火曜日
未病系ボランティアと応急処置的ボランティア
たまに協力隊のOBとして学校にいって講演をさせてもらうんだけど、
震災もあってボランティアという言葉に意識が高い時期だと思います。
先日にボランティア活動をしているという大学生と話していたときに僕が
「俺が大学生だった頃は自分の事ばっかり考えていて、
人助けなんて全く考えなかったけどねー、今の学生は偉いねー!」
って関心したら、その子達は
「そういう時代なんですよ、大学も国際科コースとか名前を付ければ受験者が増
えるんです、ボランティアが活動が単位に認められるようにもなってきています」
みたいなことを言っていて、なるほどなー!って感じました。
まあ基本的には僕の考えは
ボランティアをするほうが、単位になるからとか流行りだからと思っていてとして
も助けてもらう側は助けになるのだから、ためらわずにボランティアをしてほしいと
おもいます。
海外でもボランティアすると奨学金がもらえたりする制度あるしね。
良いことだと思います。
あと学校で講演するときにいつも気にかけていることは
僕がバヌアツでしてきたボランティアと東北で行うボランティアは
全く違うということバヌアツは現状でもみんな満足しているけど、
さらに上を目指しての啓もう活動としてのボランティアであるのに対して、
震災のボランティアは今までの生活のレベルを失った人がそれを取り戻すための
助けであることです。
人間は持っていたものを失うことにはとても悲しみを感じると思うし、一刻も早く
安定した生活に戻ってもらいたいと思います。
逆に途上国は今のところろ何かを失ったわけではなく、
さらに高い文化や生活水準を身につけることによって幸福感とか
充実感を学ぶ助けであり、だからと言って現状の生活が毎日喪失感と
戦っているわけではないしみんなとても楽しそうです。
だから同じボランティアという言葉でも意味が違う気がしています。
もう一つは、ボランティアをしてきた僕が社会貢献をしている立派な人間だという
わけではなくて、たまたま人生のタイミング的に2年間行かせてもらっただけと
いうか、まあボランティアの定義ってわざわざ海外まででて行く必要はなくって、
街中でゴミを拾ったり、電車の中で席を譲ったり、
もう少し身近だと朝に笑顔で「おはようございます」
って挨拶できれば、それだけで相手の気持ちを明るくさせることができるし、
すでにそれもボランティアと同じ意味があるんだよ。って説明しています。
もう一つは好きな人と結婚をして、立派な家庭を作って、正義感を持った子供を
育てる、結果的には立派な子供が育てばそれは確実に世界平和に繋がるはずだから、
わざわざアフリカに出向く必要は全くない、アフリカでのボランティアはいわば
応急処置的なボランティアであって、日本で立派な子供を育てることはすでに貧困を
作らないというか初めから病気にならないような予防になっているはずだ。
だからみんな今は一生懸命勉強して立派な大人になってくれればそれで良いんだよ!
ってはすように心がけています。
きっと間違ってないと思うし、みんなウンウンって理解してくれてる気がします。
震災もあってボランティアという言葉に意識が高い時期だと思います。
先日にボランティア活動をしているという大学生と話していたときに僕が
「俺が大学生だった頃は自分の事ばっかり考えていて、
人助けなんて全く考えなかったけどねー、今の学生は偉いねー!」
って関心したら、その子達は
「そういう時代なんですよ、大学も国際科コースとか名前を付ければ受験者が増
えるんです、ボランティアが活動が単位に認められるようにもなってきています」
みたいなことを言っていて、なるほどなー!って感じました。
まあ基本的には僕の考えは
ボランティアをするほうが、単位になるからとか流行りだからと思っていてとして
も助けてもらう側は助けになるのだから、ためらわずにボランティアをしてほしいと
おもいます。
海外でもボランティアすると奨学金がもらえたりする制度あるしね。
良いことだと思います。
あと学校で講演するときにいつも気にかけていることは
僕がバヌアツでしてきたボランティアと東北で行うボランティアは
全く違うということバヌアツは現状でもみんな満足しているけど、
さらに上を目指しての啓もう活動としてのボランティアであるのに対して、
震災のボランティアは今までの生活のレベルを失った人がそれを取り戻すための
助けであることです。
人間は持っていたものを失うことにはとても悲しみを感じると思うし、一刻も早く
安定した生活に戻ってもらいたいと思います。
逆に途上国は今のところろ何かを失ったわけではなく、
さらに高い文化や生活水準を身につけることによって幸福感とか
充実感を学ぶ助けであり、だからと言って現状の生活が毎日喪失感と
戦っているわけではないしみんなとても楽しそうです。
だから同じボランティアという言葉でも意味が違う気がしています。
もう一つは、ボランティアをしてきた僕が社会貢献をしている立派な人間だという
わけではなくて、たまたま人生のタイミング的に2年間行かせてもらっただけと
いうか、まあボランティアの定義ってわざわざ海外まででて行く必要はなくって、
街中でゴミを拾ったり、電車の中で席を譲ったり、
もう少し身近だと朝に笑顔で「おはようございます」
って挨拶できれば、それだけで相手の気持ちを明るくさせることができるし、
すでにそれもボランティアと同じ意味があるんだよ。って説明しています。
もう一つは好きな人と結婚をして、立派な家庭を作って、正義感を持った子供を
育てる、結果的には立派な子供が育てばそれは確実に世界平和に繋がるはずだから、
わざわざアフリカに出向く必要は全くない、アフリカでのボランティアはいわば
応急処置的なボランティアであって、日本で立派な子供を育てることはすでに貧困を
作らないというか初めから病気にならないような予防になっているはずだ。
だからみんな今は一生懸命勉強して立派な大人になってくれればそれで良いんだよ!
ってはすように心がけています。
きっと間違ってないと思うし、みんなウンウンって理解してくれてる気がします。
心の豊かさの高度成長期に向けて
先日友達に
「浦さんの趣味って何ですか?」
って聞かれたんだけど
衣・食・住
だったんだよね。
清潔な家に住んで、きちんと食事を作って、自分の身にあった服を選んで着る、
そういうことを趣味のように楽しんですることができれば、
それだけで結構時間を使うし楽しいし、落ち着いた生活ができるものだと思います。
まあ衣食住プラス少し運動できたらそれで良いかな?
僕は震災の時はアンゴラにいて、帰国してから日本人の価値観って少し変わったな
って感じました、みんなが相手の事を思うやるようになったし、
命があって健康ならそれでよし!
カッコつけて生きることがカッコよいとは思わなくなってきた気がします。
もしかしたら今の20代の人ってすでいそういう感覚なのかも知れません。
第2次ベビーブームの僕たち世代はまだ職業に対するこだわりみたいなものが
あったのかもしれないけど、そういう気持ちは薄れてきたしそういう時代では
なくなってきたような気がします。
人生の本当の意味を震災と世界的な不景気からみんなが気がつきだしたのかな?
と帰国して感じるようになりました。
政治家は経済成長が一番のポイントだ、というし、それも大切だとおもうけど、
それと同時進行で、経済が成長しなくてもみんなが幸せだと感じれる方法も
模索できると良いと思うし、日本人は考えるの上手だから、発見できると思います。
今後は心の豊かさの高度成長期を目指して国が一つになって頑張ってほしいです。
もちろん僕も頑張りますよ
ヨーロッパとアフリカの国をみて感じたけど、日本人がよく口にする
「国際化」っていう言葉は日本の中では向上心のある!みたいな言葉だけど、
イギリス人もデンマーク人も他のヨーロピアンもそれほど意識してないし、
先日からブームのブータンの方々も僕が居た南太平洋のバヌアツ人も
「国際化」が良いとは思っていないきがします。
アメリカ、中国、後は資源を持ってるいくつかの途上国はそういう
思考が強いのかもしれなけど、基本的にはみんな
「自分達の国の中だけで十分、なんで外国に自分達の国を宣伝したり、
認めてもらったりする必要があるの」
っていう考え方の国も結構たくさんあることを知りました。
これからの時代はもっと内向きで良いのかな?と感じます。
日本人としての衣食住ももっと大切にしたいと思います。
「浦さんの趣味って何ですか?」
って聞かれたんだけど
衣・食・住
だったんだよね。
清潔な家に住んで、きちんと食事を作って、自分の身にあった服を選んで着る、
そういうことを趣味のように楽しんですることができれば、
それだけで結構時間を使うし楽しいし、落ち着いた生活ができるものだと思います。
まあ衣食住プラス少し運動できたらそれで良いかな?
僕は震災の時はアンゴラにいて、帰国してから日本人の価値観って少し変わったな
って感じました、みんなが相手の事を思うやるようになったし、
命があって健康ならそれでよし!
カッコつけて生きることがカッコよいとは思わなくなってきた気がします。
もしかしたら今の20代の人ってすでいそういう感覚なのかも知れません。
第2次ベビーブームの僕たち世代はまだ職業に対するこだわりみたいなものが
あったのかもしれないけど、そういう気持ちは薄れてきたしそういう時代では
なくなってきたような気がします。
人生の本当の意味を震災と世界的な不景気からみんなが気がつきだしたのかな?
と帰国して感じるようになりました。
政治家は経済成長が一番のポイントだ、というし、それも大切だとおもうけど、
それと同時進行で、経済が成長しなくてもみんなが幸せだと感じれる方法も
模索できると良いと思うし、日本人は考えるの上手だから、発見できると思います。
今後は心の豊かさの高度成長期を目指して国が一つになって頑張ってほしいです。
もちろん僕も頑張りますよ
ヨーロッパとアフリカの国をみて感じたけど、日本人がよく口にする
「国際化」っていう言葉は日本の中では向上心のある!みたいな言葉だけど、
イギリス人もデンマーク人も他のヨーロピアンもそれほど意識してないし、
先日からブームのブータンの方々も僕が居た南太平洋のバヌアツ人も
「国際化」が良いとは思っていないきがします。
アメリカ、中国、後は資源を持ってるいくつかの途上国はそういう
思考が強いのかもしれなけど、基本的にはみんな
「自分達の国の中だけで十分、なんで外国に自分達の国を宣伝したり、
認めてもらったりする必要があるの」
っていう考え方の国も結構たくさんあることを知りました。
これからの時代はもっと内向きで良いのかな?と感じます。
日本人としての衣食住ももっと大切にしたいと思います。
2012年正月です

<写真はデンマークで鳥人間コンテストの練習をしていた時のものです
両手をバサバサやって飛んで無事に海に着水しました、嘘ですけど・・・>
いやいや、すでに半年以上もブログを書いていないと、
何を書いてよいのか少しうろたえますが、
いつまでも出島と参勤交代の話がトップではいけないようなきもしますので、
書いてみようと思います。
書いている場所というと、すでにアンゴラでもなく、イギリスでもなく、ジャパンです。
すでに3カ月も日本に潜伏しています。
帰ってきたのに何も書かなくってごめんなさい。
7月にアンゴラからイギリスに戻って、
イギリスで2カ月間はアンゴラでの活動をプレゼン
をしたり、前にブログに書いたデンマークの体育開会の運営に行ったりしていました。
その後9月の25日に帰国しました。
おそらくアンゴラの後半あたりからコーヒーの量が多くなり、
胃袋になにか違和感があり、イギリスに戻ってからも何も食べれなくって、
体重が5キロも減ってしまいました。
イギリスでの2カ月間は
「ついに自分も癌になった」
と思いこみ、日本に戻って病院に行って現実と向き合いのが怖くて、
ダラダラとしていましたが、勇気をもって帰国、胃カメラを飲んだところ、
胃と喉の間のしまりが悪い逆流性なんとか・・・
という今はやりの病であると診断され、基本的には
「年齢的なものですね・・・・」
というお医者さんにとってはとても使い勝手のよさそうなこのフレーズでかたずけられて
しまいました。でも癌ではなかったという安心感と日本にいるという安心感で胃袋は
順調に治っていき、今ではコーヒーも飲めるようになってきました。
胃が働くなくなった3カ月間に気がついたことは
自分の人生はすでに折り返しを超えたなということ
爺ちゃんは64歳に癌で亡くなり、親父が61歳でこれもまた癌、その計算で言うと
自分は58歳で死んでもおかしくないな・・・・
などと考えながら、現在37歳、折り返しだとしたら74歳までになります。
これまでの人生も相当長かったけど、この倍あると思うとそれも長いけど、
でも58歳までだと29歳ですでに折り返していたことにもなって、ため息というか、
せつなさというか、後半戦だけで済むという安堵感というか、
山で言うと今回のアンゴラまでは登り、でも自分の人生の中での体力的な最高到達点は
ここまでだな、と連日の胃痛を伴ったなかでの思考回路で気がつきました。
もう登る必要はない、後は今までのこの恥ずかしい人生経験を貯金として、
まあ少し人の為になるようなことをしながら人生の下り道を歩いていこうと
考えるようになりました。
今まで漠然と考えてきた、
「人生を攻めていないことに対する罪悪感」
みたいなものはあまり感じなくなり、人間的にもおおらかになった気もしています。
(体重も戻ったしね、逆に少し太ったかな?)
まあそう言った感じになるのも、お医者さんの言う
「年齢的なものですね・・・・」
という使いやすい言葉を自分で自分に使ってしまっていますが、
認めざる得ないですね・・・
ということで後一週間で38歳! めでたく独身。
今までは自分にムチを打ってきたのかもしれませんがそのムチもポッキリ折れて、
走る方向性を失いつつも、船でいうイカリのようなものが自分には必要なのかな?
などと思いながらも日本の冬を楽しんでいます。
2011年5月29日日曜日
出島と参勤交代が現在にもたらしたこと

<写真は教育実習中の生徒ドミンゴスです、もちろん彼女の表情も優しそうで
よいけど、僕が関心したのは手を挙げている子供の腕のラインの美しさです>
アンゴラ人によく聞かれます。
日本人は日本語以外に何語を話すの?
たとえばアンゴラはね、ポルトガル語が公用語だけど、
それぞれの州でローカルの言葉が10個くらいあるから、
町ではみんなポルトガル語だけど、村に入ると、お年寄りはポルトガル語を話さないし、
キンブンド語とかウンブンド語とかのローカルのランゲージを話すんだよ。
日本はいくつあるの?ってよく聞かれます。
アフリカで植民地になっていない国はないのでそういう発想はよく理解できます。
アメリカに原爆を落とされたので英語を話していると思っている人も多いようです。
南太平洋のバヌアツでもよく決まれました。
「日本人にはいくつの言葉があるの?」って
おそらく世界中に日本ほど、
国という枠と言語という枠がほぼ一致する国はないのかも知れません。
言葉ができた後に国という枠ができるのは当たり前だし。
話せない人達が国という組織づくりができるわけないものね。
その後に戦争で領土を取ったり取られたりして、
あとからできた「国」という枠はあくまでも政治的なまとまりであって、
言葉で分けてるわけではないものね。
先日に 森嶋 通夫さんという方の「続イギリスと日本」(岩波新書)
という本を読んでいたのですが、そこには
明治維新後に日本が大きく発展したのは、江戸時代に行われた参勤交代によって、
言葉と文化が統一化されていたという理由がある。
明治維新後に産業が西洋に追いつけたのは、
出島のような海外の技術はある程度入ってくるけど、
日本の産業も守る制度があったからだ。と書いてありました。
もし自由貿易が江戸時代から始まっていたら、当時農業国だった日本は、
自分達の農産物を売って、海外の製品を買うことになっていたので、
そうするとさらに農業化が進むし、自国の産業は遅れることになる。
でも出島によって、日本の産業は守られたまま、
海外の技術が少しずつ日本に入ってくることになった。
これは意図して行ったことではないけど、
明治維新後にすでに日本の産業が一定の水準にあったのはそういう理由がある。
と書いてありました。
なるほどね。そういうことか、
江戸時代と鎖国って今の日本にすごい影響を与えているんだな。と関心しました。
バヌアツ、アンゴラと見てきて、国の発達には言葉の問題はとても大きいと感じます。
お年寄りや地方の人達が公用語を理解できないと、
何か通達があってもそういう人達が取り残されてしまうものね。
そういう人が少数派なら何とかフォローできても、
言葉が三つくらいの大きな言葉のグループに分かれていた場合は
本当に細かいところまでのまとまりは難しいと思います。
そういう意味では明治維新後と戦後の日本の発達はとてもやりやすかったのだと思います。
それぞれの国によって事情はとても違って住んでみないとわからないものだな。
じます。
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